ナツメの生きる意味
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『これを私の古い友人に届けてくれないか』
『とても大切な預かり物なんだ』
『竜の里を探してくれ』
『ナツメ、私の可愛い娘』
『いつでもお前の幸せを祈っている』
ああ、またこの夢だ。ナツメは、覚醒に向かいつつある意識の中で、これまでに何度も見た夢の面影にぎゅっと眉根を寄せた。蒼く血の気の引いた顔。最後に強く抱きしめられた感触は、まだ生々しくこの身に残っている。ナツメは、その抱擁のあと、すぐに目も開けていられないほどの光に包まれ、気づいた時には、見知らぬ町に飛ばされていた。それが今から2か月前のこと。
「……ゼノ」
まだ薄青い空に、起きるには早すぎる時間であることはわかっていたが、この夢を見たあとでは、もう一度眠る気にはなれない。緩慢な動きで荷物を漁り、適当なシャツとズボンを選ぶと、それを身に着ける。肩先まである黒髪をいつもどおり紐で一つに縛ると、顔を洗うため、部屋を出た。
彼女がこの町に飛ばされたとき、身一つでなかったことは不幸中の幸いだった。薬を作るために、薬草を採取していて、それと共に飛ばされたのだ。右も左もわからない町をさまよい歩き、薬を扱う店をやっとのことで見つけ、薬草を買い取ってもらえたおかげで、宿に泊まることができた。薬の売買は、一緒に暮らしていたゼノ任せだったので、薬草の価格に疎い自覚はあるが、宿がとれるほどのお金になるとは思っていなかった。ナツメにとっては、馴染みのあるものだが、かなり貴重な薬草だったらしい。
「古い友人って誰なんだろう。もうちょっとヒントをくれたって、バチは当たらないんじゃないかなあ」
沈みがちな気分を少しでも和らげようと、ゼノに向かって悪態をつく。井戸に続く宿の裏口を出ると、まだ太陽に温められていない空気がひんやりとしている。季節は初夏を迎えようとしていた。
ゼノはナツメがこの地で初めて出会った人だった。正しくは、行く当てのなかったナツメを拾ってくれた恩人だ。彼女は、趣味で山歩きをしていて、その日も一人で近くの山に出かけていた。青い木々の澄んだ匂いが好きで、名も知らない花々を楽しみながら歩いていると、影が射し、重い灰色の雲が目に入った。これは、もう帰るべきだなと判断を下したその時、鋭い稲妻の光があたりを照らし、ナツメは反射的に目を強く閉じた。光が瞼を焼き、くらりと地面が歪んだような気がして、よろけた彼女が目を開けたとき、そこはすでに見知った場所ではなくなっていた。
森は森でも、匂いも景色も何もかもが違う。ナツメは自分の身に何が起こったのかまったく理解できなくて、茫然と立ち尽くしていた。そこに通りかかったのが、薬草を採取していたゼノだ。初老にさしかかったころかと思われる容貌だが、やけに迫力のある眼差しだったのが印象に残っている。彼にとって見慣れない服装の怪しい女だっただろうナツメを、自身の小屋に連れ帰り、いろいろと世話を焼いてくれた。言葉が通じず、怯えきっていた彼女に、ゼノが翡翠色の腕輪をはめてくれ、そこから急に意志の疎通がとれるようになった。非現実的な現象に大いに驚いたのは懐かしい思い出だ。ナツメが混乱しながらも、自分に起こったことを伝えるとゼノは、やんわりと笑い、自分は隠居の身だから、遠慮せずに好きなだけ居るといいと、彼女の面倒を引き受けてくれた。
あれからもう3年も経つのか。部屋に戻ったナツメは、左手首にはまっている腕輪のつるりとした表面を指の背で撫でた。苦い感情に浸ってばかりもいられない。窓から差し込む朝日に励まされるように、よしっ、と気合いを入れた。
ナツメは、この広い世界で、探し出さなければならない。ゼノの古い友人を。彼がナツメに託した想いを叶えるために。
それが、ゼノに救われた彼女の、唯一この世界で生きる意味。
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