子ども 2
一月程が経ち、無事、お城の周りの雪も少なくなってきた頃、私と先生、アオイの三人は久しぶりに緩衝地帯へと向かった。
私とアオイの目的は、フランソワーズとノイモーントさんの間に生まれた赤ちゃん、ノルトリヒト君との対面。一足先に孤児院に向かった先生とは、緩衝地帯に着いてから別行動となった。
フランソワーズのお家にお邪魔すると、ノルトリヒト君がテーブル近くの窓辺に置かれた揺り籠ベッドでスヤスヤと眠っていた。ウェーブした黒髪と口元はノイモーントさんに似ていて、目元と鼻はフランソワーズに似ている気がする。おとぎ話の妖精みたいに、とっても可愛らしい赤ちゃんだ。
「うわぁ! 可愛い!」
満面の笑みで叫び、ノルトリヒト君に手を伸ばしたアオイが、そのプニプニむっちりとしたほっぺをツンツンと軽く突っついた。ノルトリヒト君がむずがるようにもぞもぞと動く。泣いちゃう? 泣いちゃうの? ハラハラとしながらノルトリヒト君を見つめる。でも、ノルトリヒト君はそんな私の気を知ってか知らずか、再びスヤスヤと寝息を立て始めた。ふと、小さな手が目に付く。
「ちっちゃい手……」
手なら触っても……。小さな小さな手を軽く突っついてみる。途端、ノルトリヒト君がギュッと私の人差し指を握った。うわぁ。こんなちっちゃい手なのに、力、結構あるんだ。知らなかった。
「力、結構あるだろ?」
フランソワーズが得意げにそう言う。私は小さく頷き、私の人差し指を握り締めるノルトリヒト君の小さな手を見つめた。しがみ付くみたいに、必死に握り締める小さな手。こんな小さな手、母親なら振りほどける訳がない。本当なら……。
胸の奥がギュッと締め付けられる。赤ちゃん、可愛いはずなのに、見ていると何だか悲しくなってくる。もしかして、私、赤ちゃん苦手……?
「お茶する時間くらいはあるんだろ?」
見ると、フランソワーズが私達のお茶を淹れてくれていた。三人でテーブルに着き、お茶を飲む。ホッと息を吐いたフランソワーズは、スヤスヤと眠るノルトリヒト君を遠目に見つめ、優しげに微笑んでいた。
穏やかに微笑むフランソワーズは、母性に満ち溢れ、柔らかい空気を纏っていた。赤ちゃんを産んでから、フランソワーズの雰囲気が少し変わった気がする。前はお父さんっぽかったのに、今ではすっかりお母さんっぽくなっている。
「すっかりお母さんって感じになったね、フランソワーズ」
アオイがそう言うと、フランソワーズの頬がかぁっと赤くなった。こういう反応は前とちっとも変わらないのに……。
「そりゃ、子ども産めば、母親になるのは当たり前だ!」
「そうなのかなぁ? ねえ、お母さんになるってどんな感じ?」
アオイが頬杖をつきながら尋ねると、フランソワーズが難しい顔で考え込んだ。
「何よりも、子どもが一番大切になった気がする」
「何よりも? ノイモーントよりも赤ちゃんの方が大事?」
「それは……。別枠と言うか、何と言うか……」
「別枠? よく分かんないよ」
「子どもは守りたい存在だけど、旦那は何か違うし……。アオイも子どもが出来れば分かるんじゃないか?」
丁度その時、ノルトリヒト君が泣き出し、フランソワーズがノルトリヒト君の元へと向かった。そんなフランソワーズの背を見つめ、アオイが小さく溜め息を吐く。アオイ、子ども好きだから、赤ちゃん、早く欲しいんだろうな……。私は……どうなんだろう……?
