結
アレゴリカ歴766年10月。
親衛隊長ベーク戦死後、親衛隊長を名乗るものは数人いた。いずれもリヒトホーフェンの命令に従うことなく、暴走しており、リヒトホーフェンにはどうしようもなくなっていた。彼の持ちうる手駒はもはや少なく、秘密警察でさえももはや麻痺していた。
コリシダ人ゲリラの進撃と、ケラストアの介入により、戦線は伸び、補給すらままならなくなったアカント軍は崩壊の兆しを見せていた。
リヒトホーフェンは親衛隊長を名乗る一人、クラウス・マクニエスよりの宰相辞任の要求が書かれた文書を破り捨てると、怒りに憤った。
それもこれもすべてKが現れてから、計画はすべて狂い出したのだ。
Kを殺していれば、Kを生み出さなければ、と彼は思うが、もはやすべてが手遅れであった。
帝都を見下ろすリヒトホーフェン。そこには栄光もなければ、拍手喝采もない。求めていた者は何一つない、カラッポの玉座。荒廃した帝都には、無秩序だけが広がっている。横暴な親衛隊、怯えるアカント人たち、積み上がる屍の山。
これが求めていたものなのか。これが、輝かしいアカントの未来なのか。自分に問いかけた。
自分は選ばれた人間であったはずなのだ。この世を支配する、偉大な人間として名を残すはずの存在のはずだ。今や彼は、人類史上最も恐るべき所業を行った男として知られている。大虐殺者リヒトホーフェンとして。
「クソ、クソ、クソ、コリシダ人はやはり根絶やしにしなければならないのだ。こんなことになる前に、奴らを排除しなければならなかったのだ・・・!」
リヒトホーフェンは言う。予言では、自分が世界を手中に収めるはずだったのだ。あの、コリシダ人が邪魔さえしなければ。
宰相はもはや正気ではなかった。彼の中には妄執で、満ち満ちていた。かつて多くの物を魅了したその顔は、今や生気にかけ、げっそりとし、光沢のあった銀髪はくすんだ灰色になっていた。多くの物を煽動した唇は渇き、みずみずしさはない。その口から発せられるのは、意味のない奇声と怨嗟のみ。
刻一刻と迫る退場の予感に、リヒトホーフェンはただただ怯えていたのだ。
アレゴリカ歴766年11月。
帝都を囲む、コリシダ人の大群を見て、宰相は声にならない悲鳴を上げた。
帝都の守護をしていた親衛隊が敗れると、戦意を失ったアカント軍の多くが降伏した。帝都内に未だ立てこもる親衛隊のおかげで、帝都への侵入は未だ許していなかったが、もはや陥落は目前であろう。備蓄していた資源は、親衛隊の一部の者によって独占されていた。市民は飢えて死んでいく。
リヒトホーフェンは一人、机に座りワインをグラスに入れて飲む。
もうじき来るであろう、奴との対面に備えて彼は腰に二刀の剣をさしていた。
自分の滅亡はもはや変わらない。だが、その前に奴だけは、Kだけは殺さなければならない。
死なない男を殺す。それが、リヒトホーフェンの最後の望みであった。
そして、彼はやってきた。平然と扉を開けて入ってきた男の姿を認めて、宰相は皮肉気な笑みを浮かべた。
「やあ、待っていたよ、K。こうして直に見てみると、普通の男だな」
宰相の言葉に、男は顔を向け口を開く。
「あんたこそ、写真と違って不細工だな、リヒトホーフェン」
「おかげさまでな」
リヒトホーフェンはそう言うと、からのグラスを床に叩き付ける。グラスの破片が絨毯の上に散らばる。
Kはリヒトホーフェンをにらみ続けていた。
「終わりだ、リヒトホーフェン」
「そうだな、終わりだよ、K」
そう言い、リヒトホーフェンは腰から二刀の剣を引き抜くと構えた。
「だが、私だけでは死なぬ。K、貴様にも地獄へと付き添ってもらうぞ」
