リリー 2
ぬかるみ道を駆ける。すぐ目の前には、速足で歩くアオイ。追いついたは良いけど、アオイが速足で歩くから、私はほぼ走っている状態だ。疲れたよぉ! もっとゆっくり歩いてよぉ! そう思ってると、道の脇の木の陰からラインヴァイス先生が姿を現した。
「随分お早いお帰りですね。何かあったのですか?」
ラインヴァイス先生が不思議そうに問う。アオイはいつも、日が暮れるまで孤児院にいてくれたから、帰りが早いって不思議に思うのも仕方ないと思う。アオイは歩く速度を緩めると、ラインヴァイス先生の問いにこくりと頷いた。
「うん。ちょっと用事。ねえ、ラインヴァイス。この後、フォーゲルシメーレの所に行きたいんだけど」
「どうされました? 体調でも悪いのですか?」
心配そうな顔でラインヴァイス先生がアオイと私を交互に見る。でも、大丈夫。私もアオイも、今日も元気いっぱいだもん! 具合が悪いのは私達じゃないもん。
「大丈夫。私もアイリスも元気だから。ただね、孤児院でちょっと薬が必要になったの。熱を下げる薬なんだけど、作り方を教えてもらおうかと思って」
「それでしたら、フォーゲルシメーレに言いつければ直ぐに用意――」
「うん。それは分かってるんだけど、それじゃダメ、なんだよね。孤児院の子達はね、城からの食糧支援だけで満足なんだって。それ以上は望んでいないし、与えられても受け取れないって」
「そういうものですか?」
「そういうものです」
「どうしてもとおっしゃるのなら、この後、フォーゲルシメーレの元へご案内致しますが……」
ラインヴァイス先生はそう言いながらも、納得いかないと言う顔をしている。普通なら、お城からの支援を「ありがとう」って喜んで受け取るもんね。それよりも――!
「私も行きたい!」
私は手を上げ、ラインヴァイス先生を見つめた。私だけお留守番なんて寂しいもん。私も一緒に行くんだもん。それで、リリーの薬湯、アオイと一緒に作るんだもん!
ラインヴァイス先生は困ったように眉を下げた。私、また先生を困らせてしまったらしい……。でもでも! 昨日の朝、竜王様言ってたもん。「フォーゲルシメーレに薬草の知識も聞いておけ」って! だから、一緒に作るんだもん!
「そうだね。アイリスも薬草を勉強しなさいって、シュヴァルツに言われたもんね」
「ん。薬、アオイと一緒に作る」
「頑張ろうね、アイリス」
「ん!」
へへへ。アオイの許可がすんなり取れちゃった。盛り上がる私とアオイを見つめ、ラインヴァイス先生が小さく溜め息を吐いた。先生は、仕方ないなって顔で私を見つめている。私がにんまり笑うと、先生は少し困ったような顔をしながらも、優しく笑って頷いてくれた。
私達はお城に入ると、その足でお城の地下に下りた。お城の地下って初めて入ったけど、ジメジメして薄暗くって、凄く嫌な感じ。ここ、嫌い!
ラインヴァイス先生が一枚の扉の前で足を止める。お城のキッチンと似たような扉だ。でも、キッチンと違って、この扉には看板が無い。まあ、看板があっても、何が書いてあるのかなんてまだ分からないんだけど。
ここがフォーゲルシメーレさんの研究室らしい。ここでいつも薬の研究をしてるんだって。でも、こんな所で研究して捗るのかな? 頭にカビが生えちゃいそう。
先生が扉をノックすると、ギィ~という音を立てて扉が開いた。この扉もキッチンの扉と同じで音が鳴っちゃうらしい。これ、修理出来ないのかな? キッチンはそうでもないけど、ここは薄暗いからとっても不気味なんだもん。悪い魔人族がいそうで、すごく嫌っ!
部屋から顔を出したフォーゲルシメーレさんは、私達を見ると、驚いたように目を丸くした。そして、滑るように廊下に出て、扉を閉めてしまう。中を見られたくないらしい。むむむ。怪しいっ! この中で、何か悪い事してそう!
