隠れ里 5
それよりも、アベル君が他の里から嫁いで来たという女の人の子孫だったとは。先生とウルペスさんにちらりと視線をやると、二人は小さく頷いた。
「他のエルフの里へ、行こうとは思わなかったのですか?」
そう尋ねたのは先生だ。優しく微笑みながら続ける。
「例えば、そうですね……。昨日、里へ勧誘に行ったバルトの故郷。あそこならばある程度の規模があるエルフの町ですし、国中で広く知られていますから、誰か場所くらい知っていたのでは?」
「そうなの? そんな町、あるの?」
「知りませんでした?」
「うん……」
何と。先生もウルペスさんもこれは予想外だったらしく、目を丸くしている。アベル君の里は排他的なせいか、外の情報にかなり疎いらしい。先生やウルペスさん基準で、知っていて当たり前の事を知らないくらいに。
「じゃ、じゃあさ、ひいおばあさんの故郷は? 行こうとは思わなかったの?」
ウルペスさんが気を取り直したように尋ねる。そうそう。こっちが本題。国中で広く知られているエルフの町を知らなくても、ひいおばあさんの故郷は知ってるよね? ね? ね? ね?
「行こうと思ったけど、人族の領域の中にあるから無理だって、じーちゃんが……」
「人族の領域の中にあるの? エルフの里が? それ本当?」
「うん。そう聞いた……」
これも予想外。思わず、先生、ウルペスさんと三人で顔を見合わせてしまう。
「しかし、ひいおばあ様は、その里から嫁いで来たのですよね? 人族の領域の中にある里から? 少々おかしくありませんか?」
カインさんの言葉に、全員がハッとしてカインさんを見た。言われてみればおかしい。だって、人族の領域は、魔人族が自由に出入り出来るものじゃないから。城壁で区切られ、勝手に魔人族が出入り出来ないように罠まで仕掛けてあるんだから。人族ならその罠に掛からないらしいけど、エルフ族を始めとした魔人族は出入出来ないはずだ。
じゃあ、どうやって、アベル君のひいおばあさんは、人族の領域にある里から魔人族の領域にある里に嫁いで来たのか。考えられる事は二つある。
一つは、隠れ里の場所を教えてくれた、アベル君の世話をしているというおじいさん――たぶん、昨日、バルトさんに他の里の話をした人だと思う――が嘘を吐いている。アベル君が勝手に里を出て行かないよう、嘘の場所を教えた。
そして、もう一つ。これはあんまり考えたくないけど、城壁のどこかに抜け道がある。穴が開いているのか罠の切れ目みたいなのがあるのか、どちらなのかは分からない。けど、魔人族でも自由に出入り出来てしまう場所がある。う~ん。これって、人族にしてみたら大大大問題だ。知られたら、大混乱になってしまう……。
「本当にエルフの里が人族の領域内にあり、そこからこちら側の領域に嫁いで来た女性がいたとなると、これは重大案件ですね……」
先生が難しい顔で口を開く。兄様もウルペスさんもカインさんも、大真面目な顔で頷いている。私も大真面目な顔で頷いておく。アベル君だけは、そんな私達を不安そうな顔で見つめていた。
「あの、僕、まずい事、言った……?」
おずおずと口を開いたアベル君に、兄様がニッと笑って見せる。不安そうなアベル君を安心させるように。
「いや。そんな事は無いぞ。逆に、とても参考になった」
「そ、そう……?」
「ああ!」
「そっかぁ」
ホッとしたように息を吐くアベル君。と、そこへ、廊下を走る足音が近づき、書庫の扉がバンと勢い良く開いた。その先にいたのはバルトさん。珍しく血相を変えている。
「団長! 重大なご報告が!」
「エルフの隠れ里の件ですか?」
「は! 昨日お話したご老体から、里の大まかな場所を聞く事が出来たのですが――」
「やはり、人族の領域内にありましたか……」
「何故、それを……?」
憂鬱そうな顔で呟いた先生を、呆然と見つめるバルトさん。と、先生が無言でアベル君に視線を移した。先生の視線を追ったバルトさんが、アベル君の姿を見て目を見開く。
「里で姿を見ないと思ったら……!」
「下見に来たんだそーですよ。知っているかもですが、彼が他の里から嫁いで来た女性の子孫だそーです」
そう言ったのはウルペスさん。机に頬杖を付き、気の無い報告。ウルペスさんらしいと言えばらしいけど、いつもこんな感じかのかな? 騎士のお仕事、やる気あるのか聞きたくなる態度だ。
「では、彼から話は聞いたか?」
「へ~い。今さっき、聞いたばっかりなんですけど――」
「返事ははい、だ」
「もぉ~。返事の仕方なんて、今はどうでも良いじゃないですか。それより、こっちは人族の領域に里があるくらいしか聞けなかったんですけど、どこら辺にあるんですか?」
「返事ははい、だ!」
「はい! はいはいはいはい!」
バルトさんとウルペスさんのやり取りを、一同苦笑して見守る。ウルペスさんってば、返事の仕方でバルトさんに注意されるの分かってるんだから、最初からちゃんと「はい」って良い返事すれば良いのに。まあ、これもウルペスさんらしいんだけどさ。
「バルト、里の場所を」
先生が苦笑しながら口を開く。と、バルトさんは一つ頷いた。
「スマラクト様、地図などありますか?」
「うむ。じい、地図を」
「はっ!」
頭を下げて書庫の奥に駆けて行ったカインさんが持って来てくれたのは、大きな一枚の地図。防衛拠点となる城や砦が黒丸で、城壁が線で、村や町が家っぽい形の印で入ったそれは、国内の詳細地図だった。
「現在地はここですね」
テーブルの上に広げられた地図のうち、先生が指を差したのは防衛拠点の丸の一つだった。そっか。ここはただのお屋敷じゃなくて、防衛拠点だったのか。それは知らなかった!
