メイド
アオイの夕食のお世話も終わり、ラインヴァイス様が竜王城のお風呂の沸かし方を教えてくれた。孤児院では、川から水を汲んで来て、小指の先くらいの火の魔石を使って薪に火をつけてお風呂を沸かしているけど、竜王城ではそんな面倒な事はしなくて良いらしい。それに、薪も必要無いらしい。
「おお~!」
私は大きな湯船を覗き込み、声を上げた。そこには私の手より大きな魔石が二つ。赤い魔石が火の魔石で、青い魔石が水の魔石だ。その二つが薄らと光ながら、お湯の中にプカプカと浮いてる。
魔石自体、そんなに珍しい物ではない。特に、火の魔石と水の魔石はどこの家にもあると言って良い。でも、こんなに大きな魔石を見るのは初めてだ。大きければ大きい程、たくさんの火や水を出す事が出来る魔石だけど、大きいのは高過ぎて、普通の家では使えない。私が見た事ある魔石は、どれも小指の先くらいだった。だから、魔石で足りない分は自然から取ってくるしかない。特に水。飲み水以外――お風呂や洗濯は川の水を使っていた。だって、普通の家にあるような小さな魔石じゃ、お風呂とか洗濯とかに魔石の水を使っていたらすぐに無くなっちゃうんだもん。母さんと暮らしている時、朝の日課の一つが水汲みだった。あの頃は、水の入った桶が重くて、とっても辛くて嫌だったけど、戻れるならあの頃に――。
「――さいね」
ラインヴァイス様に何か言われ、私は顔を上げた。湯船の前でしゃがみ込む私を見下ろすように、ラインヴァイス様が片方だけの目で私を見つめている。
私、今……。戻れるなら、なんて……。そんなの、無理なのに……。私は母さんにいらないって捨てられたのに……。
「聞いていました?」
ラインヴァイス様の問いに、フルフルと首を振る。すると、ラインヴァイス様が困ったように眉を落とした。
「湯が程良く溜まったら、あの魔法陣に魔石を戻し、アオイ様に声を掛けて下さいね、と。私はアオイ様の元に戻りますから、ここは任せましたよ?」
「ん」
「それと、あまり厳しい事を言いたくは無いのですが、今後はアオイ様のメイドとしての自覚を持って行動して下さい」
「自覚?」
「ええ。まだ幼い貴女には酷かとは思いますが、アオイ様の恥にならないように」
アオイの恥にならないように……? もしかして、私が変な事をすると、アオイまで笑われちゃうの? それは駄目。駄目駄目駄目。私がこくこく頷くと、ラインヴァイス様がにっこりと笑った。そして、白い手袋を取って、私の頭を撫でてくれる。
「期待していますよ、アイリス」
「ん!」
へへへ。私、期待されてるんだ。頑張らないと! まずは、このお風呂だ! お湯が溜まったら魔石を戻して、アオイを呼びに行って、それで、アオイのお風呂、手伝わないと!
と思ったのに、お風呂のお手伝いはアオイにお断りされてしまった。背中、流すくらいさせてくれても良いのに。母さん、背中流すと喜んでくれたのに。気持ち良いよって。だから、アオイも喜んでくれると思ったのに……。くすん。
がっくり肩を落として洗面所から出る。すると、ラインヴァイス様が「言わなくても分かってるよ」と言うように、私を見て優しく笑った。
アオイってば、あんなに恥ずかしがる事無いと思うんだ。別に、覗こうなんて思って無かったのに。ただ、お手伝いがしたかっただけなんだもん……。それなのに、キャーなんて悲鳴、上げる事無いと思う。
「では、アイリス。後は頼みましたよ。アオイ様の寝る準備が整ったら、アオイ様に挨拶をして部屋に戻って良いですからね」
ラインヴァイス様がそう言って部屋から出て行く。ラインヴァイス様はこれからいろいろとやる事があるらしい。私だって、アオイがお風呂から出てきたら、まだまだやる事あるもん! アオイのあの長い髪の毛。あれに香油を擦り込んで、ブラシで梳かしてあげるんだもん。いつも母さん、お風呂から上がるとやってたんだもん。それ、ちゃんと見てたから、私にも出来るはずだもん。
香油、どこかな? キョロキョロと広い室内を見回す。目に付いたのは立派な鏡台だった。母さんが使ってた鏡台よりずっと立派。きっと、あそこで身だしなみを整えてるはず。あそこに香油、あるはずだ! ブラシも!
走って鏡台まで行くと、香油はすぐに見つかった。だって、鏡台の上に出しっぱなしなんだもん。こういうのはちゃんと仕舞っておかないといけないんだよ。アオイ、お片付け苦手なのかな? ま、いいや。ブラシ、どこかなぁ?
