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刀狩りのココロ  作者: 奈良月 君尋
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第一話 ナイフ②

     四


「事件のほうはいいのかい? 女の子にかまけちゃって」

 竹林の中の一本道を歩き抜け、辿り着いた先の小さな商店の店先で、円は言った。

 その建物は古く、見ているだけで木の軋む音が聞こえてきそうだった。

 入り口には、『骨董品店 久遠堂』と書かれた大きな木製の看板が掲げられている。

 この自宅件商店の経営が円の本業である。「場所は悪い」「一見するとただのボロ屋」「棚に並んでいるのはガラクタばかり」という、悪い三拍子が揃ったこの店だが、円によると常連客もいて、けっこう繁盛しているらしい。

 世の中には不思議なこともあるものだ、と堂上は思う。オカルトを仕事にしているおれが言うことじゃないかもしれないが……。

 そんな人気店の主人である和服少女の久坂円は、いま堂上の目の前で、自分の髪をぐりぐりと指で弄んでいる。なにか気に入らないことでもあったのだろうか。それは円が不機嫌なときの証拠だった。髪につけた装飾品がチャリチャリと、忙しない音を立てている。

「……お前、誰からそれを聞いた?」

げんなりとした顔で、堂上は言った。

「こころちゃんが、ここのところ毎日女の子を送り迎えしていることかい? そんなの誰でもいいだろう。ぼくだって一応、きみたちの部署の一員なんだ。ツテなんていくらでもある。……まったく、惚けちゃってさ」

 何やらブツブツと呟いている。こいつはいまとても機嫌が悪いらしい。円はこうなると長い。一度機嫌を損ねると、なかなか直らないタイプなのだ。付き合いの長さからそのことを知っている堂上は、さわらぬ神に祟りなし――と、手早く用事を済ませて帰ることを決意する。

「ほら、とにかく口頭でいいから報告しろ」

 面倒くさそうに堂上がそう言うと、円はきつく睨んできた。

 ――が、仕事はちゃんとするつもりらしい。口を尖らせて言った。

「変わらず。問題ないよ。きみたちが回収した妖刀はぼくが封印しているんだ。万が一にも妖気が漏れだして、他人に迷惑をかけることもない。保証するよ」

 それは、回収された妖刀の管理についての報告だった。妖刀は妖気を発し、人の精神を乗っ取ろうとするため、おいそれと人の生活圏に置いておくわけにはいかない。また、霊的な力が強すぎるため、霊木を切ろうとすると事故が頻発ように、厄介にも簡単に壊すこともできないのだ。――では、どうするのか? 

 封印するというのが、ひとつの答えだ。

 そうして呪法により、ゆっくりと霊力を霧散させていくことで、元の無害な物へと戻していく。

特に円は、その技術へと秀でている。久坂の家はたいへん由来が古く、さかのぼれば平安時代の陰陽師まで行き着くという。そのため数々の霊的な技術を伝えており、その力を用いれば、人へと干渉する妖刀の霊力を完全に封殺した状態で、長期間保管しておくことも可能なのだ。

 わずかではあるが、『危器物管理課』の協力者のなかには、円の他にもそういった技術を持つ霊能者が何人かいて、定期的に保管状況の確認をおこなっている。堂上はその久坂円担当なのだった。元からの知り合いということもあって、自然とそう決まった。そのため、堂上は定期的にこの店へと通っている。

「ところでこころちゃん、聞いたよ。昨日、また事件があったんだってね」

 報告書をまとめていた堂上に向かって、円が言った。堂上のその声に手を止めた。

「状況はこの前のマンションとまったく同じ。男が窓から突然入ってきて、襲ってきたそうじゃないか。残されていた靴跡も、今度の被害者の斬られた傷跡も、前回と同じだったとか」

「……鑑識によるとそうらしいな。おれもついさっき現場を見てきたけど、確かに前のケースと同じような現場だった。マンションで一人暮らしをしていた男性が襲われたという状況も同じ。犯人が苦しみだして逃げ出したことも同じ。課内ではこれらは同じ『妖刀』による連続襲撃事件だとする見方が強い。……とにかく、今度の被害者も傷は浅かったらしい。良かったよ」

 すると、円が神妙な顔で堂上を見つめてきた。

「ねえ、こころちゃん。今回の連続事件、なにか変じゃないかな? 妖刀の目的は人を殺害することで、そこに方向性はなく、基本無差別だ。誰でもいい、殺せればいいのさ。でもね、今回の二つの事件は、なにやら似すぎていないかい?」

 円の言いたがっていることは、理解できる。堂上も気になっていた。現場が一人暮らし用のマンションである点や、侵入方法、時間帯も同じだった。さらに言えば、襲われたのが男性である点も。ただし、今のところ起こった事件は二件のみ、共通点は多いが、まったくの偶然という線も捨てきれない。

