090_0740 招かざる来訪者は二日目来たるⅦ ~あなたを知りたい~
「堤せんぱーい」
信頼度一〇〇パーセント警戒心絶無の、へにゃっとした子犬の笑顔を浮かべて、学生服姿の樹里が手を振りながら階段を下りてくる。
高等部校舎二階の踊り場で待っていた十路は、軽く手を挙げて応える。
模擬店当番が終わった後の予定を電話で問われたため、着替えてここで待ち合わせることになった。
「それで、先輩……どうします?」
ただし学園祭デートなどといった、のん気な理由ではない。だから樹里も顔つきを改める。
「なんかワケわからんことになってるみたいだから、どうしたもんか俺も迷ってんだが……」
「や~……一体なにしに学院祭にまぎれてウチの学校に堂々と……」
「想像できん。懐に飛びこまれた以上、警戒せざるをえないが、相手が仕掛けてこない限り、俺たちにはどうしようもないしな……」
「追い出すわけにもいかないでしょうしね……」
「それもだけど、仕掛けられた勝負に嬉々として応じてるしな……」
「や~……? 嬉々、なんですかね……? 相手の目的を探るためとか、放置できないから足止めとか……」
「部長とフォーはまだしも、なとせにそんな魂胆は絶対ない」
「あはは……」
『敵』が敷地内にいて、ほぼ非武装で、平和的な勝負を仕掛けてきている。
なにも知らない一般人目線だと、ただの客と支援部員の交流なので、強硬手段に訴えるわけにはいかない。そんなことをしたら、どんな風に利用されるかわかったものではない。
専守防衛の弱いところが全面に出て、心理戦になっている状況に、十路は渋い顔で首筋を撫でてしまう。
「とりあえず様子見するしかないか……」
「ですよねぇ……」
遊んでいられないのは覚悟済みでも、樹里は無念そうな息を吐く。
十路が歩き出すと、樹里も遅れて付いてくる。
なのでそのまま屋外、一号館前の屋台エリアへと赴く。
「これ……様子見、です?」
「食べ歩き程度なら、その範囲内だろ? 店入って本格的に飲み食いするとなると違うだろうけど」
ふたり分の金券を出して購入したアメリカンドッグを樹里に差し出して、十路はかじりながら一度止めた足を再び動かす。
「なんでそう、いつも通りでいられるんですか……」
「慣れだ」
拠点や進路の構築が不要なら、戦場での兵士の仕事などほとんど移動と警戒待機だ。警戒心を持ったまま緊張を緩めるのは、必須の技能とも言える。
「あとまぁ、木次がいるしな」
「ふぇ?」
野生動物並の鋭敏感覚を持ち、生身で各種センサー能力を備える樹里が一緒ならば、十路が過度に気を張って警戒せずとも、彼女が気づく。
子供みたいに衣だけ先に食べてソーセージだけにするような真似をせず、普通にアメリカンドッグをかじりながら、十路はロータリーに立ち並ぶ模擬店を見渡す。
「にしても、思ったよりも普通の屋台ばっかりなんだな」
「どんなの想像してたんですか」
「留学生多いこの学校なら、ご当地的なもの?」
虫とかトカゲとか鶏の足とかの串焼き、なんてのを考えていたとか、この場で率直に口に出さない程度には十路も空気読める。
「や。シャーピンとかピアディーナとかグラブジャムンって、初めて見る料理ですけど?」
「順番に中国・イタリア・インドで割と定番。餡餅って書いて餡餅。まぁ、中華風のおやきな。ピアディーナは発酵させてないピザ生地のサンドイッチって感じ。グラブジャムンはミニドーナツのシロップ浸け。モノによっちゃ頭痛がするほど激甘」
「はぁ~……先輩、詳しいですね」
「あちこち行ってるとゆーか、行かされてるとゆーか」
元はアメリカ発祥だが日本で魔改造された洋風日本料理で、本場ではホットケーキミックスではなくトウモコロシ粉で衣を作るからコーンドッグと呼ばれ、北海道では砂糖をまぶしてフレンチドッグと呼ばれてアメリカ要素が消える屋台定番商品を串だけにし、ふと気づく。
「そういや、木次も修交館に入学するまで、日本国外にいたんだろ?」
「ふぇ? 話しましたっけ?」
「いや。ただなんとなくそう思うだけ。ただその割に外国の……ローカルっちゃぁローカルだけど、屋台の定番知らないのが不思議に思えて」
樹里は英語をネイティブ並に話せるし、中国語も理解している節がある。
それに時折漏らす過去の経験話は、少なくとも日本国内では経験不可能であろう内容が多い。
「やー、はい。結構転々としてますよ。ブルキナファソでトー食べたり、カーボベルデでボラシャ食べたり、サントメプリンシペでアロース食べたりしてました」
「全然わからん」
大半の日本人は地理どころか名前すら知らない国の食事など、十路でも想像もできないが、樹里も理解にこだわるつもりはないらしい。