「これはこれは……。このような場所に、どういったご用件で?」
「あのね、薬が欲しいんだ」
「どの様な?」
「熱を下げる薬。作り方を教えてくれないかな?」
アオイの言葉に、フォーゲルシメーレさんが不思議そうに首を傾げた。
「解熱の薬でしたら、取り置きがございますが?」
「自分で作りたいの」
「何故?」
「孤児院にね、身体の弱い子がいるんだけど――」
アオイは何で薬が欲しいのか、どうして自分で作りたいのかを説明した。それを聞いたフォーゲルシメーレさんは、不思議そうな顔をしながらも頷き、考えるように顎に手を当てた。そして、口を開く。
「……熱を下げる効果がある薬草は、色々な種類がございます。しかし、その殆どが、夏から秋にかけて採集出来る物です」
「それって、今の季節に、熱を下げる効果がある薬草は無いって事?」
アオイが問い掛ける。フォーゲルシメーレさんは笑いながら首を横に振った。
「いえ。この時期に採集出来る薬草は、あるにはあります。しかも、湯で煮出すだけで成分が抽出出来ますので、初心者にも扱いやすい部類の薬草です」
おお! 何と都合の良い薬草。そんなのがこの時期に採れるなんて、とっても運が良い! 早速採りに――!
「但し、量に対しての薬効が低いのがネックです。大量に採集しなくてはなりませんので、私はまず使いません」
世の中、そんなに甘くなかった。フォーゲルシメーレさんが使わない薬草って、よっぽど効き目が薄いんじゃ……。大丈夫なのかな、それ。でも、アオイはそれを聞いても顔色を変えていない。やる気満々だ。たくさん必要なら、頑張って集めようって思ってるみたい。
「どんな薬草なの?」
「一言で言うと苔です。夜になると月明かりを集め、淡い光を発します」
フォーゲルシメーレさんの教えてくれた苔に、私は心当たりがあった。母さんと住んでいた家の裏手にびっしり生えてたんだもん。それに、孤児院の壁にも生えてたし、道端の岩にだって生えてる。たぶんだけど、このお城の壁にも生えてると思う。一言で言うと、どこにでもある苔だ。しかし、アオイはその事を知らないらしく、難しい顔で口を開いた。
「それ、どんな場所に生えてるの? 苔だし、洞窟とか?」
「いえ。そのような場所ではなく……」
フォーゲルシメーレさんは言い難そうに口を閉ざした。アオイが何も分かっていない事を、フォーゲルシメーレさんは知っている。そして、アオイをからかう気、満々らしい。でも、アオイ、怒るよ、絶対。大丈夫なの?
「決して驚かいないと、約束、出来ます?」
フォーゲルシメーレさんの問いに、アオイが大真面目な顔でこくこく頷く。私は、答えを聞いたアオイがフォーゲルシメーレさんに飛び掛らないように、一応、アオイのマントの端を握り締めた。怒っても知らないよ? 私、何も悪くないからね? フォーゲルシメーレさんに、目で訴え掛ける。後ろから小さく、ラインヴァイス先生の溜め息が聞こえた。呆れてるみたいだけど、フォーゲルシメーレさんの悪ふざけを止める気は無いらしい。止めようよ、先生。
「その苔は――」
「その苔は?」
「その苔は、どこにでも生えています。因みに、この城の壁にも生えています。ある程度の気温と湿気さえあれば至る所に生える苔ですし、見つけるのは容易です」
フォーゲルシメーレさんが満面の笑みでそう答える。それを聞いたアオイが一瞬拳を握ったけど、すぐに力が抜けたようにがっくりと項垂れた。おお! 怒るかと思ったのに。意外な反応。もしかして、フォーゲルシメーレさんって、アオイの扱いが上手なの? そうなの?