「……たまたま、じゃあないのか?」

「そうかもしれないね。でも、そうじゃないかもしれない。なにか引っかかるものがあるんだ。事件当時の犯人の様子を聞くに、まだ犯人は乗っ取られている最中さ。まだ自我が残っているんだよ。そこに、今回の襲撃事件のカギがあるかもしれない」

「と、言うと?」

「男の残っている自我によって、襲撃場所が決められているんじゃないかということだよ。詳しくは、調べてみないとわからないけれど。――こころちゃん、署に戻ったら一回調べてみてくれないかな? もしかしたら、なにか見つかるかもしれない」

「わかった。資料を見返してみる」

 堂上は頷き、作りかけの報告書を簡潔にまとめると、久遠堂をあとにした。事件のことを話し終わると、円の機嫌は、またもとの斜めに戻ってしまった。帰り支度をする堂上の後ろで「こころちゃんは、このあとどうせ、またあの女の送り迎えをしに行くんだろう? まったく気に入らない。気に入らないよ」と、ぶつぶつ呟いていた。

 まさしく堂上は、そうするつもりでいた。

 恵の職場へと向かおう。そろそろ恵の勤務が、終わる時間なのだった。



     五


「ありがとう、堂上くん。今日も送ってくれて。ここのところ毎日、ごめんね」

「いえいえ、いいんですよ」

「でも、疲れちゃわない? 朝も家まで迎えに来てもらって、夜も会社から送ってもらっちゃって……」

「いえ、鍛えてますから。体力には自身があるんで……」

 恵の送り迎えを始めてから、そろそろ一週間が経つ。カフェで怯える恵を見て放っておけず、堂上はボディガードを申し出たのだった。朝は恵の住むマンションまで迎えに行き、夜は会社まで迎えに行く。最初は恵も遠慮をしていたが、やはり不安だったのか、堂上の提案をすぐに受け入れた。

「そういえば、あれからメールとか、電話とか、ありましたか?」

「ううん。ないよ。堂上くんに言われて、電話番号とメールアドレスを変えてからは、まったく。やっぱりわたしの住所までは知らなかったみたい。変な手紙とかも来ないし」

「それは良かったです。相手のアプローチの方法から考えると、住所までは知らないんじゃないかと思ったから……」

「その通りだったね。でもきっと、自分ひとりじゃ思い切って変えることはできなかったよ。堂上くんが守ってくれてると思えたからできたんだよ」

 そう言って、恵が目を合わせ、瞳を覗き込んでくるようなしぐさをした。

 ドキリとする。最初は、まともに目を合わせることもできなかったが、いまは少しなら合わせていられる。そうやって恵の顔を見ると、他人より唇が厚いことや、鼻筋が綺麗に通っていることがわかってくる。これらはきっと普通なら、初対面のときに気づくことなのだろう……。しかし、自分だって進歩しているという実感がある。

 しばらくして、見つめ合うことに限界を感じた堂上は顔を背けた。

「やっぱり、まだ女の子は苦手なんだね」悪戯をした子供のような表情で、恵が笑う。

「からかわないでくださいよ」

こんなおれをからかってなにが面白いのか。

「だって、堂上くん面白いんだもん。なんだか、他の男の人とは違う感じがする」

「なにも違わないですよ」堂上は口を尖らせた。「おれだって普通の男ですよ」

「そうかなぁ……」恵は納得がいかなそうだった。そして、少し考えこんで言った。「なんか、落ち着いているんだよ」

「それは、どういう……?」恵の言っている意味がわからなかった。

「普通自分の弱いところや不甲斐ないところって、人に見せようとは思わないでしょ。でも堂上くんは、そういった取り繕うところがないの。自分にも他人にも、すごく正直なんだよ」

「……そういうのは昔から苦手で」

「ある意味、世間知らず?」

「ひどい」堂上は泣きそうな顔をした。

「あはは、ごめんね。でも、そういうふうに自分の弱いところを晒してるから、見方によってはすごく強くて、落ち着いて見える。おれはなにがあっても揺らがないぞ、って見えるの。私はそういう人いままで見たことないなあ」

 いつの間にか、恵の目が、真剣に堂上を見つめていた。なぜだろう。顔は笑っているのに、瞳には真っ直ぐとした光が感じられた。「ちょっと堂上くんがどうやって育ってきたのか、想像がつかないなぁ」

「――剣術をやってました」

「え?」唐突な堂上の言葉に、恵がたじろいだ。

「ウチは古い剣術の流派を伝えていて、家の一角に木造の道場があるんです。小さい頃からそこで、じいちゃんに剣術を習っていました」

「堂上くんの名前を付けてくれたおじいさん?」

「そうそう!」思わず声が大きくなった。

「楽しそうに教えてくれました。おれは剣術そのものが好きってわけではありませんでしたが、そのじいちゃんとの時間が好きで、剣術を続けて、結局この歳まで来ちゃいました。ずっと、剣術一筋ですよ」

