030_0500 やる気ない彼とキスがしたいⅡ~七夕そうめん竹皿盛り~
「牛乳毎日飲んでるよ? いろいろ試してみたよ? 大それたこと言ってるつもりないよ? あと一センチでいいんだよ? 八〇台になりたいだけなんだよ? なのにね? なんでだろうね?」
【あの、ジュリ? そろそろ復活してください……】
子犬チックに部室隅で三角座りし、落ち込んで壁際の棚にこぼす樹里に、オートバイが困ったような声をかける。どんよりした気配を背負っていて、彼女を知らない者はもちろん、知っている者でもお近づきになりたい雰囲気ではない。
ここまでヘコんだ樹里はなかなか復活しないので、十路は時間という回復薬を服用させて経過を見る治療法を選んだ。放置して後でなんとかすることにしたとも言う。
「……まぁ、これなら大丈夫だと思う」
「うぉー、終わったー。レポートめんどー」
「だから誰もちょっとやそっとのことで《魔法》を使わないんだ。ちゃんとした使った理由を考えるのも大変なんだぞ」
樹里の方を気にしながらも、南十星がパソコンで書いている、《魔法》を使った際に提出するレポートをチェックし、一ヶ所を除いてOKを出した。
「それと、日付書いとけよ」
「今日何日だっけ?」
「七月七日」
十路に言われるままにキーボードをぎこちなく叩こうとして、南十星は五秒ほど止まり。
「……七夕じゃん!?」
大事件でも発見したような顔をした。
「そうだな」
それに十路は冷淡に反応した。
「兄貴はなんでそんなれーせーなのさ!? 織姫と彦星が年に一度会える日だよ!?」
「それには何百年プラトニックな恋愛を続ける気なのかと、夢のない疑問を抱いてしまう」
「笹に願いごと書いた短冊飾る日だよ!?」
「それで終わりの行事だろ? この歳になってまでやることか?」
「……てか、そもそも七夕って、なんのための行事なん?」
「……なんだろうな?」
南十星に訊かれても、十路も知らない。だからネットに接続して検索もできるオートバイに視線を動かした。普通にネットで調べるよりその方が早いので。
【元々機織や針仕事の上達を願う中国の行事で、そこから変化して、短冊に願い事を書いて笹に飾るという形になったようです。地域によっては盛大な夏祭りを行うようですけど、まぁ、普通はトージが言う通り、笹に短冊吊るしてハイ終わりという行事ですね】
「よし、やろう!」
「なぜそこで意気込めるのか、俺には理解できない……」
ちょっとした豆知識でひとつ賢くなった南十星に、十路は小さく首を振る。
そんな風に騒いでいると、竹箒で地面を掃くような、ガサガサという音が近づいてきた。
「今日は七夕ですよー! 短冊に願いごと書いて吊るす日ですよー!」
外見は異国情緒たっぷりなのに、中身は下手すれば日本人以上に日本人らしいロシア人留学生がやって来た。
「ひ~……重くはないけど、大きいからかさばって大変だな……」
そして細めの若竹を担いで、その後から日本人も続く。ナージャと和真の部外者コンビが、竹を持って今日も遊びに来た。
更に。
「……部長。なぜ自分まで引っ張り出されるでありますか」
「どーせ株取引で引きこもってるだけでしょう。ちったぁ社交性っつーもんを身につけなさいな」
「株価は生き物であります。片時も目を離せないのであります」
「ノーパソくらい貸すっつーの。それに日本国内の証券取引は終わってる時間でしょう?」
「最近熱いのは東南アジアとアフリカの市場であります」
「ンなモン知らないっつーの……」
コゼットと、彼女にジャージの襟首を掴まれて引きずられる野依崎も来たことで、顧問を除くフルメンバーが勢揃いした。
「えー……理事長の思いつきなので、毎度のごとく唐突ですけど……」
そして部長であるコゼットが、部室の三人を見て――部室隅でヘコんでいる樹里に思うことあったようだが、コンプレックスを爆発させたと推測したのだろう。ひとまず放置の方向で連絡を優先させる。
「今日これから、ナトセさんの新歓会やりますわ」
「……まぁ、唐突って言っても、かなりマシな方ですね」
思うことは色々あるが、十路はそれだけの感想を述べるに留める。つばめのエーカゲンさは承知しているし、部屋に帰った後に呼び出されるよりかは、前もって連絡したと言える。
「そして今日は七夕だ!」
「短冊も飾っちゃいましょう!」
そして、部外者も新入部員歓迎会に参加するのは、既に決定事項らしかった。
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会場は部員たちが暮らすマンションの、樹里とつばめの部屋で行うとのことだった。しかし準備を終えてメンバーがやって来たのは、マンションの玄関だった。