先生と結婚はしたい。でも、子どもが欲しいかと聞かれると……。しばらくは二人っきりの生活が良いかなぁ……。お母さんになるの、何だか怖いし。あんなに小さくて弱い存在を守る自信が無い。それに、手に負えなくなったら逃げたくなりそうだ。だって、私は母さんの子だから。私を捨てた母さんの……。
でも、先生との子どもだったら、可愛がれる気もする。それに、手に負えなくなっても、心強い味方もいる。ローザさんとブロイエさん。きっと、二人なら助けてくれる。でも――。
悶々とそんな事を考えながら、アオイと二人、他愛ない話をしつつ孤児院へと向かった。孤児院は現在も工事中。建物の周りの足場もまだ取れない。ただ、内装はほぼ完成した。
元々あった孤児院の建物を改修して寮に、寮から続く建物を新たに建造して校舎にする予定で工事は進んでいる。校舎の方の工事も半分ほど終わっている。この調子でいけば、来年にはここを寄宿舎として機能させる事が出来るだろう。その時、先生はここに住み込む事になるけど、全く会えなくなる訳じゃない。ここに来ればいつでも会えるし、お城にだって来る機会は多いらしいから、寂しくなんてない。毎日会えなくなったって……。
玄関のすぐ隣の部屋がサクラさんとヒロシさんのお部屋だ。二人の部屋の居間が寮の受け付けも兼ねていて、玄関ホールとは小さな窓で繋がっている。そんな小窓をアオイがコンコンとノックすると、少し間を置き、ヒロシさんが小窓から顔を覗かせた。そして、アオイの顔を見て嬉しそうに笑う。久しぶりに会えたから、嬉しさ倍増って感じ?
「こっちに来てたのか。昼飯、食べたのか?」
「ううん。まだ」
「なら、食堂で食べて行くと良い。手が空いたら父さんも行くから」
「うん」
アオイが満面の笑みで頷き、食堂へと足を向ける。私もその後に続いた。食堂が近づくにつれ、ガヤガヤと賑やかな声が聞こえてくる。建物の中は変わっても、この雰囲気は変わらない。何だかホッとするなぁ。
「こんにちはぁ!」
アオイが挨拶をしながら食堂の扉をくぐると、その姿を見た子達がわらわらと集まってきた。一緒にごはんを食べようと、あっちこっちからお誘いの声が掛かる。アオイ、大人気だ。
取り囲む子達を見て、今日一緒に食べるグループをアオイが決める。不公平にならないように気を遣っているらしく、毎回、一緒に食べるグループは変わる。こういうところ、とってもアオイらしい。
そうして一緒にごはんを食べるグループが決まると、私達はカウンターへと向かった。カウンターで隔てられたキッチンでは、サクラさんとミーナがせかせかと忙しそうに働いている。今日もミーナは孤児院を手伝ってくれているらしい。自分の家の家事だってあるだろうに。大変じゃないのかな? そんな事を考えながらボーっとミーナを見ていると、バチッと目が合った。ふわりとミーナが笑う。
「聞いたわよ、アイリス」
トレーに乗ったごはんを持って来てくれたミーナが口を開いた。私が首を傾げると、ミーナがちょいちょいと手招きをする。不思議に思いつつ、私は顔を近づけた。
「ラインヴァイス様と将来、結婚するんですって?」
耳打ちされた内容に、私の頬がかぁっと熱くなった。
「おめでとう」
「あ、あり、ありがと」
動揺して噛んでしまった。恥ずかしい。更に私の頬が熱くなる。と、そんな私を見て、ミーナがクスクスと笑った。
「新居はこっちに建てるの? それとも、竜王城に住むの?」
「まだ、そこまで決まってないよ。ず~っと先の話だもん。それより、その話、ヴォルフさんにでも聞いたの?」
「そうよ。うちの人、自分の事みたいに大はしゃぎでね、みんなに自慢してたわよ。まあ、言わなきゃ良い人にまで言うのはどうかと思ったけど。それだけ嬉しかったみたいね」
「も、もしかして、みんな知ってるの?」
「知らない人、いないんじゃない?」
「そ、そっか……」
何だろ。凄く恥ずかしい。そりゃ、隠すのも変だし、いつかはみんなに報告しなきゃとは思ってたけど……。あぁ~! 恥ずかしい。どこかに隠れて小さくなってたい!
