調査 2
いつも寝る時間より少し遅いくらいの時間になって、壮行会はお開きとなった。飲み過ぎてつぶれたウルペスさんをブロイエさんに、言動がちょっとおかしいバルトさんをミーちゃんに部屋まで送ってもらい、私と先生はみんなが飲み散らかした研究室の後片付けを簡単にし終え、一緒に歩いてお部屋まで戻る事にした。
手を繋ぎ、薄暗いお城の廊下を二人で歩く。今日は散々な目に遭った。まさか、先生があんなに惚気るとは……。疲れ切って歩く私を余所に、先生の足取りは軽い。ご機嫌って感じ。私、凄く恥ずかしかったのに! んもぉ! 頬を膨らませて歩いていると、先生が一つの階段の前で足を止めた。
「近道、しましょうか?」
先生がにっこり笑ってこちらを振り返る。私はむくれたまま頷くと、先生について階段を上った。
階段を上って少し歩くと、見覚えのある場所に出た。お城の中でも一際豪華な造りになっている場所。たぶん、お城の中枢部分。そこを先生は慣れた様子で進む。そうして少し歩くと、先生が一枚の扉の前で足を止めた。
先生の部屋、こんな扉だったっけ? もっと、こう、シンプルな感じだったと思うんだけど……。目の前にある扉は、私の記憶にある先生のお仕事部屋の扉よりも装飾が多く、豪華だった。ええっと……?
「兄上の部屋です。今はアオイ様のお部屋にいらっしゃると思いますので、留守です」
「う、うん……」
そりゃ、留守だろうさ。あんまり遅くにアオイの部屋に行っても、アオイが寝ちゃってるから、竜王様、私が帰る位の時間に来るもん。今くらいの時間は、確実にアオイの部屋にいるだろう。私、それくらい分かる。
ええっと、先生は何がしたいんだ? 先生を見上げると、先生がにっこりと笑った。と思ったら、繋いでいた手をぐいっと引っ張った。
「次、行きましょう!」
次? 次って何? お部屋に帰るんじゃないの? あぁ~!
この後、先生にお城の中枢を引っ張り回された。先生的には案内してくれたんだろうけど、こんな夜遅くに……。やっとの思いで到着した先生のお仕事部屋は、最初に案内された竜王様のお部屋からすぐの所だった。近道しましょうって言った割に、遠回りさせられたらしい。お仕事部屋のソファに座ってご機嫌にニコニコしている先生を立ったまま睨む。と、先生が不思議そうに目を瞬かさせた。
「何故、そんなむくれているのです?」
「先生が酔ってるから!」
「酔っていませんよ?」
「酔ってる!」
「そうですか?」
そうかなぁとでも言うように、先生が腕を組んで首を傾げる。もう、何か疲れた、私……。酔ってる人の相手って、思ってた以上に大変……。一つ、勉強になった。
「じゃあ、先生、私、帰るから。先生もちゃんとお部屋に帰って寝てよ?」
「もう帰るのですか?」
「いつも寝る時間過ぎてるから」
「もう少し、ゆっくりしていけば良いじゃないですか」
そう言ってにっこり笑った先生が、私の手首を掴む。あ。また捕獲された。そう思った時には遅かった。先生が掴んだ私の手首をぐいっと引っ張る。そのままバランスを崩してよろけた私を受け止めると、膝の上に乗せた。そして、私のお腹の辺りに腕を回す。に、逃げられない……!
じたばたともがいてみるも、先生は離す気が無いらしく、腕を緩めてくれない。それどころか、抱きしめるように腕に力を込めた。クスクスと笑う先生の声が耳のすぐ近くで聞こえ、私はぞくりと身を震わせた。
「せ、先生! 離して!」
「駄目」
「私、帰るんだから!」
「帰さない」
低く囁くように先生が言う。私の顔に熱が集まった。心臓がドキドキを通り越してバクバクしている。
「一つ、良い事を教えましょうか?」
「な、何……?」
「貴女が逃げようとすればするほど、僕は貴女をこの手の中に閉じ込めておきたくなる。誰の目にも触れないように。大切な宝を隠すように……」
そう言って、先生はもたれる様に私の頭におでこを乗せた。た、宝だなんて、そんなぁ。んもぉ。しょうがない先生だ。あと少し相手をしてあげよう。私は寄りかかるように先生に体重を預けた。そして、お腹の辺りに回された腕にそっと触れる。
「じゃあ、あと少しだけね。明日、寝坊したら大変だから」
「ええ」
「明日、酔い醒まし必要そう? 朝一番で準備する?」
「いえ。僕は翌日に引きずらないので大丈夫です。ただ、叔父上とウルペスとバルトには準備してあげて下さい」
「ん! 分かった!」
三人分ね。アオイのごはんのお世話は先生とローザさんにお任せして、治癒術師見習いとしての任務を遂行しなくては!
