近衛師団長の憂鬱Ⅳ
僕は一枚の扉の前で足を止めると、それを開いた。薄暗い店内。意図して抑えられた明かりに照らされ、色とりどりのビンが怪しげに光り輝いている。
「もう、今日は終わり――っ!」
カウンターの奥に座る銀髪の少年が、読んでいた本から顔を上げた。そして、僕の顔を見て、切れ長の目が驚いたように見開かれる。しかし、それも一瞬で、彼は嬉しそうに笑った。
「いらっしゃい」
彼はカウンター前の椅子を手で示した。僕は勧められた椅子に腰を下ろすと、荷物を足元へと置き、室内を見回した。
商品棚に整然と並べられた色とりどりのビン。一つも埃など被っていない。物によっては全くと言って良い程売れない代物だが、彼は毎日、一つ一つ丁寧に磨いて手入れをしているらしい。几帳面な性格は、今も昔も変わっていない。
「お久しぶりですね、ウルぺス」
にっこり笑って挨拶をすると、ウルペスは長く伸ばした銀色の髪に手を入れ、溜め息を吐きながら頭を掻いた。
「久しぶりって……。訓練だとかで嫌って程、会ってんじゃん……」
「ははは。確かに。じゃあ、騎士の業務以外で会うのは久しぶりという事で」
「ああ、まあ、そっか。んで、今日は旧友に会いに来たの? それとも、客として来てくれたの?」
「客として、ですね」
僕の答えを聞き、ウルペスが肩を落とす。旧友として、という答えを期待していたらしい。もしかしたら、共にお茶でも飲みながら、昔話でもしたかったのかもしれない。最近、そういった時間を共にする事がめっきり少なくなったから。
ウルペスは、端的に言うと僕の幼馴染だ。兄上にノイモーントやフォーゲルシメーレ、ヴォルフがいたように、僕にはウルペスがいた。共に遊び、時に喧嘩をし、幼い日々を過ごした掛け替えのない友人。それがウルペスだ。年回りが近い者がいなかったリーラと共に三人で無茶をしたのも、今では良い思い出だ。
「で?」
「で、とは?」
「香油買いに来たんでしょ? どれにする?」
ウルペスが、自身の背後にある商品棚を親指で指す。カウンターの奥にある商品棚には、一際凝った細工が施されたビンがずらりと並んでいた。あの一角だけは、他の棚の品とレベルが違う。最高級の香油だ。ウルペスは僕にあれを買えと言っているらしい。
「そこのですか……」
「だって、贈り物なんでしょ?」
ウルペスが銀色の瞳を瞬かせる。彼もいつの間にか強かになったものだ。昔は、リーラに喧嘩で負けては僕に泣きついてきて、可愛げがあったのに……。
「そもそも、僕自身の香油かもしれないとは思わないのですか?」
「何言ってんの。ついこの間、注文の手紙寄越したばっかりのくせに」
ウルペスは肩を竦め、溜め息を吐いた。言われてみれば、ついこの間、注文の手紙を出したばっかりだった。
「ペラッと一枚。しかも、いつものお願いします。その一文で済ませたから忘れた?」
「忘れてはいませんけど……」
「そ・れ・に! 噂だって広まってんの。堅物のラインヴァイス様が、小さな女の子囲ったって」
「ああ。そうなんですよ。僕が魔術を教える事になって――」
「違う、違う」
ウルペスは「何言ってんだ」とても言いたげな目で僕を見つめた。今度は僕が目を瞬かせる。
「ラインヴァイス様、小児性愛の気があるって噂になってるんだよ?」
「…………は?」
小児性愛? 僕が? 確かに、アイリスはまだ幼子だ。それは認めよう。しかし、小児性愛の者とは違い、僕は幼いから彼女を気に入っている訳では無い。兄上の名に誓える。絶対に違う。
「誤解です」
「まあ、そうだろうね」
至極冷静にきっぱりと言い切る。すると、ウルペスは苦笑を浮かべた。
「見てくれより中身だよね」
「ええ。流石にと言うべきか、良く分かっていますね」
「まあ、ね。リーラ姫にもよく言われてたし。外見より強さが重要なんだって。それも、武の強さだけじゃなく、心の強さも重要なんだって。どちらが欠けても駄目なんだって」
ウルペスは懐かしそうに目を細めた。リーラが生きていた頃の事を思い出しているのだろう。幸せだった、あの頃を。
