癒しの聖女 2
毎日少しずつ癒しの聖女の伝記を読み、やっと二章の巫女時代を読み終わった。白騎士との淡い初恋と、巫女としての成長が描かれたこの章。巫女時代の癒しの聖女と私の歳が近いせいもあるだろうけど、たぶん、今まで読んだ物語の中で、主人公に一番感情移入出来たと思う。
だから、章の最後、癒しの聖女が巫女頭に選出される時、白騎士との未来じゃなく決別を選んだ彼女の葛藤を思うと、自然と涙が溢れてきた。
「うぅ……。ぐすっ……」
「物語ごときで泣くな。鬱陶しい」
二章を読み終え、号泣する私を見て、心底迷惑そうにバルトさんが言う。そりゃ、夜中に本読んで泣いてたら、おちおち寝てられないだろうさ。それは分かってる。分かってるけど……!
「だってぇ……!」
好きな人と別れるなんて、そんなの考えただけで辛すぎる。特に、白騎士が先生と似たタイプだからか、余計に癒しの聖女に感情移入しちゃって、もう、涙が止まらないぃぃぃ!
「ミー。この泣き虫を保護者の所に送ってくれ……。寝られん」
「あにゃ?」
「団長だ。出来るだろう?」
「にゃぇ~!」
ミーちゃんがすっごく嫌そうな声を出す。そんなミーちゃんのご機嫌を取るように、バルトさんがミーちゃんの喉元をくすぐった。
「にゃにゃにゃにゃにゃんにゃにゃにゃうにゃにゃにゃい!」
「便利な道具などと思った事は一度も無い。ただ――」
バルトさんがミーちゃんに何を囁いたのか、私には聞こえなかった。ただ、ミーちゃんの機嫌が少し良くなるような事を言ったのは間違いない。その証拠に、ミーちゃんはバルトさんの枕元からよっこらしょと立ち上がると、トテトテと私の元へと歩いて来た。そして、長く鳴く。と、私達の足元に転移魔法陣が浮かび上がった。止める間もなく、ぐらりと視界が揺らぐ。
「え……? アイリス?」
降り立ったのは、寄宿舎にある先生のお仕事部屋。お仕事机で何やら仕事をしていたらしき先生が、突然姿を現した私を見て目を丸くした。
「にゃんにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃ!」
ミーちゃんは先生のお仕事机に飛び乗り、何かを叫ぶと、フッと姿を消した。たぶん、転移でバルトさんの所に戻ったんだと思う。それは良い。それは良いけど、どうしよう……。私、置いてけぼり。しかも、こんな時間に……。
「ええと……。色々聞きたい事はあるのですが……。取敢えず、お茶します?」
困惑気味の先生が口を開く。私は小さく頷くしか出来なかった。
先生の淹れてくれたお茶をソファで飲み、ホッと一息吐く。先生が淹れてくれるお茶は、何だか心が落ち着くなぁ。
「それで――」
お茶を一口飲んだ先生が口を開く。その顔はどこか厳しげだ。ま、怒られる理由に心当たりはあるから、仕方ないと言えば仕方ない。
「こんな時間まで起きて、何をしていたのです?」
「本、読んでた」
「本?」
「兄様にもらった、癒しの聖女の伝記」
「貴女という人は……」
先生はおでこに手を当て、深々と溜め息を吐きながら項垂れた。呆れられたらしい。でもでも! 先生だって夜更かししてるもん! お互い様だもん!
「それで? アオイ様の白い獣が貴女をここに連れて来た理由は? 何かあったのでしょう?」
「それは……」
「それは?」
「本読んでたら悲しくなってね、泣いてたら、バルトさんにうるさいって追い出されちゃった☆」
テヘッと笑ってみる。先生はそんな私を見て、それはそれは深い溜め息を吐いた。
「本当に、貴女という人は……。泣いていたから何事かと思ったら……」
「心配させてごめんね?」
「まあ、大事が起こるよりかは幾分マシだと思っておきます」
「ん。そうして」
先生がじとっとした目でこちらを見る。これをやったのがウルペスさんやブロイエさんあたりだったら、先生の特大雷が落ちてたんだと思う。けど、これくらいの事で怒られないのは婚約者特権だな。うん。
「それはそうとして、今夜はここに泊まっていきなさい」
「へ?」
思わず先生を見る。と、先生が肩を竦めた。
「まさか、こんな時間にそんな格好で帰ろうと思っていたのですか?」
言われて気付く。いつでも寝られるようにと、本を読み始める前に入浴を済ませた私は寝巻姿。流石に、こんな格好で外に出たら恥ずかしい。
「明日の朝、叔父上かアオイ様の白い獣に迎えに来てもらいなさい」
「は~い」
「隣の部屋のベッドは使って良いですから」
「ん。ありがと」
頷き、ふと思う。私が使っても良いと言われたのは、言わずもがな、先生のベッドな訳で。私が先生のベッドを占領しちゃうと、先生の寝る場所が無いような……。
「先生は?」
「貴女が気にする必要はありません」
「気にするよ。先生、どこで寝るつもり?」
「……ソファで」
「駄目だよ! 先生をソファで寝かせるくらいなら、私がソファで寝るから。先生はベッドで寝てよ」
「それこそ無理な話でしょう。貴女をソファで寝かせるなど」
「でも! 先生のベッドなんだから。先生が使って」
「いえ。貴女をソファで寝かせるくらいなら、僕は床で寝ます」
「えぇ! 床って!」
んもぉ! 先生の頑固者! こうなったら!
