故郷 9
マンドレイクの群生地に到着した私達は、早速、マンドレイクのお花摘みを始めた。兄様は摘んだばかりのお花を口に入れ、あまりの酸っぱさに悶絶している。
「不思議な植物ですね、これは。周りは霜が降りているというのに……」
先生がマンドレイクのお花を摘みながら零した言葉に、私はこくりと頷いた。マンドレイクの花は、昨日と同じように鮮やかな紫色をしていた。葉っぱも鮮やかな緑色。触ってみても、霜が降りている様子は無い。先生の言う通り、不思議な植物だ。
「寒さに強いってだけじゃ、説明付かないよね、これは」
「雪が降ってもそのまま雪の下で花が咲き続けるなんて事は、流石に無いですよね……?」
「どうなんだろう……。あまりに希少だから、生態が全部解明されている訳じゃ無いんだよ、マンドレイクって。何で引っこ抜くときに叫ぶのか、とか、その音はどこから出ているのか、とか、叫びを聞いた人が何で悪夢を見るのかだって分かってないし……」
「研究したら面白そうな植物ですね」
先生が摘んだばかりのお花の匂いを嗅ぎながらそう言う。私はう~んと首を捻った。
「そうなのかなぁ……?」
「一株、持ち帰っても良いですかね?」
「先生、マンドレイクの研究したいの?」
「いえ。ただ、課題には丁度良いと思って」
「課題? 誰かに研究させるって事?」
「ええ。アクトに」
アクトの名前を聞いて、私の眉間に皺が寄った。そんな私を見て、先生がクスクスと笑う。
「本当に、アイリスはアクトが苦手なようですね」
「だって、アクト、意地悪ばっかりしたんだもん……」
「本人にそのつもりは無かったみたいですよ? 彼はただ、貴女に振り向いて欲しかっただけだと言っていました」
「先生、アクトとお話したの?」
「ええ。この旅に出る数日前に。貴女の里帰りを聞いて、とても心配していました。楽しい事ばかりじゃないだろうから、と。どうか、貴女を支えて欲しいと、僕に頭まで下げて……。本当は、僕に頼みたくなどないでしょうに……」
そう言えば、先生とアクトって、あんまり関係が良くないんだった。と言うか、アクトが一方的に先生を嫌ってるんだった。そんなアクトが先生に頭を下げるなんてちょっと意外。しかも、頭を下げた理由が私を支えて欲しいだなんて……。
「あのアクトがねぇ……」
「アイリスが成長しているように、彼も成長しているのですよ。思っていた以上に大人で、僕の方が驚かされたくらいですから」
「ふ~ん」
意地悪アクトがぁ……? アクトが大人って、無理があると思う。
「その顔は納得していませんか? アクトに会った時、少し話をしてみると良いですよ。印象が変わると思います」
「本当にぃ?」
「たぶん」
たぶんって、先生……。思わず脱力した私を見て、先生が可笑しそうに笑った。
「ところで、アイリスは、アクトがフォーゲルシメーレに弟子入りした時の話、詳しく聞きました?」
「ん~ん」
いつの間にか、アクトはフォーゲルシメーレさんの弟子になっていた。緩衝地帯にはフォーゲルシメーレさんがいるから、薬草屋が必要だろうって。一応、私にも卸すつもりでいるみたいだったけど、お城にも薬草屋さんはいる。よぼよぼのおじいちゃんだけど。
「彼は彼なりに緩衝地帯の事を考えてくれて、産業の一つにしたいのだとフォーゲルシメーレに言ったそうですよ」
「産業って、薬草栽培を?」
「ええ。他の村や町に持って行ける程の薬草を安定的に育てられたら、それは緩衝地帯の産業になるだろう、と。産業があれば雇用が生まれる。雇用が生まれれば、そのまま緩衝地帯で生活を続けられる子が多くなる、と。だから弟子にして欲しいと、フォーゲルシメーレに言ったそうです」
意外だった。あのアクトが、そこまで緩衝地帯の事を考えていたなんて。と言うか、そういう考え方が出来る子だったなんて。
「ね? 思っていた以上に大人でしょう?」
「う、うん……」
これには頷くしかなかった。アクトって、もっと何も考えてないと思ってたのに。
「そこまで言われてしまったら、緩衝地帯を任されている身としては、応援するしかないでしょう? だから、これを、と」
そう言って、先生は地面に生えているマンドレイクに視線を移した。もし、マンドレイクの生態が詳しく分かり、人工栽培が出来るようになったら――。それは立派に緩衝地帯の産業になるはずだ!
