080_0530 ぶらり演習場プロレスⅣ ~昼飯時~
初めての戦闘糧食は、やはり普通の食事と比べると味が落ちるというのが、樹里の感想だった。他国の戦闘糧食と比べたらかなり美味いという話を聞いたことがあり、保存食なので出来立てと比べるべくもないのは当然承知している。
「戦ってみて、どう思った?」
「やー、その、なんていうか……拍子抜けというか……」
厳しい想定訓練をしていない限り、演習中でもちゃんと昼休憩時間はある。他の隊員は部隊で固まって演習場に座り込んでいるが、十路と樹里ふたりは少し離れて座っている。
保存可能なサラダという初めての食べ物を不思議に思いながら突いていると、十路はビーフカレーをすくっていた先割れスプーンを突きつける。
「木次が戦ったことある《魔法使い》って、俺が把握してる範囲だけか?」
「えーと……多分? 支援部入部前だと、お姉ちゃんの訓練くらいですし」
『俺が把握してる範囲』が樹里にわかるはずないが、指折り数えられる人数の《魔法使い》としか関わっておらず、十路も知っている人物ばかりだ。
「もしかして、とは思ったけど、やっぱりか……」
正直に申告したら、レトルトパックを一気にかき込んで、十路はカレーくさいため息を吐いた。
「木次は普通の《魔法使い》を知らないんだな」
「どういう意味の『普通』でしょう?」
「俺もよくは知らんけど、悠亜さんは相当強いと思う。で。木次はその悠亜さんに鍛えられたんだろ?」
「まぁ、そうですけど」
姉には単純な戦闘技術だけでなく、身体能力の使い方、《使い魔》乗りの曲乗りなどを身につけさせられた。
お陰で激戦を経験しても生きてるが、このご時勢、児童虐待と通報されても不思議なかった日々を思い出すと、素直に感謝できない。
「それに支援部は、いい意味でも悪い意味でも規格外揃いだ」
音速での高速機動が可能な近接戦闘特化型の《魔法使い》たち。
物量と多彩さ、正確さとトリッキーさと方向性は違うが、非常識な遠距離攻撃能力を持つ《魔法使い》たち。
更に現代軍事の常識に囚われず次世代軍事学に精通し、実戦経験豊富な元特殊作戦要員。
優秀な人材は歓迎されるが、各々問題を抱えているため、組織では使いづらくて嫌われる。だから国家に管理されていない、そんな輩が総合生活支援部に集まっている。
「あと、部活で木次がタイマン張った敵っていえば……市ヶ谷くらいか? アイツもかなり強い。俺もマトモに戦って勝つ自信ないし」
いつも肌を全く露出しない黒ずくめのライダースタイルで登場し、敵とも味方とも言い切れない微妙な立ち位置を見せる、防衛省関係者と思われる正体不明の《魔法使い》。
部活で戦った相手は他にもいるが、対等の条件で切り結んだのは、彼の上鎌十文字槍くらいだ。
「そんな連中を『普通』だと思ってたら、訓練生なんて話にならん」
戦った、共に戦う、彼ら、彼女らが強いのは、理解しているつもりだった。
だが完全な理解からはほど遠かった。山の七合目くらいから険しい山の頂を見上げていた。
自分の立ち位置が何合目かを知らず、そこまで辿り着いていない者がいることを考えもしなかった。
「いつまでも子犬のフリするな」
「や、ワンコって……」
言い方には異論あるが、十路が言いたいことはわかる。
「そういえば堤先輩って、たまに私のこと『部内最強』とか言いますよね……さっきもそんな言い方してましたし」
「事実そう思ってるからな」
「でも模擬戦とか棒の打ち合いで先輩に勝てたことないですけど」
「そりゃ年季の分、小手先の技が通用するし」
彼は弱さを否定しない。誰しもが彼のように強くはない。
だが、いつまでも弱者であることに甘んじ、弱さを武器や盾にする者は否定する。
「私の力量を自分で気付かせるために、私を戦わせたんですか?」
「そういうことだ」
ただ未熟で引き出せないだけならまだしも、彼の目には、樹里が故意に弱者のふりをしているように見えるのだろう。
(そっか……私、そこそこ強いんだ)
パック飯を膝に置き、意味なく左手をニギニギしてみる。
(それなら……先輩の力になれるかな?)