「辞めようとは思わなかったの? 他のことをしたりとか……」

「『辞めてもいいんだよ』って」

「え?」

「それがじいちゃんの口癖でした。おれに無理強いしてまで教える気はなかったのでしょう。嫌になったらいつでも辞めていい。自然と離れて行くなら、それでもいい、と言っていました。周りに剣術なんてやっている子はいませんでしたし、話も合いませんから、大人になるにつれてどこかで卒業するのが当然です」

「なのに、堂上くんはいまでも続けている?」

 堂上は頷いた。「だれもおれにやれなんて言ってないのにね。他のスポーツをしたことありますし、周りの友達と同じようにテレビゲームで遊んだこともあります。でも、竹刀を握ることは辞めなかった。道場で、朝に、晩に、汗を流しながら無心に竹刀を振り続けることよりも楽しいことはいっぱいあるのに……。なぜかおれは剣術から離れられず、いまでも稽古を続けているんですよ」

「いまでもお祖父さんが教えてくれているの?」

「いいえ、じいちゃんはおれが高校生のときに死にました。だからこそ――、自分が不思議なんです。じいちゃんはもういないのに、おれは剣術を続けている。好きなわけではないんですが。でも、五年後、十年後を思い浮かべても、剣術をやっていない自分は、ちょっと想像できません」堂上は、頭を掻きながら、苦笑した。

 恵は、この話をどう受け止めたらよいのか、戸惑っているようだった。それはそうだろう、と思う。急にこんな話をされて戸惑わないほうがおかしい。そもそも、堂上自身も、自分がなぜこんなにも長く剣術を続けているのかわかっていないのだ。強いて言えば、性分に合ったというか――。道場で竹刀を振っている自分が、なんだかしっくり来るのだ。じいちゃんはそんな自分を『才能がある』と褒めてくれた。

「おかしな人だね、堂上くんは」しばらくすると、笑顔を取り戻して恵が言った。「興味が出てきたよ」しかし、その笑みはいままで見ていたものとは、少し違っている気がした。

「――ねえ、堂上くん。今日は上がってお茶でも飲んでいかない」

「……上がるって?」

「わたしの部屋」恵がマンションを指差した。

 その言葉に、堂上は反射的にあとずさった。即座に首を横に振る。

 ――無理。無理。自分が女の子の部屋に入る? そんなことをしたら、緊張で死んでしまうのではないか? たぶん、おそらく、きっと、いや、確実に。女の子の部屋でいったいどう振る舞えばいいのか、堂上はまったくわからなかった。イメージが湧かないのだ。

 その堂上の慌てぶりを見て、恵は大笑いした。自分の女性経験の無さが改めて露見したようで、堂上は恥ずかしくなった。

 恵はひとしきり笑うと、その笑顔のままマンション入り口の階段を駆け上がった。その去り際、「予想通りだけど、でもちょっと残念だよ」と、手を振り、建物の中へと消えていった。

 恵がいなくなってから、堂上は長い長いため息を吐いた。

――冗談、だったんだよな……? 

 心臓が破裂しそうな程に、音を立てていた。まだまだ治まりそうにはなかった。女の子の言うことはよくわからない。どういうつもりだったのだろう。それに、いつもと違う雰囲気が感じられたのも、少し気になった。

 堂上は考えを切り替えるために、頭を振った。

 考えても答えが出るわけではない。特に女子経験がない自分には。

 堂上は、マンションの前から歩き出し、駅へと向かった。夜風に当たっていると、少しずつ頭が冷えてくるようだった。恵の住むマンションは立地が良い所にあり、駅にはわずか五分ほどで着いた。定期を改札へと通し、家の最寄り駅へと向かう電車――とは反対の電車に乗った。目指すのは職場である警察署だった。

 今日は、恵を送り届けたら、署に戻ろうと考えていたのだった。

 ――『なにか見つかるかもしれない』

 円の言葉が言っていた言葉だ。

 恵のことも心配だが、事件のほうも放っておくわけにはいかなかった。最初の事件から、そろそろ一週間が経とうとしていた。それなのに捜査課からは何の連絡もない。捜査が難航しているのかもしれなかった。しかし状況は以前と変わらず、次の被害者はいつ出てもおかしくはない状態だ。それに――次に出るのは死者かもしれない。犯人は、妖刀によってどんどん狂わされ、殺人者へと近づいているのだ。

