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にんげんと犬の、避けられないもの

 これはにんげんと犬が出会ってから太陽と月が二万と七千回追いかけっこをした後の話。

その日はとても暖かい、日差しの優しい日でした。

ずっと前から犬に乗れなくなったにんげんは、犬に付き添われながら湖の近くの花が生えている所までいきます。

そこで日向ぼっこをするのです。

 そして、「犬、今日もいい天気だねぇ」と言うのです。

犬はそれに対して「ああ。」とか「今日は少し曇っているな。」とか「見ろ、魚雲だ。」などと言うのですが、今日は特に大きな雲が遠くに見えたので「見ろ、あの雲を。大きいぞ。」と言いました。

にんげんは「雲?ああ、ああ、見えるよ。なんとか見えるよ。ぼんやりとだけど。」と返します。

 にんげんはずっと前から目が良く見えません。犬が少し離れると犬が黒い塊に見えてしまいます。

だからにんげんは足がすらりとしていた時より犬と離れたがらなくなりました。

今のにんげんは、しわくちゃで、髪は白く、一時期より縮んでいて、いろいろな部分が弱くなっていました。

肌に張りがあった頃は好物だった果物や木の実も、歯が抜けてしまってからは余り口にしなくなりました。

お母さんの乳ばかり飲んでいます。

 そしてにんげんは良く眠るようになりました。

まるで赤ん坊だった時のように、長く、気がつけば眠っているのです。

そしてこの時もにんげんは何も言わずに、犬に寄りかかったまま眠ってしまいました。

 犬は、最近にんげんと話す機会がめっきり減ったものだな。と思いながら好きなようにさせていました。

そして、太陽が真上に上がり、魚の姉の透明な声が湖の畔から聞こえたとき、にんげんに鼻を押し当て声を掛けました。

「にんげん、ご飯の時間だ。起きろ。」

いつもなら、「んあ…うんうん、解ったよ犬。ご飯だね。どっこらしょ。」と目を覚ますにんげんが目を覚ましません。

それどころか、鼻に押されたままにぱたりと草むらに横倒しになりました。

 犬は最初何が起きたのかわかりませんでした。

なのでにんげんの頬を舐めたりお腹のあたりを鼻先でまさぐったりしたのですが、そのうち大変な事に気づきました。

にんげんが冷たいのです。

日の光で温まっていたはずなのに、いつも舐めればしわくちゃでも柔らかいはずなのに、今のにんげんはかちこちに固まっていて、冷たいのです。

 これに慌てた犬は慌てて膝を曲げて背中を丸めたまま固まったにんげんを魚の姉の所まで運びました。

そしてこういったのです、「大変だ魚の姉!にんげんが冷たい!にんげんは冷たくなると駄目なんだろう?大変だ!」と。

 これを聞いた魚の姉は慌てて、「犬、貴方はその毛皮でにんげんを温めなさい。私はお母さんを呼び出します。」と言います。

そして魚の姉は再び怪物だけに聞こえる声を上げました。

 そして犬が一向に暖かくならないにんげんを懐にいれていると、お母さんは現れました。

しかし、その顔は眉尻を落とし、瞳も伏せられていました。

犬はこんなお母さんは遥か昔に見たきりです。そう、一番上の兄が動かなくなった時にその傍に付いていた時以来。

 犬は背中に冷たい棒が差し込まれたような気持ちになりました。

これは、とても良くない知らせの前兆だと勘が囁くのです。

そして、それは現実のものになりました。

お母さんはゆっくりと口を開くと言いました。

「犬。貴方は最期まで良くにんげんに付いていましたね。にんげんの魂は大いなる自然の中に還りました。にんげんは、死んだのです。」

 お母さんにそうはっきり告げられて、犬は腹の底から、わけのわからない熱が頭に上がってきて、吼え猛りました。

「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!にんげんが死んだなんて嘘だ!嘘だといってくれお母さん!にんげんはしわくちゃになっても、白くなっても、まだ大丈夫だって!言ってくれ!言ってくれよお母さん!頼むよ!お願いだよ!お願いだから、お母さんがそう言ってくれるだけで、にんげんは元気に目を覚まして、「お腹空いたよぅ、犬、お母さんの乳飲みたい。」って言ってくれる気がするんだ!だから、頼むから…嘘だと言って…おくれよ…ウォッウォッウォオオオオオン!アオオォーーーーン!」

 その声は森中に響き、怪物達皆ににんげんの死を知らせました。

すると真偽を確かめるために色々な怪物がやってきました。大きい者、小さい者、混ざった者、混ざらない者、にんげんを好いていた者、さほどでもなかった者、とにかく色んな関係だった怪物達がやってきました。

中には興味が無いのか、もっと重要なことがあるのか姿を見せない者も居ましたが…

 そうして皆が集まると、お母さんは犬ににんげんの上から退く様に言い、皆にさよならの挨拶をさせるように言います。

にんげんが本当に死んでいるのか、皆並んで順番ににんげんを一撫でしていきます。

蟹の兄のように冷たくなっているのが感じられているのか怪しい者もいましたが、それでも猫などのように肉球などを持っている兄弟や、手を持っている兄弟達には確かに「にんげんは冷たくなった。」という事が確認できました。

ちなみに蝸牛の兄は一番最後に廻されました。なぜなら順番が滞りそうですし、皆が触るのにべたべたになってしまっては困るからです。

 そうして、多少の問題を抱えつつも皆がにんげんの死を確認し、思い思いに泣いていると、一人気丈に泣かない魚の姉が言いました、「お母さん、にんげんの死体はどうするの?」と。

お母さんは答えます「陸に居る者、水の中に居る者、それぞれにんげんの死を悼むでしょう。ですからその中間、湖の畔のここに埋めます。そして何か目印になるように埋めた場所に何か置きましょう。」と。

 それを聞いて皆が何を置くのがいいだろう?と話し合っていると、犬が言いました。

「俺がずっとここに居る。にんげんの上に土だけじゃなく目印まで置いたら重くてかわいそうだ。だからずっと俺がにんげんを埋めるここの傍に居て、目印になる。」

 これを聞いたお母さんは犬に問いました、「ずっと動かない。貴方にそれができますか?狩りもできないのですよ。」と。

そして犬は答えました、「できるさ。一番上の兄だって出来たんだ。俺もその血を受け継いでいるなら、できるはずだ。」と、自信たっぷりに答えました。

それ聞いてお母さんは、「分かりました。にんげんの墓守をしっかりなさいね、犬。」と寂しげに微笑みました。

 こうして犬はにんげんの墓守になりました。

にんげんが森に来た時から一緒で、死んでからも一緒。二人はずっと一緒なのです。

 と、ここで少しだけこぼれ話。

日を変えていろいろな兄弟がにんげんと犬の元を訪れましたが、最もマメに通ってきたのは猫の兄でした。

「女性が居るのだ。飾ってやらなければかわいそうじゃあないかね。」と気障なことをいいながら、毎日花を手向けに来るようになったのです。

最初はにんげんを少しいじろうとしていたのに、猫もまた、優しい心の持ち主だったのです。

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