025_0050 【短編】王女の休日(姉Ⅲ)
場所は変わる。
「クロエ王女、よく食べましたね……」
「だって人目を気にせずに食べられる機会なんて、なかなかないザマスし」
「だからそれが恥ずかしいんですって……しかも人前でも平気でザマス言葉ですし」
十路とクロエは異人館街から移動して、山中にある新神戸駅のすぐ上――これまた神戸を代表する観光地・布引ハーブ園に来ていた。
「俺が食べようとした物まで意地汚く手を伸ばすし……」
「だってムッシュ・ツツミが食べようとしてたクリームパスタ、美味しそうに見えたザマスし」
「強奪しようとしてソースが飛び散りましたけど、服についたりしてません?」
「それは大丈夫だったザマスけど」
昼時なので、二人はここのレストランで昼食を取ったわけだが、ビュッフェ形式の料理を大量に食べたはずなのに、まだクロエはソフトクリームを舐めている。それに十路は呆れていた。
ちなみにここは世継山の中腹にある庭園で、アクセスは徒歩かロープウェイのみで、オートバイは乗り入れられない。だから駅にバーゲストを駐車して、万が一のために十路は無線機つきのヘルメットを持ったまま動き、イクセスと連絡をつけられるようにしていた。
【あの、トージ?】
そのヘルメットから、やや困ったような女性の声が流れた。
【コゼットとの無線連絡が取れなくなりました】
「どういうことだ?」
【合間合間で呼びかけてみたのですが、反応がありません。なにがあったかまでは私もわかりませんが……】
考えてもコゼットになにがあったか、十路にわかるはずもない。
ヘルメットを頬につけたままクロエの顔を見たが、彼女は微笑してソフトクリームを舐めていたので、なにも反応はない。
「そう言われてもどうしようもないな……気をつけておいてくれ、としか言いようがない」
【まぁ、そうですよね……】
スッキリしない空気を作り、イクセスとの通信はそれで終わった。彼女はまたクロエとの様子を、無線に載せて流しているのかもしれない。
携帯電話ででも連絡を取るべきだろうかと、十路がスラックスを上から確認した時、先を歩いていたクロエが振り返った。
白いクリームが、口の端と鼻の頭に付いていたが。
「口の端、クリームついてますよ」
「?」
クロエはコーンを持っていない手で、自分の口元を拭い、指に付いたクリームをそのまま舐め取る。
「まだ付いています」
「?」
今度は唇の逆側を拭うが、そこにクリームは付いていない。
だから仕方なく、十路が近づいてハンカチを取り出し、クロエの鼻を拭いた。
「世話の焼ける人ですね……あのメイドも大変だ」
「ロジェのことザマス? そんな世話かけてないザマスよ」
「どうだか……」
十路は疑わしく顔をしかめながら、再び歩き始めたクロエを、一歩遅れて追いかける。
ハーブをテーマにした観光地なので、カップルよりも、女性同士の観光客や家族連れが多い。
そんな中に、一般人とは異質なオーラを放つクロエと、学生服の十路が連れ立って歩くと、どうしても目を集めてしまう。じっくり見られることはなくとも、すれ違う人々が一度振り返ってしまう。
「コゼットにも、そんな風に世話焼いてるザマス?」
紫色の花を咲かせている、ラベンダーの香りを含んだ風に乗せて、クロエが問う。
「部長も子供っぽいところありますけど、こんな風に世話を焼くようなことないですよ。その辺りクロエ王女とは違います」
「その言葉は、あの子を高く評価しているから? それともわたくしが低く見られてるから?」
「どちらも半々でしょうね」
「あら。わたくしは随分と嫌われてるようですね」
「部長ほどはクロエ王女のことを知りませんし、前に戦った相手なんですから、高く見る理由がありません」
