010_0601 現代を生きる《魔法使い》Ⅵ~それぞれの意見、それぞれの反応~
夜。
マンションの自室に入ったタイミングで、十路の携帯電話が鳴った。電話をかけてきた本人が、このおどろおどろしい映画音楽を専用着信音に設定したので、液晶に表示される名前を見もせず耳につける。
『グッイブニーン! マーイ・ブラザー!』
スピーカー越しのやたらテンション高い少女の声に、軽く戸惑うように、けれども安堵するように、十路は顔をわずかに歪める。
「よぉ、なとせ」
相手は堤南十星という。ずっと伯父の元で離れて暮しているが、同じ姓が示すように、彼唯一の家族だった。
趣味は映画観賞、特技は格闘技。中学二年生であるが、いまだ女の子らしさが欠片も見えないのが、身内としては不安になる。
「まだ起きてたのか? いつもならもう寝てる時間だろ?」
『ちょっち映画見てたからね~。そろそろ寝ようかと思ったけど、その前に兄貴に電話してみよっかなって』
ちなみに南十星は、夜九時には寝て朝五時には起きる超健康優良児だが、ここで『早く寝ろ』と言わない程度には、十路も空気を読む。
『兄貴ぃ~? もっとマメに連絡してきなよ~? でないとあたしのフラグが立たないよ~?』
「妹のフラグを立ててどうしろと」
『ちなみに今のあたしは風呂上がりでバスタオル一丁! どうだ!』
「アホ。さっさと着替えろ」
十路は『この愚妹になに言っても無駄だ』と思ってる節があるので、基本的にハイテンションな言葉についてはスルー。こういうやりとりも普段のこと。
『で、どーよ? 新しい学校は?』
「あー……なんというか、普通の学校?」
『兄貴のフツーの基準が、あたしにはイマイチわからんのだけどさ?』
「前の学校が特殊すぎて、俺もどう説明していいのかわからん」
『あー。それもそっか』
「まぁな――」
そのまま十路が、説明を続けようとしたところで。
『だったらさ、寮はどーなのさ?』
南十星が明るい声で話題を変えた。
それは素なのか、それとも意図したものか。違いの説明には、十路があまり触れようとしない『前の学校』の話題を出す必要があったが、それがなくなった。
「寮というか……マンションだけどな」
携帯電話を耳に当てたまま、十路は自室を見渡す。
「なんか、落ち着かない……」
計測していないが、間違いなく学生のひとり暮らし物件ではない。部屋数はともかく広さだけなら家族向けだ。
総合生活支援部の関係者は、全員このマンションで生活している。学校や部で部屋を借り上げて学生を生活させているのではなく、建物そのものが支援部のためだけに存在する。
そのため入居者を募って家賃で経営するのに必要な、対費用効果を念頭に置いていない。建物規模は五階建てと普通だが、ワンフロアに二部屋しかない贅沢な造りをしている。
加えて十路はずっと寮生活していたので、私物は限られた量しか持っていない。必要な家具・家電製品は最初から用意されていたが、クローゼットには最小限の服しかなく、本棚はスカスカという有様だ。生活感の薄さが部屋をより一層広く見せている。
『寂しいん? んじゃ、泊まりに行くねー』
「飛行機に乗ってわざわざ来る気か? 別に構わないけど、なにもしてやれないぞ?」
『そんなの期待してないって。兄貴の暮らしっぷりを、あたしがカントクしてあげようではないか』
「お前が家事が得意なんて話、聞いた記憶はないけどな?」
『はっはー。見せてやろうではないか! あたしの――』
そこで南十星の声に被るように、電子音がスピーカーから鳴り響いた。携帯電話を耳から離して画面を見ると、メールが着信してきた。
――宛先:理事長
――件名:五階にあがってきて~
――本文:ジュリちゃんが冷たい(泣
それを見て十路が軽くイラッとしても、決して彼の心が醜いわけではないだろう。
『兄貴? どしたん?』
「メールが来たんだ……」
会話中にメールを確認するのは、マナー違反だとはわかっているが、昨夜のような緊急の部活召集かもしれないので、無視するわけにもいかない。
そんな十路の気持ちは、電話越しでも伝わったらしい。
『あー、もうこんな時間か。そろそろ寝るね』
十路が南十星を評する時、『アホの子』という言い方をする。実際、学校の成績は下から数えたほうが早いらしく、頭の痛い言動が目立つ。