「リーラは己にも他者にも、強さだけを求めていましたしね」
「そうそう。その結果があれじゃあ、ね」
「まあ、それは言わないであげましょう。精霊になった今、昔と考え方が変わっているかもしれないですし」
「だと良いんだけどね」
僕とウルペスは顔を見合わせ苦笑した。こうしてリーラの話をしていると、昔に戻った気分になる。ウルペスと二人、こうしてリーラのお転婆ぶりに頭を悩ませていた。話題はいつもリーラだった。リーラの話をしているウルペスが、とても良い顔で笑うから。
「で。ラインヴァイス様は、噂の彼女のどこに惹かれたの?」
「優しさ、ですかね」
「へぇ~?」
ウルペスが興味津々とでもいうように、カウンターに身を乗り出した。頬杖をつき、ニヤニヤとした笑みを浮かべている。敵わないな……。僕は小さく溜め息を吐くと、アイリスとの出会いや、彼女が城に来る事となった経緯をウルペスに話して聞かせた。
「――という訳で、アイリスはアオイ様のメイドとなりました」
「ほうほう。よぉ~く分かったよ。ラインヴァイス様が、どんだけアイリスちゃんを気に入ってるのかも」
ニヤニヤした笑みを浮かべたままのウルペスが言う。僕はあくまでも、客観的に事実を説明したつもりだったのだが……。反論出来ない事が口惜しい。
「あぁ~! 俺も早く会ってみたいなぁ。ラインヴァイス様の想い人!」
「早起きして食堂に来れば、確実に会えますよ?」
にっこり笑って言う。すると、ウルペスは嫌な事を聞いたとでもいように顔を顰め、耳を塞いだ。
「日が昇る前に起きるなんて無~理~!」
「まだ朝に弱いのですか……」
「俺、夜行性だし!」
「多くの獣人種がそうでしょうに……」
「朝は寝るもの! これ、伝統的生活スタイル!」
「はいはい……」
聞き流すように相槌を打つ。ウルペスのこういう所は、真面目に相手をしているとこちらが疲れる。適度に流すのが、彼と付き合う上でのコツみたいなものだ。
「それよりも――」
「分かってるって。やっぱりこれでしょっ!」
ウルペスが、カウンター奥の棚から青紫色のビンを取る。そこ、最高級の香油が置いてある棚ですよね? どうしても、僕にそこの商品を買わせたいのですね……。まあ、良いですけど……。
「アイリスちゃんにはイリス香! これで決まりっ!」
「香油にもイリスがあったのですか。知りませんでした」
「無理ないよ。イリス香は採取に時間が掛かるから、職人が作りたがらないし。普通じゃ手に入らない希少品なんだから」
「ふむ……。香りを確認させて頂いても?」
「もちろん!」
ウルペスは満面の笑みで頷くと、蓋を取った瓶を僕に差し出した。それを受け取り、鼻を近づける。フワリと、甘い香りが僕の鼻をくすぐった。
「スミレ香に近いでしょうか?」
「ん~。近いっちゃ、近いな」
「因みに、イリス香が希少とは、どの程度で?」
「取り扱いはウチの店だけ! 俺が職人に頼み込んで、やっと作ってもらえたんだから!」
アイリスを示す名の花。多く流通している香りではない。そして、手に入れようと思っても、扱っているのはウルペスの店のみ。これほどの好条件は、他に無いかもしれない。
「……良いでしょう」
「じゃあ!」
「こちらを貰います。但し――」
「但し?」
ウルペスが不思議そうに首を傾げる。僕は至極真面目な顔で口を開いた。
「不用意に他者に売らないと、そう約束出来るのであれば」
僕の出した条件を聞き、ウルペスの顔がニタァとした笑みに歪む。そして、両手を合わせて揉み始めた。
「もちろんですよぉ! ラインヴァイス様以外には売らないって、そう約束しますよぉ!」
ウルペスは、僕との約束を破るような男ではない。大丈夫だろう。……が、ウルペスのこの顔。面白がっているようにしか見えない。僕は溜め息を吐き、金貨を一枚取り出した。それをウルペスへと渡す。
「へへへっ! 毎度あり~!」
僕は香油を受け取ると、ウルペスの声に送られて店を後にした。イリスの香油。アイリスは気に入ってくれるだろうか? あどけない少女の笑みを思い浮かべ、僕の口の端が自然と緩んだ。




