リリー 3
数日後、リリーの熱は無事に下がった。毎日頑張って苔を毟った甲斐があったってものだ。リリーの診察も今日、何事も無く、とは言えないけど、ちゃんと終わったし。
アオイの部屋から戻り、お風呂に入った後、キッチンでお湯を沸かしながらお茶菓子を準備する。夕ごはんが早いから、寝る前に何か摘ままないと、お腹が空いて眠れない。だから、ベッドに入る前の、一人ぼっちのお茶会は、いつの間か私の日課になった。今日のお茶菓子は、見た目の割にずっしりしてる重めの焼き菓子。ドライフルーツがたくさん入ったそれを小さくちぎり、お皿に乗せた。
毎日苔毟りをしてたら、予想外のおまけが付いてきた。私とアオイの手の届くところだけだけど、お城の城壁がお掃除したみたいにとっても綺麗になって、それを見た人達が褒めてくれた。それだけじゃ無く、私にお駄賃までくれた。お茶菓子とか、お茶菓子とか、お茶菓子とか。むふふっ!
私がお城に来てからというもの、分かった事がいくつかある。まず一つ目に、お城の人達が――と言っても一部を除いてだけど、とっても優しいって事だ。何かにつけて、お駄賃だと言ってお茶菓子をくれる。だから、私の部屋のキッチンは、お茶菓子であふれかえっていたりする。こんなに食べきれないよ、もう! 今度、ごはんの代わりにお茶菓子食べちゃおっかな、なんて。でも、ラインヴァイス先生とイェガーさんに怒られちゃいそうだな。
一部の人達とは、あんまり交流が無い。人族が嫌いだから仕方ないらしいけど、避けられるのはちょっと悲しい。でも、面と向かって意地悪される事は無いもん。だから、孤児院で男の子達に意地悪言われるのよりずっと良いもん。
分かった事二つ目。竜王城では偉い人でもえばってない。ラインヴァイス先生は、私とアオイの先生だから別にしても、ノイモーントさんとフォーゲルシメーレさんとヴォルフさんだって隊長さんだから偉い人のはずなのに、私に気さくに声を掛けてくれる。この三人、とっても良い人達なんだけど、実は今、困ったさん達になっている。
事の始まりは、今日の診察だった。リリーをフォーゲルシメーレさんに会わせたら、フォーゲルシメーレさんがリリーに一目惚れをしてしまったんだ。リリー、美人さんだもんなぁ。おとぎ話の妖精姫みたいに儚い感じなんだもん。プラチナブロンドの髪も、宝石みたいな水色の瞳も、リリーの儚さを引き立ててると思う。
診察の交換条件に、リリーに妻になって欲しいだなんて、フォーゲルシメーレさんが迫った時にはどうしようかと思った。それを聞いたラインヴァイス先生の怒り方には、もっとどうしようかと思った。イェガーさんが、ラインヴァイス先生の事、おっかないって言ってたけど、あれは本当だった。フォーゲルシメーレさんの頭を容赦なく机に叩き付けるんだもんなぁ。流石のアオイも、青い顔になってたし。不思議なのが、竜王様がそんなタイミングで出て来た事だ。何であんな良いタイミングで出て来れたんだろう? でも、あそこで竜王様が出て来なかったら、フォーゲルシメーレさんの頭が割れるまで机に叩き付け――。いやいやいや。いくら何でも、先生はそこまでやらないか。あははっ。
竜王様が取り成してくれて、リリーの診察が無事に終わるかと思いきや、その後、またしてもフォーゲルシメーレさんがやらかした。興奮して、ヴァンパイア族の本性を現したんだ。口元から鋭い牙が覗いて、とっても怖かった。そして、それを見たラインヴァイス先生がまた怒って、診察室滅茶苦茶にしちゃった。私にくれた杖を使って。
にっこり笑って杖を貸してって言われて、目を瞑って耳を塞いでなさいって指示されたから、何をするのかと思ったら……。杖が曲がったり折れたりしなくて良かった。もし、杖がそんな事になったら、私、大泣きしてたと思う。だって、大切な杖だもん。先生がくれたんだもん。毎日磨くくらい、大切にしてるんだもん。
それにしても、フォーゲルシメーレさんって薬師としては尊敬するけど、大人としてどうなのかなぁ? ダメな人過ぎると思う。私はああいう大人にはならないぞ! むんっ! 私はお茶に口を付けると、お茶菓子を口に放り込んだ。むふふ。おいひー。
竜王様は、リリーにフォーゲルシメーレさんとの事を考えて欲しいって言ったけど、考えてどうこうなるものなのかなぁ? 私だったら、あの人は嫌だ。そりゃ、尊敬出来るところもあるし、優しいし、顔だって、まあ、悪くない。でも、ちょっと強引だし、興奮して本性出すし、何よりヴァンパイア族の見た目が怖い。先生みたいに、全く別の姿に変身する方が怖くない。リリー、大丈夫かな? 魔人族の事、嫌いになったりしないかな?