 次は、恵が襲われるかもしれない。

 そういうことだって、ありえないことではない。


「おう、堂上。お疲れさん」

 堂上が『危器物管理課』の事務所に入ると、すぐに声をかけられた。奥を見ると、男がひとり机に向かっている。堂上の先輩で、比嘉清治という男だった。

「なんや遅かったな。今日は嬢ちゃんとこに行ってたんやろ」

 比嘉は、円のことを『嬢ちゃん』と呼ぶ。ついでにいえば、関東出身なのに、比嘉はなぜか関西弁を使う。以前、なぜかを訊いたら「電気だって、全国の好きな電力会社から買えるやろ? 夫婦だって、それぞれで苗字を選択できる時代や。これからは方言も選択制なんやで」と、自慢気に言われた。我こそは時代の最先端であるぞ、と胸を張っていた。率直に言えば変人である。しかし面倒見はよく、堂上もよく世話になっていた。

「なんかあったんかいな」

「いえ、なにも。ただ帰りに野暮用があっただけで」

 そう言うと、比嘉は顔にいやらしい笑みを浮かべた。

「あー、例のあの子のことやな。送り迎えしてるんやろ。なんやまだストーカーされとるんかいな」

 堂上はこれまでの経過を比嘉に話した。番号とアドレスを変えたこと。それからはしつこい連絡は来ていないこと。

 比嘉は妙に人懐っこい性格で、話しやすい雰囲気を持っている。そのせいで、ついついなんでも話してしまうのだった。恵のことも当初は秘密にするつもりだったのだが、浮ついた気配を嗅ぎ当てられ、しゃべらされてしまった。

「ところで、恵ちゃんとは、どこまでいったんや?」

「……どこまでとは?」

「キスくらいしたんかっちゅうことや。もしかして、ヤッた?」

 堂上は真っ赤になって、首を振った。

「その様子やと、手も繋いでないな。もったいない」

 なにがもったいないのか、女の子と付き合ったことすらない堂上には、わからなかった。それに、恵とそういう関係になりたいのかは、自分でもよくわからなかった。

 そもそも合コンには、自分から女性を求めて行ったわけではなかったし、恵とのここまでの関係は、成り行きで進んできただけだ。こちらに気持ちがあったわけではない。女の子と付き合うということ自体が、別次元の事柄みたいに実感が無い。興味があるだけで、情けないことに想像すらできないというのが本音だった。

 恵の方は――どう思っているのだろう? 

 さっきみたいなこともあったし……やはりわからない。

 うーんと、堂上が考え込んでいると、比嘉が大きくため息を吐いた。

「堂上はガキやなぁ。この分やと、しばらく嬢ちゃんも安心やな」

 そう言って、なんだか呆れたような、憐れむような視線を向けてきた。

「まあとにかく、ストーカー問題が解決して良かったな。このままなんもないといいけどな。住所を探り当てられて、気づいたら待ち伏せされてた、なんてことがないとも言い切れんで?」

「怖いこと言わないでくださいよ」堂上が口を尖らせた。

 そういったことがないように、連絡が無くなっても、まだ自分が送迎をしているのではないか。しかし、番号とアドレスを変え、連絡手段を断ったはいいが、それで本当に相手は諦めたのだろうか? まったく音沙汰がないせいで、それを確認する手段がないのも確かだった。もし見つかって襲われたら――。そう考えると、背筋が寒くなる。

 考えるのはやめよう。しかたのない事だ。

 それより、署まで戻ってきたのは、用事があるからだった。

「そうそう、先輩。いま起こってる襲撃事件の資料とかありませんか」

「いくつかあるで。妖刀絡みっぽいもんな。捜査課は認めんがな。一応資料は回ってきてる」

 そう言うと、比嘉は資料棚からいくつかのファイルを持ってきた。

「妖刀事件は基本無差別や。関連性があるとは限らへんで」

「わかってます」

 資料を開く。事件が起こったそれぞれのマンションの持ち主、築年数、建設会社、管理会社から住民のリスト、さらには、過去に起こった住民トラブルの報告書まで様々なことがまとめられていた。持って来られるものはとりあえず、洗いざらい持ってきたという感じだった。そこに警察が聞きこみなどで調べた、周辺地域の治安や過去の事件についての調査報告書まであるのだから、ひとりで見るにはけっこうな量になっている。

 まず堂上は、過去のトラブルの報告書から見ていった。犯人の過去の恨みが、襲撃に結びついているのかもしれないと考えたからだ。

 騒音問題、ゴミ出し問題、水漏れ事件……など。

それぞれのマンションで起こった大小様々な問題。それらに関わった人たちの名前をピックアップし、照らし合わせてみる。が、同じ人物の名前が浮かび上がってくるようなことはなかった。トラブルを起こした側、起こされて困った側、逆恨みなども含めて、両方のマンションに関わった人たちのなかに、共通した人物がいれば、それが手がかりとなるのだが、そんなに簡単ではなかった。

 次々に、資料を見る。比嘉によると、捜査課は襲われた被害者を中心に調べを進めているのだという。本人が気づかずに恨みを買っていたのではないか? など、被害者たちの関連性を洗って襲撃犯に近づこうとしているらしい。ならば、自分はもっと違う観点から、危器物管理課として事件を調べてみようと、堂上は考えた。

 被害者の関連性を洗う、という捜査課のアプローチはある意味正しい、と堂上は思う。妖刀が犯人の恨みによって襲撃先を選んでいるのだとしたら、その線も十分にありえるからだ。しかし、いまだに捜査課は犯人にたどり着けずにいる。

 それはなぜか? 

