決断 3
ブロイエさんのお話の後、先生が席を立った。私も、慌ててお芋のプティングを口に掻き込み、お茶を飲み干すと席を立つ。そして、先に食堂を出た先生を追うように食堂を後にした。
食堂を出ると、先生が腕を組み、壁にもたれていた。私の姿を見とめた先生が壁から背を離し、私の元へとやって来る。
「行きましょうか?」
そう言って、先生は白手袋を取り、私に手を差し出した。思わず、そんな先生の手を凝視してしまう。
「アイリス?」
はっ! 先生が手袋を取るのが珍しいからって、ついついぼーっと見てしまった。私が慌てて先生の手を取ると、先生がゆっくりと歩き出す。
「め、珍しいね」
「何がです?」
「手袋。外すの、久しぶりに見たなぁって」
「そうですか?」
「ん。私がお城に来たばっかりの頃は結構外してたけど、最近は全然外してないよ」
「そうかもしれませんね……」
先生が素っ気無い。私、もしかして、気が付かない間に何かやっちゃったのかな? これからお説教だったりして。それは嫌だ。
「あ、あの、先生? どこ行くの?」
「どこでも。ゆっくり話が出来る所なら」
本当に素っ気無い。どうしよう。ああ、どうしよう!
「お、お庭に出る? それとも、サロンにする? あとは――」
「庭に出ましょうか?」
そうして私達は庭へと足を向けた。玄関を経て外に出る。頬を突き刺すように冷たい空気。吐いた息は白い。でも、繋いだ手だけは温かい。
「冷えますね」
「ん」
こくりと頷く。すると、先生が立ち止まり、繋いでいた手を解くとマントを取った。そして、私の頭からすっぽりと被せる。
「先生、寒くない?」
「ええ」
頷いた先生が再び手を差し出す。私がその手を取ると、先生がゆっくりと歩き出した。私の歩調に合わせるように。
そう言えば、前にも、先生にマントを借りた事があったな。あれは確か……お披露目の時だ。あの時は、引きずっちゃうからってすぐに返したんだ。そしたら、先生ってば、上着を貸してくれようとして。先生が寒いからって断ったら、先生、凄く困った顔をして……。それで、二人でベンチに座って、私が先生のお膝の上に乗って……。今考えると、凄く大胆な行動してたな、私。思い出したらちょっと恥ずかしくなってきた。
「……あのベンチに座りましょうか?」
先生が目で指したのは、庭の隅っこにあった白い木製ベンチだった。背後に大きな木と生垣を背負うように置いてあるそれは、昼間だったら木陰になって、のんびりお昼寝でもして過ごすには良さそうな場所。夜の今はただのベンチだけど、まあ、ゆっくりお話しするには丁度良いのかもしれない。
二人でベンチに腰を下ろす。と、先生が深呼吸を一つした。
「先生?」
「申し訳ありませんが、僕は今夜、竜王城に帰ります」
何で急に……。明日、みんなで一緒に帰るんじゃないの? ……はっ! そうか! 先生、お仕事があるんだ。竜王様に城壁の切れ目の件を報告して、今後の対応策を考えて……。忙しんだ、きっと。
「お仕事なら仕方な――」
「貴女はこの屋敷に残って下さい」
「ん。それで、明日、ブロイエさん達と一緒に帰れば良いんでしょ?」
「いえ。そうではなく、貴女はこの屋敷で暮らして下さい。正式に叔父上の養女となって」
「……え?」
頭が真っ白になった。先生は今、何て言った? 養女? この屋敷で暮らす? じゃあ、私、竜王城に帰れないの? もう、先生と一緒に過ごせないの?
「……やだ……」
「聞き分けて下さい」
「嫌だッ!」
何で? どうして? じわりと目に涙が滲み、先生の姿がぐにゃりと歪んで見える。
「な~んでこんな決断するのかねぇ……。ホント、理解に苦しむわぁ……」
突然、すぐ近くからウルペスさんの声が聞こえ、私の肩がビクリと震えた。慌てて滲んだ涙を袖で拭う。
「みんながみんな、君みたいには生きられないんだよ、ウルペス」
今度はブロイエさんの声。辺りを見回してみても、二人の姿は無い。これは……?
「いやいやいや。ブロイエ様にだけは言われたくないんですけどぉ」
「僕から言わせれば、どっちもどっちだ」
兄様も一緒にいる……? でも、どこに……? 月明かりがあるから、闇に紛れられる程暗くはないし……。見ると、先生も戸惑った顔をしていた。
「いつから……?」
呟いた先生が目を向けた先には何も無い。と思った瞬間、すぅっと三人の姿が現れた。これはたぶん、ブロイエさんの空間操作術だな。姿を認識させづらくする類の魔術だろう。
「もちろん、初めからだけど?」
そう答えたのはウルペスさん。にこりと笑った彼だけど、その目は全く笑っていない。もしかしなくても、怒ってる?
「君に決断を迫ったのは僕とウルペスだけどさぁ……。いくら切羽詰まってるからって、これは駄目でしょ~」
話が見えない。理由も分からない。でも、先生が私をここに置いてお城に帰るという決断を迫ったのが、ウルペスさんとブロイエさんらしい事は分かった。キッと二人を睨む。すると、兄様が苦笑した。
「アイリス。何か勘違いしているようだが、これはラインヴァイス兄様自身が下した決断だ。父上とウルペスを恨むのは筋違いだぞ?」
「でも! ブロイエさんとウルペスさんが迫ったんでしょ!」
二人が迫らなければ、きっと、先生はこんな決断はしなかったはずだ。そう考えると、元凶はブロイエさんとウルペスさん。悪いのはこの二人だ!