そう言うと、リヒトホーフェンはいきなり襲い掛かってきた。鋭い突きが、Kの右肩に突き刺さる。そして、もう一本の刃はKの左腕を肘の半ばから切り落とす。
リヒトホーフェンの動きは、とてもデスクワークだけしている文官の動きではなかった。それもそのはずだ、彼は文武両道の秀才であったのだから。彼が宰相の地位を手に入れる前に、軍隊に入っていたことは存外知られていない事実であった。
リヒトホーフェンは剣を振りながら言う。
「なあ、K。首を切り落とされ、心臓を抉り出してもまだ貴様は生きていられるかな?私が生み出した最高の化け物の貴様といえども、死を完全に克服できたのか、興味があるのだよ!」
リヒトホーフェンが言い、Kの腹を突き刺す。ぐう、と呻きを上げたKは、剣を力任せに抜いてたたき折った。リヒトホーフェンは剣を捨て、もう一本の剣をもって間をとる。Kは切断された左腕を持つと、切断面を押し当てる。すると、見る見るうちに切断された腕がくっついていく。
「ほう、見事だな」
それを気味悪がりもせず、しげしげと見るリヒトホーフェン。彼は右手で剣を構えながら、背後に飾ってあった剣を鞘から抜き出し、再び二刀流の構えをとる。
「さあ、決着をつけよう、K」
「・・・・・・」
宰相の言葉に沈黙で返すK。どちらともなく動き出す。リヒトホーフェンが剣を振りかざし、Kが拳を突き出した。
首が舞う。それは、Kの首であった。信じられないといった様子の首が舞い上がり、絨毯に落ちる。
ころころと転がる首を見て、リヒトホーフェンは嗤う。
「なんだ、死ぬのか・・・残念だなァ、え?」
そう言い、彼は己の胸を見る。己の胸に生える、それを。Kの右腕は彼の身体を突き破り、心臓を握っていた。リヒトホーフェンはがくがくと震え、やがて血を吐き出しながら死んだ。
こうして、アカント帝国はコリシダ王国との戦争に敗れた。諸悪の根源たるリヒトホーフェンの死後、彼の作り出した親衛隊は残らず駆逐され、秘密警察も捕まった。捕えられた無実の人々が解放され、悪しき時代は終わりを告げたのであった。
その後、リヒトホーフェンは死していたが、裁判にかけられた。死後暴かれた多くの陰謀に、誰もが恐怖した。その中にあった「K」の記録は、密かに処分され、ついに白日の下にさらされることはなかった。
リヒトホーフェンの死体は火葬され、その遺骸は完全に砕かれた。
リヒトホーフェンによる政策によって命を奪われたコリシダ人は、35万人にも及んだという。また、この戦争による死者は50万を軽く超えたという。
アカント帝国は幼い皇帝のもと、存続を許されたが、その版図は縮小し、無数の小国家が乱立。帝国だった地域は今なお、紛争が絶えない。
一方のコリシダ王国は、再建が進み、豊かな国家として名を馳せた。コリシダ人の中には、今なお迫害の歴史の中で立ち上がった英雄の名前が刻まれており、Kと呼ばれた謎の人物については伝説として語り継がれていた。
そのKだが、不思議なことに死体は見つからなかった。宰相の死体の近くに、何者かの血痕が残っていたが、近くに死体はほかになかったという。尋常ならざる血の跡から、たとえ生きていたとしても長くはない、というのが専らの話であった。
とある一つの村の跡。今は誰もすまないそこには、ひっそりと三つの墓石が立っている。
その前に、一人の男が立っている。赤い髪の、コリシダ系の男である。これと言って特徴のないその男は、静かに笑い、墓前に花を供えると、静かにその場を離れていった。
それぞれの墓に刻まれているのは女性の名前とおそらくはその子供の名前。そして、ある一つの、忘れ去られた名前であった。
『セシル・K・マクニーフ ここに眠る』