緩衝地帯 2
今日も私とアオイ、ラインヴァイス先生の三人は、緩衝地帯へと向かった。サクラさんにお昼ごはんをご馳走してもらう為に。
お城では、お昼ごはんは軽食がメインだ。孤児院も前はそうだった。でも今は、サクラさんがお昼ごはんこそちゃんと食べないと駄目と、結構しっかりした量のごはんを出してくれている。それが出来るのも、ヴォルフさんが畑を作ったり森で狩りをしたりと、緩衝地帯の食料を賄ってくれているお蔭だ。ヴォルフさんはヴォルフさんで、そういう生活が性に合っているらしく、生き生きした顔で今日も畑を耕している。
「こんにちは~」
アオイが孤児院の扉を開き、大きな声で挨拶しながら中に入る。先生はそんなアオイに頭を下げると、森へと足を向けた。
先生がしょっちゅういなくなる理由。それは、この緩衝地帯をより安全なものにする為だった。それを聞いたのはこの間。先生が初めて孤児院でみんなと一緒にお昼ごはんを食べた次の日あたり。一緒に食堂で朝ごはんを食べている時に聞いたら、ちょっと恥ずかしそうにしながらも教えてくれた。
先生は今、森に大規模な結界の魔法陣を描いているらしい。緩衝地帯を包み込むように、魔物や大型の獣が入らないように結界を張りたいんだとか。
今は、フランソワーズとリリーとミーナが持っている魔物除けの護符のお蔭で、魔物は緩衝地帯に近付きにくい。でも、それも絶対じゃない。万が一が無いとは言い切れないからって。
魔物が出ても、駆除は出来る。緩衝地帯には、隊長さん三人組とヒロシさん、サクラさんがいるんだから。でも、もし、駆除する間に孤児院の子ども達に被害が出たら? そう考えた先生は、秘密裏に結界を張る事にしたらしい。
みんなに黙っているのは、緩衝地帯に住んでいる隊長さん三人組やヒロシさん、サクラさんの実力を疑っていると思われるのが嫌だから。信用していないって思われたくないかららしい。誰もそんな風に思わないと思うんだけどなぁ……。
「あれ? ラインヴァイスは?」
談話室の椅子に座ったアオイが、今気が付いたとばかりにキョロキョロし始める。私はそんなアオイにお茶を淹れながら口を開いた。
「森だよ、たぶん」
「森? 何だってそんな所に……」
「色々あるんだよ、きっと」
「ふ~ん……」
納得いかないって、アオイの顔に書いてる。これは……嫌な予感……。
「ねえ、アイリス? この後、森に――」
「駄目。働かざる者食うべからずって、いつもサクラさんに言われてるでしょ? 今日もお手伝いするの!」
「でも、アイリスも気になるでしょ? 行ってみようよぉ!」
「駄目!」
私が力一杯叫んだ時、談話室の扉が開いた。その先にはサクラさんとミーナ。籠一杯のお芋を二人で持っている。
「二人とも、お芋の皮むき手伝ってちょうだい。今日のお昼、コロッケにするから」
サクラさんが私達の目の前にお芋の籠をドンと置き、にこりと笑う。アオイは大量のお芋を見て、「ゲッ!」って顔をした。私はその反対の顔をしていると思う。お芋!
「嫌なら良いのよ? 作る量、一人分少なくて済むもの。コロッケ揚げるのも大変なのよねぇ……」
「い、いえ。嫌だなんて滅相もございません。手伝わせて頂きます」
お昼抜きが効いたのだろう。アオイが慌てて首を横に振った。こんな大量のお芋の皮むきは、そうとう時間が掛かるだろう。その間に、さっきの事、アオイが忘れてると良いんだけど……。そう思いつつ、私は目の前の籠からお芋を一つ手に取った。
テーブルの上にお芋を置き、ナイフを持つ。お芋は転がりやすいから気を付けないと! 小さく震えるナイフをお芋に宛がい、真っ直ぐに下ろして――。
「ストーップ! アイリスちゃん、お芋の皮むき、初めて?」
サクラさんに問われ、こくりと頷く。お芋の皮むき――と言うか、ナイフを使うの自体、初めてだったりする。だって、誰も教えてくれなかったんだもん。
「お芋は手に持ってむくのよ? ほら」
サクラさんがお手本とばかりに、お芋の皮をむく。慣れた手つき。あっという間に、お芋が一個、丸裸になった。流石、毎日ここで大量のごはんを作っているだけある!
「左手でお芋を持つでしょう? 右手でナイフをこう持って――」
サクラさんが手取り足取りお芋の皮むきを教えてくれる。普通はこういうの、お母さんが教えてくれるのかな? それとも、お手伝いをしているうちに覚えるのかな?