しかし頭の出来そのものは、自身よりも上だと思っている。賢いし気が利くから、素早く察して自分から電話を切ろうとする。
十路を甘えさせることの出来る、唯一の相手。
四歳も年下相手に『甘える』なんて行為は、普通だったら嫌なものだろう。しかし南十星のそれは、ほんの少しの気遣いであるし、家族相手に抵抗感を抱くものでもない。
「悪い。じゃな」
『うん、またね~』
学校の様子や十路の生活についても聞きたかっただろうが、南十星は電話を切った。
十路も携帯電話のボタンを押して通話を切り。
「……はぁ」
軽くため息をついて、ずっと持ったままだった鞄を置き、また部屋を出た。
△▼△▼△▼△▼
十路が割り当てられた二階の一号室から、エレベーターで五階に上がると、すぐにポーチがある。
「理事長ー。来ましたよー」
『あいよ~』
インターホンのボタンを押し、ロックが解除された玄関を十路はくぐる。
五階だけはワンフロアまるまるひとつの部屋で、つばめと樹里が一緒に住んでいる。ふたりでも広すぎると思える部屋だが、家事を取り仕切っている樹里の苦労だろう。清潔に保たれている。
なぜ学生と理事長が同居しているのかは不明だが、生活能力のないつばめが、樹里を引き入れたのではないかと十路は思っている。
ちなみに、こうしてこの部屋に入るのも初めてではない。十路は勝手知ったるなんとやらでリビングに入ると、風呂あがりかまだ湿り気のある髪のつばめが、ラフな格好で缶ビールを飲んでいた。
「駆け付け三杯!」
「学校の責任者が高校生にビール勧めるって、どうかと思いますけどね……」
既にテーブルには空き缶が二本ほど転がっている。つばめの突き出す缶は無視し、十路は向かいのソファに腰を下ろして、ぶっきらぼうに口火を切る。
「それで理事長? 俺を呼んだ理由は? 本当に酒飲み話するために、呼んだんじゃないでしょう?」
「ん、まぁね」
「木次が冷たいのは本当かもしれませんけど」
「あのコ、けっこー内弁慶だからね……わたしに冷たい……」
「それは理事長に問題があるからでしょう?」
「なんで断言するの?」
「変な時間に酒のつまみ作らせる。深酒する。それで次の日の朝に起きれない。しかも起きて学校に行くのゴネる。そして木次が朝から苦労する。そんな展開が予想できるんですけど?」
「ぐは……!」
図星を言い当てられて崩れ落ちるダメな大人は、それでも缶ビールを手放さない。
普段のつばめを見ていれば、同居の様子は想像できる。樹里が冷たくても無理ないと思うので、十路はフォローしない。
「それで、なんの話ですか?」
「トージくんが転入してから一週間ほどたったけど、どうか聞いておきたくてね」
「その程度の話なら、部室でよかったんじゃ?」
「部室だと他のコたちもいたから、話すのどうかと思ったからね」
「……あぁ、そういう意味ですか」
転入生に対する気遣いではなく、和真とナージャがいたから。あるいは他の部員たちのほうが理由か。
「ウチの部に関して、質問・感想・その他もろもろ、ズバリ聞かせてもらえたらと思って」
「俺が口出していい部分なんでしょうか?」
「部員の中で、一番《魔法》と関わりが深いじゃない? 思うところはあるでしょ?」
「そりゃ、なくはないですけど……」
言うべきか言わざるべきか、少し迷いはしたが、それならばと、部室では言わないことを口にする。
「一番気になるのは、やっぱり木次ですね。《魔法》の使い方が下手」
「まーねー。ジュリちゃん、育成校に通ったことないし、この春に入部するまで、マトモに《魔法》を使ったことないし」
《魔法使い》の育成は国家事業なので、『育成校に通ったことがない』なんて事態は、普通はあってはならない。
しかし、あってはならないことが起こっているから、今がある。詳細を聞くつもりはなく、ただ十路は懸念だけを伝える。
「だからですかね……? 木次は《魔法使い》としては、普通過ぎるんですよね」
「どういう意味?」
「《魔法》なんてものに関わるのは、マトモな人間じゃないと俺は思ってます。だけど木次は関わるだけの度胸があるのか、見てて不安になります」
「だったらコゼットちゃんは? あのコは普通じゃないってこと?」
「ヨーロッパの王女なんて立場で、極東の島国に留学してる時点で、普通じゃないと思いますけど?」
