登用試験 1
次の日、朝の支度を終えて食堂に行くと、既に兄様とアベルちゃんが席に着いていた。お向かいに座り、仲良くお話している。
珍しい事もあるものだ。兄様が一番乗りだなんて。兄様って朝が弱いのか、いつも最後で、カインさんが呼びに行ってやっと来るのに。今日はアベルちゃんがいるせい? そう思いつつ、席に着く。
カインさんが出してくれたお茶を飲みつつ他のみんなを待っていると、バルトさんとミーちゃんがやって来た。そして、しばらくするとウルペスさんもやって来た。
おかしい。私は正面の空席を見つめた。ここは先生の席。いつもなら誰よりも早く起きて、席に着いて待っている先生がまだ来ていない。寝坊? 先生が? いつもとは違って、夜遅くまでお仕事をしている訳じゃ無いのに。昨日だって誰よりも早くお部屋に帰って、夜更かしなんてしてないはずなのに……。
空席に気が付いたカインさんが、兄様に何事か耳打ちをし、食堂を後にする。たぶん、先生を呼びに行ってくれたんだと思う。カインさんに任せておけば大丈夫。
と思っていたのに、カインさんは独りで戻って来た。困り顔で、兄様に耳打ちをする。と、兄様が難しい顔で口を開いた。
「ラインヴァイス兄様は、朝食はいらないそうだ。我々だけで頂こう」
そう言った兄様の言葉に応えるように、使用人さん達が朝ごはんを運んで来てくれる。先生、具合悪いのかな……? 後で様子見に行ってみようかなぁ……。
朝ごはんを食べ終わり、登用試験開始の時間が近づいても、先生は姿を見せなかった。兄様とカインさん、アベルちゃんは、そんな先生を気にしつつも登用試験の準備へと向かった。私とウルペスさん、バルトさん、ミーちゃんの四人はサロンで寛ぎつつ、登用試験の始まりを待つ。
先生、どうしたんだろう? ん~……。やっぱり、具合悪いのかなぁ?
「先生、大丈夫かなぁ?」
私がそう口にしたとたん、ウルペスさんが凄い勢いでこちらを向いた。そんなウルペスさんに首を傾げてみせる。
「何?」
「え、いや、大丈夫って、どういう意味なのかなぁって……」
「意味って? 具合悪いんじゃないのかなぁって思ったんだけど……」
具合悪いなら、早めに治療した方が良いと思う。その方が断然、治りが早いもん。と思ったのに、ウルペスさんが苦笑しながら口を開いた。
「何か、アイリスちゃんらしくて安心したわぁ。ラインヴァイス様、たぶん具合悪い訳じゃ無いから、心配しないで大丈夫だよ」
「本当?」
「うん。ホント、ホント。でも、今はそっとしておこうか?」
「ん」
「ウルペスは何か心当たりがあるのか?」
そう言ったのはバルトさん。膝の上で寛ぐミーちゃんの背を撫でつつ、不思議そうな顔でウルペスさんを見ている。と、ウルペスさんが深い溜め息を吐いた。
「バルトさんは、他の部族についてもっと学んで下さい。と言うか、他人にもっと興味を持って下さいよ」
「善処する」
「お願いしますよ、ホント……」
ウルペスさんが再び深い溜め息を吐いた丁度その時、サロンの扉がノックされた。扉を開いたのは、お屋敷の使用人さんの一人。その後ろには――。
「ブロイエさん!」
私は思わず立ち上がり、サロンに一歩足を踏み入れたブロイエさんに駆け寄った。すると、ブロイエさんが凄~く嬉しそうに笑いながら両手を広げる。そんなブロイエさんの手が届くか届かないかという位置で私が急停止すると、ブロイエさんの腕がスカッと空を切った。
「ありゃ~。残念! その場のノリと勢いで、飛び込んで来てくれると思ったのに~」
「それはまた今度! それより――」
「え! 今度があるの? いついつ?」
「そのうち! それよりも――」
「そのうちかぁ。そのうちって、近いうち?」
「そのうちはそのうち! それよりね、せ――」
「僕はいつでも準備万端だからね!」
「んもぉ! お話聞いてよ、ブロイエさん! 先生が大変なの!」
「ん? ラインヴァイス?」
ブロイエさんが不思議そうに首を傾げる。そして、私の後ろを見た。そこにはもちろん、先生の姿は無い訳で……。
「いないなんて珍しいねぇ」
「朝から、お部屋に篭ったきりなの! 朝ごはんも、いらないって食べてないの!」
「そっか。具合悪いとか?」
「ん~ん。ウルペスさんは違うって……」
「ふ~ん。ウルペス」
ブロイエさんがウルペスさんを手招きする。と、ウルペスさんが「へいへい」と返事をしながら、ソファから立ち上がった。
「アイリスはここで待っててね。ちょっと様子見てくるから」
「私も行く!」
「もうすぐ登用試験が始まるでしょ? アイリスが来るって、せっかくスマラクトが張り切って準備したんだから、最初から見てあげてよ?」
「でもぉ……」
「大丈夫。ちゃ~んとラインヴァイス引っ張って行くから。ね?」
「ん……」
小さく頷いた私の頭を、ブロイエさんがよしよしと撫でる。そうしてブロイエさんとウルペスさんの二人はサロンを出て行った。むくれながらソファに戻り、しばらくするとカインさんが私達を呼びに来た。とうとう登用試験が始まるらしい。兄様主催の、アベルちゃんが出場する登用試験。いつもなら、とっても楽しみしていたと思う。でも……。先生……。
登用試験の会場は、お屋敷の中庭だった。中庭に面した回廊に、椅子が六つ準備されている。その真ん中の一つに兄様が座っていた。私達に気が付いた兄様が手招きをする。
「アイリスは僕の隣だ。バルトは向こうから二つ目の席だ」
言われた通り、兄様の隣の席に着く。カインさんは兄様の後ろ。そこがカインさんの定位置だもんね。
ふと中庭の一角に目をやると、登用試験の出場者と思しき人達が待機していた。年の頃なら先生やウルペスさんくらい。少年と青年の間くらいの人達ばっかりだ。その中に、ちょこんと小さな人影。言わずもがな、アベルちゃんだ。今日は動きやすさ重視なのか、朝から一張羅メイド服じゃなくて、昨日着ていた男の子用の服を着ている。
こうして見ると、アベルちゃん、ちっちゃいな。登用試験って実力披露の場だから、きっと、御前試合の時みたいに出場者同士で戦うんだろう。けど、アベルちゃん、あんなに体格差あって大丈夫なのかな? う~。心配だなぁ。
「これより、登用試験を執り行う!」
立ち上がった兄様が、よく通る声でそう宣言する。パチパチパチと手を叩いてみるも、拍手してるのは私だけ。ちょっと恥ずかしい。でもでも! 兄様が頑張って準備した登用試験だもん。盛り上げる人が必要なんだもん!