 捜査課は、犯人が正気を失いつつあるということを見落としているからではないか。妖刀に取り憑かれた犯人は、ぼんやりとした思考で犯行を行っていると思われる。襲撃する人物をしっかり選んで襲っているわけではないのではないか? 混濁した思考や記憶がどのように犯行に結びついているのか、わからないのだ。だからこそ、幅広い可能性を拾っていく必要がある。おれは捜査課が調べていない線で調べてみよう。

 例えば、場所。

 過去に因縁のある場所に行ったところ、たまたまそこに人がいて、その人が襲われた。そういうことも過去の『妖刀』事件に例があった。ありえないことではない。

 でも……、と堂上は思う。今回は、立て続けに似たような場所が襲われている。いずれも一人暮らし用の高級デザイナーズマンションだ。この共通点を無視してもいいのか、堂上は疑問に思った。なにか引っかかるものがあった。事件の裏側に、隠れた意図があるように思えるのだ。それが『妖刀』に取り憑かれた犯人のおぼろげな意識から生じたものであったとしても……。それを見いだすことができれば、真相を手繰り寄せる手がかりになるのではないか。

 次は襲撃があった部屋に、過去住んでいた住民のリストを見てみよう、と思った。堂上は資料がまとめられているファイルを取り出し、次々にページをめくる。

「――――」

そこにある人物の名前を見つけて、思わず手が止まった。

 目頭を拭い、もう一度見ると、そこには確かに「植田恵」の名前があった。最初に襲撃があった部屋のリストだった。二件目の襲撃のあった部屋のリストも見てみると、そこにも「植田恵」の名前がある。堂上の背に震えが走った。

 リストによれば、一件目の事件があった部屋に住んでいたのは三年前となっている。それから一年間ほど住んでいたらしい。二件目の事件があった部屋には、一件目の部屋から引っ越して、半年間住んでいたことがわかった。

――これは、偶然か?  

 恵が犯人ということはないだろう。『妖刀』に取り憑かれているなら、まともに生活を送ることさえ難しいというのが理由だ。恵がまともなことは、毎日会っている堂上がよくわかっている。

 しかし、堂上の中には得体のしれない不安感あった。もちろん、ただの偶然だとも考えられる。……が、堂上の中では嫌な予感が、偶然だと思う理性を押しのけて、どんどんと膨らんでいた。手伝ってくれていた比嘉も、堂上の様子に気づき、リストを横から覗き込んで、表情を固くしている。

「一回、電話してみたらどうや?」比嘉が言った。「まずはマンションに住んでいた頃について、訊いてみんことにはなにも始まらんやろ」

 その言葉に、堂上はスマートフォンを取り出した。恵の番号を呼び出し、コールする。恵はすぐに出た。比嘉にも聞こえるように、受話音声をスピーカー設定にした。

「もしもし。堂上くん? 急にどうしたの?」

 恵はなぜか上機嫌だった。ケラケラと笑っている。お酒でも飲んでいたのだろうか。

「遅くにすみません。ちょっと聞きたいことがあって……」

「なにー?」

 堂上は、ふたつのマンション名を挙げた。それは襲撃があったそれぞれのマンションの名前だ。「これらのマンション名に、聞き覚えはありますか……?」

 すると唐突に、恵が黙った。電話向こうの笑い声が消えていた。そのまま、しばらくの沈黙があった。

「……どういうこと? それ、昔わたしが住んでいたマンションだよね?」恵は、不審と不安がこもった声で言った。「どうして堂上くんが知ってるの?」

 しかし、堂上はその質問には答えず、さらにふたつの部屋番号を恵に伝えた。

「……それはわたしが住んでいた部屋だね。いったいなんなの堂上くん、怖いよ……」

「――すみません。いま言ったマンションの部屋で、住んでいた住人が襲われる事件があったんです。恵さんはその両方の部屋に住んでいたことが、資料からわかりました。そのときのことを詳しくお聞かせ願えませんか?」


「最初のマンションは、わたしが就職して住むようになったところなの。でも、職場が合わなくて、転職して、引っ越したのが次のマンション。オシャレで綺麗なところが好きだったから、同じようなマンションを選んだの。有名なデザイナーがデザインを手がけていたみたい。家賃は高かったけど、それは親が出してくれていたから、問題なかった。

 ちょうどその頃、彼氏ができてね。引っ越してから間もなくして彼氏がわたしのところに転がり込んできて、しばらく同棲してたの。不安だったわたしに優しくしてくれたし、そのときはできるだけ一緒にいたいと思ってたから。

