090_0420 普通ではなくても彼女たちのいつもⅢ ~アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)~
舞鶴での部活動は、滞りなく終わった。つばめからの電話でなにかあるものと警戒していた堤十路は拍子抜けしたほどだ。
『神戸に着く頃には、かなり遅い時間になりますね……』
「だな。まぁ仕方ない」
行きは急ぐ必要あったが、帰りは違う。あまりのんびりできないが、明日に差し障りないうちに戻ればいい。
だから木次樹里を後ろに乗せて、一般道で《バーゲスト》を駆る。
「舞鶴出る前に軽く食っただけだと腹減ったな……」
『なんで肉じゃがにこだわってたんですか……? わざわざ外食で食べる料理じゃない気するんですけど……』
「舞鶴ってったら肉じゃがだろ?」
『や。知らないです。海産物とか海軍グルメならわかりますけど』
「肉じゃがは海軍中将の東郷平八郎がビーフシチュー作らせた失敗作って話、聞いたことあるか?」
『料理人の人が再現しようにも調味料がわからなかったから、醤油と砂糖使ったとかなんとかって話ですか?』
「あぁ。それが舞鶴鎮守府に赴任してた時だから、肉じゃが発祥の地なんだ」
『へぇ~』
「町おこしの作り話だけどな」
『ふぇ? ウソなんですか?』
「広島の呉も同じような主張してるし。しかも明治初期には洋食屋でビーフシチューがメニューにあって、海軍でも作ってたらしい。
東郷平八郎が赴任してたのは明治末期だから、無理があるエピソードなんだと」
『や~……真相は世知辛いですね』
「あと、別に肉じゃがにこだわっちゃいない。出先で飯食うのにチェーン店だと味気ないけど、じゃぁなに食うかって時に、名物って決めときゃ店探し楽だし、ハズレも少ないだけ」
『そう言う割に先輩が食べたの、肉じゃがコロッケだけでしたけど……というか先輩って、部活の時には軽くしか食べませんよね?』
「習慣みたいなもんだ。クスリ仕込まれる心配なくても、出先で腹いっぱい食うのはなぁ……」
『眠くなるから嫌とかですか?』
「いや。事故ったり撃たれたり刺されたりして、胃の中身が飛び出たら大変なことになるだろ?」
『ややややや!? 同意求められてもそんな心配しませんよ!?』
そんな他愛ない(?)話を無線越しにしながら走るのは、午前中も使った兵庫県道九五号六甲北有料道路だ。
往復二五〇キロにもなる旅程も大半を消化した。夜中の山中でもそこそこ交通量ある道路を、特に急ぐでもなく車間距離を保って走ている。
丁度、午前中に訪れた、神戸フルーツ・フラワーパークの横を通り過ぎたくらいの頃合だった。
【トージ】
イクセスの声と共に、普通のバイクと同じ表示をしているインストルメンタル・ディスプレイの隅に、背部の暗視映像が表示された。
十路は反射的にミラーでも確かめる。《使い魔》の眼を通さなければ、夜の闇でしかと確かめられないが、同じようにオートバイが走るライダーの姿が、対向車のライトに浮かんだ。
黒いライダースーツで肌を一切露出していない。運転中なら当然だが、フルフェイスヘルメットで顔も確かめられない。
「市ヶ谷、か……?」
ただ同じ道を走ってるだけの一般人とも充分考えられるが、敵を想像してしまう。
【体型での生体認証は現状適合率五〇パーセントほどなので、乗組員はなんとも言えません。乗っているバイクは見てのとおり、私たちが知る《真神》ではありません】
「見た目モノコックフレームだしな……《使い魔》か?」
【電子機器の稼動は確認できません。サイドマフラーではありませんし、熱分布で排気を確認できませんし、積載されている追加収納ケースも怪しいですから、その可能性は充分あります】
