決断 4
「駄目だよ、ラインヴァイス。話し合いはまだ終わってない」
私の前にしゃがみ込んだままのブロイエさんが静かにそう言った次の瞬間、先生が不自然な体勢で動きを止めた。見ると、先生の足元に魔法陣が浮かび上がっていた。あれも空間操作術の一つ、動きを止める系統の魔術だろう。
私はベンチから慌てて立ち上がって先生に駆け寄ると、その手を両手でギュッと握った。ビクッと、先生が小さく震える。でも、乱暴に振り払ったりはしない。先生が本気で振り払おうと思えば、私の手なんて軽く振り払えるんだと思う。でも、それをしないあたり、どんな状況でも先生は先生だ。
「離して、下さい……」
「嫌! まだお話、終わってないもん!」
先生をぐいぐい引っ張り、ベンチに戻る。先生の足取りは重い。でも、本気で抵抗したりはしない。私はベンチに腰を下ろすと、先生の手を引っ張った。先生が諦めたようにベンチへと腰を下ろす。
「あのね、先生。私、さっき、先生の事、好きって言ったでしょ? その好きはね、先生の好きと同じなの! 私、先生の事、特別好きなの。ず~っと、先生は私の特別なの!」
「特別……」
「そう! 私、先生が誰よりも好き。だってね、先生は私を雪狼から助けてくれて、魔術を教えてくれて、いつも優しくしてくれるんだもんっ」
そう言って、にんまり笑ってみせる。でも、先生は笑ってくれない。目を伏せ、首を横に振った。
「それは、恩義を好意と勘違いしているだけ――」
先生が言い終わらないうち、ブロイエさんがすっくと立ち上がった。そして、先生の目の前に立つと、その脳天に手刀を落とす。ゴスッと良い音がした。
「いっ……!」
流石の先生でも、今のは痛かったらしい。頭を両手で押さえ、俯いた体勢で小さく震えている。
「今の発言は取り消しなさい。アイリスの気持ちは、君が決めつけて良いものじゃない!」
そこまで言って、ブロイエさんはふぅと溜め息を吐いた。そして、先生の前に屈み込む。
「確かにね、ラインヴァイスの言う事も分からなくはないよ? でもね、アイリスは人族なんだから、良い意味でも悪い意味でも心変わりする。好きだと言ってくれている今が好機だとは考えられない? あ~だこ~だ考え過ぎて後ろ向きになるの、君の悪い癖だよ。せっかく考えるなら、僕みたいに前向きに。ね?」
「ラインヴァイス様に足りないのは、当たって砕けろ精神。当たる前から砕け散っててど~すんの」
「そう、ですね……」
ウルペスさんの言葉に頷いた先生が小さく笑う。おぉ。先生がいつもの先生っぽくなった!
「アイリスに渡したい物があるのではないか? さあ、今すぐ渡すが良い!」
そう言った兄様の言葉に、先生が私と兄様を見比べた。そして、俯きながら口を開く。
「あの……出来れば、二人きりが……良い……かと……」
「そう言って、渡さぬつもりだろう!」
「いや、普通に恥ずかしいだけですよ」
うん。私もウルペスさんの意見に賛成。先生の顔と言うか耳と言うか、仄かにだけど赤くなってるんだもん。
「ちゃんと渡すって約束するなら、僕たちは中に入るけど? 大丈夫そう?」
先生の顔を覗き込んだブロイエさんがそう尋ねる。すると、先生が小さく頷いた。
「んじゃ、行こうか二人とも」
「へ~い」
「何! 僕は最後まで見届けるぞ!」
「君って子は……。ホント、誰に似たんだろうねぇ……」
溜め息交じりに呟いたブロイエさんが、兄様の右手を取った。そのままブロイエさんに引っ張られた兄様が、抵抗するように両足に力を入れて踏ん張る。
「父上だって気になるだろう! あ! こら、ウルペス! 引っ張るでない!」
ウルペスさんが兄様の左手を取り、そのまま二人掛かりでズルズルと兄様を引きずって行く。兄様はギャーギャー騒いでいるが、だんだんその声も遠くなっていった。そして、辺りがシンと静まり返る。何か、嵐が過ぎ去った後みたいだ。
「あの、アイリス……?」
呼ばれて先生を見る。すると、先生が深々と頭を下げた。
「まずは、謝らせて下さい。貴女の気持ちも考えず、身勝手な行動を取り、挙句に暴言まで……。すみませんでした……」
「暴言?」
はて? 暴言って何だ? 先生に暴言なんて吐かれたっけ? 心当たりが無くて、思わず首を傾げる。
「貴女の好意を否定するような事を……」
ああ。あれか! やっと思い当たって、私はポンと手を打った。
「ん。良いよ!」
「本当に……?」
先生が僅かに頭を上げ、上目遣いでこちら見る。私は大きく頷いた。
「ん! あ。でも、明日、ちゃんと一緒に帰ろうね? 勝手にひとりで帰らないでね? お仕事が忙しいならしょうがないけど――」
「一緒に帰りましょう。いえ。一緒に帰らせて下さい」
「ん!」