次の日の朝早く、食堂で先生と一緒に朝ごはんを食べていると、ミーちゃんとバルトさんが私の元にやって来た。最初はバルトさん用の酔い醒ましを取りに来たのかと思ったけど、それだけじゃなかった。何と、バルトさんってば、お部屋に帰ってからミーちゃんにまでお酒を勧めたらしい。ミーちゃんはミーちゃんで、昔、お酒を飲んでいた時期もあったらしく、バルトさんに勧められるままお酒を飲んだんだとか。二人とも酔いつぶれるまで飲んで眠って、今に至るらしい。
「んもぉ! 何でミーちゃんにまでお酒勧めるの、バルトさん!」
「あまり大きな声を……出さないでくれ……。頭が……割れそうだ……」
「あにゃにゃにゃ……」
「私も……だそうだ……」
バルトさんとミーちゃん、二人揃って頭を抱えている。ミーちゃんの顔色は分からないけど、バルトさんの顔色は最悪。土気色ってやつだ。相当酷い二日酔いだな、これは。
「ごはんは? 食べられそう?」
「無理だ……。胃が……ムカムカする……」
「あにゃにゃにゃ……」
「私も……だそうだ……」
「飲み過ぎだよ、二人とも!」
「分かったから……大きな声を……出さないでくれ……」
「にゃんにゃ、にゃんにゃ……」
「そうだそうだ……だそうだ……」
「調子に乗って飲み過ぎるからでしょッ!」
テーブルに突っ伏したバルトさんとミーちゃんを怒鳴ると、それを見た先生が苦笑した。先生は昨日宣言した通り、酔い醒ましは必要無かった。今日もスッキリ爽やかな目覚めだったらしい。
「今日は病室に入院ね。バルトさんもミーちゃんも。明日から調査に出るんだから、体調万全にしないとね」
「ああ……」
「にゃにゃっにゃ……」
「分かった……だそうだ……」
大急ぎで朝ごはんを食べ終えると、アオイのごはんの準備を先生にお願いし、私はバルトさんとミーちゃんを連れて病室へと向かった。歩いて向かうのは、ミーちゃんの二日酔いが酷いせい。頭が痛くて精神集中出来ないから、お得意の転移魔法が使えなかったからだ。そうしてバルトさんとミーちゃんを病室のベッドに案内すると、一人分増えて四人分――と言っても、ミーちゃんのは一口分――の酔い醒ましを作りに研究室へと向かった。
気合を入れて作った酔い醒ましは、なかなかの臭いになった。ツンとした臭いで鼻が痛い。目もシパシパする。涙がちょっと出て来たぞ。
「はい。酔い醒まし。こっちはバルトさん用で、こっちがミーちゃん用」
「これ……本当に飲むのか……?」
バルトさんが震える手で酔い醒ましの小瓶を受け取った。ミーちゃんは、私がベッド脇のチェストの上に置いた小皿に顔を近づけ、変にむせ込んでいる。
「良く効くよ? 前に、アオイとローザさんとブロイエさんと竜王様に作ってあげたんだけど、すぐにシャキッとなってたもん」
「竜王様にまで……。よく渡したな……」
「フォーゲルシメーレさん直伝の酔い醒ましなんだから」
「フォーゲルシメーレ殿の酔い醒ましは……こんな臭い……しないだろう……」
「ん~……。確かに、ちょっと臭いよね、それ」
「ちょっとか……?」
「ちょっとだよ」
ちょっとと思っておけばちょっとだ。異論は認めない。私の酔い醒ましは、ちょっと臭いだけ。
「じゃあ、それ飲んで寝てね? お昼には起こすから」
ジッとバルトさんを見つめる。バルトさんはごくりと唾を飲み込むと、意を決した顔で小瓶を口元に持っていき、一気に中身を飲み干した。おぉ~! 良い飲みっぷり!