「ここでしか学べないものがあるなら、あっても別に不思議はないと思うけど? あのコの国で前例はないけど」
「それに部長は、少々のことがあっても大丈夫だと思ってます。度胸もありますし、《魔法》のことは俺より詳しいですし、あの二面性を上手く使い分けてますから、トラブルが起こっても上手くまとめるでしょう」
「本当にそう思ってる?」
つばめが缶を持った手の甲で頬杖を突いて、探るように下から軽く目上げてくる。
「えぇ。思ってますよ」
ウソは言っていないから、そんな目で見られても疚しくもなんともない。
「だけど俺は、木次も部長も、信用はできても信頼はできません。警察の真似事程度ならともかく、『それ以上』を求められないでしょう?」
ただ彼女たちは、十路の基準には満たしていないだけ。足りていないというより、物差しが違う。
人柄と実績――過去と現在からの判断で、ある程度までは信じることはできる。しかしそこから先、不確定な未来まで預けられるほどではない。
つばめもそれを理解しているはず。
「ま、だから俺がここにいるんでしょうけど……木次と部長ができないことをやるのが、俺が入部してる理由でしょう?」
「そうならないに越したことはないけど、否定はしない」
理解を示すように、不確定ながら笑顔で肯定してきた。
誰かができないことを代わりに誰かがやる。協力社会に必要な助け合い精神を示す言葉なのに、薄ら寒さを感じる笑い方だった。
ここまで口に出したのだからと、ついでに十路は日頃思っている本音も出す。
「だいたい《魔法使い》を普通の人間社会に放り込むなんて、無理があるんですよ」
「うわー。根本から否定するか」
「理事長は誤魔化してましたけど、昨夜の一件、お偉いさん方はもっと厳しいことを言ったんじゃないです?」
「…………」
十路の確認に、つばめは曖昧な笑みを浮かべただけ。
彼女は、学院と部の最高責任者だから。
自分の管理下にある学生たちが、『銃やナイフよりも危険な、考えるだけで人を殺せる兵器』と酷評されていたら、口に出せないだろう。この社会実験が『《魔法使い》という人間兵器の民生利用』と認知されていることも。
十路はそうだと確信しているが、つばめは立場上、口に出すわけにはいかないだろう。予想の確信を深めるように彼女は話題を変えた。
「それで、学校と部活、馴染めそう?」
「あー……まぁ、なんとか? 努力します?」
「クエスチョン付きなのがキミらしくないね?」
「俺は『普通の生活』をしてないから、困ることが多いんですよ。ナージャと和真がいなければ、クラスの中で浮いてますよ」
「つまりコミュ障一歩手前だね!」
「…………」
自覚はある。だから十路は憮然とした顔を作りながらも、反論はしない。ただこれ以上この話題を続けたくもない。
「話はそれだけですか?」
「まぁ、そんなとこ」
ならば、と十路は立ち上がる。
「じゃ、失礼します」
「えー。帰っちゃうのー?」
「俺まだ晩飯食ってないんですよ」
「ここで食べればいいじゃない。ジュリちゃんになにか作ってもらって」
「木次に余計な手間かけさせたくないです」
「だったらせめて独身女の話し相手になってよー」
「嫌です」
「……トージくん。わかってない。二九歳独身の気持ちが!」
「えぇ。そりゃわかんないですね」
高校生一八歳、しかも男、彼女が欲しいなんて願望はない。現住所とホモサピエンスという共通点を除いて、つばめと重なる要素はない。
そんな淡白な反応しかしない十路に、彼女は缶ビール片手に立ち上がり、吼えた。
「キサマは妙齢の女がこんな格好してても興味ないのか!」
彼女が着ているのは、タンクトップにホットパンツという楽な部屋着で、手足はむき出し、胸元も窺えそうだった。
しかし十路の心は揺れ動かない。
「はい。全く」
「キッパリかよ! も少し空気読んで答えろよ!」
「万が――いや、億が一にでも、理事長とそんな関係になりたくないので」
「ケタ増やすほどイヤか!?」
「そもそも自分の学校の学生に手を出すのって、モラル的にどうなんです?」
「ツバつけて、卒業まで待つって手段もあるじゃない? 学校の先生が元教え子と結婚って珍しくないよ?」
「理事長なら策略家ぶりを発揮すれば、すぐ独身女じゃなくなるんじゃ?」
「フ……策を弄するに値する男が、まだ現れないんでね」
