025_0000 【短編】王女の休日(妹Ⅰ)
困っていた。コゼット・ドゥ=シャロンジェは困っていた。
神戸市を見下ろす山の中腹に建つ修交館学院。休日の朝、そこへと向かう坂道を歩く道中、彼女は困っていた。
普通に考えれば、なにも困ることはない。
休日なので講義はないが、《魔法使い》たちの部活動・総合生活支援部の部室に顔を出して様子を確認して、学校の実習室を使って作業を進めようと考えて登校しているが、気が進まない様子だった。普段は穏やかな微笑をたたえた王女の顔を、気が抜けた困惑顔にして。人前では背筋を伸ばして颯爽と歩くのに、今は背中を丸めてドン臭く。
まだ休日の朝の時間、しかも市街地から離れる坂道に人目はないからいいが、とても普段の『王女様』に憧れる者は見せられない。
(……格好、変じゃないですかしら?)
歩きながらコゼットは自分の体を見下ろす。
今日来ているのは、正装にはできないが普段着とするには上等な、カジュアルドレスのようにも思える白いショートワンピース。学校に行くだけなのだから、気合を入れて選んだわけではない。しかし嫌味にならない程度に、魅せる程度に、着飾っている。
(そういえば化粧……)
トートバッグからパクトを取り出し、鏡で顔をチェックする。
このところ夜更かししているので、今朝はただでさえ弱い朝が一層辛かった。目の下には隈ができていたので、化粧で誤魔化す必要があったほどに。
(……濃いですかしら?)
普段からさほど化粧気がないので、目ざとい相手ならば気づくかもしれない。ファンデーションを塗ってアイラインを軽く整えた程度なので、人を不快にさせるほどではないだろうと思うが、それでもやや不安になる。
ついでに前髪が気になるらしく、鏡を見ながら指先でチョイチョイ直し。
ふと我に返る。
(なにやってますのよ……)
自分の行為にコゼットはため息をついて、音を立ててパクトを閉じた。
そうは思うのだが、気になるものは仕方ない。服も、顔も、髪も、そしてそれを見せることになる相手も。
彼女が部室に行く足が重い原因は、きっと休日の今日も部室で会うだろう、総合生活支援部唯一の男子部員だった。
(くぁーーーー! 堤さんのことは別にそういうのじゃないですわよーーーー!)
化鳥の雄叫びを心の中で上げつつ、彼女は頭を抱える。
いつからこうなったのか、自覚している。
彼女がワケありの《魔法使い》である理由――《魔法使い》は悪魔の化身とされる国の王女として生まれ育った――が引き起こした、起こるべくして起こった事件だった。
(そりゃその節、世話になりましたわよ? でも堤さんに限ったことじゃないでしょう? 木次さんにだって助けられましたし、なぜか高遠さんとクニッペルさんだって関わってましたし、あまり礼を言いたくないですけど、あのAIだってそうですし)
だが、コゼットは思い出す。
宙に放り出された自分を抱きとめた、意外と頼もしい腕の感触。
夜の街を逃げた時に繋がれた、手の温もり。
不安の反動で抱きついた時の――
(だぁぁぁぁっ! だからちっがーーーーう!! なんでこうも堤さんを意識しないといけませんのよーーーー!!!)
いくら否定しようと意識してしまっている。戸惑って否定するほどに意識してしまっている。それはもう、ものすごく。
(なに乙女みたいな反応してますのよ……)
コゼット・ドゥ=シャロンジェ、二〇歳。《魔法使い》として生まれたことを人々から恐れられ、そのことを秘密裏にするために幽閉されて育ったために、神戸に留学するまで、異性となどロクに話したことはない。一般的な年齢で初恋を経験しておらず、大学に『王女様をコンパに誘ってあわよくば』という勇者はおらず交際経験など皆無。愛するものはチェスと紅茶と本。別に男を嫌っているわけではないが、恋愛対象に思ったことはない。
そんな彼女がこんな反応をするのだ。遅咲きかもしれないが、立派に乙女だった。
「はぁぁぁ……」
コゼットは重いため息をつき、ついでにずっと重かった足取りも止めた。
(今日はサボりましょうかしら……)
そんな事を考えた矢先に、アップテンポな音楽が鳴り響く。日本人なら三分間で料理を作ろうとしているように思うだろう。
音源はトートバッグに入れていたスマートフォンだった。コゼットは着信を知らせるそれを取り出し、液晶画面をタップする。
「Allo? (もしもし?)」
液晶の表示も見ずに、フランス語で電話に出たが、電波の向こうの相手は気にした様子もなく日本語を届ける。
『突然の連絡、申し訳ありません』
スピーカー越しに聞くと生で聞くより一層低く聞こえる、女性のハスキーボイスだった。その声が本来発するのはフランス語かドイツ語なのだが、日本語も負けないくらいに流暢だった。
当然その声は、コゼットにも覚えがある。しかし電話越しに聞くとは思ってなかった。
「ロジェ……?」
スイッチを戦闘モードに切り替えたコゼットは、相手の名前を不審げに呟いた。
