癒しの聖女 7
先生が病室を去ると、私は癒しの聖女の伝記を開いた。バルトさんは疲れたみたいでお昼寝中。ミーちゃんも一緒になってお昼寝をしている。
癒しの聖女は、魔大陸でも精力的に治療活動を続けた。魔人族だとか人族だとか、彼女はもう、そんな事はどうでも良かった。怪我や病で苦しんでいる人を助けるのが治癒術師の役目だと、メーア大陸にいる時と同じように、いや、それ以上に精力的に治療活動を行った。
魔大陸には、戦で腕や足を失った者が多くいた。魔人族はその魔力に比例して、個々の生命力も強い。人族では死んでしまうような大怪我でも、一命を取り留める事がままある。また、治癒術を扱えない魔人族には、独自に発達した治療法がある。それによって、五体満足とはいかないものの、命を繋いだ者が多くいたのだった。
そんな彼らにとって、彼女の治療は希望だった。彼女が義肢を取り付けた患者の中には、涙を流しながら彼女に礼を言う者も多くいた。
また、彼女の義肢技術に触れ、その技術を是非教えて欲しいと、弟子入りを志願する薬師も現れた。しかし、彼女の義肢技術は治癒術を根本としており、その技術が弟子に受け継がれる事はなかった。それでも弟子は彼女と共に旅をし、治療の手伝いをして回った。
そうして晩年。彼女は白騎士と共に、その弟子と三人、魔大陸で暮らした。仲睦まじく暮らす三人の姿は、彼らを知る人々には血の繋がった家族のように映ったらしい。そうして生を終えた彼女だったが、彼女の崇高な意志は、弟子によって後世まで受け継がれているという。
私はパタンと本を閉じた。やっと読み終わったぁ! う~んと伸びをし、机の上に頬杖をつく。そして、本に視線を落とした。
癒しの聖女の弟子かぁ……。癒しの聖女自体が大昔の人だし、いくら長生きの魔人族でも、流石にもう生きてはいないかなぁ? フォーゲルシメーレさんに聞けば、何か分かるかな? お師匠様のお師匠様のお師匠様とか、何か繋がりがあったりしないかな? 今度聞いてみよっと!
その日の夜、私は先生のお仕事部屋を訪ねた。久しぶりに先生がお城に帰って来たんだから、本も読み終わったし、たまには一緒に過ごして来いと、バルトさんに言われたからだ。「バルトに何かあっても私がいるよ」と、先生の事が嫌いなはずのミーちゃんにまで言われたらお言葉に甘えるしかない訳で。控えめに先生のお仕事部屋の扉をノックする。
「どうぞ」
先生の短い返事。私はおずおずと扉を開き、顔を覗かせた。と、お仕事机から顔を上げた先生と目が合う。
「先生、今、忙しい……?」
「いえ。大丈夫ですよ。急ぎの用件はあらかた終わらせましたから」
なら良かった。私、先生のお仕事の邪魔はしたくないもん。そこまで図々しくないもん。そう思いながら部屋に入ると、先生がお茶を淹れてくれた。
「変わった事はありませんでした?」
先生と向かい合わせに座ってお茶を一口。すると、先生が口を開いた。思わず首を傾げる。
「変わった事って?」
「心配事とか悩み事とか……。逆に、嬉しかった事とか楽しかった事とか……」
「ん~……。そうだなぁ……。あ! あのね、私ね、故郷が分かったの!」
「故郷……? もしかして、生まれた村が……?」
「違うよぉ。あのね、私の故郷、ここだって分かったの! 遠くに行っても帰りたくなる場所が故郷なんだって。バルトさんがそう教えてくれたの。もし、私が旅に出て遠くに行ったとしてね、帰りたいって思うのは絶対にここだから、ここが私の故郷なんだよ!」
私の言葉を聞いた先生は、驚いたように目を丸くした。そんな先生に笑って見せる。
「私の生まれた村はどこだか分からないけど、そんな私にだってちゃんと故郷があるんだって思ったらね、何だか嬉しくなったの!」
「ここを故郷だと、思ってくれるのですか……?」
「ん! 遠くに行っても、絶対にここに帰って来るからね!」
「遠くに……。もしかして、生まれた村を探しに行きたいのですか……?」
「へ?」
先生の予想外の発言に、私は間抜けた声を上げてしまった。目を瞬かせて先生を見る。先生は目を伏せていた。
「ち、違うよぉ! そんなんじゃなくて――」
「しかし、故郷の話をしていたのでしょう……?」
「それは、まあ、そうなんだけど……。探したいんじゃなくて夢に出てきて――」
「望郷の念を抱いたのですか?」
また出た。ぼーきょーのねん。生まれた村が恋しいとか、これっぽっちも思ってないんだけどなぁ……。参ったな……。先生に変な誤解されちゃったなぁ……。思わず、後ろ頭をバリバリと掻く。
「ん~。そうじゃないんだよ。あのね――」
私は夢の事を先生に話して聞かせた。先生は視線を落としたまま、黙ってそれを聞いていた。
「――だからね、思うに、小さな村での治療活動が、生まれた村での治療活動に、夢で置き換わっちゃっただけなんだよ。私が思い付く小さな村って、生まれた村だから」
「そう、なのですか……?」
そう言った先生は、まだどこか不安そうで。んもぉ。私の言う事、信用してないな!