「どこまで男に求めてるんですか?」
「とりあえず家事ができるのは最低条件」
「人雇ったほうが早いんじゃ?」
「昔ね? 雇おうとしたんだよ? そしたら嫌がられた」
「どんなゴミ屋敷に住んでたんですか……」
「それに! 旦那に求めるのは家事だけではない!」
「収入ですか? 学歴ですか? 身長ですか?」
「やっぱりどれも高くないとダメだよね?」
「さすがバブル世代……」
「わたしは恩恵を受けた歳じゃない!」
「二兎を追う者は一兎をも得ずって言いますけど、理事長は二兎どころじゃないですよ」
「いいんだよ! 夢は大きく!」
「一〇年後に『妥協しとけばよかった』って後悔しますよ?」
「痛い……!? 耳と胸が痛い……!」
つばめに付き合うのももういいだろう。もの寂しい自室に戻るのと、この騒がしい理事長に付き合うの、どちらがマシかと天秤にかけ、十路は廊下に出ることに。
するとタイミングよく、すぐ側の扉が勢いよく開いた。
「もぉー! つばめ先生! 私のシャンプー勝手に――」
空にされた文句を言うためか、ボトルを片手に樹里が出て来た。
脱衣所から、全裸で。
濡れた体を簡単に拭いたのだろう。一応バスタオルを手にしていたが、体に巻いて隠しているわけでもない。肉付きは薄くグラマラスと呼ぶにはほど遠いが、幼児体型ではない。肩は薄く脚も細い。年頃の少女らしい、発展途上の華奢な肢体を曝していた。
「え゛」
樹里の手からボトルが落ち、カコンと乾いた音を立てる。
「…………」
つばめにはなんら反応しなかった十路だが、タイミングと露出度が違いすぎる今回は、『無反応』という反応をした。
お互いいるとは思わなかった最悪の状況で、ふたりの視線がぶつかり時間が止まる。
たっぷり一〇秒ほど見詰め合った後、十路が凍った空間を解凍した。
「……あー、うん。悪い」
無表情に言って、スタスタと靴をつっかけ出て行った。
「…………………………………………」
固まる樹里を放置して。
△▼△▼△▼△▼
パステルカラーのパジャマに着替えた樹里が、リビングのソファで膝を抱えて顔を埋める。
「見られたぁ……堤先輩にハダカ見られたぁ……」
無防備とはよく言われるので、気をつけようとしているが、普段は女ふたりの家だ。まさか脱衣所から顔を出す程度で、身だしなみを整える必要があるとは考えもしなかった。
今はそれを半泣きで後悔している。
「どうしてウチに先輩がいるんですよぉ……?」
「ジュリちゃんがお風呂入っちゃったから、酒の相手させるために呼んでた」
「ってことは、つばめ先生の策略ですか……?」
「いくらわたしでも、あんなラッキースケベ仕組めないって」
「う~……偶然にしても、タイミング悪すぎですよ……」
しょんぼり顔で、樹里はマグカップのホットミルクを口に含む。そろそろ夜も蒸し暑くなる時期だが、温めた牛乳に砂糖一杯を加えて飲むのが彼女のいつも。
「それにしても、ジュリちゃんの全裸見ても、トージくんってば反応薄いね?」
つばめがスマートフォンを操作しながら、意地の悪い悪魔の笑みを浮かべる。
「やっぱり貧乳だから?」
「言われるよりはあるつもりですよ!?」
決して小さくないと思いたいが、断じて大きくはない膨らみを、樹里は己の手で確かめる。
(あぅ~……せめてあと一センチあれば……)
バスト七九。その数字が彼女のコンプレックスだ。
寄せて上げて頑張ればCカップ。『並』の範疇に入るだろう。しかし細身なせいか小さく見られる。ついでに中途半端な数字がもどかしい。実際には七九も八〇も大差ない。だがその一センチには境界がある。七〇台と八〇台は違うのだ。あと一歩でそこに足を踏み入れられる。しかしまるで砂漠の蜃気楼。歩みを進めてもたどり着ける気がしない。ちなみに努力の手段は牛乳。いま飲んでいるホットミルクがその一環。
「さっきのはキミの不注意もあるし、トージくんが話を蒸し返さないなら、ジュリちゃんも気にしないのが一番だよ」
「や、気にしないって……」
「蒸し返されたら、キミも気まずいと思うよ?」
「や、それはそうですけど……」
思考が停止していたこともあり、無表情の十路の動揺は、樹里には伝わらなかった。
だから彼女は考えてしまう。
(無反応なのもなんだかなぁ……私の体って、こう、なんていうか……ダメなの?)
