癒しの聖女 1
八代目メーア――癒しの聖女は、大昔、本当にいた人物だ。それ以前のメーアは記録が少なくて、本当にいた人なのか、ただの作り話なのか、議論が分かれている。けど、癒しの聖女は違う。その功績が大きかったからか、はたまた、大きな戦や天災地変で記録が失われる事が無いように保全措置が講じられ始めたからか、資料がたくさん残っていて、議論の余地は無く、実在の人物だったと言われている。
癒しの聖女の凄い点は、病気や怪我で困っている人がいたら、自ら赴いて治療した点だ。地位の高い治癒術師程、普通は一箇所に留まって治療をする。それは今も昔も変わっていない。それなのに、癒しの聖女は、世界中の怪我人や病人を治療して回った。自分の治療を本当に必要としている人は、自らの足で治療に訪れる事は叶わないだろうから、と。
私はブロイエさんから受け取った本を手に、病室の診療机に着いた。そんな私を、バルトさんがベッドに横たわりながら眺めている。少し前に寝ようとやって来たミーちゃんも、バルトさんの枕元に丸まり、顔だけ上げてこちらを見ていた。
この本、今から読み始めようか、明日から読み始めようか……。う~ん。悩むなぁ……。
「あまり夜更かしするなよ? 背が伸びなくなるぞ」
「ん。分かってる……」
「俺は先に寝るからな」
「ん。お休みなさい」
半分上の空でバルトさんに挨拶をする。やっぱり、ちょっとだけ読んでから寝ようかなぁ……。気になって眠れなくなりそうだし……。うん。そうしよっと!
革の装丁が施された表紙をゆっくりと捲る。白紙があって、次のページが題名で、その次のページが目次。ざっと目次に目を通す。
一章は幼少期なのか。二章が中央神殿巫女時代で、三章が巫女頭時代ね。ん? 四章と五章が巫女頭引退後になってるけど……。あれぇ? 引退後がやけに長い。何でだ? ま、全部読めば分かるか。ページを捲り、一章の始めから読み始める。
癒しの聖女は、メーア大陸の片田舎、小さな村の出身らしい。その村には小さな神殿があって、ご両親に連れられて初めて神殿を訪れたのは、彼女が三歳になる誕生日。これは、メーア大陸では至って普通の事らしい。
メーア大陸では子どもが三歳になる日、神殿でご両親と一緒に、これからも健やかに過ごせるようにお祈りをする。それは伝統行事的なもので、どこの家でもやっている事らしい。地域の守護者たる神官への顔合わせ。それくらいのつもりでやっている家も多いようだ。しかし、その風習の本当の意味は、特別な子が現れた時に初めて分かる。
彼女は特別な子だった。神殿に一歩足を踏み入れた時、彼女の元に光の花が舞い降りた。そして、それを見た神官の顔色が変わり、彼女の名前と家を確認すると奥に引っ込んでしまう。祈りを捧げるはずがこの対応。彼女のご両親は途方に暮れ、その日は彼女の手を引いて家へと帰って行った。
その数日後、彼女宛に一通の書簡が届く。中身は、数日後に村を訪れる聖騎士と共に、中央神殿へ出頭するようにとの命令だった。
幼い我が子への出頭命令。ご両親は大層慌て、事情を知っているだろう神官の元を訪ねる。そうして神官を問い詰めると、驚くべき答えが返って来た。
彼女には、類稀なる魔術の才がある。彼女が神殿を訪れた日、光の花が舞ったのは、そんな彼女へ、神からの祝福だったのだ。あの日から、彼女は普通の女性としての人生を送る事は叶わなくなっていたのだった。
村にやって来た聖騎士と共に、彼女は中央神殿を訪れた。その日から、彼女の家は中央神殿となった。
巫女見習いとして、戒律に則って日々の生活を送る。それは、幼い彼女には酷く窮屈で、退屈な日々だった。故郷の両親に会えない事も辛かった。寂しさを紛らわせる為だったのだろう、巫女見習いらしからぬ行動で周囲の大人達から大目玉を食らったのも、一度や二度ではなかった。
そんな彼女が見つけた楽しみの一つが魔術の修練だった。初級魔術を修め終わったのは、彼女が五歳の時。二年足らずという、異例の早さだった。
