引っ越し 4
次の日の夜遅く、私はこっそりとキッチンに向かった。先生にはもちろん内緒だ。私がキッチンに行くのを知ったら、先生、絶対に付いて来ちゃうから。
寄せ書きの事は、先生には知られたくない。渡す時に驚いてもらいたいから。先生の驚いた顔が見たいから。ふふふ。先生、みんなの寄せ書き見て、どんな顔するかな? 想像するだけでワクワクしちゃう!
キッチンの扉を少し開き、中を覗く。すると、若い料理人さんと目が合った。にこっと笑った料理人さんが、ちょいちょいと私を手招きする。おずおずとキッチンに入ると、私を手招きした料理人さんがキッチンの隅を指差した。
キッチンの隅っこで、イェガーさんが椅子に座り、書類っぽい何かと睨めっこしている。傍らには寄せ書き用の団旗。近くに寄って確認すると、結構な数の寄せ書きが集まり始めていた。
「お。嬢ちゃん。寄せ書きの確認か?」
「ん。どんな感じかなって」
「まだまだ先は長いな。ほら」
イェガーさんが手に持っていた書類を差し出す。これは……名簿?
「各連隊の名簿だ。これにチェックしていけば、誰が書いてないか分かりやすいだろ?」
「ん。こうして見ると、結構書いてないんだね……」
「まだ一日目だからな。時間が合わなかったり気が付かなかったり、まあ、理由はそれぞれだろう。明日からは、こっちでもちょっと声掛けてみるわ」
「ん。お願いします」
ぺこりと頭を下げる。すると、イェガーさんがグリグリと私の頭を撫でた。力が強いから、ぐわんぐわんと、私の頭が前後左右に揺さぶられる。
「イェガーさん、目、回りそう……!」
「おおっと。すまん、すまん」
驚いたように、イェガーさんが私の頭からパッと手を離した。顔を上げると、イェガーさんが両手を上げ、苦笑いしている。
「人族と魔人族とじゃ、身体の頑丈さが違うもんな。つい忘れちまった。すまんな」
「ん~ん。良いよ。初めてじゃないし」
私がそう言うと、イェガーさんが不思議そうに目を瞬かせた。
「初めてじゃないって、団長か? あんまりそういう失敗しなさそうだけどな、あの人」
「違うよ。兄様だよ」
「ああ、そうか。スマラクト様か。確かに、あの人ならやりそうだな」
納得いったとばかりに、イェガーさんが腕を組み、うんうんと頷く。今度は私が目を瞬かせた。
「イェガーさんって、兄様と面識あるの?」
「おお。俺の兄がスマラクト様のところの料理人だからな。いつだったか兄を訪ねた時、言葉を交わした事がある」
「へ~。そっかぁ」
私の脳裏に、ブロイエさんのお屋敷の強面料理人さん軍団が浮かぶ。あの中に、イェガーさんのお兄さんもいたのかぁ。
「幼いながらも、堂々とした方だったなぁ。あの人を見ていたら、竜王様の幼少期を思い出した」
「ふ、ふーん……」
たぶん、イェガーさんが見た兄様の姿は、よそ行き用だと思う。竜王様の幼少期があんなだったら、ちょっと、いや、かなり嫌だ。
「少し話をしただけでも、宰相殿に似て賢い方なのだと分かったぞ。ご自身の置かれた立場をよく理解しておられてなぁ……。それに不平を言う訳でもなく、出来る限りの努力をされているお姿は、胸にくるものがあったなぁ……」
「兄様の置かれた立場って?」
「ん? ああ……。嬢ちゃんにはいまいち分からんか。スマラクト様の王位継承権は第二位。第一位は宰相殿。このお二方が本気で王位を取りに来たらどうなると思う?」
「どうなると思うって……」
そんな事、考えた事も無かった。だって、ブロイエさんも兄様も、王様になりたいってタイプじゃないから。二人とも、権力に興味無さそうなんだもん。
「一言で言うと、権力闘争勃発だ」
「でも、ブロイエさんも兄様も、権力に興味無さそうだよ?」
「そうだな。それは、お二人が、権力には興味ありません、甘言は効きませんって姿勢を一貫して取り続けた結果だ。団長は団長で臣籍に降りちまってるし、権力闘争を起こしたい連中は悔しがってるんじゃないか?」