「ん~。こう?」
「そうそう。上手よ。お芋はね、皮を少し厚めにむくから、練習には丁度良いの。葵ちゃんもアイリスちゃんくらいの頃に、初めてお芋の皮むきしたのよ」
「へ~!」
アオイを見ると、うんざりした顔でお芋の皮を次々とむいていた。慣れている。アオイってば、ちゃんとお料理が出来るらしい。知らなかった。
「アオイ、たくさん練習したの?」
「え~? こんなの、練習なんてしないよ」
アオイがお芋から目を離さずに答える。すると、サクラさんがクスクスと笑った。
「うちはね、果物を食べたい人は自分でむくルールだったの。何でもかんでもやってあげてたら、何も出来ない大人になっちゃうでしょ?」
ほうほう。基本は教えるけど、それ以降は実践あるのみだったのか。サクラさんって見た目に寄らず厳しいな。子どもを崖から突き落とすという、伝説の獣のようだ。
「さあ、アイリスちゃん! お芋はたくさんあるから、い~っぱい練習しましょうね!」
「ん!」
サクラさんの言葉に頷き、私は黙々とお芋の皮むきを練習した。今日から、お部屋でも練習しよっと。そうすれば、毎日お芋が食べられるもん。くふふ。
お芋の皮を全部むき終わり、お洗濯物をたたんでから、談話室でアオイと一緒に休憩していると、窓の外に先生の姿が見えた。ガタリと椅子から立ち上がり、談話室を飛び出す。
廊下でヒロシさんと男の子達の集団とすれ違った。この子達はきっと、ヒロシさんと一緒に運動してた子達だ。今からみんなでお風呂なんだろう。ごはんの前に入っておかないと、汗臭いってサクラさんに怒られちゃうから。
ヒロシさんは男の子達に、からてという体術を教えている。組手という実戦練習はしないという約束で。実践まで練習したら、力ある者の務めに引っ掛かっちゃうからね。二、三日に一回、型というものを練習するだけだ。それだけでも、強い精神力が鍛えられるらしい。ヒロシさんがそう言ってた。でも、本当なのかな? みんな、精神力強くなってるのかな? そんな事を考えながら廊下を駆け抜け、外に飛び出す。
「先生!」
玄関から飛び出して来た私を見て、先生が目を丸くした。と思ったら、優しく微笑んだ。そんな先生に駆け寄る。そして、手を繋ぎ、孤児院の玄関へと向かった。
「今日、早かったね!」
「ええ。森側の魔法陣を全て描き終って、切りが良かったので。明日からは荒野側に取り掛かります」
「そっか。あのね、今日のお昼ごはんね、私もお手伝いしたんだよ! 初めてお芋の皮むきしたの!」
「芋? ナイフを使ったのですか?」
「ん! 五個もむいたよ!」
「手は? 切りませんでした?」
「んもぉ! そんなドジしないもん!」
頬を膨らませた私を見て、先生が声を出して笑う。そんな何気ないやり取りなのに、胸の奥がポカポカして、とっても幸せな気分になった。
でも、そんな幸せな気分もあっという間に消え失せた。先生と一緒に、玄関を入った瞬間に。玄関ホールに立つ人物を見て。
「アクト……」
待ち伏せ……。今日は何もしてこないから油断してた。まさか、先生と一緒の時に来るとは。
「な、何か用?」
私はおずおずとアクトにそう尋ねた。先生がいる手前、今日は魔術を使えない。また杖を取り上げられるのは御免だ。……はっ! アクトってば、それが分かってて、あえて先生と一緒の時を狙ったの?
「離れろよ……!」
アクトが呟くようにそう言う。離れろって、何から? 意味が分からず、私は先生と顔を見合わせた。
「離れろって言ってんだろ!」
アクトの怒声が、玄関ホールに響く。彼は真っ直ぐ先生を睨んでいた。私じゃなくて、先生を。何で? 今日は先生が攻撃対象なの?
「ええと……?」
先生は困ったように眉を下げた。心当たりが無いのに一方的に怒鳴られたら、誰でもこんな顔になると思う。特に先生は優しいから、人族の子ども相手に怒るなんて出来ないだろうし。ここは、私がしっかりせねば!
「良いよ、先生。こんな子放っておいて、ごはん行こう!」
そう言って先生の手を引っ張り、アクトの横をすり抜ける。フンとそっぽを向いて。
「待てよ! アイリス!」
後ろの方で、アクトが怒鳴る声が聞こえる。でも、追い掛けて来る気配は無い。ふふふん。今日も勝った!
