先生
アオイと竜王様が朝ごはんを食べ終わると、私とラインヴァイス先生、アオイの三人はお城の図書室へと向かった。今日からラインヴァイス先生が、私とアオイに魔術を教えてくれる事になったからだ。
先生というのは、アオイの生まれた土地の言葉で、勉強を教えてくれる人を差すらしい。アオイがラインヴァイス先生を先生って呼んだ時、ラインヴァイス先生はとっても嬉しそうな顔をした。だから、私もラインヴァイス先生を先生って呼ぶ事にした。アオイの真似っ子だけど良いんだもん。ラインヴァイス先生が嬉しそうに笑ってくれたから。
私は、ラインヴァイス先生が私達の先生になってくれて凄くホッとした。だって、ラインヴァイス先生以外の魔人族の人は、まだ怖いんだもん。慣れないといけないのは分かってるけど、昨日の今日で慣れるのは無理だもん。ノイモーントさんは魔女みたいだし! イェガーさんは顔がおっかないし! ヴォルフさんなんか、今日の朝、獣みたいな耳と尻尾が出てたし! フォーゲルシメーレさんはまだよく知らないけど、瞳が血みたいな色してて、怖い気がするんだもん!
でも、ラインヴァイス先生は私達の魔術の手ほどきをしてくれるだけで、それ以降は別の先生になるらしい。それに、フォーゲルシメーレさんは薬師らしく、彼に薬の知識を聞いておくように、竜王様に言われてしまった。だから、ラインヴァイス先生以外の人達にも慣れないとっ! むんっ!
三人で廊下を歩く。歩く。歩く。いつまで歩くんだろう? 長い階段を上りきり、私は廊下の隅にうずくまった。足、疲れた。疲れすぎてプルプルする。もう歩けないよ……。急にうずくまった私を見て、ラインヴァイス先生とアオイが顔を見合わせた。
「どうしたの? 疲れた?」
アオイが私の前にしゃがみ込み、顔を覗き込む。私はコクンと小さく頷いた。アオイとラインヴァイス先生は、私よりずっと背が高い。私の背は、二人の胸のあたりまでしかない。だから、私の足は二人に比べるとずっと短い訳で……。二人は普通に歩いてたんだろうけど、私はずっと小走りだったんだもん。疲れるなって言う方が無理だもん。
「少し休憩する?」
アオイがラインヴァイス先生を見上げ、そう問い掛けた。ラインヴァイス先生は考えるように顎に手を当て、私を見つめている。うぅ……。足手まといって思われたかな……。でも、もう歩けないんだもん。足、痛いんだもん……。ジンと目が熱くなり、喉の奥が痛くなる。こんなつもりじゃ無かったのに……。こんなんじゃ、ラインヴァイス先生にいらないって言われ――。……駄目だ。ラインヴァイス先生と昨日、約束したんだもん。もう、自分の事をいらない子だって言わないって。ラインヴァイス先生、言ってたもん。私は希望なんだって。でも、でもぉ――!
「アイリス」
ラインヴァイス先生に名を呼ばれて顔を上げると、先生が私に背を向けて屈み込んでいた。この体勢、おんぶしてくれるの? 乗って良いの? 上目でアオイを窺うと、アオイは笑いながら小さく頷いた。乗って良いらしい。おずおずとラインヴァイス先生の首に手を回すと、先生は私の膝裏に腕を入れて立ち上がった。
先生の髪、短いから顔に当たる。ちょっとくすぐったい。でも、嫌な感じはしない。だって、顔に当たる度に、凄く良い匂いがするんだもん。何の匂いだろう? どっかで嗅いだ事がある匂いだな。ん~。どこで嗅いだんだっけ? 最近、じゃないな……。確か、あれは――。思い出した! ジャスミン! 母さんと暮らしてる時、近所のおばさんがくれたって、母さんがジャスミンのお茶、持って帰って来た事があった。あの時のお茶の匂いと同じだ!
そっか。ラインヴァイス先生はジャスミンの香りの香油、使ってるんだ。生まれ育った村では香油を使うのは女の人だけだったけど、このお城では男の人も使うのかぁ。ちょっと不思議な感じもするけど、それだけ香油が手に入りやすいって事なのかな?