「権力闘争を起こしたい人なんているの?」
変な争い事が起こるよりも、平和な方が良いと思うんだけど……。そう思いつつ尋ねると、イェガーさんが苦笑しながら頷いた。
「いつの時代、どんな場所にでも、そういう連中はいるんだよ。ま、うちの場合は、竜王様に人望があるのと、竜王様に連なる方々が聡明だからな。あんまり心配する必要は無いがな」
「そっか」
そういうものなのか。ほうほうと頷いていると、イェガーさんが私の頭に手を伸ばした。
「嬢ちゃんは、団長とスマラクト様の良き理解者でいてやってくれ」
そう言って、微笑みながら私の頭を撫でるイェガーさん。その手は、さっきとは違って、とっても優しくて丁寧だった。
深夜こっそりとキッチンに通って数日。とうとう、団旗への寄せ書きが終わった。と言っても、旅に出てしまっているウルペスさんとバルトさんはまだ書いていない。お城にいる人の分だけだから、暫定完成。二人が返って来た時に、こっそり書いてもらえば正真正銘の完成だ。
「ありがと、イェガーさん!」
「おお。これくらい、どうって事無いぞ。団長、どんな顔するか楽しみだな」
「ん!」
皆の寄せ書きが書かれた団旗を胸に抱き、満面の笑みで頷く。この団旗は、先生のお引越し前日のお別れ会で、みんなの前で私が渡す予定。
魔人族にとって、贈り物は愛情表現だって話だから、皆の前で私が愛の告白をするようなもの。そう考えると、ちょっと、いや、かなり恥ずかしい。けど、みんなと先生の橋渡しになれるように、恥ずかしいのくらい我慢せねば!
「あ、そうだ。嬢ちゃん、まだ書いてないだろ? 忘れずに書いておけよ」
「へ?」
「へじゃねーだろ。肝心要の嬢ちゃんが書かなくてどうすんだ」
え? でも、これは、近衛師団のみんなに書いてもらって、先生はみんなに慕われているんだよって伝える為のもので……。
「ちゃんと三人分空いてるからな。書いてやれよ?」
そう言い残し、イェガーさんは背を向ける。私は団旗を胸に抱いたまま、その背を見送った。
よくよく考えると、近衛師団のみんなだけじゃなく、アオイや竜王様、ブロイエさん、ローザさんにも寄せ書きを書いてもらっている。逆に、この面子で私だけ無いのも変、なのかな……?
部屋に戻り、団旗をテーブルの上に広げる。びっしりと書かれた寄せ書きの数々。そのどれもが、先生への応援の言葉だった。読んでいる私の胸が、ポカポカと温かくなる。先生もこんな気持ちになってくれると良いな……。
さて。じゃあ、私も書きますか。ペンを手に取り、文面を考える。「先生頑張ってね」はありきたり過ぎるか……。それに、短い気がする。「いつも応援してるよ」も短いしぃ……。「孤児院のみんなの事、お願いします」じゃ、私はどんな立ち位置なんだって感じだしぃ……。あれやこれやと文章を考えてみても、なかなか良い案が思い付かなかった。寄せ書き、難しい!
次の日、そのまた次の日と、先生への応援の言葉を考えてみるも、なかなか良い案が浮かばない。困ったぞ。どうしたものか……。お仕事が終わって部屋に戻ると、私は今日も団旗と睨めっこを始めた。でも、こんな事で良い文章が思い付くでもなく。
先生には寄宿舎運営を頑張ってもらいたい。でも、無理はしないで欲しい。それに、時々、私の事も思い出してもらえると嬉しい。伝えたい事はあるのに、それを上手く文章に出来ない。こういうの、苦手だったんだな、私。困った。ああ、困った。
そうして、悩みに悩んで数日。やっとの思いで自分の分の寄せ書きを書き終えた。その間に、ウルペスさんとバルトさんがお城に一旦帰って来たから、こっそりと寄せ書きをしてもらった。私の寄せ書きが最後の寄せ書き。つまり、寄せ書き、完成!