スーパースポーツの形状だが、丸っこくて車長が長い錯覚を覚えるデザインは、オートバイではあまり採用されない車体構造のものだ。市ヶ谷が主として乗る、ビッグオフロードの《真神》とは明らかに違う。
ライダーは速度を調整して、走行中の十路たちにゆっくり近づいてくる。追い抜くだけなのか見守るため、十路は緊張と速度を保つ。
やがて追ってくるライダーは、前傾姿勢から身を起こした。
後部サイドの追加収納ケースが勝手に開き、青白い光と共にケースの大きさよりも長い棒が飛び出す。見た目と体積が違う空間制御コンテナを持つならば、ライダーは《魔法使い》に間違いない。
ライダーは後ろ手で棒を掴み、飛び出すようにシートの上に立ち上がる。そのままカーブに突入しても、それに沿って動くオートバイは、《使い魔》に違いない。
追加収納ケースから出てきた棒の先端は、三又に分かれた刃となっている。中国器械であるのはわかるが、映像化された三国志でもあまり見ることはできないため、十路ではわからない。この辺りは戦闘のプロである彼よりも、中国武術も経験している南十星のほうがまだ詳しかろう。
三尖刀、あるいは二郎刀と呼ばれるものだ。
アクセルを開いていないのに、後続のオートバイは一気に距離を詰めてくる。ライダーは車上でそれを構える。敵意は疑いようがない。
十路が指示するよりも前に、同様に警戒しながら様子を窺っていたのだろう、樹里が機敏に動く。空間制御コンテナから長杖を引き抜き、振り返りながらリアシートに立ち上がる。
そのまま一閃し、金属同士の重い衝突音を響かせる。
「木次! そのまま防いでくれ! 無理しなくていい!」
『はい!』
狭い足場に立つ今、樹里は踏ん張れない。なので棒術のパフォーマンスのように、遠心力を使って長杖を扱っている。邪魔にならないよう《バーゲスト》に貼りつくほど前傾姿勢になって、十路は叫ぶ。
「堤十路の権限において許可する! 《使い魔》《バーゲスト》の機能制限を解除せよ!」
【OK. ABIS-OS Ver.8.312 boot up.(許可受諾。絶対操作オペレーティングシステム・バージョン8.312 起動)】
ハンドルを握る腕とステップを踏ん張る足に《魔法回路》が形成されて、《バーゲスト》と脳機能接続が確立するが、まだ《魔法》は使わない。
直進すればそのまま阪神高速七北神戸線へと入る、柳谷ジャンクションで少し迷ったが、十路は分岐道路を選ぶ。背後のオートバイも樹里と白兵戦を繰り広げながら追従する。
「早めにETCで清算!」
【了解】
有野料金所を通る以外に道はない。あるとすれば山中の道なき道だ。撒けるかもしれないが、相手が巻き添えの心配無用と判断し、高出力攻撃を仕掛けてくるかもしれないから、最終手段にしたい。
停車せずとも、本来減速しないといけない料金所を通過したら、 背後で白兵戦の金属音だけでなく、《魔法》の射撃戦まで同時並列で行うショート音や射出音が鳴る。十路と《バーゲスト》も守るために、樹里は長杖を振るい《魔法》で迎撃する。彼女の動きはまだ余裕あるから大丈夫と判断する。
すぐに有野第二トンネルに入る。が、動くにはまだ。午前中に通ったのだから覚えている。
樹里には負担をかけるが、彼女を信じて十路は前に集中する。急ぎスピードを上げて、前方を走る自動車を追い抜く。
トンネルを抜けて屋外に出たが、一〇メートルも進まないうちに有野第一トンネルへと突入する。そしてやはり一〇〇メートルほどで外に出てしまう。
本命の、六甲山を貫通する唐櫃トンネルへ突入する。こちらは長さ一二三〇メートル、仕掛けるならここしかない。
「振り落とされるなよ!」
『了解!』
