030_0720 堤南十星の秘密Ⅲ~シェイクスピアのカスタード・コフィン~
片付けなければならない依頼メールや用事は入っていない。
なので、いつもに比べ早めではあるが、部長であるコゼットは、部活の解散時間を前倒しした。
しかしコゼットと野依崎、そしてナージャも帰宅せずに、赤い日差しが差し込み始めた部室で、紅茶を飲みながら話を続ける。
「……図らずとも知ってしまいましたけど、ナトセさんが混血の《魔法使い》というのが、国に管理されていないワケありの理由なのですわね」
コゼットは少し後悔するように、指先でこめかみを掻きながら呟く。予想ではあるが、彼女は間違いないと確信を抱いていた。
「部長さん、どういうことですか?」
「《魔法使い》は国家に管理される希少人種ですわよ? でしたら国籍を二つ持つ《魔法使い》は、どちらの国が管理するかで、揉めるに決まっているでしょう?」
この程度なら部外者に話しても問題ないと判断し、ナージャに教える。
国籍はひとつとは限らない。二つ以上持つ者もいる。だからこの問題は、南十星が史上初めてというパターンではない。
それに優秀な人物の獲得競争など、企業のヘッドハンティングや学校の入学試験など、どこでも起こっている。
「それならナトセさんが育成校に通うことはないでしょうし、普通の生活を送ってた理由も納得できましたけど……」
しかし南十星の場合、ただの人材獲得競争では終わらない。外交問題という大きな障害が絡む。
たった一人の、しかし莫大な価値を生み出すかもしれない希少人種の獲得も大きな課題だろうが、それが引き金で国家間で大きな争いを生みかねないなら、天秤にかけないとならない問題だ。
なので普通ならば政府機関の管理下に置く《魔法使い》を自由に――一般市民と同じ扱いをすることで、外交上の問題を棚上げし、中立性を保つ。《魔法使い》の獲得と、外交問題の発展、日本とオーストラリア政府機関ともに、天秤にかけなかったと考える。
ただし、それはあくまで棚上げだ。
「フォーさん。日本とオーストラリア、多重国籍者の扱いがどうなってるか、調べてくださいません?」
コゼットの求めに応じて、パソコンの前に居座る野依崎はキーボードを軽快に叩く。この程度の情報ならばハッキングするまでもなく、普通に検索すれば出てくる。
「……オーストラリアはともかく、日本は一時的にしか認めていないであります。ミス・ナトセの場合、二二歳までにどちらかの国籍を選ばないとならないであります」
それが棚上げの正体だ。
法的なタイムリミットが存在するため、本人の選択によって、希少人種はいずれ自国に管理されることになる。そのため現在は南十星に自由な生活を送らせるという判断を政府機関が下すことは、選択肢としてはありうる。
ただし実際には、南十星が自国の管理下に入る確率は五分五分。彼女がもう一方の国を選択するかもしれない。
「となると、実際にはタイムリミットを待たず、《魔法使い》の奪い合いが行われていたということでしょうね……」
手に入る確率が半分では低すぎる。だからそれぞれの国の政府機関は、獲得競争に乗り出すだろう。
だから南十星はこの学校に転入してきた。言い換えれば逃げてきた。
そんな風にコゼットは納得したが、ナージャが異議を唱える。
「ん~? わたしは普通の人間だからよくわかんないですけど、なーんか納得できないですけど?」
「なにがですのよ?」
「だってナトセさん、ここに来るまで普通の生活を送っていたんですよね? そんな奪い合いの真っ只中で、五年も悠長に暮らしていられますか?」
「……確かに」
ナージャの疑問ももっともだと、コゼットは拳を唇に当てて考え直す。
誘拐じみた手段で身柄を奪う気ならば話は別だが、国家間の関係を考慮し、南十星の選択という穏健な方法を取るつもりならば、いかなる強攻策も下策だろう。
大岡裁きと同じだ。子供一人に二人の母親が名乗り出たため、子供の腕を同時に引っ張らせ、先に手放した方を本物の母親とした『子争い』という話。