良かったぁ。これで一安心。私がニッと笑うと、先生も顔上げ、フッと小さく笑った。と思ったら、先生は目を伏せ、小さく溜め息を吐いた。
「幻滅、しませんでしたか……?」
「幻滅? 何で?」
「僕は決して、強い人間ではありません。不安に駆られれば逃げたくなり、苦手な事は極力避けて通ろうとします……。ですから……」
「ん~……。あのね、私ね、前に、ミーナに聞いた事があるの。好きと憧れってどう違うのって。私の気持ちは、いつも優しい先生に憧れてるだけなのか、本当に好きなのか分からなくなって。そしたらね、ミーナ、言っての。ありのままを受け入れられるのが好きって事じゃないかって。でもね、聞いた時はいまいちピンと来なかったんだ。だってね、先生の欠点とか嫌な所とかが思い付かなかったから。けどね、今ならちゃ~んと分かるよ。私、先生の事が好きだから、そんな事で幻滅したりしないよ。そういう所も含めて、先生が好き!」
「……っ!」
先生が片手で口元を押さえ、そっぽを向いてしまった。あれ? 私、変な事、言った? 思わず不安になったけど、すぐにそれは杞憂だって分かった。だって、先生の耳、赤くなってるんだもん。照れてる先生、ちょっと可愛い。くふふ。
「ねーねー、先生? 兄様が言ってた、渡したい物って? なぁに?」
良い物? 良い物? ワクワクしながらそう尋ねると、先生がハッとしたようにこちらを見た。と思ったら、一瞬、視線を彷徨わせた。
「それは……その……特別な意味がある物で……」
「特別? どんな意味?」
「あの……将来……んを……と……く……し、です……」
「先生、何言ってるか聞こえないよぉ!」
「将来、婚姻を結ぶという、約束の証……です……」
婚姻……。婚姻って、結婚するって事? 私と? 先生が? 驚き過ぎて言葉が出ず、私は目をぱちくりと瞬かせた。
「嫌、ですか……?」
嫌だなんてとんでもない! する! 結婚する! 先生と結婚したい! フルフルと必死に首を横に振ると、先生がくすりと笑った。
「では、これを。約束の証として」
そう言って、先生が差し出したのは時を知らせる魔道具だった。ず~っと、良いなぁ、欲しいなぁって思っていた金色の魔道具。おずおずと手を伸ばし、それを受け取る。
「長年使っていた物は、所有者の魔力を受け、マジックアイテムと化すと言われています。僕の魔力を受け、それがどのような変質をしているのかは、実際、僕にも分かりません。ただ、いつかきっと、貴女の助けとなるはずです」
「ありがと、先生。これ、大事にする。宝物にする!」
「ええ。そうしてもらえると嬉しいです」
魔道具のポッチを押し、蓋を開いてみる。ず~っと前に見た記憶の通り、一本の針がせわしなく動き、残りの二本はパッと見、動いていない。
「実を言うとね、これ、ず~っと欲しかったの。だからね、毎月、お小遣い貯めてたんだよ」
微かに音を鳴らしながら時を刻んでいる魔道具を見つめながら口を開く。見方なんて分からない。けど、見ているだけで面白い。
「ああ……。自分で買おうと思っていたのですか。買う前に渡せて良かっ――」
「違うよぉ! 先生のが欲しかったの。これが欲しかったの!」
「古い物なのに?」
「ん。古くっても良いの。だってね、先生が使っていた物だから。お金をいくら払っても欲しいって思ったの。だからね、コツコツ貯めてたんだよ、先生貯金!」
「先生貯金?」
「そう! 先生の時を知らせる魔道具を譲ってもらう貯金。略して先生貯金!」
えっへんと胸を張ってそう言う。すると、先生がクスクスと笑った。何か、やっといつもの先生に戻った感じ。良かったぁ。
「あのね、先生。私、お返ししたい。先生貯金、せっかく貯めたし。時を知らせる魔道具って、やっぱり高い?」
「そうですねぇ……。ピンキリではありますけど、決して安くはありませんね。因みに、どれくらい貯めたんです?」
「ん~……。金貨にすると、二十枚くらいかなぁ? もう少しあるかなぁ?」
「十分過ぎるほどですね……。それより、その貯金、小遣いをほどんど使わずに貯めてません? 金額的に」
「そうだよ! だって、先生の魔道具、どうしても欲しかったんだもん!」
私がにんまり笑いながら頷くと、先生が微笑みながら私の頭に手を伸ばした。そして、優しく頭を撫でてくれる。
「では、せっかくなので、好意に甘えさせてもらいますね」
「ん! 素敵なのが見つかると良いなぁ」
「そこまで手持ちがあれば、特注だって出来ますよ、きっと」
「ホント? じゃあ、お揃いが良い! 特注でお揃いにしてもらう!」
「城に帰ったら、商業区の魔道具屋に行ってみましょうか?」
「ん!」
わ~い。お城に帰ってからの楽しみが出来た。お揃いの魔道具、早く作ってもらいたいなぁ!




