家 2
秋を過ぎ、お城の周りが真っ白い雪景色に変わった頃、バルトさんが無事退院する日となった。入院から半年。しっかり療養生活を送ったバルトさんの顔色は良い。体重も元通りになった。でも、体力はまだまだ戻りきっていない。けど、食堂まで行くのに休み休みという事はなくなった。まだ騎士のお仕事に戻る事は出来ないだろうけど、日常生活を送る分には問題ない。そう思っての退院判断だ。
「世話になった」
バルトさんが病室の戸口に立ち、そう告げる。足元にはミーちゃん。今日は朝からご機嫌で、立った尻尾がユラユラと揺れている。
「ん。あんまり無理しないようにね? あと、三日に一回の診察は忘れないでね?」
「ああ」
「あと、毎日造血剤は飲んでね?」
「……ああ」
私の言葉に、バルトさんが渋々といった様子で頷く。薬湯を飲んでいる時のような、そんな渋~い顔。
「あと、栄養剤も忘れずにね?」
「……栄養剤はもういらなくないか?」
「駄目! まだ内臓の調子、万全じゃないんだから。せっかく戻った体重、もう落としたくないでしょ?」
「まあ、そうなんだが……」
「何? 何か文句でもあるの?」
ジトッとした目でバルトさんを睨む。と、バルトさんが苦笑した。
「いや、その、何だ……。効果があるのは分かっているんだが、何せ、味が、な……」
「不味いって?」
「美味くはない」
「んもぉ! またそういう事言う!」
ぷ~っと頬を膨らます。そりゃ、私の薬湯は、フォーゲルシメーレさんの薬湯みたいに飲みやすい訳じゃないさ。そんなの分かってる。分かってるけどさ! 効果はフォーゲルシメーレさんの薬湯に負けないくらいあるんだから! そこのところ、ちゃんと評価して欲しいよね! ふんッ!
「バルトさん、そろそろ行きますよ~」
荷物持ちに狩り出されたらしいウルペスさんが声を掛ける。と、バルトさんが小さく頷いた。
「じゃあ、な、アイリス」
「ん。無理して再入院にならないようにね~!」
去り行く二人に手を振る。それに応えるように、バルトさんが後ろ手に手を振ってくれた。振り返って手を振らないあたり、バルトさんらしいなぁ。二人が廊下の角を曲がって姿が見えなくなるまで見送ると、私は病室に戻った。
ふぅ。ベッドに腰掛け、一休み。がらんとした病室をぼ~っと眺める。この半年、忙しかったけど、何だかんだで充実してたなぁ。バルトさんも、完全にとはいかないものの、元気になったし。もうしばらくは貧血で苦しむ事になるだろうけど、それだって時間が解決してくれる。一年もすれば、完全に回復して、元通りの生活を送れるはずだ。
さて、と。今日はアオイと一緒に緩衝地帯に行けるし、準備でもしますかね。よっこらしょと立ち上がり、バルトさんが使っていたベッドと、私が寝泊まりしていたベッドを片付けると、アオイの部屋へと向かった。
アオイと並び、緩衝地帯へと雪道を歩く。約半年ぶりの緩衝地帯。何だか変に緊張してきたぞ。いや、緊張なんてする必要ないんだけど。それでも、久しぶりに訪ねる場所って、何だか緊張する。
そんな事を考えていると、アオイがふと足を止めた。そして、辺りをぐるっと見回す。不可思議なアオイの行動に首を傾げていると、アオイがこちらを振り返った。
「ねえ、アイリス? この辺りがお城から緩衝地帯の中間っぽいんだけど、どう?」
「どうって? 何が?」
「家! 建てる場所にどうかって!」
「あ……」
家ね。決して忘れてた訳じゃない。ただ、アオイと竜王様、ローザさんとブロイエさんの四人が全部決めてくれるのかと思ってたから、こうして意見を求められると思ってなかっただけだ。私もぐるりと辺りを見回す。
見渡す限り森だ。鬱蒼としていて、ちょっと不気味。こんな所に家建てるのぉ?
「ここ、ちょっと不気味……」
「いや、まあ、そうなんだけど……。森を少し切り開いてさぁ。庭に花でも植えて、庭の周りの木をちょっと整えれば見られるようになると思うんだよね」
「庭……」
「そうそう。森の中にぽつんと建物だけってのも変だから、庭は必要でしょ。それに、アイリスもラインヴァイスもユニコーンがいるんだし、厩舎も必要になるし、運動場だって必要だし――」
まあ、確かに、厩舎は必要だね。ベルちゃんと先生のユニコーン用に。建物一つに小屋一つか。
「ユニコーンのお世話をする人も雇わないとだし、メイドさんの二、三人も必要だろうし……。あとは、コックさんとか執事さんとかも必要になるのかなぁ……?」
ん? ちょっと待った。今、アオイから聞き捨てならない台詞が出たような……。
「ね、ねえ、アオイ? 何で人を雇う事、前提なの?」
「へ? だって、お屋敷を二人だけで掃除したり手入れしたりするの、大変じゃない?」
「な、何、お屋敷って!」
「お屋敷はお屋敷だよ。え? 何? ラインヴァイスから何も聞いてないの? シュヴァルツがラインヴァイスに叩き上げの図面渡したって言ってたんだけど……。私も写し見せてもらったけど、立派なお屋敷だったよ?」
「聞いてない! お屋敷なんて聞いてない!」
「え……。ま、まあ、その辺は二人でゆっくり話しなよ」
焦ったようにそう言ったアオイが緩衝地帯目指して歩き出す。私もその後に続いた。
緩衝地帯に着くと、私は真っ先に先生の元へと向った。先生に会いたいから、ではなく、お屋敷の件を先生から直接聞く為に。
寄宿舎の廊下をずんずん進み、建物の一番奥まった場所にある先生の部屋の前に着くと、私は扉をちょっと乱暴にノックした。先生の返事を待って扉を開ける。と、先生が驚いたように目を丸くした後、嬉しそうに笑った。私も思わず笑みを零し、違う違うと首を横に振る。
「先生! 家の事なんだけど!」
「あ。それなら、竜王様から見取り図を頂きましたよ。まだ叩き上げの図面ですから、ここに僕達の意見を入れて欲しい、と」
先生が私を手招きする。私が先生のお仕事机に駆け寄ると、先生が一枚の紙を取り出し、机の上に広げた。
見取り図は、私の想像以上に大きかった。これ、ブロイエさんのお屋敷と同じくらいの規模なんじゃ……。湖のほとりにあった離宮より大きいお屋敷なんて……。
「先生、流石にこれは……」
「やはり、少々手狭ですかねぇ……」
「いや、逆だよ! 大きすぎるよ!」
「大きいですか? これで? 必要最低限の設備しかありませんけど……」
先生と顔を見合わせる。まさかまさかだ。こんな大きなお屋敷を手狭なんて……。先生と私、価値観が違いすぎる!
「ねえ、先生? この家、私と先生の家なんだよね?」
「ええ」
「二人で住む家なんだよね?」
「いえ。厳密には二人ではありませんね」
「やっぱり、使用人さんを雇うつもりだったの? 何で何も相談してくれないの? 何で勝手に決めちゃうの?」
「……ねえ、アイリス? 少し話をしましょうか?」
そう言って、先生がにっこりと笑う。私は憮然とした顔で頷くと、先生のお部屋のソファに腰を下ろした。