「もういい! 一緒に寝るよ、先生!」
叫び、ソファから立ち上がる。そんな私を、先生が呆気に取られたように見上げた。
「……は?」
「二人でベッド使うの! それで解決でしょ! ほら、寝るよ!」
「え、いや、あの……流石に、それは……」
「何!」
「いくら婚約しているとは言っても、まずいかと……」
「何で! もしかして、嫌なの?」
「嫌ではないですけど……」
「なら早く寝るよ! はーやーくー!」
ドスドスと地団太を踏むと、先生が渋々といった様子で立ち上がった。そうして二人でベッドに入る。先生のベッドはとっても大きいから、二人で入っても余裕だ。ゴロゴロ転がっても、先生にぶつかる心配は無いな。うん。
「アイリス」
呼ばれて先生の方を見る。と、唇に優しい感触が触れた。不意打ちはズルイ! 私の顔に熱が集まる。
「せ、先生!」
「つい。あまりにも無防備だったので」
「んもぉ!」
ぷ~っと頬を膨らませると、先生がクスクスと笑った。そして、私の頭に手を伸ばし、自身の胸元に引き寄せる。
「そこまで無防備なのは、僕を信用してくれているからですか?」
「ん」
「異性として見ていないからではなく?」
「違うよ。先生の事、大好きだもん」
「なら良いのですが……。他の男に、そんな無防備な姿、見せないで下さいよ?」
「ん。分かった!」
「本当に分かってます?」
やれやれって感じで先生が溜め息を吐く。私はう~んと頭を捻った。
「ブロイエさんと兄様には無防備でも良いでしょ?」
「駄目です」
「駄目なの? じゃあ、ウルペスさんとバルトさんは?」
「駄目」
「じゃあじゃあ、ノイモーントさんとフォーゲルシメーレさんとヴォルフさんは?」
「駄目」
「竜王様は?」
「……駄目」
「先生、今、一瞬迷ったでしょ?」
「迷いましたけど、やっぱり駄目です」
「分かった。先生だけの特別なんだね」
そう言ってふふふと笑う。すると、先生の腕に力が篭った。ちょっと窮屈。でも、嫌じゃない。だから、私も先生の服をギュッと握る。そうして目を閉じた。
大好きな人と一緒にいて、その温もりを感じられる幸せ。それを噛みしめる。癒しの聖女は、それすらも叶わなかった。私だって、一歩間違えたら……。
「ねえ、先生? まだ起きてる?」
「……ええ」
「あのね、変な事、聞いても良い?」
「何です?」
「私を兄様の所に置いて行こうとした時、先生、どんな気持ちだった?」
「……あの時は、辛い思いをさせてすみませんでした」
申し訳なさそうに先生が言う。私はガバッと起き上った。
「ち、違うの。責めてるんじゃないの。謝って欲しいとか、全然、そんな事思ってないの。ただね、先生も私と同じ気持ちだったのか、それが知りたかったの」
「同じ気持ち……」
先生が私を見上げる。私は小さく頷いた。
「ん。私ね、先生にもう会えなくなるんじゃないかって思ってね、とっても悲しかったの。きっとね、死ぬほど辛いって、ああいう時の気持ちなんだと思うの。先生も同じくらい辛かったのかなって……」
「そうですね……。身を切る思いでした……」
「それでも、先生が私を兄様の所に置いて行こうとしたのは、私と先生の為だったんだよね? 先生は、その方が私の幸せに繋がるって思ったし、先生は先生で心の均衡を保てるって思ったんでしょ?」
「そう、ですね……」
「大人って色々考えて大変だよねぇ。私はまだ子どもだから、一緒にいたいって思ったら、何が何でも一緒にいようって思うけど、それが相手の幸せになるとは限らないんだよねぇ……」
再び先生の隣にごろりと寝転がる。と、そんな私の頭を先生が優しく撫でてくれた。
「ただ、色々考えて行動しても、必ずしもそれが正解とは限らないのですよ。現に、僕はあの時貴女と別れずにいたから、今、こうして幸せな訳ですし」
「……先生、幸せ? 私と一緒にいて幸せ?」
先生の顔を見上げる。と、先生がにこりと笑って頷いた。
「ええ。世界で一番幸せです」
「そっかぁ」
「アイリスは?」
「私も。世界で一番幸せ! あ。でも、私まで世界で一番だと、一番が二人になっちゃうなぁ……」
「それは、同率一位で良いと思いますけど?」
「そっか。そうだね。じゃあ、二人とも一番ね」
「ええ」
二人でクスクス笑い合う。こうして、初めてのお泊まりの夜は更けていった。




