近衛師団長の憂鬱ⅩⅢ
ウルペスとバルトが出掛けてから、僕とアイリスは庭に出た。丁度良い大きさの木の根元に敷物を敷き、二人でその上に腰を下ろす。
心地良い風にアイリスが目を細める。穏やかに笑う彼女を見て、僕の頬も自然と緩んだ。そんな僕達の元に、使用人がお盆に乗ったティーセットを持って来てくれる。彼女は使用人にお礼を言うと、二人分のお茶を淹れ、一つを僕に手渡してくれた。
「兄様、ちゃんとお仕事してるかなぁ?」
そうぼやきつつ、アイリスがお茶に口を付ける。僕は目を伏せ、手の中のティーカップをジッと見つめた。
スマラクト様は今頃、執務室で雑務に終われているはず。実のところ、彼は今日もアイリスと共に、書庫で仕事をするつもりでいた。それを邪魔したのは僕だ。アイリスと二人きりで過ごしたかったから。スマラクト様と楽しそうに過ごす彼女を、これ以上見ていたくないと思ってしまったから……。だから、今日は庭で過ごそうと、彼女を誘い出した。
「なんか心配だなぁ。後で、様子見に行ってみようなぁ……」
「カインが付いているのですから、心配しないでも大丈夫ですよ。それよりも、今夜練習する髪型を決めるのでしょう?」
「ん。そうなんだけどぉ……」
「せっかくこれだけ上手に編み込みが出来るようになったのですから、今日は昨日よりも難しい髪型を練習してみませんか?」
「ん~。そうしよっかなぁ……」
アイリスが手元の本を開き、髪型を眺め始めた。真剣な眼差しで。これで、暫くは大人しく本を見ていてくれるだろう。僕も持って来ていた読みかけの本を開いた。
暑くもなく寒くもない、過ごしやすい気温。山から吹き下ろしてくるのだろう爽やかな風に頬を撫でられ、僕はふと顔を上げた。遠目に見える山の木々は、赤や黄色に色付き始めている。
あと三月程で、ここは霜と氷に覆われた極寒の地となる。竜王城周辺よりも雪は少ない地方だが、気温は城の周辺とは比べ物にならない程低くなる。
ありとあらゆるものが凍てつく、白銀の世界。空気中の水分までもが凍り付き、細氷が舞う様は、まるで空から宝石が降ってきているようで。アイリスにその幻想的な光景を見せてあげたいと思う反面、もうここに連れて来たくないと思う自分もいる。
アイリスはスマラクト様を、兄のように慕っている。スマラクト様も、アイリスを妹のように可愛がって下さっている。それ以外の感情が二人に無い事くらい、僕にも理解出来ている。出来て、いるのに……!
僕の心に渦巻く、このどす黒い感情は嫉妬。僕はスマラクト様に嫉妬している。彼と共にいるアイリスが、とても楽しそうで幸せそうだから。彼女を笑顔にさせているのが僕ではない事に、言い様の無い不安と焦り、苛立ちを感じてしまう。
「やっぱり私、兄様の様子見て来る!」
唐突に、アイリスが叫んだ。そして、すっくと立ち上がる。反射的に、僕は彼女の手首を掴んだ。驚いたように目を丸くしたアイリスが、僕の顔と自身の手首を見比べる。
「先生?」
「ここに、いて下さい……」
僕の傍にいて。他の男の所になど行かないで。僕を……選んで……。
「お願いですから……!」
こんな、試すような真似までして……。彼女の顔を見ていられなくて、僕は俯いた。
アイリスは逡巡するように立ち尽くしていた。しかし、それも僅かな間。彼女は僕の隣に腰を下ろした。
「先生、私、やる事ないの!」
「髪型は?」
「これにするってもう決めたの。結い方も読んだしね、イメージトレーニングもしたの。そしたらね、やる事無くなっちゃったの。だからね、兄様の様子、見て来ようかなぁって思ったの。あ! 兄様のお仕事の邪魔はしたくないからね、兄様に見つからないようにこっそり覗くつもりだったんだよ? 本当だよ?」
「そう、ですか……」
「ん! でも、先生が行っちゃ駄目って言うなら行かない。でもでも! つまんないから遊んで!」
僕が小さく頷くと、アイリスが嬉しそうに笑みを零した。無邪気に笑うアイリスが眩しい。
「何しよっかぁ? 木の実拾いもベリー摘みも、人が多い方がいっぱい採れるしぃ……。う~ん……。お魚釣りだって、みんなで行った方が楽しそうだしぃ……」
腕を組み、ああでもない、こうでもないと頭を捻るアイリスの可愛らしい姿に、鬱屈していた気分が僅かに晴れる。今は、彼女と過ごすこの時を大切にしよう。寄宿舎が完成したら、僕の立場的に、こうしてアイリスと共に過ごす時間も減ってしまうのだろうから……。