ツツジが植え込みとして植えられた、小さな花壇に杭を打ち込み、そこでまず若竹を立てた。夏の夜風にサラサラと葉同士がこすれて揺れるそれに短冊を飾ることになり、各人が短冊に願い事を書いた。
まずはある意味小学生らしい、少々下手な文字で書かれた野依崎のものは。
「『株価が上がりますように』って」
「それが自分の今の願いごとであります」
「…………」
ウケ狙いでボケたわけではなく、無表情で本気で願っている様子なので、コゼットは言葉を詰まらせる。確かに経済は大事であるし、トレーダーなどやっている野依崎なら理解できるが、普通は小学生の願いではない。
日本人が書いたのと遜色ない字で書かれた、そんなコゼットの願いはというと。
「そう言う部長の願い、『たまには一〇時間寝れますように』とは、なんでありますか?」
「最近忙しくて四時間睡眠ですのよ……」
「……まぁ、頑張るであります」
かなり切実だった。コゼットが南十星の自爆に苦心していることは、野依崎も知っているからか、反応に困ったようにどこか投げやりな返事だった。
「――はっ!」
和真は気合を入れて、筆ペンを短冊に落とす。書道家のような流麗な文字で墨痕鮮やかに認められた、彼の切実な願いは――
「『せめてナージャとド突き合いから進歩しますように』……」
「HAHAHA。願うのは勝手ですけど、まー無理ですねー」
「吊るす前から叶わないこと確定!?」
当人から軽く笑い飛ばされた。
そんなナージャの手にある短冊に、筆記体を連想する丸っこい字で書かれた願いは――
「『ドアの建てつけが直りますように』って、そんなモン願うなよ!? 織姫&彦星も困るだろ!?」
「いやー、玄関を開け閉めすると音が気になって。それとも『ウザい和真くんがどっか消えますように』って願った方がよかったですかね?」
「……そのままでいいです」
片や全力で想いを向けているが、片やヒラヒラとその想いをいなす、牛と闘牛士のようにすれ違っている二人。織姫と彦星の純愛とは大違いだった。
「はいはーい」
仕事を終えて合流したつばめは、そんな面々に短冊を掲げて見せる。常人の感覚ならば、自分から見せるものではないと思われるが、彼女は違うらしい。
「わたしの願いは『皆がもっとわたしに優しくなりますように』」
それにコゼットは冷淡に。
「理事長の場合は自業自得ですわ」
そして野依崎は無神経に。
「結婚は星に願わないでありますか?」
「そこが優しくない! そこがいくない!」
相変わらず顧問に敬意の欠片も見せない部員たちだった。ちなみに部外者はこういう場合、ノーコメントを貫く。
そんな様子を十路がオートバイに体重を預けて眺めていると、イクセスが声をかける。
【トージは書かないのですか?】
「あー……そうだな」
オートバイを部屋まで連れて入ることはできないが、歓迎会で一台部室に残しておくのもなんだろうということで、マンションの駐車場まで連れてきて、つばめの愛車ミニ・クーパーの隣に置かれている。
「とはいっても、短冊吊るして喜ぶ歳でもないしな……」
【相変わらず空気読めない人ですね……】
高校生や大学生だけでなく、いい歳した大人も短冊ひとつで騒いでいる光景と見比べて、オートバイがため息のような音が漏らした。
「イクセスの短冊も書いておくぞ?」
【では『エロいトージが矯正されますように』とでも書いておいてください】
「……先週末の整備のこと、まだ根に持ってるのか」
【当たり前です! 吊り上げて身動きできない私を裸に剥くなんて、どんな特殊性癖ですか!】
「だからお前、バイクの自覚あるのか……?」
一月以上の付き合いだが、この件に関しては一貫して態度を変えずに声を荒げるイクセスに、十路は呆れる。
イクセスが曲がりなりにも女性人格とはいえ、彼女の体はロボット・ビークルだ。泣こうがわめこうが罵られようが、非常時には命を預けることになる《使い魔》を整備するのは、十路にとっては当然のことだ。
だから部室のダンボール箱に入っていた簡易ホイストクレーンを使って、暴れるオートバイを吊り上げて、無理矢理整備したという経緯がある。決して卑猥な行為ではない。いやらしい気持ちで機体に触れたわけではない。そして十路がサディストなわけではない。というかオートバイ相手にそういう興奮ができるようになれば、間違いなく病院を勧められる。
【それとももっと大雑把に『トージがもっとマシな人間になりますように』としておきましょうか?】
「お前……俺のこと、どういう目で見てるんだ?」
【こういう目です】
《使い魔》の車体に内蔵されたカメラの駆動音が響いた。イクセスがなにかしらの感情を込めて、十路に注目したことは理解できる。理解はできるが。
「……反応に困る」
【そこでボケることができないから、トージは空気読めないって言うんですよ】
「いつイクセスと漫才コンビ組んだ……」
