リリー 1
次の日、私はラインヴァイス先生、アオイと一緒に孤児院へと向かった。孤児院のみんなに、魔術を習えるようになったって報告しないといけないって、アオイが言い出したんだ。心配してるはずだからって。
因みに、今日から魔術の勉強は午前中だけになった。一日中仕事と勉強じゃ、私の体力が持たないだろうからって。午後からは自主的に勉強しても良いし、疲れたら部屋でお昼寝をしても良いらしい。お昼ご飯から夕ご飯までの間、私は基本的に自由時間になったって事だ。
ぬかるみ道を三人で並んで歩く。日当たりの良い場所の雪はほとんど解けてしまったけど、日当たりの悪い場所にはまだ白い塊が残っている。お花が咲くには少し早いけど、小さな硬いつぼみを付けた草が道の端に見られるようになった。あとどれくらいしたらこのお花、咲くのかな? ワクワク!
アオイはお城で摘んできた真っ白い薔薇の花束を抱えている。数日前から体調を崩して寝込んでいるリリーへのお見舞いだ。雪のように真っ白い薔薇。リリーをイメージした薔薇らしい。確かに、病弱なリリーをイメージするなら白だと思う。あの薔薇は、アオイの精霊が生きていた時に世話をしていたという薔薇の一つらしい。
竜王城には薔薇園があって、そこの世話をしていたのがアオイの精霊のリーラ姫だった。何でも、ラインヴァイス先生の妹なんだとか。大ホールに飾ってある絵を見たけど、黒い髪と金色の瞳の、とっても綺麗なお姫様だった。髪型とか、少し気の強そうな顔つきをしてるところとか、ちょっとだけアオイと似ていた。
孤児院が見えてきたところで、ラインヴァイス先生がアオイに頭を下げて姿を消す。先生とはここでお別れなんだ。孤児院のみんなが怖がるからって。だから、この先、先生の助けは無い。アオイのメイドとして、恥ずかしくない行動をしなければ! むんっ!
「こんにちは」
アオイが挨拶をしながら孤児院の食堂の扉を開いた。そこにはフランソワーズとミーナ。二人は向かい合って座り、少し遅めのお昼を食べていた。
「リリーのお見舞いと、魔術習える事になったって報告に来たよ」
アオイが白い薔薇の花束を掲げる。すると、ミーナが立ちあがり、嬉しそうに笑った。
「そうでしたか。わざわざありがとうございます。ささ、中へどうぞ」
ミーナがフランソワーズの隣の席を手で示す。アオイは迷わず食堂へと入って行った。私はその背中を見送る。そんな私を見て、ミーナが優しく笑た。
「アイリスも、そんな所に突っ立ってないで。ここは貴女の家なのよ」
「竜王城に住む事になったとはいえ、ここは実家みたいなものだろう。寛いでいけ」
フランソワーズもうんうんと頷く。実家……。へへへ。改めて言われると何だか照れるなぁ。もう! 実家だなんて。うふふ。ここでは、ミーナがお母さんで、フランソワーズがお父さんっぽいな。それで、リリーがお姉ちゃんで――。あれぇ? これじゃ、ミーナとリリーの歳が逆転しちゃう! でも、リリーはお母さんって感じじゃないし……。ま、いっか。
アオイがフランソワーズの隣の席に腰掛ける。私はそのすぐ脇に寄り添うように立った。きっと、ラインヴァイス先生ならこうするもん。アオイのメイドとして恥ずかしくないようにしとかないと!
「アイリス?」
アオイが不思議そうに私を見つめる。私はキリリとした顔を作り、口を開いた。
「私、アオイのメイドだもん」
ラインヴァイス先生はアオイの前で座るなんてしないもん。魔術の勉強の時以外は。だから、私も座ったらいけないんだもん。
「アイリス、前と同じようにしてて」
「でも……」
「私が嫌なの。アイリスは妹みたいなものなんだから。こういう上下の関係は望んでないの」
「そうなの……?」
「そうなの」
アオイは口の端を下げ、大きく頷いた。パッと見、怒っているようにも見える顔だ。でも、これはアオイが真剣な時に見せる顔。怒った顔は今よりもっと、も~っと怖い。真剣に私に座ってって言ってるんだから、私、座っても良いのかな? 良いよね?
「ん。分かった」
頷き、空いていたミーナの隣の席に腰掛ける。そんな私を見て、アオイが満足そうに笑った。ふと、ミーナとフランソワーズの方を見ると、何故だかホッとした顔をしている。そして、フランソワーズが口を開いた。
「アイリスは、アオイのメイドをする事になったのか」
「一応、そういう事になったの。部屋もね、私の部屋の真下なんだって」
アオイが私の代わりに答えてくれる。私は窓の外に見える竜王城を見つめた。針山みたいに塔がたくさん突き出したお城。おどろおどろしい所かと思ってたけど、おとぎ話に出て来るみたいな素敵なお城だった。お城の主の竜王様は綺麗だけど怖い。けど、それだけじゃない気もする。だって、ラインヴァイス先生のお兄さんだもん。それに、私に魔術を習う機会をくれたんだもん。あと、読み書きが出来ない子ども達の為に、学校を作ってくれるつもりでいるんだもん。
竜王城に住んでる他の人達も、怖いだけじゃないと思う。上半身裸のヴォルフさんは、私が竜王様の前で魔術を習いたいって言った時、応援してくれてるみたいだったし。魔女みたいなノイモーントさんは、こんな素敵な服を作ってくれたし。おっかない顔の料理長イェガーさんは、お駄賃でお茶菓子くれたし。赤い目のフォーゲルシメーレさんだけは、まだ良く分からない。怖い人だったらガッカリだな。
「そういえば、アイリス?」
ミーナに呼ばれ、私は窓から視線を戻した。ミーナは口をもぐもぐさせている。食べながら話したらいけないんだよ。母さんが言ってたもん。でも、リリーが寝込んでいるから仕方ないのかな……? だって、この後、ミーナはリリーの看病があるんだもん。ゆっくり食べている時間も話している時間も無いんだもん。だから、見て見ぬ振りをするのが優しさなんだ。
「何?」
「その高そうな杖、どうしたの?」
ミーナは私の膝の上の杖を指差した。杖を固定するホルダーは、今日の朝、ラインヴァイス先生から貰った。とっても良い匂いのする香油と一緒に。ホルダーはエプロンの腰紐の下にちゃんと付けている。でも、座っている時は、こうして杖をホルダーから外しておかないといけない。だって、座った時、杖が床にガツンと当たるから。もう少し背が伸びたら床に当たらなくなるはずだって、朝ご飯の時、ラインヴァイス先生に笑われちゃったんだ。くすん……。
「ラインヴァイス先生から貰ったの」
私がそう答えた瞬間、ミーナとフランソワーズの顔色が変わった。目を真ん丸にして、とっても驚いた顔で私を見つめてる。な、何?