「それ、どれくらいで一回分になる?」
アオイが力の抜けた声で聞く。すると、フォーゲルシメーレさんが懐から手のひらサイズの布袋を取り出し、説明を始めた。
なんでも、掌サイズの布袋にぎゅうぎゅう一杯に詰め込んだ苔が一回分らしい。でも、一回で熱が下がるとも思えないし、せめて、三回分は今日中に集めたいな。朝昼晩飲んで一日分だし。次の日も三回分届けて、熱が下がるまで毎日かぁ。結構大変だな。何たって苔だし。普通の葉っぱと違って、袋が一杯になるまでかなりの量が必要そうなんだもん。でも、どこにでも生えてるのが救いかな? 薄暗くなったら逆に見つけやすくもなるし。そもそも、探す必要が無いくらい、どこにでも生えてるし。
「あ。アオイ様」
説明を聞き終え、帰ろうとしたアオイをフォーゲルシメーレさんが呼び止めた。足を止め、アオイが振り返る。私も一緒になって振り返った。
「ん? 何?」
「その病弱な子とやらに、熱が下がったらアオイ様と共に私の元へ――いえ、城の前まででも結構ですので、来るように伝えて下さい。きちんと診て、症状に合った薬をお渡しします」
「え……」
フォーゲルシメーレさんの提案は意外だった。アオイも驚いたらしく、目を丸くして、フォーゲルシメーレさんを見つめている。
「私も薬師の端くれです。病人がいると分かっていて見過ごす事は出来ません。もし、来て頂けないのなら、こちらから伺いますと、診させて頂くまで何度でも伺いますと、そう伝えて下さい」
それを聞いて、アオイの顔が曇った。リリーをフォーゲルシメーレさんに診てもらうには、色々と問題がある。きっと、アオイがお城で貰ってきた薬湯をリリーに飲んでもらう以上に、難しい問題だと思う。
まず、リリーが魔人族をどう思ってるかが分からない。怖がっているのかどうなのか。それに、もし、リリーがミーナみたいに魔人族をあんまり怖がっていなかったとしても、お城に来ることを躊躇するかもしれない。だって、ここは気軽に来られる所じゃないんだもん。竜王様が住んでるお城だもん。あと、孤児院にはお金が無い。もしかしたら、小銭くらいはあるのかもしれないけど、お城の薬師に診てもらって、薬湯を貰うなんて大金、用意出来るとは思えないもん。
「薬代、払えないんだよ?」
「別に、孤児から薬代をふんだくろうだなんて思っておりません。ただ、私の薬師としての矜持が、見過ごす事を良しとしないだけです。アオイ様がご友人の力になりたいのと同じように、私も病人の力になりたいだけです」
きょーじ……? 私はラインヴァイス先生のマントをクイクイと引っ張った。そして、こちらを向いた先生を手招きする。先生は不思議そうな顔で私の前に屈んでくれた。
「きょーじって何?」
「ああ……。譲れない一線みたいな意味ですね。それを踏み越えてしまうと、自分自身を許せなくなるような」
「ん~?」
「フォーゲルシメーレは、病人を見捨ててしまうと薬師失格と言ったのですよ。だから、お金が無くとも診る、と」
「ほぉ~!」
ちょっとカッコいい。フォーゲルシメーレさんの事、よく分からないって思ってたけど、良い人だっていうのは分かった。それに、尊敬出来る人だっていうのも!
病人を見捨てたら薬師失格。これって、治癒術師にも同じ事が言えると思うんだ。きっと、薬師のきょーじも治癒術師のきょーじも、そんなに大きく変わらないもん。だって、どっちも怪我や病気で苦しんでる人を助けるお仕事なんだもん。
私、フォーゲルシメーレさんみたいに、病人とか怪我人を絶対に見捨てない治癒術師になりたいな。ううん。そうならないといけない気がする! 私、お金のある無しに関係無く、苦しんでる人の力になれる治癒術師になる!
フォーゲルシメーレさんのお蔭で、どういう治癒術師を目指せば良いか分かった。それを教えてくれたフォーゲルシメーレさんは、私にとって、一応、先生なのかな……? フォーゲルシメーレ先生……。ん~。しっくりこない。先生って、もっと特別な人の気がする。先生って呼ぶのは、ラインヴァイス先生だけにしとこっと。