 ……でもね、しばらくすると、彼氏が本性を出してきて、お酒を飲んで乱暴したり、お金を財布から勝手に取って行ったり……。それで、別れよう、って切り出したけど、彼氏が出て行かなくて、わたしのほうが出て行くことにしたの。それでいま堂上くんが送り迎えしてくれているいまのマンションに引っ越したの」

 恵はぽつりぽつりと、その部屋に住むようになった理由と、その頃に起こった出来事を話してくれた。話を聞くに、その頃にいた彼氏とは、上手くいっていなかったようだ。色々大変だったのかもしれない。話の大半は元彼のことだった。

「その彼氏はいまどこに?」

 堂上は訊いた。

「わからない……。わたしは知らせずに出て行ったし。家賃の支払いはすぐに止めたから、彼氏はあの部屋には住んでいられなかったはず。すぐに出て行ったと思う。あいつに家賃なんて払えるはずない」

 恵はかなりその元彼に、恨みにも似た感情を抱いているようだった。話以上にひどい目にあったのかもしれない。堂上の頭にピンとくるものがあった。

「その元彼さんは、恵さんが別れを切り出したとき、どんな様子だったんですか?」

「……怒って、暴れた。でもそれでわたしの心が動かないとわかると、泣き出したの。『俺を捨てないでくれ。恵が本気で好きなんだ!』って。でもそんなの信じられる? それにいくら好きだったとしても、あんなことする人と一緒にいられるわけないじゃない」

 なるほど、と堂上は思った。元彼は恵に一方的に振られたというわけだ。当時の言葉を信じるなら、元彼は恵に相当強い気持ちを抱いていたのだろう。――なのに、暴力を振るってしまう……恋愛とは本当にわからないものだ、と堂上は思う。恋愛経験のない自分には到底わかるものではない。しかし一旦、そんな自分の感想は脇へ置いておくことにした。そして、わからないなりにではあるが、元彼の気持ちを堂上は想像してみた。

 ……相当な未練が残っているのではないだろうか? 泣きついて縋るほどの強い気持ちが、早々に消えるとは思えなかった。もしかしたらいまも、元彼は恵への気持ちを残しているのかもしれない。もし――もしだ――そこへ『妖刀』が取り憑いたとしたら――どうなるだろうか? 募っていた気持ちが爆発し、恵を探し歩くこともあり得るのではないだろうか? 

 自分が知っている場所を回って……。

「恵さん、先ほどの話からすると、元彼さんと付き合い始めたのは引っ越してからですが、その前に住んでいた一件目のマンションの場所も、元彼氏さんは知っていたんですか?」

「うん。付き合い始めたのは引っ越してからだけど、知り合ったのはその前で、何度か部屋に来たこともあったから……」

 それならば元彼は、一件目のマンションにも襲撃ができる。でも――

「恵さんは別れるとき、元彼さんにはなにも伝えずに出て行ったんですよね。じゃあ、元彼さんはいまの恵さんの住んでいる場所は知らないわけですか」

「うん、そのはず。来られても迷惑だから知られないようにしてたし……」

 であれば、元彼氏は恵を探したくても探せない。そこで手詰まりだ。今すぐ恵が襲われることはないだろう……。

 不安がひとつ解消されて、堂上はほっとした。もちろん元彼氏が犯人でないこともあり得るが、その場合は恵が襲われる可能性はぐっと低くなる。交通事故に遭うようなものだ。

 堂上は恵に礼を言った。事件解決のためとはいえ、きっと思い出したくもないことを話させてしまった。しかし、とても参考になったことは確かだった。可能性のひとつとして、元彼を容疑者リストへと入れ、捜査課には調べを進めてもらおうと思う。

 電話を切る直前、堂上は、比嘉をチラリと見た。それは普段口数が多い比嘉が、妙に無口だったからだ。それが不自然で、違和感があったのだ。

 比嘉はなにかをじっと考え込んでいた。堂上は、恵に「ちょっと待って下さい」と声をかけ、比嘉へと向かって言った。「どうしたんですか先輩。なにか気になることでも――」

 その言葉の途中で、比嘉に手で口を塞がれた。ちょっと黙れ、ということらしかった。

 さすがに驚いたが、おとなしく黙っていることにする。しばらく考えこんで、比嘉は言った。「本当に、それで終いか?」ぎょろりとした目が、堂上へと向けられた。「追い詰められた人間ってやつは、意外と頭が回るもんやで」