「どうしたの? 二人とも、何でそんなに驚いてるの?」
アオイが問い掛ける。すると、ミーナが立ち上がりそうな勢いで叫んだ。
「アオイさん、これが驚かずにいられますか!」
何でそんなに興奮してるの? 私はミーナの反応に首を傾げた。アオイもミーナの興奮の原因が分からないみたいで、一緒になって首を傾げている。
「アイリス、お前、本当に貰ったのか? 借りた、ではなく?」
フランソワーズの言葉に、ラインヴァイス先生との昨日のやり取りを思い出す。先生言ってた。「差し上げます」って。「貸します」じゃなかったもん。貰ったんだもん。
「ん。貰った。魔力媒介に使いなさいって。ダメだったの?」
「いや……」
「駄目じゃないわよ、アイリス」
フランソワーズとミーナが首を横に振る。そして、二人で何かを話しだした。「大丈夫」とか、「まさか」とか、「趣味はそれぞれ」とか。駄目じゃないのに何でそんな反応なの? う~ん……。大人の世界は色々あるのかな? よく分からない。
ミーナとフランソワーズがお昼ご飯を食べ終わると、私達はリリーの部屋へ向かった。アオイの持って来た薔薇の花は花瓶に活け、私が抱えている。前が……見えにくい……! 「私が持ちたい」なんて、言わなきゃ良かった!
リリーはベッドに横たわって眠っていた。ほっぺたが真っ赤で、熱があるのがすぐに分かる。息をする音も何か変だ。ヒューヒューいってる……。苦しそう……。
「母も同じ病気だったんです。こうやって体調を崩しては、よく寝込んでいました。だんだん起き上がる体力も無くなって、私がまだ小さい頃に亡くなったんです」
ミーナが悲しそうに目を伏せた。アオイがリリーのおでこの布を取り、ベッド脇の桶に入ってる水に浸す。そして、それを硬く絞ると、リリーのおでこに戻した。
「ここ数日は、食事もろくにしてくれなくて……」
ミーナが悔しそうに唇を噛む。私はそれを横目で見ながら、ベッド脇のチェストの上に花瓶を置いた。リリーのお見舞いに持って来たお花だけど、ご飯を食べていないリリーには、お花より食べやすいご飯を持って来てあげた方が良かったかもしれないな……。イェガーさんに相談したら、食べやすいご飯、作ってくれるかな? でもなぁ。イェガーさんに話し掛けるの、ドキドキするしなぁ。顔、おっかないんだもん。でも、リリーには元気になってもらいたいしな……。
「ねえ、ミーナ、フランソワーズ?」
アオイがリリーを見つめながら口を開く。呼ばれた二人は不思議そうにアオイを見つめた。私も一緒になってアオイを見つめる。
「もし、なんだけど……。私が薬湯持って来たら、リリーは飲んでくれるかな?」
薬湯! その手があった! 薬湯があれば、リリーの熱、下がるかもしれない! そう思ったけど、ミーナとフランソワーズが困ったように顔を見合わせた。
「飲まないと思います……」
申し訳なさそうに俯いたミーナの返事に、腕を組んだフランソワーズも同意するように、うんうんと頷いている。何で飲まないの? 具合悪いのに……。アオイが持って来るんだから、お金だって掛からないのに。
「それは、私がシュヴァルツの庇護下にあるせい、だよね?」
「そうだ。アオイの物は、元をただせば竜王様の物。リリーは今以上、竜王様の恩恵に縋る事を好としない」
アオイの物は竜王様の物……。竜王様の恩恵……。う~ん。話が難しくなってきたぞ。
「だよねぇ。じゃあさ、私が作った薬湯だったらどうかな? 作り方を教えてもらって、私が薬草の採取から何から全てやった薬湯だったら飲んでくれるかな?」
アオイの言葉に、ミーナとフランソワーズが難しい顔で考え込んだ。アオイの物は竜王様の物だけど、アオイが集めた薬草だったらアオイだけの物で、竜王様の物じゃないから、リリーも飲んでくれるかなって事か? ん~。ややこしいっ!
「説得する必要はありそうですけど、頑として飲まないという事は無いんじゃないかと思います……」
説得する必要はあるんだ。でも、絶対に飲まない訳じゃ無いか。ふむふむ。ミーナの返事を聞いたアオイはパッと表情を明るくすると、二人に挨拶をして部屋を飛び出した。ま、待って! 置いてかないで! 私がいる事、忘れないでぇ! アオイの後を追って、慌ててリリーの部屋を出る。でも、アオイの背中はすでに、廊下のずっと向うにあった。