《使い魔》のメモリー領域から《Kinetic stviraiser(動力学安定装置)》を選んで解凍展開。わざとバランスを崩して道路隅に接地し、そのまま九〇度横になりながらトンネルの壁を、曲面に沿って天井を走る。
脳内でイクセスに重力スタビライザーと進路の維持を指示し、十路は左ハンドルバーを引き抜き、電子制御スロットルから照準器へと機能切り替えさせる。リアシート下から出てきて展開した出力デバイスに、《Thermodynamics Grenade-discharger(熱力学榴弾発射筒)》を付与する。
上下が逆転しても、背後では相変わらず音が響いている。襲撃者も《魔法》を使ってオートバイごと天井に追いすがり、低出力の《魔法》とそれぞれの長柄武器で戦闘を継続している。十路はそれに介入せず、走りながら固体化した空気のグレネード弾を連射する。ただし瞬間的に加熱し昇華爆発を起こさせる、信管となる《魔法回路》の機能をわざと不完全にし、蒸気を上げる発煙弾にして路面にバラ撒く。交通量が少なくない道路だから、せめて走る自動車のドライバーにブレーキを踏ませて、とばっちりの可能性を減らす。
そのまま一キロ余走れば、トンネルの出口が来る。降りることなく天井を走り続ければ宙に飛び出す。襲撃者は十路の考えが読めないからか、攻めの手を休ませ減速した。
構わず十路は、むしろアクセルを開いて加速して、トンネルの天井から飛び出した。宙返りし、車体の上下を元に戻しながら。
まだトンネルから出てきていない襲撃者と、十路が真正面から相対する。ハンドルバーは右も引き抜き、出力デバイスも展開させている。
「食らえ」
弾倉に込めた弾丸を次々と撃ち出すように、《使い魔》と十路が持つ攻撃用術式を切り替えて実行しながら、前輪ブレーキレバーとクラッチレバーを引くたびに発射する。
固体空気の榴弾が、極低温の掃射が、高出力レーザービームが、衝撃波が、トンネル天井部に撃ち込まれる。蒸気や靄だけでなく、半ば崩落させた粉塵で、見通しが効かなくなる。
後ろ向きで道路に着地し、道路のど真ん中で停車しても、十路は構わず、警戒を解かない。レーザーポインターを放つ発射器を構えて動かない。
重力制御なのか磁力で貼りついていたのか。振り回されても《バーゲスト》のリアに立ち続けている樹里も、長杖を構えていつでも雷の砲撃を放てるよう、《魔法回路》を待機させている。
【トンネルの向こう側から逃げられましたね……】
イクセスの言葉に、ふたりとも大きく息を吐いて、戦闘体勢を解除した。
「手応えらしきものはあったが……」
【多分ですが、襲撃者が《使い魔》を庇いました。逃走を優先させたみたいですね】
「なら、追いかけても追いつけないな」
十路たちは、仕掛けられた戦闘を正当防衛で対抗しただけだ。なのに後始末という厄介ごとを押し付けられ、嫌な気分になる。街中で交戦してしまったのだから、このまま知らんふりして帰るわけにも行かない。
誰が、なんの目的で襲撃してきたのか、さっぱりわからない。スッキリしない感情がため息となって漏れた。
(……俺、今、完全に木次に背中任せてたな)
照準器をハンドルバーに固定し直しながら気づく。
樹里の戦闘能力は元々高い。だが軍事経験がなく情緒面が不安定、しかも迂闊さが目立つせいで、元プロである十路は、戦闘要員としては信頼しきれない。
なのに今回、彼女を全面的に信頼して任せてしまっていた。応じるように樹里は一発も通さず、十路の邪魔を許さなかった。
その自覚が全くない様子で、樹里は立っていたリアから飛び降りる。
十路も自分に戸惑ってしまったので、その件には触れず、内心を隠すように気安い声をかける。
「な? 俺たちの場合、胃の中身が飛び出る心配が要るだろ?」
「や~……世知辛いですね」