 例えば――、と比嘉は言った。

「共通の知り合いがいれば、そいつを手掛かりにするとかな……」

 堂上は、はっとした。すぐに電話へと向き直り、恵へ尋ねた。

「……恵さんのいまの住まいを知っている、おふたりの共通の知り合いとかいますか?」

 その質問に恵は沈黙した。

 その間が堂上には、いやに不吉に感じられた。

 そして次の瞬間、恵の言葉で、それが現実となったのだった。

「……いる」

「誰ですか?」堂上はスマホを握る手に力を込めた。

「堂上くんも知っているはずだよ。あの合コンに居た、ミキっていうわたしの幼なじみだよ」

 正直に言えば、堂上はその子を覚えてはいなかった。しかし恵に特徴を聞くと、おぼろげながら、記憶が脳裏に蘇ってきた。金髪にウェーブをかけた、一際派手な女の子がいたような気がする。その子がミキだという。

 堂上は恵に謝罪とお礼を言い、最後にミキの住所を訊いて、電話を切った。

 にわかに、嫌な予感がふたたび襲いかかってくるようだった。

 西の空が真っ暗な雲に覆われていたときのような、じっとりとした不安がある。

 ――堂上は考えた。

 元彼氏が事件の犯人だと仮定して――恵が目的だとすると、次はどこを狙うだろうか?

 恵の元住まい、同棲していたマンションを探してみたが見つからず、途方に暮れた犯人は間もなく気づくのではないだろうか。そうだ、共通の知人がいたではないか。あの恵の友人なら、きっといま住んでいる場所を知っているだろう――。

「堂上!」堂上と同じ結論に達したらしい比嘉が叫んだ。 

 その声を皮切りに、堂上は『危器物管理課』の事務所を飛び出した。



    六


 空いているパトカーを借りて市街地を走りぬけ、三十分もすると、堂上はミキの住むマンションへとたどり着いた。恵のマンションからけっこう近い。歩いて二十分もかからないであろう場所だった。

 時刻はもう十時を回っている。ミキは帰宅し、部屋にいる可能性が高いだろう。

 マンションの入口へと進むと、そこにはオートロック式の自動ドアがあった。ドアの横にはいくつかのボタンが設置されている。

 そのボタンを見たとき、堂上ははっとした。唐突に、女性の部屋を訪ねる緊張が襲ってきたのだった。――夜に男のおれが訪ねて行ってもいいのだろうか? ミキには一度しか会ったことがないのに……。そもそも避難してもらえば良いだけなのだから、電話一本で済んだのではないだろうか――など、様々な考えが脳裏をかすめていった。それは、女性を苦手とする性分から来たものだったが、それ以上に自分は警察官であり、『危器物管理課』なのだという思いが勝った。可能性がある限り、見過ごしてはいけない。堂上は、意を決してボタンへと手を伸ばした。じりじりとミキの部屋番号を打ち込むとコールがかかり、間もなくミキが出た。「なーにー?」甘ったるい声だった。

「夜分遅くに申し訳ありません。自分は桜川署の堂上というものでして……」

「あー、堂上くんだねー。メグに聞いてるよー。上がって上がってー」

 どうやら恵が、気を利かせて連絡してくれていたらしい。突然の訪問で驚かれるかもしれないと心配していたのだが、実に助かった。恵に心のなかで感謝する。

 目の前のドアが開いた。

 とりあえず、お言葉に甘えて上がることにする。詳しい話は直接会ってからにしよう。

 奥へと進み、エレベーターのボタンを押すと、上階からエレベーターが降りてくる。それを待ってから堂上は乗り込み、ミキの部屋の階数――五階を押して、エレベーターを上昇させる。機械が動くときの、低くうなる音が耳へと届いた。

 チン、という音が鳴り、扉が開くとともにエレベーターを降りた。「五」という階数表示が目に入る。廊下はしんと静まり返っていた。閑静な住宅街にあるため、車の音もここまでは届いて来ないらしい。また生活音も聞こえて来ず、時間も時間だし、早い人ならもう寝る準備をしているのだろう。

 このマンションの廊下はL字型をしていた。少し行ったところに曲がり角があり、そこから左へ折れた先にも廊下が続いているらしい。周囲の部屋のドアに書かれた番号を見るに、目的のミキの部屋は曲がり角の先にあるらしかった。

 その先へと進む。ミキの部屋は廊下の突き当りにあるようだった。

 まずはチャイムを鳴らし、ミキを呼び出して話をしよう。部屋の中には入れてもらえないかもしれないから、玄関先でもいいだろう。まずはどこから話そうか……。

 足を進めながら、堂上がそう考えているときだった。

 ガラスの割れる音と、そして女の悲鳴が聞こえた。

 どこから? と考える前に、鍛えられた堂上の身体はすでに走りだしていた。その後から思考が追いついてきた。悲鳴が聞こえたのはいままで向かっていた方向――ミキの部屋からだった。

 ドアノブに手をかけると、幸いにもカギは掛かっていなかった。いや、きっと堂上がいまから来るのだと、ミキがあらかじめ開けておいてくれたのだろう。感謝しつつ、中へと踏み込む。