裸を見られたかったわけではないが、なんのリアクションもないと、それはそれで不安らしい。乙女心は複雑だった。
(……やっぱり貧乳だから!?)
そして行き着く結論は結局そこらしい。乙女の悩みは深刻だ。
しばし悩みに顔を埋めていたかったが、チャイムの音で顔を上げることになる。
「あいよー」
インターフォンのカメラで相手も確かめず、つばめが玄関のロックを解除する。
「来ましたわよ……」
そしてリビングに入ってきたのは、不機嫌そうなコゼットだった。
「部長? どうしたんですか?」
「わたしが呼んだ」
コゼットではなくつばめが、スマートフォンを見せる。
「その格好でウチまで来たんですか……」
ねずみ色のスウェットを着たコゼットに、樹里は引く。そこに王女の端麗さなど欠片もない。『夜のコンビニでそんな格好した人がヤンキー座りでタバコ吸ってるよね』という威圧感ならある。
「マンションの中なら、部屋着で出ても誰も見てませんわよ」
関係者以外住んでいないマンション内を、三階二号室からエレベーターで移動するなら、コゼットの弁も間違いではないかもしれない。
しかし階は違えど、一週間前から男が生活するようになった。
「そうやって油断してると、思わぬところで恥かきますよ……」
「ハ?」
『現に油断してて堤先輩にハダカ見られたし……』と遠い目をする樹里を、コゼットは怪訝そうに見たものの、気にしないことにしたらしい。つばめに振り返る。
「んで? 理事長。何の用ですの?」
「ちょっと部会の続き」
つばめはキッチンの冷蔵庫から缶ビールを二本取り出して、うち一本をコゼットの前に置く。彼女の国は一六歳で成人年齢の上、二〇歳なので、飲酒は問題ない。
「トージくんの様子を一週間見て、どう思ったか、キミたちの意見を聞きたいんだ」
コゼットは缶のプルタブを開けてから口を動かす。
ただし総合生活支援部の《魔法使い》たちは、それぞれに事情を持っているため、お互いその事は触れないようにしている。だから漏れ聞いた情報からの推測でしかないので、コゼットの言葉は慎重だった。
「あの方の『前の学校』は、富士育成校でしたわよね? なにがあったか知らねーですけど、そこで堤さんは『出来損ない』になった。だから修交館に転入してきた」
「うん、ま、そんなトコ」
「わたくしが気になるのは、その点ですわね」
「出来損ないの理由?」
「彼の前歴に決まってるでしょう?」
ビールを口に含み、コゼットは一度言葉を区切り、吐いた。
「――正直申し上げて、わたくしは、堤さんが怖いですわ」
苦手意識などではない。明確な戦慄を。
百獣の王である獅子が、野良犬に恐怖していると。
「あ、もしかしてトージくんの正体、わかっちゃってる?」
「以前、当人から多少聞きましたし、堤さんの転入と同時に《使い魔》が配備。それだけで間違いようがないじゃないですの」
「けっこー勘違いしてる人多いけど、それだけじゃ不十分なんだよ?」
「決定的なことがあったじゃないですの……なにが『出来損ない』ですのよ」
コゼットはスウェットの上から二の腕をさする。肌が粟立つほどの思い出なのか。
「わたくしは堤さんと戦って、殺される寸前まで追い詰められましたのよ……? あんな『化け物』が実在するなんて思ってませんでしたわよ……」
「あー。そんなこともあったっけ」
「忘れてんじゃねーですわよ! 理事長の連絡ミスのせいでしょうが!? マジ死ぬと思いましたわよ!?」
意図的か否かは不明だが、激昂させることで重くなりそうだったコゼットの気分を吹き飛ばし、つばめは真面目な顔で問い直す。
「それで、コゼットちゃん的には、トージくんとどう接するつもり?」
「どうもなにも……普通に接しますわよ?」
「怖いんじゃないの?」
「戦ったのは誤解ってわかってますもの……それに、なんだかんだで頼りになるんじゃないかと思ってますわよ? たまに空気読まずにズケズケ言うから、気に食わないですけど」
それだけ言って『話は終わり』とばかりに、コゼットはビールを喉に流し込む。
十路が持つ牙は、樹里も知っている。ただしコゼットのように身をもって体験したわけではないため、理解が異なる。
樹里が抱く感覚は、危機感が近い。コゼットが体感したであろう、もし敵になった時の危険度や強さといった意味とは違う。