「全然覚えてないですけど、私、経歴が特殊ですからね。『木次樹里』って自意識が芽生えてからは早かったそうですけど、一箇所に住むのは不安定で問題あったらしいですし、人の多いところは全然です」
樹里は『麻美』の精神データが分裂してこの世界に構築された『欠片』の中でも、かなり不安定で問題ある個体だったと聞いたことがある。アフリカのジャングルで野生児していたのを悠亜が捕まえたというのだから。
最近の樹里はそのようなことにならないが、感情が不安定になった時、暴走してかなり危険な生物と化していた。キレて暴れるだけならまだ可愛いもの、肉体を変形させて攻撃的な自律防御行動を取る『化け物』と化したことも。
あれでは定住するのは難しかろうと十路も思う。
「で。市内の……レストランのある建物。『実家』って言い方してますけど、本当は実家でもなんでもないんです。お姉ちゃんたちがたまに使ってた隠れ家って感じで。だけど私も普通に生活できるくらいに安定して、修交館に通うことになって、お姉ちゃんと義兄さんはあそこで定住することになって」
「じゃあ、木次が日本に来たの、一年かそこらってことか?」
「そんなものですね」
樹里もアメリカンドッグを食べ終えて串だけにすると、なぜか笑みを漏らした。
「俺、なんか面白いこと言ったか?」
「ややややや。部活的にタブーなのもありますけど、先輩が私のこと訊くことなんてないじゃないですか」
「まぁ、俺の性格もあるし、できればあまり深入りしたくないからな……」
ただでさえ支援部全員がワケあり《魔法使い》で複雑な背景があるのに、『管理者』である樹里の場合は国家機密レベルだ。不用意に掘り下げれば命が危ぶまれる。
とはいえ十路も『準管理者』になってしまったから、訊かずに済ますわけにはいかなくなった。
ふと思ったことを訊いたのは、共通性による気安さが働いたのだろうか。不注意さと呼ぶべきか。
「私のこと興味持ってもらえるの、嬉しいですよ?」
なのにその程度で、なぜ樹里はまた信頼度一〇〇パーセントの笑みを浮かべるのか。
しかもそれを見て、決して不快ではないのが、これまた。
(なんか、完璧に絆されてるな……)
ちなみに不注意とはいえ、人混みの中で話していることは問題ない。重要なキーワードはぼかしているし、大勢の声でかき消される。大声でなければ聞かれても、すれ違うだけでは断片しか知られないので、内緒話を歩きながらするのは結構利に適っている。
二号館の側、武道場の近くを歩き、ひとまずそれとわかる異変がないのを確かめて、部室へも様子見に行くかと足を向けたところで。
十路のスラックスで携帯電話が鳴った。画面の通知は『長久手つばめ』とある。
「どうしました?」
学校サボってデートした時とは違い、しかも今は敵対者が校内にいる状況だ。すぐに情報共有すべきと十路は電話に出た。
『トージくんと、あとジュリちゃん、手空いてる?』
「空いてるといえば空いてますが」
『じゃあ、今から理事長室に一緒に来て』
用件だけで通話は向こうから切られてしまった。
リダイアルするほどではない用件なので、同居人に振り向き確かめる。
「理事長、いつ神戸に帰ってきたんだ?」
「や? 昨日は東京に泊まったみたいで、今朝私がマンション出る時間には帰ってませんでしたよ」
政治のことはよくわからない。参考人招致で実際に国会議事堂で質疑応答するのは限られた時間でも、その前後にどれだけ時間が取られるのか、十路では想像もできない。
なので単純に、東京に泊まったつばめは、樹里が登校した後に神戸に帰ってきたのだろうと、不審に思わず流した。
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修交館学院の一号館は、学校事務関連の人員がいるところなので、学院祭でも一般客の姿はない。施錠して締め出しているわけではなく、学生の父兄や周辺住民の用事がないから。
ここに来るとすれば、重要な来賓くらいだろう。
「失礼します」
『どーぞ』
返事を待って理事長室の扉を開くと、何度も出入りしているので見慣れた部屋の内装が目に入る。
ここに用事がある時に大抵はそこにいる、童顔のつばめには不釣合いなマホガニーのデスクは無人だ。
「呼び出してごめんねー? デート中だった?」
ならばと振り向くと、反対側の応接セットに、つばめは座っていた。
そして応接セットなのだから、向かいには応対している客もいる。
「紹介、要る?」
「いいえ……」
一度だけ、短時間のみだが、顔を合わせ言葉を交わしたこともある。
散々名前を聞かされたから、ひと通りの資料は調べている。パソコンで検索すれば予測変換されるくらい有名な名前なので、一般的な事柄だけなら資料に困ることはない。これといった特徴のない顔だが、記憶している。