 玄関から部屋まで続く短い廊下を三歩で駆け抜け、部屋の扉をひらくと、二人の男女がもつれ合う光景が堂上の目に飛び込んできた。男が女の上に馬乗りになっている。男は左手で女の首をぎりぎりと締め上げ、右手には逆手にナイフを握っていた。

 直後、それが素早く振り下ろされた。甲高い悲鳴が上がった。

 堂上は、部屋に入ってきた勢いを殺すことなく男に向かって体をぶつけていった。女の上から男を弾き飛ばすためだった。

 しかし、男は俊敏だった。堂上に気づいて、素早く部屋の隅まで飛びすさると、中腰になってナイフを構えた。

「メグミ……メグミ……オレハ……」

 男は恵という名前を呟いていた。その口は半開きになっており、唾液が滴り落ちていた。左右の血走った眼球はそれぞれ別々の方向へとギョロギョロと動き、常にどこを見ているのかがわからなかった。身体はときおり痙攣するかのようにビクビクと動き、首筋に浮き出た血管が異常なほどに脈打っていた。

 ――典型的な。

『妖刀』に取り憑かれた者の症状だと、堂上は判断した。しかも末期だった。取り憑かれ、自我がなくなる寸前の状態。自我がなくなり正気を失えば、あとは『妖刀』の求めるままに人を殺す操り人形に成り下がるだろう……。

 堂上は腰を落として構えをとった。相手は刃物を持っている。丸腰の自分では不利だった。あのナイフになんとか対応しなければ。

 ――そう、ナイフ。

 あれが今回の事件の元凶である『妖刀』か。

 男が飛びかかってきた。全体重をかけてナイフを振り下ろしてくる。とても人間の動きではない、獣じみた跳躍だった。

 堂上は、飛びかかってくる男を横に転がることで回避した。男の握ったナイフが、いままで堂上がいた場所の床に深々と突き刺さっていた。それを好機と読んで、堂上は男に再度体当たりを仕掛けた。深く刺さったのなら、すぐには抜けないだろう――そう考えてのことだった。しかし、それは誤りだった。男はその細腕の筋肉を異常に脈打たせ、常人にはありえないほどの力を発揮して、あっさりとナイフを床から引き抜いたのだ。

 それがそのままの勢いで堂上へと向かってきた。それを堂上は慌てて顔をそむけることで危うく避けた。が、頬から耳の下あたりまでを浅く斬られてしまった。血が流れ出す。

 しかし、それでも事態は好転しなかった。男がしなだれかかるように体をぶつけてきたのだ。男の肩が堂上の胸へと当たり、堂上は大きく吹き飛ばされた。背後にあった壁へと打ち付けられる。その衝撃で息が詰まった。なんとか一瞬の判断で首を丸め、後頭部を打って脳震盪を起こすことは回避できたが、それでもしばらくは動きが止まってしまう。

 不味い、と思った。いま攻撃されたらやられる。本能がガンガン警鐘を鳴らしている。

 しかし、攻撃はやって来なかった。

 男はなぜか部屋の中央に置かれたテーブルの上へと手を伸ばしていた。そして、何かを掴んだ。それはピンクのシリコンカバーに包まれたスマートフォンだった。

「メグミ……メグミ……イクヨ……」

 男は窓へと向かい、夜空へと身を投げた。

 ベランダの向こうへと消えたあと、轟音が辺りに響いた。

 堂上は、深呼吸をして身体を整えながらベランダへと走った。そこから下を見る。この部屋は道路に面しており、真下には堂上が乗ってきたパトカーが停まっているはずだった。そのパトカーの屋根が大きくへこんでいる。男はそこに着地したらしかった。

 男は? 視線を左へと向けると、小さく男の走る姿が見えた。

 ――恵のマンションがある方角へと走っていく。

 堂上は、舌打ちをした。

 そのとき、「うう……」と小さく呻く声が聞こえた。堂上は室内へと戻ると、ミキの状態を調べた。息はある。ナイフを刺されたのは鎖骨のあたりで、命に別状はなさそうだ。ただ出血がひどい。これを放っておくのはまずいと、判断した。堂上は手近に落ちていたタオルで傷を圧迫する。

「……あたしのスマホに……メグの住所が……」

 ミキが、小さく顔を起こして言った。ミキも男がスマートフォンを持っていくのを見たのだろう。これで男に恵の住所が知られてしまったということだ。

 堂上は歯噛みする。――くそ。自分が居ながら逃がしてしまった。

 すぐにでも向かわないと、恵が危ないのは明白だった。

ミキの傷に簡単な止血処置を施すと、救急車を呼んで部屋を出た。目指すは、恵のマンションである。

 乗ってきたパトカーへと走る。屋根がへこんでいるが、まだ走れるだろう。

 その途中で、比嘉へと電話をした。今の自分ではあの男を止められないかもしれない、という不安が頭のなかを締めていた。


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