「ねえ、アイリス? 裏庭の迷路に行ってみませんか?」
「迷路? 行く!」
期待に目を輝かせるアイリスの、何と愛らしい事か。思わず微笑んだ僕を見て、彼女も笑みを返してくれる。そうして僕とアイリスは手を繋ぎ、裏庭へと向かった。
「ほぉ~!」
生垣の迷路を見て、アイリスが感嘆の声を上げる。僕が幼い頃からある、叔父上自慢の迷路。偶にこの屋敷に連れて来てもらっては、ウルペス、リーラと三人、ここで遊んだものだ。よくしたのは、鬼ごっことかくれんぼだが……。僕の手をしっかりと握り、口を開けたまま迷路を見つめているアイリスを見やる。折角だし、共に探索をしたい。
「行きましょうか?」
「ん!」
満面の笑みで頷いたアイリスの手を引き、迷路に足を踏み入れた。忙しなく辺りを見回すアイリスの目に、一枚の石板が留まったようだ。僕の手を引き、彼女は石板に駆け寄った。謎の記述が書かれた石板を、真剣な表情で読む姿が微笑ましい。
この石板の記述、実は迷路攻略に全く関係ないと彼女が知ったら、どんな顔をするだろう? 頬を膨らませて怒るだろうか? それとも、ガッカリして項垂れるだろうか? 口を尖らせ、製作者の叔父上に文句を言うだろうか? どの姿も、まざまざと想像出来る。思わず笑みを漏らすと、不思議そうにアイリスが僕を見上げた。
「先生? どうしたの?」
まさか、アイリスの事を考えていたなどとは言えない。そんな事を言って、彼女を困らせたくない。彼女にとって、僕は師でしかないのだから。異性としては、見てもらえていないのだから……。ズキリと、胸の奥が痛む。
「何か見つけたの? 面白いの?」
「いえ。あそこに石板があるのに、アイリスが全く気が付いていなかったものですから」
「え? あ! 本当だぁ!」
駆け出したアイリスに手を引かれ、次なる石板へと向かった。そうして二人で次々と石板を見て歩く。アイリスは石板を見つけては、その記述に何か意味があるはずと、頭を捻っていた。
意味深な記述と次々に見つかる石板。アイリスでなくとも、出口へと続くヒントが隠されているだろうと、そう考えるはずだ。幼い頃、僕もそう考え、何とか謎を解こうとした事もある。しかし、この石板はただのフェイク。それどころか、あえて道に迷わせる為の物らしい。石板を追えば追う程、正しい道から外れるようになっていると、製作者の叔父上が言っていたのだから間違いないのだろう。何と意地の悪い迷路だと、ウルペス、リーラと共に悪態を吐いたのも懐かしい思い出だ。
「ああ~! この石板、もう三回目だ! グルグル同じ所回ってるぅ。もう嫌だぁ!」
唐突にアイリスが叫び、その場にしゃがみ込んでしまった。不貞腐れたように頬を膨らませている。
「疲れましたか?」
「全然、出口見つからないんだもんッ! もう出たいぃ~!」
叫んだアイリスの目に、ジワリと涙が滲む。迷路の中を歩き回って、よっぽど疲れたのだろう。そんなアイリスの姿を見ていて、ふと、幼い日の記憶が蘇った。
あれは、確か、初めてこの迷路に入った日。こんな風に、疲れたと駄々をこねた僕を、叔父上が背負ってくれた。その背がとても大きく感じて、いつか僕もこうなりたいと、優しくて強くて賢い叔父上のようになりたいと思った。あの頃よりも少しはその背に近付けているだろうが、まだまだ遠い。いつかは追い付き、追い越したい僕の目標。
脳裏に蘇ってきた光景を再現するように、アイリスに背を向けて屈む。
「アイリス。乗って下さい」
「良いの……?」
「ええ」
僕が頷くと、アイリスがおずおずと僕の肩に手を掛け、背に乗った。そんなアイリスの膝裏に腕を回して立ち上がる。そして、記憶を頼りに、迷路の出口へと向かった。
「先生。もしかして、ここで遊んだ事あるの?」
何故、僕が迷わず進めるのか不思議に思ったのだろう、アイリスが問う。僕は一つ頷いた。
「だいぶ昔ですけどね」
「そっかぁ。じゃあ、私、目瞑ってよっと!」
「目? 何故です?」
「だってね、出口分かっちゃったら楽しくないもん。明日も挑戦するんだもん!」
「そうですか」
「ん! 明日はみんなで迷路ね!」
みんなで、か……。アイリスくらいの年齢ならば、それも致し方無いのだろう。だが、僕は――。いや、止めよう。彼女にとって、僕は師だ。それ以上でもそれ以下でもないのだから……。
爽やかな風が頬を撫でる。背には心地よい重みと温もり。彼女とこうしていられるだけで、僕は十分幸せだ。そう。十分……。




