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眩暈

作者: 高松五葉

 

 

陰摩羅鬼(おんもらき)は、私にこそ訪れるべきだ。


じりじりと肌を焼く残暑の陽射しに(さら)されながら、容赦なく投げかけられるその熱気に、あと数刻は耐えねばならない。我が家から一歩を踏み出し、つまりは心休まる避難港(ひなんこう)を失った私が目眩(めまい)を感じたことも、それはそれで道理なのだろう。


実家である寺の朝は五時。役僧たちに寺を任せ、その寺の長男が悠々と(いびき)をかいているわけにはいかない。春先の(かえる)のように起き上がった私は軽く見支度を整えると、後ろ髪を引かれつつ家を後にした。


六月の終わりに三十と二を迎えた私は、こうして毎日の(いとま)を潰している。


元来、人と話すことを苦として喧騒(けんそう)を避けていたものの、しかし、粛然(しゅくぜん)とした寺の雰囲気にさえ、私はある種の恐れを抱いていた。それは世間体でもあり、長男という立場への見に余る期待出会ったのかもしれぬ。兎にも角にも、そういった重々しい空気に呑まれることを拒むように、高校を卒業すると共に家を出た。体面上、苦し紛れに教師を目指して大学に入ったまでは良かったが、自分の鬱々(うつうつ)とした(さが)を変えることのできぬまま、わずか二年でそれさえも辞めて帰郷した。


それ以降は、友人の伝手を使って塾の教師をする傍ら、その合間を縫って細々と雑誌に物語を載せている兼業作家というところで落ち着いた。どこか人見知りをしていた私も、横暴な友人と生徒に振り回されるうちに、話すことには慣れてきたようだった。


長期休暇の夏も終わり、生徒が増え、忙しさに駆け回っていた講師の仕事も、次第に暇が増えてきた。そうして生まれた暇を、私は兼業なる物書きに注ぐ。


しかし机に向かうことなく、こうして日の下を彷徨(さまよ)っている私が行き詰まっていることは周知の事実だった。催促(さいそく)もしない出版社が、遅筆(ちひつ)のうえに石橋を叩いても渡ることがない保守的な三文作家に、悩むほど大層なものを求めているわけはないのだということも分かっている。しかし、だらだらと続くこの遅滞に自己嫌悪を感じ得ずにはいられぬ。それが筆どころか、生活を送る際の重荷となって、また周囲の背中を追いかける様となる。こうして生まれた悪循環を私は振り切れず、また、振り切ろうと足掻(あが)くことを(なか)ば諦めてもいた。


くだらないのだ、私の人生は。


そのぶん私の弟は、兄とは違って出来が良かった。(しゅ)(ぼん)のような、角ばった赤い顔をした弟は、大きく粗野な容姿に似合わず、寺を訪れる者の話を親身に聞く。誰よりも早くに起きて本堂の清掃をし、落ち葉を集めるべく(ほうき)をかけた。


僧が寺の業務を怠ると、陰摩羅鬼という怪鳥が現れるという。山形の尾花沢にあった寺を切り盛りしていた惰僧(だそう)のもとへと訪れたという話もある。僧は心を改め、寺を清めたというが、私はどうだろう。


また目が眩む。昨日、遅くまで起きていたからだろうか。目を細めながら青い空を見上げた時、どこかで翼がはためく音がした。

 

 

これは、書こうかどうか悩んでいる(その時代の知識的な意味で)時代物ミステリ小説の主人公がふらついている日常です。塾は借家で、家主であり医者である友人と事件に巻き込まれる形式の――これもまたありきたりだな、流石想像力をクリスマスと七夕と先祖と誕生日に願った高松である。


多少気取った文章でしたが、楽しんで頂けたのなら幸いです。

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