その眼にどんな感情が込められているかまでは、理解できるはずはない。あまりいい感情ではないのは推測できるだろうが。
「堤先輩? まだ書いてないんですか?」
十路が筆ペンを指の間で回していたら、短冊を飾り付けた樹里がトコトコとやって来た。
なんとなく十路とイクセスの視線が、スクールベストを気持ち押し上げている樹里の胸元に集中する。
【……やはりジュリの願いごとと言えば】
「まぁ、その……思うよな?」
先ほどまでバスト七九コンプレックスでヘコんでいたので、一台と一人に共通認識ができてしまう。
具体的な単語が出なくても、彼らの胸中は樹里にも理解できたらしい。
「ややややや! 違いますよ!?」
慌てて誤解を解こうと樹里は短冊を指さす。やや距離があるが、イクセスの眼ならば丁寧な字で書かれた願いが読める。
【『今みたいな普通の生活が続きますように』ですか』
「……なるほど」
イクセスは普段出さない優しい声で納得する。十路は小さく笑う。
「私たち《魔法使い》がお願いなんて、言葉からすると変ですけどね」
「いや、俺たちにとって、一番大事で相応しい願いごとだと思う……俺もそう書いておこう」
【では、私の分もそのようにしておいてください】
なんだか温かい気持ちを二人と一台で共有しつつ、十路はペンを動かし、二枚の短冊を書き上げる。万能ではない《魔法》という科学しか操れず、普通の生活を送るのもひと苦労な現代の《魔法使い》にとって、星に願いたくもなる願いごとを。
そして十路がオートバイから離れ、短冊を飾りつけようとして、他の者たちから離れて空を見上げている南十星に気付いた。
「なとせ? どうした?」
「ん? 星が見えないなーと思って」
「なとせが住んでたところに比べたら、どうしてもな……」
彼女に近づき並んで、十路も空を見上げる。
一千万ドルとも評される神戸の夜景の中にいるのだから、繁華街ほどではなくても人工の光が存在する。南十星が以前住んでいた一〇キロ圏に店舗がないような場所では、考えられない明るさだろう。
二人が見上げる夜空は地上の光に塗り潰されて、等級の低い星は一切見えない。しかも背の高い建物があれば、余計に空を隠してしまう。辛うじて建物の隙間から明るい星がひとつ見える程度だった。
その星を指差し、南十星は問う。
「あれ、何座の星だっけ?」
「鷲座のアルタイル。あれが彦星」
「わぉ。兄貴、よくわかんね?」
「前の学校で叩き込まれたから、これくらいなら時間と方角で大体わかる」
星は方角を知る目印になるため、サバイバル訓練では必修だった。
しかし、琴座のベガ、白鳥座のデネブとを結ぶ夏の大三角形は、小学校の理科で学ぶ。
「あたしにはわかんないや」
「勉強しとけ……と言いたいけど、これは仕方ないか」
「にはは」
南十星がそれをわからないのは。
ひとつの星しか見えないからではない。
理科の成績が悪いからではない。
「ここには、あたしの星がないからね」
だから、わからない。
そうしてしばし二人で空を見上げ、十路は視線を下ろし、自身の肩ほどの高さにある顔に移す。
「で? なとせの短冊は書いたのか?」
「任せろ!」
南十星は無意味に気合を入れて、時代劇の印籠のごとく短冊を突きつけた。
鼻先に突きつけられたそこに、ちゃんとフリガナも忘れず書かれた文字を見て、十路は普段から悪い目つきを細めて半眼で見る。
「『強敵に勝てますように』って……お前の強敵はどこにいる?」
「これから出会う!」
理解不能な南十星の思考回路に、十路がため息をつくと。
「おーい、十路ー。ナトセちゃーん。行くぞー」
呼ばれて振り返ると、声を出した和真だけでなく、マンションのエントランスで、二人を除く全員が上の階に上がろうとしていた。
「なとせ」
「兄貴は先に行ってて。あたしはこれ付けてから上がるからさ」
南十星が小柄と言っても、竹の枝に手が届かないほどではない。短冊を結びつけながらの彼女の言葉に、十路はマンションの中へ消えた。
△▼△▼△▼△▼
それを見届けてから、ジャンパースカートのポケットから、南十星はもう一枚の短冊を取り出す。
当然その場に残っているイクセスが、不審そうに声をかけた。
【二つ目の願いごとですか……?】
「にはは。秘密だよん?」
【欲張りですね……】
「自分の力でどうしようもできない、《魔法使い》でも叶えやしない願い事は、いっぱいあるかんね」
イタズラめいた笑みをオートバイに向けて、手早く短冊を結びつけると、南十星もマンションの中に入って行った。
【どれどれ……】
眼の倍率を上げて、夏の夜風に揺れる二つ目の短冊を見て、イクセスは怪訝な声を上げる。
【……どういう意味ですか?】
南十星の二枚目の短冊には。
『兄貴を守れますように』と書かれていた。