改めて感慨に耽っていると、十路は空になったパックを片付けて、首筋をなで始めた。
「……ただまぁ、木次とアイツを戦わせたのは、それだけでもないけど。そこは完全に俺の事情だから、巻き込んで悪かったと思ってる」
「えーと……謝られても困るというか。どういうことです?」
「支援部には無縁の若い病気を発症中」
「中二病、というより、英雄症候群ですか」
英雄願望や自己顕示欲の強い、偏った思想を持つ者にありがちな精神状態。行動原理が自己犠牲精神ではないことに注意が必要となる。
要するに自己中で目立ちたがり屋。状況を見極める冷静さはなく、行き当たりばったりな行動傾向が強い。大抵は忠告を真に受けず、己を否定されるのを極端に嫌う。性質が悪い者になると、厳しい状況になると逃げ出したり責任転嫁する。
常人の日常生活内ではそんな人間、未来の黒歴史に思いを馳せて生温かい目で見守りつつも関わりを避けるが、《魔法使い》の場合はそうもいかない。
ただの確率でしかないとはいえ、真実選ばれた特別な人間で、しかも妄想ではなく本当に異能を使えてしまえる。
もちろん《魔法使いの杖》のセキリュティがあるため、そんな事件は容易くは起こらないが、英雄どころか暴君にもなりうる。
常人は当然、《魔法使い》としても異端な人生を送ってきた支援部員たちには、まるでその気がないが、《魔法使い》なら懸念しなければならない心理学だ。
「あの娘、堤先輩の言葉は素直に聞くみたいでしたけど」
「俺が退官してもストッパー役がいると思ってたけど、やっぱり持て余してるみたいで、上官からアイツの鼻をへし折るのを頼まれたわけだ。演習で俺の相手が違ったのもそれだろう。だけど俺じゃ意味ないから、木次を宛がわせてもらった」
《騎士》と謳われ、慕う十路に負けるのは、少女にとって当然だから堪えはしない。
戦闘能力はあまり知られておらず、歳が近く強そうな外見要素は皆無の、ナメてかかるであろう樹里に完膚なきまでに叩きのめされれば、話は違う。
「木次がキレーに勝ってくれて、正直助かった」
「私が負けたらどうするつもりだったんですか?」
「さっき言ったように、負けるとは思ってなかったけど、こじれる可能性はあったな。その時は羽須美さんが俺にした教育を超特急でなぞるくらいしか……」
「…………」
樹里の脳裏を駆け巡る。過去、姉に施された数々の教育 (物理)が。
十路から聞く羽須美のムチャぶりは、それとあまり変わらない。さすが分化した同一存在である『管理者No.003』同士、教育方針まで同じ。
静岡滞在の短期間でそれを再現すれば、確実に心が死ぬ。あの少女のためにも勝ててよかったと安堵すると同時に、恐怖を伴うifが気になった。
「そのあたり、私とお姉ちゃんもそんな感じじゃないかなーって気がするんですけど……もしも、ですよ? 先輩が若い病気を発症してたら、衣川さんはどうしてたと思います?」
「鼻へし折られるどころか陥没してる。物理的に」
樹里も姉からそういう目に遭わされた気しかしない。
「天狗になりたくてもならせてくれない人がいた私たちは、果たして幸せなんでしょうか……?」
「仏教だと地獄にも階層あるしな……ワンランクくらい違うんじゃないか……?」
十路にちょっと近づけた気がした。でもお互いコントラストの消えた目を合わせてでは、全然嬉しくない。