「良いもん! そんなに私の事、信用してくれないなら、本当に旅に出ちゃうんだもん! 癒しの聖女みたいな生活、ちょっと憧れ――」
「却下」
そう静かに言った先生は真顔で。思わず、私は噴き出してしまった。
「冗談だよ、先生。そんな怖い顔しなくても、旅になんて出ないよ」
「それは良かった。貴女が黙って旅になど出たら、地の果てまで追いかけますからね?」
「え! 何それ! 楽しそう!」
「楽しそうって……。本当に貴女と言う人は……」
呆れたように溜め息を吐き、先生が項垂れる。でもでも! 楽しそうだって思っちゃったんだから仕方ない!
「だって、先生と世界を股にかけての鬼ごっこだよ? 楽しそうだよ!」
「貴女、最近、スマラクト様に似てきていません? 因みに、貴女を捕まえた褒美は? 出るのですか?」
「ん~……。もしかして、先生、何か欲しい物でもあるの?」
「アイリス」
え……? 再び目を瞬かせて先生を見る。と、先生がどこか仄暗い光を湛えた目をして笑った。
「貴女をこの手の内に閉じ込める権利を下さい」
「え! 嫌だ!」
思わず叫ぶと、先生がしゅんとした顔で俯いた。
「嫌、なのですね……。僕が貴女を愛しているのと同じように、貴女も僕を愛してくれていると思っていましたが……。嫌なのですね……」
先生が! 落ち込んじゃった! まずった! ど、どうしよう。とりあえず、慰めなくては! 慌てて席を立ち、先生のお隣に座る。そして、先生の手を取った。
「私、先生とずっと一緒にいたいよ! 本当だよ!」
「しかし、僕のものになるのは嫌なのでしょう……?」
「そ、それは……。ほ、ほら、あれだよ、あれ! 私、物じゃないし? あげられないし?」
「だから、貴女をこの手の内に閉じ込める権利を、と」
「で、でもさ、そうするとさ、ローザさんが困るでしょ? 私、アオイの専属メイドだし? ローザさんが一人でアオイのお世話するの、大変だと思うんだ!」
一瞬、先生が視線を彷徨わせる。ちょっと納得しかけてるな。よし。これで通そう!
「アオイのお世話を男の人がするの、竜王様だって嫌がるでしょ? 私だって、アオイのお世話したいし!」
「僕といるより、アオイ様と一緒にいたいのですか?」
おう。そう来たか!
「そ、そんな訳――」
「ねえ、アイリス? そろそろ、今後の事、具体的にしていきません?」
「今後の事って?」
「住む場所とか、仕事とか……」
そう言った先生は、ほんの少し不安そうな目をしていた。もしかして……。
「先生、寂しいの?」
「っ!」
息を飲んだ先生の耳が、ほんのりと赤くなる。図星だったらしい。くふふ。先生が可愛い。
「そっかぁ。先生、私と別々に暮らすの、寂しいんだぁ」
「ち、違います」
「そっか。……で? 本当のところは? 寂しいんでしょ?」
「……寂しい……です……」
先生が顔を真っ赤にして、消え入りそうな声で呟く。くぅ~。先生が! 可愛すぎる! 思わず先生に抱き付くと、先生の腕が私の背に回った。
「私もね、先生と別々に暮らすの、と~っても寂しいんだよ。だからね、寂しくないように、一緒にどうすれば良いか考えようね」
「ええ……」
毎日会えなくなって寂しかったの、私だけじゃなかった。先生も同じように寂しいって思っていてくれた。私にとって先生が特別なのと同じように、先生にとっても私は特別だった。そう思うと何だか無性に嬉しくて、先生の腕の中でニヤニヤが治まらなかった。
都合により、来週の更新はお休みします。
次回更新は4月27日になりますので、宜しくお願いします。