彼が強いのは間違いない。けれども周囲が思うほど強くはない。むしろ弱いと思ったほうがいいのではないか。
幾度も骨を断ち、刃を跳ね除けてきた名刀だが、見目にわからずとも罅が入り、実はあと一合で折れてしまう。そんな危うさを十路に抱く。
「…………」
「ずっと黙ってるけど、ジュリちゃんはどう?」
「ふぇ!? はい!?」
マグカップを両手で持って考え込んでいた樹里は、つばめの問いかけて姿勢を正す。
「堤先輩をどう思うか、ですか……」
感じた危うさを口にするべきか。樹里は迷った末、封をすることにした。強さに関しては客観性を伴った確実性があるが、弱さは樹里から見た根拠虚弱な印象論でしかない。しかも彼の内面にかなり踏み込まないと明らかにならない。他人でしかない樹里が、そこまで踏み込んでいいのかと迷う。
なので天井の隅の辺りを見て、十路の姿を思い浮かべた。
二つ年上の先輩で、男としては背の高さは普通。着痩せするのか、筋肉質な印象はない。
顔は二枚目半といったところだろうかと判定する。シャープな顔立ちで、特に目力があるので、素材自体は悪くない。うん。悪くはない。良いとは言っていない。
(キリッとしてれば、結構カッコイイと思うんだけどな……いつもやる気なさそうな顔してるから、『鋭い目つき』じゃなくて『悪い目つき』になってるのが……そういうところは高遠先輩と同じ……)
本人が聞いたら『和真と一緒にするな』と言いそうな評価を、樹里は頭の中で遠慮なく下す。
外見に続いて内面も。
(うーん……動じないっていうか、飄々としてるっていうか、なに考えてるか、わかりにくい人なんだよね……普通の人だと、ちょっと怖いって思うかも?)
無感情というわけではない。だが表に出すタイプではない。落ち着いていると言えるが、無愛想という表現が適切だろう。
(うわー……こうして考えてみても、言い表しにくい人だなぁ……)
短い付き合いで人となりがわかるかと言えば、怪しいものがある。
しかし、ここまで印象が薄い人物も珍しい。かといって普通と表現するのは絶対違う。ハッキリした印象は『やる気なさそう』の一点のみ。
(ただなんか、堤先輩って、自虐的なんだよなぁ……あれ気に入らない)
不意に思い出し、マグカップを握る手に力がこもる。
(そんなに卑下しなくても……だけど堤先輩も事情があるだろうし、私が言うのもなぁ……)
あまり踏み込めないことを思い出し、すぐに手から力が抜ける。
(あぁー……そういえば、見た目ほどお堅い人でもないし、無神経ではないけど、空気が読めるかっていうとビミョーのような……)
冷めてしまったホットミルクを一気飲み。
(さっきだってなに考えてたんだろ? なに? 貧乳だって鼻で笑ってたの? 子供のお風呂と同じレベルで捉えられてる? 普通は多少なりとも慌てるものじゃない? だけど顔色ひとつ変えないって――)
そして空になったマグカップを持ったまま、頭を抱える。
(うわぁぁぁぁ! そういえば堤先輩にハダカ見られたんだったぁぁぁぁ! どうしよ!? 明日顔を合わせた時にどんな顔すればいいんだろ!?)
木次樹里、一五歳。悩み多き乙女だった。
「「…………」」
「ふぇ? どうしました?」
ふと気づくと、つばめとコゼットが缶ビール片手に、樹里の顔を覗き込んでいた。
「百面相してるから、なに考えてんかなーと」
「小難しい顔したり、半笑いになったり、顔をしかめたり、怒った顔したり、頭かかえて唸ったり、忙しいですわね」
「え? なに? トージくんをどう思うかって訊いて、その反応って……」
「え? そういうことですの?」
「えと……?」
樹里が小首を傾げると、つばめが更に顔を寄せてきた。
「ぶっちゃけ、トージくんがジュリちゃんのこと、どう思ってるか、気になってるの?」
遅れて樹里も理解したらしい。
「え!? や!?」
「いやー。オクテなジュリちゃんにも、ようやく春が来たかー」
「異性に自分がどう思われてるか、気になるものですわよね」
「や! や! 違います! 確かに堤先輩の反応は気になりますけど!」
「あら。だったら違わないじゃないですの」
「顔を赤くして否定しても、説得力ないなー?」
「ややややや! そうじゃなくて!」
大人二人が酒の肴に、顔を赤くして慌てふためく樹里に深く問う。
こうして女性三人で集まった夜は、深まっていく。