練習 1
スマラクト兄様のお仕事が終わると、食堂でお茶をしながらしばし休憩する事となった。先生が離宮で回収してきてくれた本と書庫で選んだ本は、私が貰っても良い事になり、ラッセルボックの背負いカバンに詰め込んだ。ホクホクしながらカインさんが淹れてくれたお茶を啜る。
ふと兄様を見ると、兄様はテーブルの上に上半身を突っ伏していた。兄様がぐったりしてる……。大丈夫かな? 身動き一つしない兄様を見守っていると、突然、兄様がガバッと起き上った。
「良い事を思い付いたぞ!」
「良い事?」
叫んだ兄様に首を傾げてみせる。すると、兄様がニヤリと笑った。どこの悪役ですかって笑い方。時々、竜王様やブロイエさんがする笑い方とよく似ている。こういう所を見ると、血の繋がりがあるのがよく分かる。
「そうだ。先程、アイリスと髪型研究をしようと約束したが、どうせなら楽しい方が良いだろう? だから、どう楽しくするか考えていたんだ!」
さっきまでのあれは、考えてる体勢だったのか。てっきり、疲れてぐったりしてるのかと思った。兄様ってば紛らわしい。
「アイリス、ブラシは持っているか?」
「ん。持ってるよ」
ラッセルボックの背負いカバンをごそごそ漁り、ブラシを取り出す。
「香油は?」
「持ってる」
「髪紐は?」
「持ってる」
「髪飾りは?」
「持ってる」
兄様が口にする物をラッセルボックの背負いカバンから取り出し、テーブルの上に並べた。
「髪飾りは一つだけか……。髪紐ももっとあった方が良いな。化粧道具は流石に持っていないな?」
「ん」
「では、化粧道具は母上の物を借りるとしよう。髪飾りも母上のをいくつか見繕うか……。僕は一足先に行って準備している。アイリスは今出した物を持って、ラインヴァイス兄様は香油を持って、僕の部屋に集合だ!」
兄様はそう言うが早いか椅子から飛び降り、タタタッと駆け出した。その後を、カインさんが慌てて追う。ええっと……。
「兄様、何するつもりなんだろうね?」
「ええ」
先生と二人、顔を見合わせ、首を傾げる。何をするのか説明しないでいなくなっちゃうんだもんなぁ。まあ、それも兄様らしいと言えばらしいんだけどさ。
先生と私も立ち上がり、まずは先生が泊まっている客室へと向かった。先生の荷物は客間に置いてあるから。兄様が言った通り、ちゃんと香油を持って行こうとするんだから、先生ってば付き合いが良いと思う。
そうして兄様の部屋に行く。先生が扉をノックすると、兄様が勢い良くそれを開けた。待ってましたとばかりに、満面の笑みを浮かべて。
「カインが今、化粧道具を持って来るからな!」
そう言って、兄様が私達を部屋に招き入れた。兄様の部屋は二間続きになっているのか、足を踏み入れた部屋の中にベッドは無く、ソファセットと大きな机がドンと置いてあった。雰囲気的に、先生のお仕事部屋に似ている。
「スマラクト様。いったい、何をするおつもりです?」
先生が兄様に問う。すると、兄様は再びニヤリと悪い顔で笑った。
「ちょっとしたお遊びだ。アイリスが僕達の髪を結って、化粧をするだけの、な」
「え……」
「アイリスの練習も兼ねているのだ。嫌とは言わないだろう? ん?」
悪~い顔をした兄様が先生に尋ねる。先生は私と兄様をしばしの間見つめ、諦めたように溜め息を吐いた。
「分かりました……」
「うむ。流石ラインヴァイス兄様。話が分かる!」
「しかし、僕らの髪では、長さが足りないのでは?」
先生の疑問はもっともだった。先生も兄様も、髪の長さは肩下くらい。手の込んだ髪型をするには、ちょっと長さが足りない気がする。
「ウルペスの髪が丁度良い長さだったぞ。だから、本番はウルペスですれば良い」
「ああ……。確かに」
え……。先生? それで良いの? 「止めてあげて」って、兄様を説得しなくて良いの? ウルペスさん、女の人の髪型になっちゃうんだよ? 幼馴染の危機だよ?