「これは……駄目なやつだ……」
そう言い残し、バルトさんがベッドにどさりと倒れ込む。私はそんな彼に掛け布を掛けてあげた。そして、ミーちゃんに向き直る。
「はい、ミーちゃんも」
「みゃみゃ! みゃみゃみゃっみゃ!」
「何言ってるか分からないよ? ほら、あ~ん」
「みにゃ~!」
何か叫んだミーちゃんの口に小皿の酔い醒ましを流し込み、伸びたミーちゃんをバルトさんのお隣に寝かせた。よし! 第一任務完了! 第二任務に出発! 意気揚々と病室を後にし、研究室経由で目的地に向かう。
目的地、到着! ブロイエさんが扉に掛けた魔術のお蔭であっという間だ。コンコンと扉をノックすると、間延びした声が室内から聞こえた。でも、いつもより覇気が無い。
ガチャリと扉が開き、顔を出したのはブロイエさん。今日は、ついさっきまでのバルトさんに負けず劣らずの青白い顔色。うん。やっぱり先生の言った通り、ブロイエさんにも酔い醒ましが必要だったね。
「酔い醒まし持って来たよ!」
「そ、そう……。ありがとね……」
「これ飲んで、お仕事頑張ってね!」
ブロイエさんに酔い醒ましの小瓶を手渡し、じっとその顔を見つめる。じっと。じ~っと。
「そ、そんな睨まなくても、ちゃ~んと後で飲むから」
「今飲んで」
「い、いや、あの、今は無理かなぁ、なんて……」
「何で? 二日酔い、辛いでしょ? 今飲んで」
「あは、あはは……」
「今飲んで」
「……はい」
がっくり項垂れたブロイエさんが酔い醒ましの小瓶のふたを取った。とたん、ツ~ンとした臭いが辺りに広がる。
「ぐっ! これ、前のより目と鼻にくるね……」
「ん。その分良く効くよ、きっと」
「そ、そう……」
乾いた笑い声を上げたブロイエさんが、小瓶に口を付けた。そして、一気に中身を飲み干す。
「んあぁぁぁ~!」
変に身悶えしてるけど、吐き出しはしなかった。前に作ってあげた時は、ブロイエさんとアオイには吐き出されたからなぁ。前より良い出来なんだな、きっと。
「じゃあね。お仕事、頑張ってね!」
未だ身悶えしているブロイエさんに手を振り、私は研究室経由で病室へと戻った。バルトさんとミーちゃんはぐっすり眠っている。この二人は、お部屋に帰ってから、結構長い間飲んでたみたいだし、寝不足もありそう。今日はお昼まで寝てもらって、活動は午後からだな。
この二人、明日からの調査の準備、出来てるのかな? 旅支度って大変そうだけど……。でも、ウルペスさんだって結構前から準備してたし……。バルトさんがまだ準備出来てないとか考え難いな……。そんな事をぼ~っと考えていたら、病室の扉がノックされた。
「は~い」
返事をし、扉を開けた先には、まあ、予想通りと言うか何と言うか、ウルペスさん。先生に、荷物のように小脇に抱えられている。
「ウルペス、回収してきました」
「ん。じゃあ、ベッドに座らせてね」
先生に抱えられているウルペスさんは動かない。たぶん、寝てるんだと思う。まあ、この後、酔い醒ましを飲んで寝てもらうだけだし、寝てても問題無し。ベッドに座らされ、舟を漕いでるウルペスさんの目の前に酔い醒ましの小瓶を差し出す。とたん、ウルペスさんの頭にとんがり耳が、お尻に尻尾がボンと出た。いったい何が起きたのか、二日酔いのぼ~っとした頭では理解出来なかったらしく、目を見開いたまま固まってるウルペスさんが面白い。
「あ。アイリス、貸して下さい」
手を出した先生に酔い醒ましの小瓶を渡す。ウルペスさんは未だ固まっている。これ、どうやって飲ませるんだろう? と思っていたら、徐に先生がウルペスさんの鼻を摘まんだ。そして、息苦しさで口を開けたウルペスさんの口に小瓶の中身を容赦なく流し込む。
おお。先生、慣れていらっしゃる。でも、危険だから、良い子の私は真似出来ない。
窒息なのか酔い醒ましの効果なのか、ウルペスさんが白目を剥いた。それに気が付いた先生が摘まんでいた鼻から手を離す。と、ウルペスさんがベッドにどさりと倒れ込んだ。先生がそんなウルペスさんをきちんとベッドに寝かせ、掛け布を掛ける。
白目怖い。そっとウルペスさんの瞼に触れ、目を閉じさせる。うん。これで完璧。第三任務完了だ! これにて今日の任務完遂!