「良いのですか? 呼ばれてますけど……?」
先生はアクトが気になるらしい。でも、あんなヤツ、構ったら負けだ。それに、一度構ったら、味を占めて何度でも突っかかってくるんだもん。
「良いの。いつもあんなだから。アクトってね、すぐ怒鳴るしね、意地悪するんだよ。先生も気を付けてね」
「え、ええ……」
頷いたものの、先生はまだアクトが気になるらしい。しきりに後ろを振り返っている気配がする。私はそんな先生を半ば引きずるように、食堂へと向かった。
食堂では、サクラさんとミーナ、アオイがお昼の準備の為にせかせかと動き回っていた。私もお手伝いしないと! そう思い、タタタッとサクラさんの元に行く。
「アイリスちゃん、ラインヴァイスさん、これ、それぞれのお皿に二つずつ配って」
そう言って、サクラさんが巨大なお皿を私に差し出した。その上には、山盛り一杯のフライ。これがころっけなのかな? お皿を受け取ると、ずっしり重い。
「持ちますよ。アイリスはここからフライを取って、皆の皿に配って下さい」
「ん」
先生に大皿を渡し、私はその上に乗っていたトングを取った。トングを持つと、開いて閉じてをしたくなる不思議。さぁ、張り切って配膳、配膳! トングをカチャカチャと鳴らしながら、みんなの席を回る。二つずつ配りながらぐるっと一周回って――。あれ?
「サクラさ~ん! たくさん余ったよ~!」
先生が持つ大皿の上には、フライが余っていた。もう一つずつ配るには数が少ないけど、それなりの量。
「あらぁ? 数、間違えたかしら……?」
首を傾げながらサクラさんがこちらに来る。そして、先生が持つ大皿とテーブルの上を見比べた。
「まあ、良いわ。これはおかわり」
先生から大皿を受け取ったサクラさんが、テーブルの真ん中にドンと大皿を置いた。こうして余りが出ると、おかわりになったり、ノイモーントさんやフォーゲルシメーレさんのお家におすそ分けに行ったりする。どうするかは、サクラさんの気分次第。今日はおかわりにしたい気分だったらしい。
「それじゃあ、みんなに声かけて来てくれる?」
「ん! 先生、行こう!」
先生の手を取り、駆け出す。向かうはみんなの部屋がある二階。二階の廊下を駆けながら「ごはん出来たよ~!」と声を掛けると、ちらほらと、女の子達を中心に数人が部屋から出て来た。
二階に声を掛け終わったら、次は外。玄関前に立ち、大声で「ごはんだよ~!」と叫ぶと、数人が駆けて来た。今日はヒロシさんのからての日だったからか、外にいた子は少ない。残りはお風呂場なだ、きっと。そちらは待っていれば来る。だから、先生の手を引き、食堂へと戻った。
私が食堂に戻って少しして、お風呂に入っていた子達もやって来た。いよいよごはん! お芋! お芋! 先生のお隣に陣取り、ワクワクとしながらごはんの前の挨拶を待つ。
「じゃあ、みんな揃った所で――あら?」
サクラさんが不思議そうに首を傾げる。視線の先には一つの席。空席だ。誰か来てない? ぐるりとみんなを見回すサクラさん。
「アクトがいないな……」
そう言ったのはヒロシさん。やれやれと溜め息を吐きながら、立ち上がろうと腰を浮かせた。
「あ。私、探してきます。先に食べていて下さい」
そう言ったのはミーナだ。席を立ったミーナを追いかけるように、ヴォルフさんも席を立つ。そうして二人は連れ立って、食堂を後にした。
「ミーナ姉ちゃん、可哀想! ごはん、冷めちゃうじゃん!」
「ねぇ! いっつも自分勝手なんだから、アクトって!」
「呼ばれたらすぐに来なさいよね」
そこかしこから、アクトへの文句が上がる。あんな性格だからか、仲の良い一部の男の子を除いて嫌われているらしい。まあ、それも仕方ない。日頃の行いが悪いからだ!
「まあまあ。そんな風に言わないで。ごはんにしましょう? ね?」
取り成すようにサクラさんがそう言うと、みんな一様に口を閉じる。でも、不服そうな顔のまま。
「じゃあ、お父さん」
「ああ、頂きます」
『いただきます』
みんなが声を揃えて挨拶をし、一斉にごはんを食べ始める。私もころっけなるお芋のフライにフォークを突き立てた。
ごはんを食べ始めてしばらくすると、アクトがミーナとヴォルフさんに連れられて食堂にやって来た。アクトはぶすっとした顔をしている。少し目が赤い所を見ると、ミーナに怒られたんだろう。まあ、私には関係ない。それよりも、ころっけ、ころっけ!
ころっけを味わいながら食べていると、ふと、視線を感じた。顔を上げ、そちらを見る。すると、アクトがこちらを見ていた。何か言いたげな顔で。何だろう? ……まあ、良いか。ころっけの方が重要だもん。むふふ。ころっけ美味しい。ころっけ最高! サクラさんにレシピ教えてもらって、今度、イェガーさんに作ってもらおっと!