「では、まずは僕からだ!」
ソファに座った兄様が期待の篭った眼差しでこちらを見る。まあ、私としては、兄様と先生が予行演習させてくれて、ウルペスさんで本格的に髪を結う練習をしても良いなら言う事無い訳で。だから、ブラシを手に、意気揚々と兄様の後ろに回った。
まずは、アオイにいつもしてあげてるみたいに、少量の香油を手に取り、髪を梳く。兄様の髪、サラサラだ。先生の髪もサラサラだし、竜王様やブロイエさんだって見るからにサラサラだし、ドラゴン族は髪が綺麗な部族なんだろうな。
「兄様、三つ編みの練習して良い?」
本日の練習課題は、三つ編みと編み込み。これを習得しないと、本に載ってるほとんどの髪型が出来ないんだもん。
「ああ。好きなだけ練習して良いぞ!」
わ~い。ルンルン気分で兄様の髪を無造作に一束取って根元を縛り、本に載っていたように編んでいく。
う~ん……。三つ編み、思ってたより難しいなぁ。本読んだ限りは、簡単そうだったんだけどなぁ。緩まないように根元を縛ったのに、全体的に緩くなっちゃう……。
「指を使うと上手く編めますよ」
「指?」
指って? 手をワキワキさせつつ、指と先生を見比べる。
「手本を見せましょうか?」
そう言って、兄様の対面に座っていた先生が立ち上がり、私のすぐ脇に立つ。そして、兄様の髪を一束取ると、三つ編みを編んで見せてくれた。
「髪束を動かす時は、指で引っ掛けるようにするのですよ」
「そっかぁ」
再び、兄様の髪束を無造作に取って根元を縛ると、先生の手つきを真似て三つ編みを編んでみた。時々、ぽろりと髪束が指から抜けるのはご愛嬌という事で……。
「そうそう。そんな感じです」
褒められた! 嬉しくなって、三度、兄様の髪束取って根元を縛ると、三つ編みを編む。お! コツが分かったかもしれない! この調子で、兄様の髪の毛全部、三つ編みにしちゃおっと! 鼻歌を歌いつつ、兄様の頭に三つ編みを量産する。
「なかなか斬新な髪型にしましたね」
「ん! 次、先生!」
「ええ」
苦笑しながら元の席に戻った先生の後ろに立ち、ブラシで髪を梳く。先生の髪、前よりだいぶ長くなったな。いつもは見慣れちゃってあんまりそうは思わないけど、こうして弄っているとよく分かる。前は、後ろで一つに結うのがギリギリの長さだったもん。
「先生、髪伸びたね」
「そうですね。そろそろ、叔父上のように、常に結っていても良い頃合いかもしれませんね」
「ん!」
実は、髪を結ってる先生って、結構好きだったりする。顔周りがスッキリしているせいか、いつもよりほんの少しだけキリッとしていて、格好良いから。
「先生の髪は編み込みね」
「ええ。ただ、何本も編み込みを作るのは勘弁して下さいね」
「ん! 分かった!」
後ろで一本の編み込みか、顔の脇に細い編み込みか……。ん~……。太い編み込みは難しそうだから、細いの一本にしよっと! 髪束を取り、三つ編みと同じ指使いで編み込みを作っていく。三つ編みをマスターしたからか、順調順調! 髪を取る量が難しいけど、それらしく見えてきたぞ。最後の方は、三つ編みをして――。
「出来た!」
思ったより、上手に出来た! 先生の正面に回り込み、全体の雰囲気を確認。もう少し女の子っぽくなるかと思いきや、先生に凄く似合ってる! お洒落!
「先生、お洒落!」
「そうですか……?」
「ん!」
力一杯頷くと、先生が笑った。ちょっと照れたような、それでいて嬉しそうな、そんな笑顔。はにかむ先生、可愛い!
「ぼ、僕の方が、凝った髪型なんだぞ!」
兄様が叫ぶ。確かに、先生の髪型と兄様の髪型、どっちが結うのに時間が掛かるかと聞かれたら、兄様の髪型だ。でもね、凝った髪型とは違うと思うよ、兄様。
先生と二人、生温かい目で兄様を見つめる。と、その時、部屋の扉がノックされた。兄様が返事をした後に入って来たのはカインさん。手には少し大きめの箱。きっと、あれにお化粧道具が入ってるんだ!