私は使ったティーカップとお皿を手に、椅子から立ち上がった。そして、キッチンへと向かう。お皿を流しに入れ、蛇口をひねる。ちょろちょろと流れるお水に、石鹸とお皿洗い用の布を浸した。お城に来てからというもの、自分の身の回りの事は何でもやらなくちゃいけなくなった。面倒だとも思うけど、少しだけ大人になった気分。ふふふん。これくらい、お茶の子さいさいだもん。私はティーカップを洗って水切り籠に入れると、手ぬぐいで手を拭った。そして、部屋のベッドにもぐり込む。
隊長さん三人組が困ったさんになった理由。それはフォーゲルシメーレさんだけズルいって、ノイモーントさんとヴォルフさんが言い出したからだ。竜王様がリリーに言った事を二人が知ってしまい、竜王様に文句を言い出したらしい。収集がつかなくて、竜王様は今、アオイの部屋に避難しているはずだ。
みんな、リリーみたいな綺麗な子が好きなのかな……? ラインヴァイス先生もリリーみたいに、綺麗な子が好き? サラサラの髪と、綺麗な瞳の子が好き? いつか、そんな子と結婚するの? 私……。
真っ暗な中、ラインヴァイス先生の真っ白い背中だけが見える。みるみるうちに小さくなるその背を、私は必死に追い掛けた。
「先生!」
私の声が届いていないのか、先生の背中は私を置いて行くように、どんどん遠ざかっていく。
「先生、待って!」
置いて行かないで。一人にしないで。先生まで私を捨てないで。待って!
私の声が届いたのか、先生が足を止めた。そしてこちらを振り返って手を差し出す。全力で先生の元へ走っていると、そんな私を追い抜く影が。サラサラの長い髪をなびかせ、先生の元へと駆けて行く。嬉しそうに、弾むように。私は立ち止まり、呆然とその背を見送った。だって、先生がその人を見て、とっても優しく、嬉しそうに笑ってるんだもん。
嫌だ! 先生、待って! その人の手を取らないで。その人を見て、そんな顔で笑わないで。やめてっ!
「先生っ!」
ビクッと身体が震え、私はハッと目を開けた。自分の声で驚いて起きたらしい。目を擦りつつ、身体を起こす。窓の外はまだ暗い。でも、遠くの方が薄らと明るくなってきていた。
心臓がドキドキする。夜着が汗でびっしょり湿っている。変な夢、見ちゃったな……。寝る前、考え事してたからかな?
「アイリス? 起きてます?」
ノックの音が響き、ラインヴァイス先生の声が聞こえた。私は短く返事をすると、クローゼットの中から仕事着とエプロンを取り出した。慌てて着替え、洗面所へと向かう。
冷たい水で顔を洗い、香油のビンを手に取った。先生から貰った香油だ。青紫色のビンには細かい模様が彫ってあって、光を反射してキラキラ輝いている。私はビンの蓋を取り、その匂いを目一杯吸い込んだ。胸いっぱいに香油の匂いが広がる。
こうして、香油の匂いを嗅ぐのが朝の日課になっている。香油自体は、まだ一度も使ってない。だって、せっかくラインヴァイス先生が用意してくれたんだもん。無くなっちゃったら悲しいんだもん。これを使うのは、雨が降った日だけ。特別って決めたんだもん。雨、降らないかなぁ。香油つけたら、先生、気が付いてくれるかなぁ?
香油の匂いを嗅いだら、ちょっと元気が出てきたぞ。よしっ! 今日もお仕事とお勉強、頑張るぞぉ! それで、先生に一杯褒めてもらうんだぁ! むっふふ!