「あ、そうだ。もうアクトに会った?」
「アクト? ううん。会ってない」
会いたくもない。意地悪されるの、目に見えてるもん。避けられる意地悪は、避けて通りたい。
「そっか。会ったら少し、話聞いてあげてくれない?」
「えぇ~! 何でぇ!」
「そんな、露骨に嫌そうな顔しないの。あの子もあの子なりに、色々考えたんだから。仲良くしてあげて?」
「嫌だよぉ。アクト、意地悪だもん」
「苦手意識は、そう簡単には抜けない、か……。まあ、無視だけはしないであげて?」
「は~い……」
渋々頷き、ごはんを受け取る。そして、アオイと一緒にテーブルへと向かった。そうしてごはんを食べ終わり、サクラさん達のお部屋にお邪魔してお茶をする。今日のお茶菓子はサクラさんの手作りクッキーだった。ごはんはしっかり食べたけど、甘いものは別腹! もしゃもしゃとクッキーを食べつつ、アオイとサクラさんのお話を聞く。お話の内容は子どもの事。リリーにも子どもが出来たとか、それが羨ましいとか、サクラさんもなかなか子どもが出来なかったとか。子どもの事はひとりで悩んでも仕方ないから、旦那様である竜王様に相談しなさいとか。
そうだよね。子どもの事は、アオイひとりで悩んでいても仕方ないもんね。竜王様だって当事者だもん。二人できちんとお話し合いをした方が良い。私も、赤ちゃん苦手かもって、先生に相談してみようかな……。
お茶の後、アオイは孤児院のお仕事を手伝うからって、私は自由時間になった。さて、ノイモーントさんの所に行って勉強を見てもらうか、それとも、フォーゲルシメーレさんの所に行って、良さげなお薬の作り方を教えてもらうか……。う~ん……。よし! 今日はフォーゲルシメーレさんの所に行こっと!
フォーゲルシメーレさんのお家に向かうと、その庭の薬草園――と言っても、ちょっと大きな花壇くらいの大きさしかない――の前に、しゃがみ込む後ろ姿が見えた。あの後姿! アクト! 思わず足を止める。
どうしよう。やっぱり、今日はノイモーントさんの所に行こうかな……。アクトがこんな所にいるなんて想定外だった。分かってたら、迷わずノイモーントさんの所に行ったのに。
と、アクトがふと顔を上げ、こちらを振り向いた。思わず、ビクッと肩が震える。
「アイリス! 久しぶりじゃん! 師匠に用か?」
「し、師匠……?」
師匠って何? 師匠の意味は分かるけど、アクトが師匠と呼ぶ人に心当たりが無い。と、アクトがニカッと笑った。
「フォーゲルシメーレ様。用なんだろ?」
「う、うん……。アクト、フォーゲルシメーレさんに弟子入りしたの……?」
「おう! まあ、俺、頭悪いから、薬師になるのは諦めてるけどな。薬草育てるくらいなら出来るかなって」
「薬草屋さんにでもなりたいの?」
「ああ、そうだな。ここには師匠も、治癒術師のアイリスもいるし。まあ、アイリスはまだ見習いだけどな!」
「すぐ一人前になるもん!」
そうやって、すぐに意地悪言うから、アクトは嫌いなんだ。フンとそっぽを向き、フォーゲルシメーレさんの診療所へと足を向ける。と、アクトが叫んだ。
「薬草必要になったら、俺んとこ来いよぉ! どんなんでも育ててやるからぁ!」
どんなのでも、ねぇ……。薬草の中には特定の環境下でしか育たないのとか、温度と湿度と水の管理が面倒なのとかあるの、分かってて言ってるのかな? 竜王城にある農園みたいに室内なら管理しやすいだろうけど、ここじゃ管理が大変、と言うか、出来ないんじゃないんだろうか?