「よし、先生! 一株と言わず、二、三株持って帰ろう! あ! アオイと竜王様のお土産も必要だから、五株くらい引っこ抜こう!」
「流石にそれは、採り過ぎではありませんか……?」
「これだけあるんだから大丈夫だよ!」
ぐるりと見回した先、ぽっかりと開けた広場のようなこの場所には、紫色のお花畑が広がっている。呆れるくらいマンドレイクがあるんだから、五株くらいどうって事ないだろう。
もし仮に、これを全部引っこ抜いて、大きめの薬草屋さんで捨て値で捌いても、簡単に一財産作れるくらいはあると思う。比喩ではなく、ここは宝の山だ。
「その産業、ここでも出来るのではないか?」
そう声を掛けてきたのは兄様だった。まだ顔は「う~」ってなってるけど、しゃべれるくらいにはなったらしい。
「薬草栽培を……?」
「うむ。これだけマンドレイクが自生しているのだ。それに、昨日見た限り、森の中にもかなりの種類、薬草が自生していた。ここの気候が薬草に合っている証拠だろう」
「そうなのかもしれないけど……」
畑に薬草を植えて、それを売り捌く。言葉にすれば簡単だけど、食べ物の畑を潰して薬草畑にすると、村の食料が賄えなくなるような……。ただでさえ、みんな貧しくて、食べるのがやっとなのに。
「ところで、村の主な産業は何だ?」
「えっと……。林業と木材加工……?」
森の木を切って、それをそのまま売ったり、加工して売ったりして生計を立てている家が村には多い。確か、一月に一回くらい、問屋さんが買い付けに来ていた気がする。小さい頃の記憶だから曖昧だけど、問屋さんが来る時には食堂にお客さんが入っていた。
「大方、材木問屋が買い付けに来るのだろう?」
「ん」
私がこくりと頷くと、兄様がニヤリと笑った。けど、すぐにその顔が歪む。未だお口の中は酸っぱい後味で一杯なんだろう。
「逆に言えば、村には材木問屋しか買い付けに来ない。だから、村の者達は、木が金になる事は知っているが、他の物が売れるとは思っていない」
「まあ、そう、だね……」
誰も買わない物は、当たり前だけどお金にならない。お金にならなければ捨て置かれるのは当たり前だ。貧しいから尚更に。
「では、ここで一つ問題だ。ある日、村に商家の家族連れがやって来た。その家は手広く商いをやっていて、宿屋や食堂などの経営から、物品の卸、小売業まで何でもござれ、だ。そんな家の次男坊が、森の中でそれはそれは珍しい薬草を見つけた。見たところ、森の中は薬草の宝庫。さて、商家の旦那はその後どうする?」
「え……。薬草を買い付ける算段をつける、とか……?」
兄様が言う商家って、私達の事、だよね……? 戸惑いながら口にした答えに、兄様が満足そうに一つ頷いた。酸っぱさでクシャッとなった顔のまま。
「うむ。正解だ。まあ、それもこれも、父上がこの事を知らなくては話にならないのだがな。その辺りの事は僕に任せておけ」
「ん。ありがと、兄様」
「礼には及ばん。貧しい村を豊かにするのは、領主代行としての責務でもあるしな。村の事は僕に任せておけば心配無いからな!」
そう言って、兄様はドンと自身の胸を叩いた。マンドレイクのお花を食べたせいで、まだ「う~」って顔のままだけど、醸し出す空気で自信満々な事が分かる。きっと、兄様に任せておけば大丈夫。村は今よりずっと豊かになるはずだ。
「兄様。村の事、どうかよろしくお願いします」
私は深々と頭を下げた。幼い私を可愛がってくれた人達が、冬の寒さや食糧難にあえぐ事のない日々を送れるように。たったそれだけの事ですら、今の村には難しいのだから。
そんな私の頭を、兄様がわしゃわしゃと掻き回した。力加減を間違えたせいで、私の頭が前後左右に揺さぶられる。
「兄に気を遣う必要は無い。もっと甘えて頼って良いのだぞ!」
「ありがと、兄様。でも、目、回る……」
いつまで経っても、兄様は人族と魔人族の身体のつくりの違いに慣れないらしい。んもぉ。こういう所、凄く兄様らしい。
私が笑うと兄様が笑った。先生、カインさん、アベルちゃんも笑う。木漏れ日が降り注ぐ明るい森の中、私達の笑い声が木霊していた。