片方の国が強引な手段と取ろうとしたら、もう一方の消極的な手を優しさと捉え、板ばさみにされる南十星が好印象を抱くのは自明の理だ。政府機関としては、彼女を管理下に置こうと行動すること自体、裏目に出る。
「ということは、獲得競争が起こってないってことですの……?」
それには大きな疑問が二つ存在するため、納得できないとコゼットも呟く。
総合生活支援部は社会実験チームとして、普通の生活を送れないワケありの《魔法使い》が、普通の生活を送るための理由と引き換え条件を持っている。
しかし南十星が平穏な生活を送っていたならば、わざわざ修交館学院に転入して、支援部に入部する理由がない。それがひとつ目の疑問だ。
もうひとつの疑問は、野依崎が振り返って口にした。
「そんな状態が起こりえるでありますか?」
「いいえ、考えられませんわ。わたくしたちが現状そうであるように、無所属の《魔法使い》なんて、どこの組織でも手に入れたいでしょうし、危険視もされますわ。しかも二国間の問題だけではなく、第三勢力が介入する可能性もある……」
《魔法使い》の力を手に入れようとする組織からは、身柄を狙われる。
彼女たちを疎ましく思い、危険視する勢力からは命を狙われる。
それが民間人として生活する無所属の《魔法使い》・総合生活支援部員に課せられた宿命であり、普通の生活を送るために交換したものであり、そしてさらに転入前から南十星はそのような状況にあったわけだが、転入前の彼女と部員たちとでは、大きな違いがある。
「しかもナトセさんは自衛手段を持たない。かなり危うい状態ですわね……」
部員たちは《魔法》を発揮できる。正当な理由があれば行使可能で遠慮もしない、軍事兵器をも圧倒する破壊力を持つ。
それに匹敵する力を、一般人として生活していた南十星が所有していたはずはない。
「ですけどナトセさんの場合、現実に起こってるのですから、考えられるとすれば……」
起こるはずがないことが起こっている。誰もが手に入れたいであろう存在を、誰も手出しせずに守ろうとしているなど、そんな奇跡的な状態が起こるはずはない。
世の中、善人ばかりではないのだ。財布が道端に落ちていれば、警察に届けずネコババする者だっている。犯罪の匂いがするほど多額ではなく、しかし欲しいものが手に入るだけの金額であれば、魔が差して懐に入れてしまおうと考える者もいるだろう。そこに所有者を名乗る者が現れても、それを証明できなければ、大人しく渡そうとはしないだろう。
しかし、財布を守る存在がいたとしたら。
たとえば、凶暴な野良犬の前に財布が落ちていたら。
発見者も、所有者を名乗る者も、腕を食いちぎられる覚悟で財布に手を伸ばすだろうか。
「誰かが、なにかをやった。ナトセさんが普通の生活を送れるよう、二つの国に保障させるなにかを……」
コゼットはそれしかないと結論づける。下手な手出しをすれば、あるいは南十星を守らなければ、彼女は絶対に手に入らないと、二つの国の政府機関に思わせる『なにか』を誰かが行ったのだ。
南十星が転入した事実から考えると、その『なにか』は状況が変化したのだろうが。
「誰かとは……やはり?」
「理事長という可能性もありますけど……」
野依崎に問われ、コゼットは思い出す。
彼女が今ここにいるのは、国許で幽閉されていた一〇年前に立てられた、つばめのプランに沿ったものだ。
そして先の騒動の際、先読みをしてそれとなく行動し、自分の望む未来を実現するという、恐怖すら覚える策略家ぶりを、つばめは発揮した。
しかし南十星の場合は違うのではないかと、根拠はないが考える。状況が変化し、彼女が転入してきた事実を見ても、不完全で愚直なプランと言うしかない。つばめならば、もっと巧妙な策略を立てている方が自然に思える。
だから、やはり野良犬が守っていたと、コゼットは野依崎に考えを伝える。
「わたくしは、堤さんの仕業じゃないかと思いますわ」
「ミス・ナトセがオーストラリアで暮らし始めたのは、五年前であります。その時にそのなにかを行われたとしても、ミスタ・トージはまだ中学生でありますよ?」
「でも相応の分別はついてるでしょうし、国家所属の《魔法使い》として活動してても、不思議ない年齢ですわ」