二〇代は優に越えているだろうが、ビジネスの世界では若手扱いされるだろう、ビジネススーツを着て微笑を向ける、その男。
後ろに続いた樹里はなにも言わないが、振り向かずともイヌが毛皮を逆立てるように緊張した気配はわかった。
「蘇金烏……」
学院祭の一般客に混じり、『敵』である者たちが入り込んでいるが、まさかこの男もだとは思いもしなかった。
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展示物についてはメイドに任せている。学生ではないが、大学生もいる学校で、学院祭ということでもっと奇抜な学生もいるので、学生と思われて特に混乱も戸惑いもない。
クロエが長考に入ってしまったため、コゼットはぼんやりと外を眺めていた。
将棋ならば対局に使用できる持ち時間が大会ごとに定められているが、チェスだとスタンダードなルールでもまちまちだ。大会規模や対局者のレベルで元々の持ち時間が変わり、四一手目、場合によっては六一手目にも時間が加算、更に一手三〇秒を加えるルールも追加されることもある。コンピュータ制御されたチェスクロックがないとやっていられない。
今回は昼過ぎからプレイしていることもあり、さすがに世界選手権の七時間セッションなどしていられないので、もっと短いが、それでも時間はかなりある。
だから待っているコゼットは暇していた。本来チェスプレイヤーならば、その時間も打ち手を考えるものだろうが、『ンなモン、クロエが打ってからでいいや』と投げていた。
「……あ」
スマートフォンはアプリをインストールして、対局時計として使っている。だから思い出したコゼットは、部室に置いてあるタブレットを引き寄せる。
そんなことをすれば、クロエもチェス盤から顔を上げる。普通、席を立つならともかく、対戦相手の集中を乱すような真似をするものではない。
「どうしましたの?」
「いえ。昨日の国会、どうなったのかと」
「対局中に余裕ですこと……しかも仮にも女子大生が気にすることです?」
「身分的には気にしても不思議ないでしょう?」
王女サマに軽く嫌味を言われたが、王女サマは気にしない。まずニュースアプリを開き、ざっと確認する。
目についたのは、たまたま掲載タイミングが合って、新着表示されていた地方ニュースだ。
(あぁ、そういや前に堤さんが言ってた観艦式……)
フリートウィーク・イベントが記事になっていた。
自衛隊でも基地祭など、民間交流イベントが定期的に行われるが、観艦式のように大規模かつ国際的になると、そのイベントも大きくなる。
観艦式を盛り上げるために行われるフリートウィークとなると、一週間も前から地元自治体と協賛して派手に行われる。出店や自衛隊音楽隊による演奏、航空ショーなどが行われ、一部の艦艇に至ってはツアーガイドが組まれて一般人でも搭乗見学することもできる。なので結構人気のイベントなのだ。
(アメリカは当然、カナダとヨーロッパ主要国……G7が勢ぞろい。中国をはじめ東南アジア各国も参加……こっちはXEANEの影響下ってところ?)
以前の部会で在日米軍や自衛隊部隊の移動も話に上がっていたが、こちらはさすがにニュースにはなっていない。兵力移動も業務の一環であるから、交戦が察知されてなければニュースになるまい。
(んで……やっぱ昨日と同じことを、今日も野党はせっついてると?)
日本国内の政治、その中でも国会関連の記事を探すと、昨日の国会終了後、質疑していた野党議員のインタビュー記事があった。
野党議員いわく、質疑が不十分で終わってしまったため、改めて追及しなければと意気込んでいた。
(いや、支援部つっついて政権批判するのは勝手ですけど、仮に政権交代しても支援部利用する気だろーが? こんなスネに傷ある連中を現状維持で操ろうってのは、かなりのアクロバットだろ? つか自分から爆弾抱え込みに行ってるだろ?)
記事内容は適当に読み流し、リンクされている現在開催中の国会の情報がないかと探してみたが、開催中を知らせる簡素な記事があるだけ。
ならばと《魔法使い》関連の記事を探し、貼られていたリンク先をクリックすると、動画配信のライブ放送が映し出される。
「……あら?」
クロエの集中を乱そうとする意図はないが、またも思わずコゼットの口から声が漏れてしまった。
「今度は?」
「いえ。理事長、まだ神戸に帰ってなかったのかと」
コゼットは、タブレット端末を裏返して、クロエに見せる。
他部員とのリンクを切り、必要な時に無線連絡をしている現状では当然、十路と樹里が呼び出されたことなど知らぬまま。
「まだ東京で、記者会見なんてやってましたのね」
画面には、昨日とは色合いが若干違うレディーススーツに身を包んだ、王女姉妹には見慣れた童顔の女性が、どこかの会場で記者団を相手に答弁していた。