私の生まれ育った村では、香油は高級品だった。だからか、男の人が好きな女の人に渡すのが一般的だった。母さんも村の男の人から貰っていた。スズランの香りがする香油を。死んだ父さんを裏切るみたいで、私はそれが凄く嫌だった。だから、スズランは嫌い。絶対にスズランの香油だけはつけない。そう心に決めている。
私も香油、一つ欲しいな。せめて、雨の日だけでもつけたいな。そうすれば、髪の毛、ボンってなる事、無くなると思うし。今度、ラインヴァイス先生にお小遣いで買えるか、聞いてみよう、かな……。
ぞわわわわぁ~としたものが身体を駆け抜け、私は驚いて目を開けた。いつの間にか寝ていたらしい。それよりも! 今の、何? キョロキョロと辺りを見回す。
高い天井に広い円形ホール。そこから伸びる廊下。そこかしこに天井まである本棚と、本を取る為の階段と通路がある。ここが図書室? 大きさが、想像していたのと全然違う!
「凄い本の数!」
叫んでから気が付いた。私、ラインヴァイス先生におんぶして貰ってるんだった。耳元で叫んでごめんね、先生。
ラインヴァイス先生が屈んでくれ、私はその背からぴょんと飛び降りた。そして、改めて図書室を見回す。凄い! 凄~い! こんなにたくさんの本、見た事無い!
「アイリス。アンタ寝てたんじゃないの?」
「ここ入ったらね、ぞわわわわぁ~ってなって目が覚めたの」
アオイの問いに、私はさっき感じた変な感覚を説明する。でも、言葉で説明するのって難しい。さっきの感覚が上手く伝わってないのか、アオイが首を傾げた。
「ぞ、ぞわわわわぁ~?」
「アイリスにも魔道書の在り処が分かるようですね」
アオイはよく分からないって顔を、ラインヴァイス先生は感心したみたいな顔をしている。ラインヴァイス先生の顔を見る限り、何だか良く分からないけど凄い事みたい。私は腰に手を当て、えっへんと胸を張った。
「えぇ~! みんな分かるんじゃないの~?」
アオイはこうして時々意地悪を言う。私の反応を見て面白がってるんだ。ぷ~っと頬を膨らませ、アオイを睨む。アオイはそんな私を見て、目尻を下げた。
「いえ。魔術に全く適性が無い者には分かりませんし、適性があっても、幼子では自身の魔力が弱すぎて分からないものです」
ラインヴァイス先生はそう言い、頬を膨らませている私の頭をポンポンと軽く叩いた。むふふ。よく分からないけど褒められてるらしい。もっと褒めて良いよ、先生!
「では、適性魔術を確認しましょうか?」
ラインヴァイス先生が私を見つめてにっこり笑う。私はこくこくと頷いた。適性魔術が分かったら、もっと褒めてもらえるかもしれないもん。もっと褒めてもらいたいんだもん! 早く、早く! 確認! 確認!
「ラインヴァイス。私もいる事、忘れないでよ?」
「ええ。忘れていませんよ?」
ラインヴァイス先生がアオイに向かってにっこり笑うと、アオイは小さく溜め息を吐いた。何かよく分からないけど、呆れているらしい。ん~。そんな呆れるような事、何かあったかなぁ?
ラインヴァイス先生が先導して通路を歩く。私とアオイもその後に続いた。アオイの適性魔術は、前に図書室に来たことあったらしく、その時に確認出来てるらしい。アオイは複数カテゴリーに適性がある万能型なんだって。色んな魔術の才能があるらしい。たぶん、天才ってやつなんだ。羨ましい。でもでも! 私だってさっき、ラインヴァイス先生に褒められたもん! きっと、凄い魔術の才能、あるんだもんっ!
「アイリス。どの通路から先程言っていた感覚があるか分かりますか?」
ラインヴァイス先生に聞かれ、私はう~んと首を傾げた。変な感覚は続いている。でも、慣れてしまったのか、あんまり強くぞわわわわぁ~ってなってない。
「ん~ん~……。こっち」
こっちだと思う。たぶんこっち。こっちだと良いな。私は一本の通路を指差した。他の通路と違って、この通路だけとっても気になる。入ってみたいって、ここの本を見てみたいって、そう思う。
「ラインヴァイス。ここ、気持ち悪いんだけど。これ、大丈夫なの?」
私の指差した通路を見て、アオイが凄く微妙な顔をした。アオイはここ、好きじゃないらしい。私はとっても気になるのに。この変な感覚、人によって感じ方が違うのかな?
「ふむ……。アオイ様は相性が良くないのかもしれません。念の為、この通路の魔道書には触れないで下さい」
ラインヴァイス先生が少し考えてから口を開いた。アオイは相性が良くない? じゃあ、私は? ここの本、触っても良いの? 触りたい。二人の目を盗んで、そっと手を伸ばす。
うひょっ。ぞわわわわぁ~ってなった! もう一回。うひょひょっ! 楽しい! でも、見つかったら怒られちゃうかもしれない。ラインヴァイス先生に怒られると、とっても悲しくなりそう。私はそっと手を引っ込めた。何もしてませんよ。本、勝手に触ったりなんてしてませんよ。私、ちゃんと良い子にしてますからね~。
「ここは状態魔術の中でも、呪術関係の魔道書が納められている通路です」
「呪術?」
ラインヴァイス先生の説明に、アオイが首を傾げた。私も一緒に首を傾げる。呪術って何だ? 治癒術は?