クロエの足は、木板が敷き詰められた展望広場に向かった。山側にガラス張りの温室が建てられ、海側には視界を遮るものはなにもない。見下ろす神戸の町並みと海は、夜になれば一千万ドルの夜景と化すだろう。
「ねぇ、ムッシュ・ツツミ? わたくしが神戸に来た理由、なんだと思ってます?」
夏の風になびく金髪を押さえて、クロエが首だけ振り返る。
表情こそはイタズラめいた微笑のまま変化ないが、また口調が変わっている。
「俺に会いに来た、とか言ってましたけど。関係者から逃げるように来たことに、本当はなに考えてるのかって思ってます」
それは彼女の本心が語っている根拠として示しているのか、それともまた本心を隠すためにわざと変えたのか、十路にはわからない。だからポーカーフェイスの無表情を浮かべて、クロエの話に余計な口を挟まない。また歩き始めたクロエを追う。
「ふふっ。本当なんですけどね」
「じゃあ、なんのために俺に会いに来たって言うんですか?」
「これからのことを確かめに」
視界に小さな鐘楼が目に入った。案内板には『誓いの鐘』と書かれている。きっと神戸を見下ろす最高のロケーションに、カップルに鳴らして思い出を作ってほしいという、デートスポットだろう。
その近くでクロエは足を止めて、妹に関することを問う。
「貴方は以前、コゼットを守るために戦った。死んでも不思議ない事態にも関わらず」
「結果的にはそうなるかもしれませんけど、自分の目的のために戦っただけで、部長を守るために戦ったってのは、ちょっと違うんですよ」
十路にとっては『普通の生活』を守るために、戦ったに過ぎない。
いずれは別れが来るのはわかっている。十路も高校三年生で、来春の進路次第では、知り合った人々と別れて、新たな生活に踏み出すことになる。
コゼットにしても、将来のことを考えて、途中退学することだって充分にありえる。
もしもそんな時が来たとしても、十路は仕方ないと考えている。今の状況に固執して別れを避けることこそ、違うという考えを持っている。
ただ、あの時は違った。《魔法使い》であるという理由で生まれようとした、あの別れは。
だから彼は戦った。コゼットが泣きながら求めた助けに応じた。
命を懸けるに価値があったから。
「それをコゼットはどう思ってるんでしょうね?」
「さぁ? あれから部長の態度が変わったとか、特にないですし。口に出して訊いたこともないです」
二人の間になにか変わったかと聞かれても、答えられることなどない。
大学生と高校生なのだから、生活で交わることは少なく、顔を合わせるのは部室しかない。そこで行われる会話も、部長と部員のものでしかない。
「それで――」
今までの質問は前振りで、これがクロエの質問の核心、最も訊きたいことなのだろう。一度言葉を切って、息を吸い、吐き出す。
「あなたはこれからも、コゼットを守るつもりですか?」
対して十路は間髪いれず、首筋を触れながら言い放った。
「俺は部長を守る気なんて、ないですよ」
「…………そう」
なにかを期待してたような、失望したような吐息が、クロエの桜色の唇から吐き出される。
なのに彼女の感情に気づいていないように、十路は言葉を続ける。
「あの可愛げなくて意地っ張りでケンカっ早くて理不尽なことでも平気で言うガラが中途半端に悪くてワガママな二面性王女サマを、なんで俺が守らなきゃいけないんですか」
「貴方、コゼットのこと嫌いなの……?」
「いや――」
こき下ろした言葉は否定はしないものの、ストレートな言葉にたじろいだらしいクロエに、十路が返そうとしたら。
イクセスが無線越しに、緊張を含んだ声で警告した。
【トージ、不審な車がそちらに向かっています】
「車?」
ハーブ園への車での入場は断られているが、それは客に限った話だ。園内にはレストランや店舗があるのだから、食材やみやげ物を運ぶ搬入口は当然あるだろうし、行き交いもあるだろうが。
