080_0800 モヤモヤお~たむず2Ⅶ~犬獣人~
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深夜同様、十路は寝ぼけていると思いたかった。
ここはマンションの自室で、ベッドに寝ている。
服装は下着のみ。パジャマに着替えないので、風呂あがりに換えたTシャツ・ボクサーパンツだ。
目覚まし時計は、アラームが鳴る一五分前を示している。
ここまでは問題ない。起床時間が普段より早いとしても、そういう朝もあるだろう。
だが誰かと同衾として、その寝息が顔にかかる違和感で目が覚めたとなれば、話は大幅に変わる。
しかも一〇センチ先で寝息を立ててるのが、まだあどけなさを残す、地味ながら整った少女の顔だ。
一昨日、静岡からの帰路以降会っていないはずの木次樹里が同じベッドで眠っている経緯が、想像もできない。
更に樹里の頭に、なんかピコピコ動くケモ耳が生えていたら、まだ寝ぼけていると疑いたい。
でも意識はハッキリ覚醒しているので、どんなに望んでも疑うことができない。特に薬物では混同されがちだが、興奮作用と幻覚作用はかなり違う。
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当たり前だが、寝ている樹里は完全無防備だ。
特段警戒せず普通に日常生活を送るだけでも、人は世間体やらなにやらで鎧っている。そういったものが一切合財排除された、寝食を共にし気を許してる関係でなければ見ることはできない、へにゃっとした微笑を浮かべた少々だらしない寝顔だった。
もちろん十路も初めて見た。この部屋に彼女を泊めたこともあるが、寝床は別であったし、女の子の寝顔をジロジロ見るような真似をしない。
彼女に男っぽさなど感じたことないが、長い睫毛やミルクのような体臭に、やはり女の子なのだと意味なく考えてしまう。
しかも充分『可愛い』と呼べる範囲の。部内ではタイプの違う美女・美少女ぞろいしかも個性強すぎるため埋没しがちだが、樹里も並より上の容姿を持っている。
年頃の青少年らしい感覚など枯れているとしか思えない十路だが、それでもやはり、それなりに可愛らしい少女に至近距離で無防備な寝顔を見せられたら、なにも感じないわけではない。
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まったくもって理解不能な状況だが、ひとつだけ理解できるのは、この状況はヤバい。大人しい性格とはいえ、生身で《魔法》を使える樹里は結構危険だ。目覚めて悲鳴と共に感電、なんて未来も充分考えられる。
十路は特殊作戦要員として鍛えられた身体能力と技術をフル活用した。樹里の寝息に合わせてゆっくり動き、ベッドから抜け出る。動くことで変化するマットレスの重心とサマーブランケットも、寝ている樹里に気取らぬよう、センサーの動体検知も誤魔化せそうなスローで動く。
『それのどこが特殊隊員の技術?』と言うなかれ。人間は意外と寝ていても異変に気づく。しかも心身が鍛えられた者なら即座に臨戦態勢が取れる。寝ているからと油断したら、返り討ちにされることも充分あり得る。だからこれも必須技能なのだ。
やがて樹里を起こすことなく、ベッドから離れることに成功した。安堵の息を吐きそうになるが、堪えて改めて状況を確認する。
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ベッドに潜り込んだ樹里は、どうやら全裸のようだった。サマーブランケットを申し訳程度にしか使っていないため、肩をむき出しにし、脚のきわどいところまで見せている。
ラブホテルで同じ部屋に放り込まれても、何事も起きなかった関係なのに、なぜあられもない姿で同衾していたのか。
いや、百歩どころか一兆歩譲って、それはいいとしよう。なにかミラクルが起こったとかで無理矢理片付けて。
でも頭に三角形のケモ耳が。黒と白の立ち耳が生えて時折動いているのは、まったくもって理解できない。
本来の耳はミディアムボブに隠れて確かめられないが、果たしてどうなっているのだろうか。本当にあの位置に耳が生えていたら、内耳が大脳に突き刺さっていないだろうか。
いや、あれはきっとカチューシャだ。最近は脳波で動くネコミミなんてものも市販されてるから、なんら不思議なことはないサ。
樹里が寝返りを打った。サマーブランケットを巻き込み、小ぶりのお尻が露になる。
一緒に長くてフサフサの尻尾も。裸なのに紐や金具が確かめれないため、腰に装着するアクセサリーではない。位置的に『穴』に刺さってると考えることもできない。尾てい骨に接続されている位置から生え、しかも動いているが、きっと本物ではないサ。
樹里が寝たまま脚をポリポリ掻いた。イヌのものになったままの手で。
コスプレ用にそんなアクセサリーもある。毛皮が本物なのは当然、爪も肉球も本物なんてグローブもきっとどこかにあるサ。
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結果はわかりきっているが、それでも十路は部屋を見渡した。
もちろん隅で寝ているはずの大型犬はいない。またトイレに入っている可能性を考慮したいが、十中八九ベッドに移動している。硬い床だからか寝るのに難儀していたし、潜り込んできたのだろうか。
そうこうしているうちに起床時間になり、目覚まし時計がアラームを鳴らす。
「んうぅ……?」
しばらくゴソゴソしていたが、やがて樹里はうつ伏せのまま手を伸ばす。他人の目覚まし時計に疑問を覚えた様子はなく、何度か空振りしてイヌ化した手でアラームを止める。
「うー……」
更には使用者がいなくなった枕を抱き寄せ顔を埋め、再び動かなくなった。
しっかり者の印象があり、しかも同居人の分を含めて家事を取り仕切っているから、朝は強いタイプかと思っていたが、そうでもないらしい。
「…………ん?」
鼻を鳴らし、樹里が顔を上げた。
野生動物並の嗅覚がなくても、枕に染み付いた匂いが嗅ぎ慣れないのは、意識すればすぐ気づくだろう。
「ん?」
そして寝ぼけ眼で部屋を見渡すと、当然十路と目が合う。まだ頭が稼動していないようで、なぜ彼がいるのか理解していない体で目をこする。
当然イヌの手で。嫌でも違いにも気づき、樹里は自分の手を不思議そうに見つめて。
「……!?」
ようやく覚醒した。なにか色々と見えてしまったが、飛び起きて体を確かめ、頭のケモ耳にも触れ、現状を把握したっぽい。
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そして再度十路を見て動きを止めた。
なので彼は、半端に引っかかったサマーブランケットを頭から被せ、樹里の姿を完全に隠してみた。
「ワン、ツー、スリー」
仮想のドラムロールと共に勢いよくめくると、なんと裸のケモ耳少女は消え失せ、換わりに大型犬がベッドの上に。
「だよなー。やっぱり夢だよなー」
「わふ~」
「イヌが木次になるとか、ありえないよなー」
「わんっ」
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なんとか己を誤魔化そうとしたが、やはり当然無論のこと言うまでもなく無理ありすぎる。額に汗かきコクコク相槌を打っていた樹里も理解しているようでなによりだった。
「ンなワケあるかぁぁぁぁっ!? どういうことか説明しやがれ!?」
「きゃいん!?」
知ったから言えることだが、なぜイヌの正体に思い至らなかったのか、十路自身マヌケさに呆れる。
《ヘミテオス》の肉体を形作る医療用ナノマシン含全能性無幹細胞は、生物の限界を超えた超機能を有している。半不死にするだけに留まらず、本領を発揮すれば完全人外の戦闘生命体にも進化させる。
樹里に与えられている権能 《千匹皮》は、部分的に動物の肉体を再現していた。
それを知っていれば、彼女が大型犬に完全変身できる可能性を、思いつくことはできたはず。変わったイヌとはずっと感じていたのだし。