《塔》の出現と共に《魔法》が現れたのは三〇年前。最高齢の《魔法使い》でもまだ三〇歳で、しかも巨大な影響力と可能性を持つ稀少人種は、数千万分の一の確立でしか生まれない。
《魔法》の出現で急激な変化を求められる社会情勢で、《魔法使い》に労働基準法を適用できる余裕があるとは思えない。家業の手伝いと新聞配達以外の労働ができない中学生でも、非公式に国家のために働いていたと考える方が自然だろう。
そして《魔法使い》は社会に強い影響力があるのは、《魔法》を使う意味だけでなく、《魔法》を使えること自体に意味を持つこともある。
たとえば自らの身分を材料に、超法規的な取引することも、あるい武力的に脅すことも充分に可能だ。
「しかも、あの堤さんですわよ?」
「……中学生だとしても、ありえないと断言できないであります」
「十路くんなら、なにかしてそーですよねー……」
トラブルご免と言っているくせに、普通の生活を送るために戦争も辞さないという、平和主義だか過激主義だか判断できない十路を思い出し、三人はため息をついた。
想像ではあるが、他に考えられない。結論が出たから、話が途切れる。
夕暮れの時間とはいえ、街から離れた山の中にあり、しかもその敷地の隅に建つガレージハウスでは、街の騒音も校内のざわめきも遠くなり、静かなものだ。
「……そういえば」
その静寂を破るように、ナージャがふと思い出したように口を開く。コゼットが口火を切ったので、彼女が出した話題を進めたが、元々別の話を聞きたくてこの場に残ったのだと。
「十路くんが最後に、《魔法使い》さんはまともな恋愛できないって言ってましたけど、あれは?」
「……ンなモン、ちょっと考えればわかるでしょう?」
盛大に舌打ちし、コゼットは白皙の美貌を歪める。
「安全装置のない爆弾にキスする人間が、この世にいると思いますの?」
「……そういう意味ですか」
たとえが意味するところを理解し、ナージャは大量生産品のカップを手に取る。
「でも、《魔法使い》さんは爆弾以前に、人じゃないですか?」
「そう願いたいですけど……難しい問題ですわね。相手の意識もありますし、自分自身でも……」
口元に自嘲のひずみを作り、コゼットも自前のマイセンのカップを手にする。
《魔法使い》とは、外交・内政の駆け引きの手札。
《魔法使い》とは、新たな可能性を持つ金の成る木。
《魔法使い》とは、自然発生した生体兵器。
権力者たちの道具であればいい。役目の遂行のためならば、恋愛感情などという人間めいた心は邪魔だと、管理する彼らは考える。
そしてそのような心を持ったら、国に管理される特殊な身分大きな力のために、悲劇の未来しか生まれないことは予想できる。
安全装置のない爆弾にキスしようなど、誰も考えない。キスをすれば、爆発して身を滅ぼす。仮に爆弾を愛する者がいるとしても、それは周囲の者から見れば正気を逸脱した行為だ。
だから恋をしない。できない。したくない。
それが《魔法使い》たちが共通して持つ、恋愛事情。
「部長さんはそうやって悩むから、十路くんに言い寄ったりしないんですねー」
「ブッ――!?」
警戒してなかったところへの唐突な言葉に、紅茶を気管に入れたコゼットがむせる。
そんな反応にホンワカ笑顔で、ナージャは楽しそうにからかい続ける。
「ウカウカしてると、十路くんが取られちゃうかもしれないですよー?」
「だから! そーゆーんじゃねぇーつーのっ!」
白い頬を紅潮させて怒鳴るコゼットに、さらに黙っていた野依崎も、振り返らないまま余計な言葉をかける。
「結局はミス・ナトセとミスタ・トージが結ばれても問題ないわけでありますし、部長も行動しないとならないのでは?」
「うぐ……」
今度はコゼットは言葉を詰まらせ、口をモゴモゴと動かす。
「シェイクスピア曰く、『恋は多くの愚かさにすぎない』ってありましたけど、よくわかりますわ……」
理性的で、一時の感情に身を任せられないコゼットは、何気なく部室を見渡す。
南十星は最初から来ていない。十路と樹里も部室を出ていった。
そして、いつもコンセントの前に駐車しているオートバイが、今はない。