「今回は、一対一の試合形式とする。どちらかの護符が砕け散ったら試合終了だ」
ほうほう。ルールは御前試合と変わらないっぽいな。もしかしたら、こういう試合では、オーソドックスなルールなのかもしれない。
「重要なのは勝ち負けではない。騎士の登用試験であることを忘れず、正々堂々と試合に挑んで欲しい」
ん~? 勝ち負けは重要じゃないの? 勝てば騎士になれるって訳じゃない? じゃあ、どうすれば騎士になれるんだ? う~む……。
「対戦相手は公平を期すため、くじにより決める」
そう言った兄様は、カインさんがサッと差し出した壺にズボッと手を突っ込んだ。そして、折り畳まれた紙を二枚取り出す。
「それでは、早速だが、第一試合を始める!」
そう宣言した兄様がカインさんに紙を渡し、席に着いた。カインさんが紙を開き、そこに書いてあった名前を読み上げる。そうして、登用試験は始まった。
第一試合、第二試合、第三試合と、順調に登用試験は進んで行く。時々、魔術がこっちに飛んで来るけど、かなり高度な結界が張ってあるらしく、危険は全く感じない。たぶん、このお屋敷には、先生みたいな結界術師さんがいるんだと思う。何たって、ここは防衛拠点らしいし。王族の一人である兄様が住んでるし。逆に、結界術師さんがいなかったらおかしい場所だ。
もうもうと上がる砂煙まで防いでくれるんだから、快適、快適。次第に晴れる砂煙の先には、地面に尻餅をつくように座り込む人と、その人の首筋に剣を突きつける人。地面に座り込んでいる人は、恐怖からか、顔を引きつらせていた。
これは勝負ありだな。うん。しばらく動かない二人を見守っていると、カインさんが試合終了の合図を出した。
「どう思う? 勝った方、なかなかの実力だったが……」
兄様が後ろに立つカインさんを見上げる。カインさんは厳しい顔つきで中庭を見つめていた。
「甘いですね。性格的なものなのか、経験不足からくるものなのか……」
「矯正は出来るか?」
「性格的なものですと、まず無理です。経験不足でしたら、まあ、何とか」
「そうか。では、奴はとりあえず保留としておこう。負けた方は――」
「論外です」
「うむ」
試合が終わる度、兄様とカインさんはこうして出場者の評価を行っている。第一試合の人達は、勝った方も負けた方も不合格になった。全然悩む素振りを見せず。実力不足だ、って。
第二試合の人達は、どうしようか迷った末、勝った人も負けた人も不合格になった。実力が拮抗していたのか、私から見ても結構良い試合をしていて、ダメージの蓄積で片方の護符が砕け散って勝負がついた。どっちが勝っていてもおかしくない試合だった。でも、不合格。二人とも、実力があと一歩というところだったらしい。バルトさんにも意見を求めていたし、本当に惜しい感じだったんだと思う。
そして、第三試合にて、初の保留が出た。第一試合や第二試合の人達に比べて、圧倒的に強かったから、実力は問題無しだと思う。じゃあ、何が駄目だったのか。カインさんは甘いって言ってたけど……。
「ねーねー。今の人、何で保留なの? 合格じゃ駄目なの?」
「止めを刺さなかった、いや、刺せなかったからだ」
答えてくれたのはバルトさん。厳しい顔つきで勝った人を見つめている。
「僕は最初に言ったはずだ。どちらかの護符が砕け散ったら試合終了だ、と」
兄様が補足してくれる。言われてみれば、ルール説明で言っていた。それをしなかったか出来なかったのか分からない。けど、それが原因で保留、と。ほうほう。
「戦場では、甘さが時として命取りとなります。自分だけが危険に晒されるのならば自己責任ですが、時に、部隊をも危険に晒す事があります。甘さが捨てきれない者は、騎士になどなるものではありません」
そう言ったカインさんも、厳しい顔つきで勝った人を見つめていた。
「じゃあ、もし、今勝った人が止めを刺せてたら? 合格だったの?」
「ああ」
兄様、即答。カインさんも頷いている。勝った人、そうとう惜しい人だ。ちゃんと止めさえ刺せていれば!
「まあ、世の中そう上手くは出来ていないんだ。だから、このような場を設ける必要があるのだしな」
兄様はそう言って苦笑すると、壺の中に手を突っ込んで、次の試合のくじを引いた。