相手はロジェ・カリエール。不倶戴天の敵である姉の、付き人兼護衛として雇われている、いつもメイド服を着たネパール人女性であり。
そして彼女もまた《魔法使い》であり、洋弓形態の《魔法使いの杖》を使い、部員たちと相対した敵だった。
慌てて液晶を確認すると、『非通知設定』と表示されている。
「なんでまだ日本にいますのよ……?」
国際電話は『非通知』ではなく『表示不可能』と通知されることを、コゼットは知っている。だからロジェは国内から、きっと公衆電話からかけているだろうと推測できる。
「また戦る気ですの?」
警戒した固い声でコゼットは問う。
殺し合いをしてから、まださほど時間は経っていない。そしてその時に彼女たちは帰国した。
そんな相手から、こうして電話をかかってくれば、警戒するのが当然だろう。
『お話すると長くなるので、今は割愛させて頂きますが……現在東京にいるのです』
切羽詰っていると説明したロジェは、電波の向こうで心底ウンザリしたようなため息をこぼし、早速本題に入る。
『そちらにクロエ殿下から、ご連絡ありませんでしたか?』
「ハ?」
『いつの間にかホテルから抜け出してるのが、つい先ほど発覚しまして……どうやら昨夜のうちには、既に抜け出されてるようなのです』
「……貴女がそんな体たらくでいいんですの?」
『面目次第もありません……』
説明にコゼットは呆れ、そしてロジェはしょぼくれたような声を返す。それが演技だとは感じない上に、嘘をつく必要性も感じない。
コゼットはやや警戒心を緩め、正直に答えた。
「クロエから電話なんて、ありませんわよ?」
『そうですか……』
「大体、何故わたくしのところに電話してきますのよ?」
『それがクロエ殿下は、神戸に行ってくると書置きを残してまして……』
「……そう言って、実は近場で同人誌あさりしてるとかってことは?」
『クレジットカードの利用を問い合わせたところ、どうやら本当にそちらへ向かわれたと思われるのです』
「あの姉は……」
コゼットは舌打ちする。
彼女自身も肩書きに似合わない人間だと自覚あるが、姉もまた奔放な人間であることは、よく知っている。
だからきっと本当に行動している。
コゼットが苦虫を噛み潰したような顔をしていると、想像しているのだろう。ロジェはおずおずと言葉を発する。口調はあまり変化ないが。
『コゼット殿下、事を大きくするわけにもいきません。クロエ殿下の連れ戻しにご協力願えませんか?』
それにコゼットは不機嫌で険のある、わずかに牙を覗かせた声を発する。
「わたくしに頼むなんて筋違いっつーのは、わかって言ってますの?」
『えぇ……我々は、コゼット殿下を殺そうとしたのですから』
前回のこともあるため、全く警戒しないわけにはいかない。これが罠で、またコゼットの殺害をたくらんでいると考えることもできる。
協力を拒む理由としては、充分すぎる。
そんな考えが伝わったのだろう、ロジェは提案する。
『正式な依頼としてもよろしいのですが』
言葉は端折っていても、総合生活支援部の活動――なんでも屋のことを言っているのだと、コゼットには伝わる。
「ウチの部活は基本、学内限定ですわよ」
『表向きの理由ではなく、真相の方です』
真相――有事の際には警察・消防・自衛隊などに協力し事態の解決を図る、緊急即応部隊としての行動すること。
立場ある人物が行方不明になり、捜索に乗り出すのは、その範囲内と考えられなくもない。
本来頼むべき相手でないほどに頼むほど、ロジェは切羽詰った状況であるのだろうが、やはり懸念は拭いきれない。
どうしたものかとコゼットはしばし考え、正式な手順を踏まえさせて、保険をかけておこうと提案する。
「ウチの理事長、ご存知ですわよね? そちらを通して問題なければ、手伝いますわ」
場合によっては協力しないとコゼットは言うが、総合生活支援部の顧問であり、学院の理事長でもある長久手つばめの性格を考えると、きっと手伝う羽目になるだろうとも同時に考えている。コゼットを陥れる策でなければ、面白がって手伝わせそうな気がする。彼女はそういう性格だ。
そして仮に罠であったとしても、コゼットは《魔法使い》なのだ。一人でも生半可な武力では返り討ちにできる余裕がある。部の活動として三人の《魔法使い》がそろえば、どうなるかなど以前の部活動が証明している。だから回避する理由にならない。
八割強の確率でつばめは依頼を受諾し、結局コゼットは手伝うことになると予想する方が自然だった。
「念のために言っておきますけど……」
だからコゼットは獅子の気迫を発して、電話のロジェに釘を刺す。
「また戦り合うつもりなら、容赦しませんわよ」
『そのような余裕はありません……』
ロジェは本当に困っているらしい。ため息混じりの声を出す。
大した付き合いがないため、コゼットは彼女の無表情以外を見た記憶がない。だからそこ声がどんな顔で発せられているか、想像がつかなかったが。