フォーゲルシメーレさんの薬草園は、この辺に自生する薬草や管理しやすい薬草ばかり。それだって、フォーゲルシメーレさんとリリーだけじゃ大変だってぼやいて――。はっ! そうか! アクトを弟子に取ったのは、薬草園の管理が大変だからか。そうかそうか。そういう事か。
ひとり納得しながらフォーゲルシメーレさんの診療所の扉を開くと、今日は珍しく、フォーゲルシメーレさんがカウンターの中の席に座り、分厚い本を読んでいた。私に気が付いたフォーゲルシメーレさんが本から顔を上げる。
「おや、アイリス。今日は薬学の勉強ですか?」
「ん。良さげなお薬の作り方、教えて下さい」
「良さげ、ですか。これまたザックリとしてますねぇ……」
フォーゲルシメーレさんが顎に手を当て、ふむと考える。そして、今まで読んでいた本のページをパラパラと捲り始めた。カウンターの傍に寄ってそれを見守っていると、フォーゲルシメーレさんがあるページを開き、私の方に向けた。
「これなどどうです?」
何々……。酔い醒まし? ふんふん。二日酔いに効く薬ね。
「城には酒を嗜む者も多いですからね。需要はあるはずですよ」
「ん。じゃあ、これにする」
「では、早速取り掛かりましょうか」
「ん!」
診察室の奥にある調剤室に向かったフォーゲルシメーレさんの後に続く。そうして酔い醒ましの作り方を教えてもらい、それが終わると、フォーゲルシメーレさんが居間でお茶を淹れてくれた。アクトも休憩になるらしく、フォーゲルシメーレさんが外へと呼びに行く。と、二階から青白い顔をしたリリーが下りて来た。寝間着にガウンを羽織った格好で。
「久しぶりね、アイリス」
自分の分のお茶を淹れつつ、リリーが笑う。でも、その笑顔はあまり元気がありそうとは言えなかった。
「ん。久しぶり。リリー、赤ちゃん出来たんだって? おめでと」
「ええ。ありがとう」
「もしかして、つわり、酷いの? 顔色、とっても悪いけど……」
「少し、ね……」
リリーが席に着く。と、丁度、アクトを呼びに行っていたフォーゲルシメーレさんが戻って来た。アクトも少し遅れて居間に入って来る。
まさか、こうしてアクトとお茶をする日が来るとは。変な感じ。何だか落ち着かない。お茶を飲みつつ、あっちを見たり、こっちを見たり。
「あ。アイリス、今日の授業料ですが――」
お茶を一口飲んだフォーゲルシメーレさんが、思い出したように口を開く。
「リリーに体力回復の術、かけてもらえませんか?」
「中級ので良い? 上級のは、まだ習得してないから」
「十分です」
「吐き気治す術も使えるけど、それもついでにかける?」
「それは治癒系では?」
「ん。そう」
「子に影響がありますので、そちらは無しで」
この後お茶をしながら、何で妊婦さんに治癒系の術を使ったら駄目か、フォーゲルシメーレさんが解説してくれた。妊婦さんの場合、術がかかるのは母体だけじゃなく、お腹の子どもも含まれるんだとか。元々、体力が少ない赤ちゃんに治癒系の術をかけると、それだけで衰弱死なんて事もあるらしい。だから、妊婦さんや赤ちゃんに治癒系の術をかけるのは禁忌なんだとか。
治癒系の術が患者さんの体力を消耗するのは分かってたけど、妊婦さんや赤ちゃんに使ったらいけないなんて知らなかった。今後、色んな人を診る機会があるだろうし、これは覚えておかなければ!