鏡台の一番上の引き出しを開く。あ。ブラシ発見。この引き出しは、ブラシとかお化粧用の筆とかの、身だしなみ道具専用なのかな? でも、ブラシ以外、全部新品だな……。アオイ、お化粧してないもんなぁ。嫌いなのかな? ブラシを取り出し、引き出しを閉める。そして、二段目の引き出しを開いてみた。ここは、白粉とか口紅とかのお化粧専用なのか。たくさんあるなぁ。母さんなんて、これの半分も持ってなかったよ。これもお化粧筆と一緒で、どれもこれも新品だ。もったいない。さて、三段目は……。あれ。空っぽだ。ちょっとガッカリ。何が入ってるか、ワクワクしてたのになぁ。
ガチャリと扉が開く音がし、アオイが洗面所から出て来た。アオイの身体からはホカホカと湯気が上がり、お肌が桃色に色付いている。しっかり温まって出て来たみたい。偉い偉い。母さん、言ってたもん。お風呂ではしっかり温まりなさいって。じゃないと風邪ひくからって。
私はアオイにブラシと香油を掲げた。少し驚いたように目を丸くしたアオイが、嬉しそうに微笑む。そして、いそいそと鏡台の椅子に座った。私はアオイの背中側に回り、髪を背中に流そうとした。あ。手ぬぐい! これ、肩に掛けるの忘れると、夜着がビショビショになっちゃうんだった。アオイが持っていた手ぬぐいを奪って肩に掛け、その上に髪を流す。そして、手に香油を取り、アオイの髪に塗りたくった。エプロンで手を拭ってからブラシを手に取る。
アオイの髪、綺麗だな。私みたいにクルクルしてない。ツヤツヤの黒髪、羨ましいな。私の髪なんて、クルクルなだけじゃなくて、パサパサだし、赤毛だし。雨が降るとボンってなるし。私もお風呂上がりに香油付けたら、こんなツヤツヤになったりなんて……しないな。はぁあ……。もっと綺麗な髪だったら良かったのにな。
アオイの髪を梳かしていると、突然、私のすぐ脇に竜王様が姿を現した。私を見下ろすように睨む竜王様から、とっても怖い空気が漂ってくる。自然と、私の身体がカタカタと震え出した。さっき、広い部屋で会った時は遠かったから何とか耐えられたけど、こうしてすぐ近くにいると身体の震えが止まらない。怖い……!
「小娘、去ね」
鋭い目で私を睨み、竜王様が静かに言った。私は小さく震える身体を何とか動かし、竜王様に向かってぺこりとお辞儀をする。そして、小走りでアオイの部屋を後にした。
怖かった……。トボトボと階段を下り、自分の部屋へと向かう。竜王様って、いつもあんなに怖いのかな? アオイ、怖くないのかな? 私、とっても怖いよ……。竜王様と会う度に、あんな怖い思いしないといけないのかな?
何で、アオイはあんな怖い人の恋人なんてしてられるの? そりゃ、竜王様の顔は、今日会った誰よりも綺麗だけど……。でもでも! 顔が良いだけじゃ、恋人なんて出来ないと思うんだ。……まさか! アオイ、竜王様に脅されてるの? 竜王様が怖くて逆らえないの?
アオイ、大丈夫かな? 竜王様に食べられちゃったりしないかな? 心配になって、下りて来たばかりの階段を三段程上り、私は足を止めた。
私が行ってどうにかなる? もし、アオイが竜王様に食べられそうになってても、私に出来る事ってある? 止める事なんて出来る? さっきだって、竜王様に睨まれただけで震えてたのに……。私……何も出来ない……。アオイの役に立てない。こんなんじゃ、すぐに追い出されちゃう。いらないって、言われちゃう!
ジンと目が熱くなり、喉の奥が痛くなった。泣いちゃ、駄目。でも、でも――! 堪え切れなくて、私はその場にうずくまった。
母さんは、私をいらないから捨てたんだ。私はいらない子なんだ。もし、アオイにまでいらないって言われたら、私、私――!
「アイリス?」
名前を呼ばれて顔を上げる。すると、大きな荷物を抱えたラインヴァイス様が少し下の方で足を止め、不思議そうに私を見ていた。そして、驚いたように目を丸くしたと思ったら、足早に階段を上って来る。
「何かあったのですか?」
すぐ脇に荷物を置き、私の目の前にしゃがみ込んだラインヴァイス様が手袋を取り、私の背中をポンポンと軽く叩いてくれた。その手の感触がとっても優しくて、何だか余計に泣けてきた。
「わだじぃ、わだじぃ……!」
役に立てないの。私、いらない子なの。母さんも私をいらないから捨てたの。誰にも必要とされてないの。必要としてもらいたいのに! もう、いらないって捨てられたくないのに――!
ラインヴァイス様は大泣きする私を、器用に片腕で抱きかかえた。そして、部屋に連れて行ってくれる。椅子に下ろされた私は、テーブルに突っ伏して泣き続けた。パタンと静かに扉が閉まる音がする。ラインヴァイス様も忙しいんだ。私に構ってる暇なんて無いんだ。そう思っていたけど、すぐに扉をノックする音が響き、ラインヴァイス様が戻って来てくれた。