「治癒術とは真逆の魔術ですね」
が~ん。治癒術と真逆って……。ラインヴァイス先生が呪術の説明をしてくれる。私はそれをガックリと項垂れながら聞いていた。
呪術は、混乱や毒、石化など、相手を呪う為の魔術らしい。この魔術を極めた人を呪術師って言うらしく、ノイモーントさんがその呪術師らしい。呪いの魔術なんて、魔女っぽいノイモーントさんにピッタリ。でも、私もノイモーントさんと同じ適性……。私、将来、ノイモーントさんみたいに魔女っぽくなっちゃうの? そんなの、嫌だ! でも、それよりも――!
「私、治癒術使えないの?」
私は治癒術師になりたいんだもん。呪術師なんて、そんなのになる為に魔術習うんじゃないもん。治癒術は? どうなの? 使えないの? ラインヴァイス先生の顔を見上げると、先生は笑いながら私の前に屈んだ。
「適性は悪くありませんよ。治癒術も状態魔術の一種ですから。但し、適性がある呪術は感覚的に使えるようになるでしょうが、治癒術は理論的に理解しなくてはなりません。努力が必要です」
「ラインヴァイス。それ、どういう事?」
ラインヴァイス先生の説明にアオイが首を傾げる。私も一緒になって首を傾げた。
「適性がある魔術は、それこそ、何も考えなくても使えるようになります。しかし、それがかえってあだとなる事があるのです。相性の問題なのですが、私が初級以外の攻撃魔術が殆ど使えないように」
ほうほう。ラインヴァイス先生は攻撃魔術が苦手なのか。何でも出来そうに見えるのに。ちょっと意外。
「しかし、呪術と治癒術に関して言えば、同じカテゴリーに分類される魔術ですからね。そして、どちらも生物に影響を与える魔術です。マイナス方向に影響を与えるか、プラス方向に影響を与えるかの差異はありますので、影響方向を変える手順を学ばなくてはなりませんが、しっかりと理解出来れば優秀な治癒術師になれますよ」
治癒術と呪術は、真逆だけど似てる魔術だって事? 努力すれば治癒術師になれるの? でも、もし、治癒術に適性があったら、凄い治癒術師になれるんじゃないの?
「でも、私、治癒術の適性が欲しかった!」
私が叫ぶと、アオイが呆れた顔で口を開いた。
「アイリス、アンタって子は……」
「だって、ラインヴァイス先生の目、早く治したい!」
「気持ちは分かるけど、状態魔術に適性があっただけでも良しとしときなさいよ。全く適性が無かったら、この城にいる意味すら無くなるんだからね」
「むうぅぅぅ~!」
アオイの言ってる事は分かる。分かるけど、納得出来ないもん! 治癒術に適性があれば、凄い治癒術師になれて、ラインヴァイス先生の目、早く治してあげられるんだもん! そしたら先生、きっと喜んでくれるもん! 褒めてくれるもん!
「アイリス。別に急ぐ必要は無いのですよ? 私は人族と違い、寿命が長いですから。アイリスにとっては長期間に感じる事でも、私にしてみたら僅かな間なんです」
「でも、でも!」
「アイリス。良い事を教えましょう。かの有名な八代目メーアは、優秀な治癒術師だったのは貴女も知っていますね?」
「ん……」
ラインヴァイス先生の問いに、私は小さく頷いた。八代目メーアの話は、母さんが話してくれたおとぎ話の中にあった。癒しの巫女、だったかな? どんな病気や怪我でも治す、奇跡のような人。彼女が訪れた先では、病気や怪我で苦しむ人が一人もいなくなる。そんな話だった。大昔、実際にいた人なんだって、母さんが言ってた。
「彼女、実は呪術の適性があったらしいですよ?」
ラインヴァイス先生がそう言って悪戯っぽく笑う。私は目を丸くして、その顔を見つめた。
八代目メーア。癒しの巫女。おとぎ話になるような凄い治癒術師が、呪術の適性があったなんて……。私と同じ、呪術の適性があったなんて!
私でも一生懸命勉強すれば、八代目メーアみたいな立派な治癒術師になれるんだ! 私、頑張るよ、先生。それでね、先生の目、絶対に治してあげるからね。