ここまで一気に読み、私はう~んと背伸びをした。ここで一章の半分くらいかぁ。このまま読み続けたら、気が付いたら朝って事もありそうだ。パタンと本を閉じ、席を立つ。そして、バルトさんが眠るベッドの隣のベッドに潜り込んで目を閉じた。
三歳かぁ……。それくらいの時、私、何してたんだったけな……。う~ん……。あ。父さんが死んじゃったのが、確かそれくらいの時だった気がする……。母さんが元気無くて、そんな母さんに元気になってもらいたくて、変わった形の葉っぱだったり綺麗な石だったりを集めて母さんにあげてたな。それがいつの間にか、薪代わりの小枝拾いになって……。小さいなりに、母さんに笑ってもらいたくて、褒めてもらいたくて、必死だった気がする。
そんなくらいの時から、癒しの聖女は勉強してたんだ……。そりゃ、世界一有名な治癒術師にもなれるな。でも、初級魔術を習得し終わるまで二年弱、か……。私が大体一年半くらいだったから、標準と言えば標準なのかな? アオイはもっと早かった訳だし。いや、でも、癒しの聖女は五歳で初級魔術を修め終ってる。そう考えると、異例と言えば異例か……。寄宿舎にいる小さい子達に、初級魔術教本の内容を理解して魔法陣を描けって言ったって、出来るとは思えないもん。癒しの聖女は、たぶん、天才とか神童とか言われるような人だったんだな。うん。そんな事を考えつつ、その日は眠りについた。
次の日から、私は暇を見つけると、癒しの聖女の伝記を開いた。呪術の適性があった彼女だが、専門に選んだ魔術は治癒術。適性のある魔術を修めるより、人の役に立つ魔術を修めたいって思うあたり、巫女としての適性も元々あったんだろう。
そんな彼女を慕う後輩巫女見習いや聖騎士見習いも出始め、巫女見習いとしての彼女の生活も充実していった。そして数年。傷病者の治療に尽くした功績が認められ、彼女は一人前の巫女となる。まだ十代になったばかり。これも異例の早さだった。
また、後に白騎士と呼ばれ、彼女と一生を共にした聖騎士の青年と出会ったのもこの頃だった。巫女も聖騎士も、神に一生を捧げた身。恋愛も結婚も許されない。けれど、二人は出会い、惹かれ合ってしまった。思い悩む彼女に白騎士は言う。
「私のこの身は神へと捧げました。私のこの想いは、胸の内に秘めておく他なりません。しかし、いつか、貴女と共に歩めたら、と。貴女を守り、支える事が出来らたと、心からそう願ってやみません、かぁ……」
机に頬杖を付き、ほぅと溜め息を吐いた。恋愛パートは良いなぁ。読んでいるだけで心がポカポカする。ついでに、頬も温かい。ふふふ。こんな台詞、私も先生に言われてみた~い!
「何だ、その、歯が浮きそうな台詞は……」
水を差したのは、ベッドで横になっていたバルトさん。見ると、苦虫を噛み潰したような顔でこちらを見ていた。
「起きてたんだ……」
「ああ。ついさっきな。また癒しの聖女を読んでいたのか……。好きだな」
「そうだよ。悪い? 癒しの聖女は私の目標なんだから!」
「悪くはないが、あまり神聖視し過ぎもどうかと思うぞ。彼女も中央神殿の関係者であり、メーア大陸の人族だったのだから」
そりゃ、バルトさんの言ってる事も分からなくはない。随分昔の人とはいえ、癒しの聖女も聖女メーアだから。今の中央神殿がああなのも、この人に責任が全く無いとは言えないだろう。それに、メーア大陸の人族は、エルフ族のような、メーア大陸に元々住んでいた魔人族を迫害した。その事実は変わらない。でも――。
「癒しの聖女は凄い人なの! 立派な治癒術師なんだから!」
「それは否定しない」
「なら良い!」
腕を組み、尊大に頷いてみせる。と、バルトさんが苦笑した。
「まあ、俺から言わせれば、こんな役立たずの為に寝食を共にするお前の方が、余程立派だと思うがな」
今、何て……? 思わずバルトさんを凝視してしまう。すると、バルトさんが私に背を向けるように寝返りを打った。
「少し疲れた。寝る」
「え……。あ、うん……」
聞き間違いじゃなかったよね? 今、バルトさん、私の事褒めてたよね? 私はしばしの間、掛け布に包まって動かないバルトさんの背中を、呆然と見つめていた。