「うん。確かに僕達が決断を迫った。このままじゃ駄目だって。どうしたいのか、どうするのが最善なのか考えなさいって」
ブロイエさんが困ったように眉を下げ、私の前にしゃがみ込んだ。そして、よしよしと私の頭を撫でる。でも、こんな事でご機嫌なんて取られてあげない!
「俺らもまさか、ラインヴァイス様がここまでアイリスちゃんの気持ちをガン無視した決断をするとは思わなかったんだよ」
そう言ったウルペスさんは、ジトッとした目で先生を睨んだ。先生がその視線に耐えられないと言うように俯く。
「……私をここに置いて行きなさいって、二人が言ったんじゃないの?」
私の問いに、ブロイエさんが緩々と首を横に振った。
「いんや。だって、アイリスはそれを望まないでしょ?」
「ん……。私、今まで通り、お城で暮らしたい……」
そりゃ、ここには兄様だっているし、アベルちゃんだってここで暮らす事になったし、寂しい思いをする事は無いだろう。毎日楽しく遊んで暮らせると思う。でも、私は――。
「のう、アイリス? お前は何故、城での生活に拘る? ここで暮らしても、治癒術師になる事は可能だと、以前にもそう言ったはずだ。治癒術師になって、ラインヴァイス兄様の目を治したいという理由だけではないのだろう? もっと他に理由があるのだろう?」
そう言ったのは兄様。腕を組み、真剣な顔で私を見つめている。きっと、兄様は私を試している。答え如何によって、私の味方になってくれる。でも――。ちらりと横目で先生の顔色窺う。先生は顔を伏せたまま、口を引き結んでいた。
「私……私は……」
心臓がバクバクする。口の中がカラカラで、上手く言葉が出てこない。たぶん、この気持ちを口に出したら、先生と今まで通りって訳にはいかないと思う。そう考えると、言うのが怖い……。
「ラインヴァイス兄様は、お前をここに置いて行くという決断をした。どう足掻いても、今まで通りの関係には戻れないと、お前にも理解出来るだろう?」
そうだ。兄様の言う通りなんだ……。先生は私をここに置いて行こうとした。私が気持ちを言っても言わなくても、元々、元通りになんてなれないんだ。だったら――。
「私は先生が好きなの! だから、ず~っと一緒にいたいの!」
言った。言ってしまった。これでもう、先生と元の関係に戻るのは不可能なんだ。そう思うと、自然と涙が滲んできた。と、先生が繋いだままになっていた手をギュッと強く握った。
「貴女の好きと僕の好きとでは、その意味が違います……!」
絞り出すような声で、先生がそう答える。と、盛大な溜め息が聞こえた。そして、その溜め息の主、ウルペスさんが口を開く。
「ヘタレ野郎は少し黙ってろ」
「ヘタ――!」
「ヘタレだろうが。アイリスちゃんときちんと向き合おうともせず、逃げてばっかりで!」
ウルペスさん、本気で怒ってるっぽい……。口調がいつもと違う。前みたいに、先生の事、ぶたないでよ? ハラハラとしながら事の成り行きを見守っていると、こっちを向いたウルペスさんと目が合った。すると、ウルペスさんがにこっと笑う。いつも通りの行動が、今は逆に怖い。
「ねえ、アイリスちゃん?」
「は、はい……」
「アイリスちゃんって、せんせーに、お洋服、もらった事あるでしょ?」
この状況で猫撫で声って不気味だ。ウルペスさんの変な迫力に押され、こくこくと必死に頷く。
「他には何、もらった事がある?」
「えっと……お部屋に置いてある雑貨類とか香油とか……」
「他には?」
「魔力媒介の杖とか……リボンとか……護符のブローチとか、髪飾りとか……」
「ほう……。行動では、そこまで気持ちを示しておったのか」
兄様が感心したように呟く。すると、ウルペスさんがやれやれと溜め息を吐いた。
「アイリスちゃんが何も知らないからこそですよ。分かっていないなら、受け取ってもらえないなんて事はないですからね」
「ふむ……。それもそうか……」
納得したように、兄様がほうほうと頷いている。でも、私は頷けない。いったい何の話?
「あの、私、よく分かんない……」
「だよねー。せんせーは教える気なんて、さらさら無かったみたいだからねー」
「良いだろう! ラインヴァイス兄様に代わって、兄であるこの僕が代わりに教えてやろう! アイリス、心して聞くが良い!」
兄様がバッと両手を広げ、高らかに宣言する。私はそんな兄様に頷いて見せた。
「服や装飾品を贈る行為は、魔人族、特に我々ドラゴン族を含めた獣人種にとっては求愛行動なのだ。人族にもあるだろう。想い人に香油を贈る習慣が。それと同じ意味合いだ!」
そっか。香油を贈るのと同じなのか。ふ~ん。……ん? んん? 思わず兄様と先生を見比べる。兄様は不敵に笑っていた。先生は唇をわなわなと震わせている。繋いだままの手も震え――。
突然、先生が繋いでいた手を解き、ベンチから立ち上がった。そして、私達に背を向ける。まさか、このままお城に帰っちゃう? 私、まだ先生に言いたい事あるのに!
「待っ――!」
咄嗟に伸ばした私の手は、虚しく空を切った。