「おや、坊ちゃま。これはまた、独創的な髪型で」
ソファに座る兄様を見たカインさんが、ちょっと驚いたような顔でそう口にした。兄様は「そうだろう、そうだろう」と満足そうに頷いている。褒めてない、褒めてない。
「化粧道具と髪飾りはこちらで宜しいですか?」
カインさんがそう声を掛けつつ、手にした箱をローテーブルの上に置く。私はお化粧の本をラッセルボックの背負いカバンから取り出した。そうして本で確認しつつ、必要そうな物を選んでいく。
白粉と口紅は必要。眉墨は……いらないかな? 頬紅とつけまつげ、アイシャドウは必要。あとは化粧筆か。箱からお化粧道具を取り出し、ローテーブルの上に並べ、いらない物は箱に入れたまま端に避けておく。
口紅とアイシャドウって、色んな色があるなぁ。これ、どういう基準で選ぶんだろう? パラパラと本を捲る。ええっと、口紅と頬紅は、肌色の白い人はピンク系や濃いめの色が似合って、褐色の肌にはオレンジ系の色が似合う、と。ほうほう……。アイシャドウは、腫れぼったい目にピンク系の色を使うのは避ける、か……。
「僕はこれが良い!」
兄様がそう言って口紅を取った。毒々しいまでの、真っ赤な口紅。兄様は派手な色がお好みらしい。
「先生は? どれが良い?」
「どれでも。ただ、あまり派手な色は……」
「ん。分かった!」
じゃあ、兄様で濃いめのお化粧を練習して、先生で薄化粧の練習をしよっと! とすると、先生は淡いピンク系の口紅かな?
「早速、僕で練習すると良い!」
兄様が待ちきれないとばかりに叫ぶ。でも、ここじゃ無理。
「兄様。この席じゃ練習出来ないよ。向かい合わせになれないもん。それに、高さも低いし」
「おお、そうか。では、あの椅子に座れば良いか?」
兄様がそう言って指差したのはお仕事机。あそこの椅子なら高さもあるし、場所も移動出来る。だから、私はこくりと頷いた。すると、カインさんがサッと移動し、椅子を持って来てくれる。そうして兄様が椅子に座ると、お化粧の練習が始まった。
まずは、白粉から。少量の香油を手に取り、顔全体に塗っていく。あんまり塗り過ぎたら駄目だって本に書いてあったから、ほんの少しを丁寧に伸ばしていく。
「兄様の香油って、何だか美味しそうな匂いだよね」
お腹が鳴りそう。この香油、お菓子の匂いみたい。
「ああ。良い香りだろう? バニラ香だ。気に入ったのなら、一つ贈ろうか?」
「え~。いいよ。私、今使ってる香油、気に入ってるもん」
「ほう。因みに、アイリスの香油は何香だ?」
「スミレ香!」
先生に確認した訳じゃ無いけど、たぶんスミレ香。ミーちゃんの匂い付きリボンととっても似てる匂いだもん。
「違います」
「ん? 私の香油、スミレ香じゃないの?」
てっきり、そうだと思ってたのに。尋ねるも、先生は答えてくれない。それどころか、気まずげに下を向いてしまった。あれぇ? もしかして、聞いちゃいけない話? でも、何で?
「何だ? アイリスの香油は、ラインヴァイス兄様が贈った物なのか?」
「ん。先生が香油買う時にね、ついでに買って来てくれるの」
「ついでに、か……。ところで、アイリス。僕の記憶が正しければ、人族には香油にまつわる風習があったと思うのだが?」
「風習……? あ。もしかして、男の人が好きな女の人に香油あげるとか、そういうの?」
「それだ。知ってはいたのだな。それで、何とも思わないのか?」
「何ともって?」
私が首を傾げると、兄様が深々と溜め息を吐いた。あれ? 何か、今、兄様に呆れられた?
「不憫な……」
呟いた兄様が気遣わし気に先生を見る。今の呟きは先生に対して? でも、何で不憫なの? そんな、同情されるような事――。はっ! まさか、私が先生を小間使いにしてるって思われた?
違うよ。そうじゃないんだよ! 香油が無くなりそうになると、先生がタイミング良く持って来てくれるんだよ。そんな、先生を小間使いになんて、私、してないから!