「あ。僕の里、あった!」
アベル君が村の印の一つを指差す。アベル君の里は、この領地内で一、二を争う程小さいって話だったけど、ちゃんと地図に載ってるんだ。ふ~ん。
もしかして、私の生まれた村、載ってたり――。はっ! いけない、いけない。今は、そんなのを探している暇はないんだった。それより、エルフの隠れ里、隠れ里!
「ここから遥か北、隣国との国境の山脈の麓、そこに広がる大森林の中に隠れ里があるそうです」
地図の上、北の端っこに山脈が広がっている。その麓が大森林らしく、緑色に塗られていた。大森林を分断しているのは城壁の線。人族側の領域に大森林の三分の一が、魔人族側の領域に残りの三分の二がある。そのどちらにも、村や町の印は無い。
「そのような所に……」
先生が呟くと、バルトさんが一つ頷いた。
「城壁に綻びがあるとするならば、大森林の中かと思います。今まで城壁に綻びがあるという話も、それに伴う問題も上がって来てはいません。さぞかし探し辛い場所にあるのではないかと」
「ちょ~っと、思った事があるんですけどぉ」
おずおずとウルペスさんが手を挙げる。先生とバルトさんは話の先を促すように、ウルペスさんを見つめた。
「アベル君のひいおばあさんの里が、物語に出て来る里という前提での話なんですけど、その綻び、エルフ族が守ってるなんて可能性は?」
「その心は?」
先生が問う。その顔は訝しむようで。見ると、バルトさんも同じような顔をしていた。
「物語を読んで、ず~っと変だなって思ってた箇所があるんだよね。森に入った魔人族の男性が、エルフ族に囚われた割にあっさり解放されて、滞在を歓迎されたっていうくだり。エルフ族の行動に一貫性が無いって言うか、何て言うか……。歓迎するなら、最初から捕まえるなよって思ったりしない?」
「エルフ族の青年が、若さ故に先走ったのでは?」
先生がやんわりと反論するも、ウルペスさんは納得出来ないって顔。難しい顔で腕を組む。
「でも、一旦は里の牢に入れられてるでしょ? エルフ族の青年が先走っただけなら、魔人族の男性が牢に入れられる前に、里の誰かが止めるかな、なんて。お前、余所様に何してくれてんだ! って。捕まる理由があったなら、その後に歓迎されたりしないじゃない? 捕まったのに歓迎されるって、意味が分からなくない?」
「まあ、確かに……」
「そうだな」
先生、バルトさんが頷く。私もうんうんと頷いた。物語を読んだ時は、全然不思議に思わなかった箇所だけど、言われてみると変だ。何で、捕まった後に歓迎されてるんだろう? 普通、捕まったら、釈放されても里から追い出されると思う。竜王城に乗り込んで来て捕まった、メーアとその側近の人みたいに。
「たぶん、物語の中で魔人族の男性が捕まったのは、エルフの隠れ里に近づいたせいじゃない。城壁を越えようとしている不審者と間違えられた為。隠れ里の住人は、城壁に綻びがある場所を知っていて、見回るか何かして、魔人族が城壁を越えないように見張ってくれている。そう考えると辻褄が合うかなぁ、な~んて事を思ったんだけど、どう?」
「確かに、辻褄は合いますか……」
呟いた先生に、ウルペスさんが「そうでしょ?」と言わんばかりに、にんまりと笑って見せた。と、バルトさんがフンと鼻を鳴らす。
「普段からその洞察力と考察力を見せてくれれば、俺も幾分か楽なのだがな」
「え~。普段からこんなに脳みそ使ってたら、脳みそ干からびちゃいますって」
「使わなければ腐るだけだぞ? 屍霊術師がゾンビの仲間入りなど、笑えない冗談だ」
「確かに、そう……かも……?」
困惑気味に頷いたウルペスさんを見て、バルトさんが一瞬、物凄く優しい目をした。でも、すぐにいつもの取っ付き難い顔に戻ってしまう。たぶん、今のバルトさんの目、誰も気が付いていなかった。それくらい一瞬だったけど、獣たちを見つめる時のような優しい目を、確かにしていた。
バルトさんって、実はウルペスさんの事、好きでしょ? 可愛い後輩や部下的な意味で。ウルペスさんが病室に入院した時だって、何やかんや言いながらお見舞いに来てたし。
んもぉ。憎まれ口とか叩かずに、普通に仲良くすれば良いのに。バルトさんってば、素直じゃないんだから。
はっ! ミーちゃんがバルトさんに言っていたらしい、素直じゃないとかへそ曲がりって、こういう事か! 納得、納得。