【道のない斜面を走る暴走車です】
だが、穏やかな存在ではないらしい。
彼自身は無所属の《魔法使い》――身柄や命が狙われる立場であるし、連れは一国の王女なのだから、いつどこでどういう危険な相手が来ても不思議ない。
だから十路は無線に叫ぶ。
「イクセス、来い!」
【もう向かっています】
人工知能と高度なバランサーを持つロボット・ビークルなのだから、無人での走行も可能だが、それを知らない一般人が見れば怪談話になるため、できる限り人目のある場所で《使い魔》単体での行動はさせたくない。
しかし今はそんな事を言っていられない。十路もイクセスもそう判断した。
だが相棒役と合流するより先に、闖入者が現れた。
エンジンを吹かせて茂みを突き破り、『わ』ナンバー――レンタカーのミニバンが出現し、バウンドしながら停車した。
「あー……ロジェも神戸に来てましたか」
運転席でハンドルを握る、ホワイトブリムを頭に載せた女性を見て、予想通りといった風にクロエが呟く。
そして。
「部長……?」
急停止した車の屋根に立つ女性を見て、十路が呟く。《魔法》で磁力を発生させているだろうから、装飾杖を構えているのはいいのだが、その威容に驚きを漏らす。
コゼットは装飾杖とは逆の手で、《魔法回路》で形成されたハンマーのようなものを持っていた。
「やっぱり来ましたわね……? だけど……」
クロエはほくそ笑んでいるが、妹が持つ《魔法》に危機感を抱いているらしい。頬に冷たい汗を流していた。
「クロエ王女。なにを考えて神戸に来たか、いい加減、説明してもらえません……?」
「それにお答えする前にお訊きしたいですけど、コゼットが展開してる《魔法》はなんです……?」
「俺も初めて見る術式です……」
「殺す気マンマンにしか見えないですけど……? ここまで激情に走るのは、ちょっと予定と違ったというか……」
先端部分だけで五メートルはあろうかという巨大ハンマー型《魔法回路》の内部では、密度の濃い黒い粒子が渦巻いている。金属の破片であろうことは想像できるため、十路はその辺りを説明しようとしたが、その前に運転席のロジェが顔を出して叫ぶ。
「殿下、ご無事ですか?」
「いえ、ご無事ですけど……?」
素で呆然としているのだろう。特殊な日本語を忘れた返事をクロエがすると、ギラリと危険なオーラが発せられた。
「では、不埒な真似をしたその男に、鉄槌を下します」
「……は? 部長、なんのこと――」
十路が心外だと自分の顔を指差して疑問を呈し、冗談抜きで本当に鉄槌を下しそうなコゼットに話かけようとしたが。
「どーせ可愛げないですわよ……」
車の上に立つコゼットが、顔を伏せて肩を震わせているのに、続きの言葉は喉に詰まる。
「意地っ張りでケンカっ早いですわよ……理不尽なことでも平気で言いますわよ……ガラが中途半端に悪くてワガママですわよ……二面性王女ですわよ……」
「……ヤバイ」
無線を通じてイクセスに、更に経由してコゼットにも、クロエとの会話を聞いていても不思議はなかった。反応がないとイクセスが報告してきたが、彼女が会話を聞いていないとは限らない。
空気を読む読まないの問題ではなく、十路はそれを忘れて完全にぶっちゃけてしまった。
「――!!」
大きく息を吸い込んで、コゼットが顔を上げた。
青い瞳に涙を溜めていた。普段の彼女なら絶対に見せない顔だった。素顔のコゼットを知っている十路でも、そんな顔は一度しか見たことがない。
不意打ちで、彼女の気弱な部分を見せつけられたため、十路も怯んだというかドキッとしたのだが。
「ぶっ飛ばすぞコラァァァァッ!?」
でも割と普段通りなドスの効いた咆哮が残念だった。裏声気味なのが愛嬌かもしれないが、その直後に《魔法》のハンマーが振り上げられたので、可愛げは欠片もなかった。




