080_0520 ぶらり演習場プロレスⅢ ~檜舞台~
(先輩、なに考えてるんだよぅ……)
少し場所を移動した。先ほど樹里が評価支援隊と模擬戦を行った場所だ。離れた高台には戦闘の様子を直に確認できるようテントが張られている。先ほどは指揮官と補佐らしき数名の自衛官だけだったが、今は敵役をやっていた隊員まで見物している。
シューティングゴーグルをかけ直し、一応は風体を隠した十路も、《バーゲスト》と共にそちらに移動している。
見物客はひとまず無視し、足元に空間制御ボックスを置いて、改めて対峙する少女を確かめる。
少女が手にした西洋長巻は、刃部分以外に電子部品が詰め込まれている仕様だ。先ほどまでなかった工業製品のような交換式の刃が装着されている。殺意とまで言わずとも害意は本物と判断せざるをえない。
(どうしよう……)
だが樹里は、長杖を構えたものの、戸惑いで本気になりきれなかった。
『始め』
しかし状況は待ってくれず、本部テントからの無線が届く。
途端、鈍い金属音が演習場に響いた。少女は切っ先を真っ直ぐ向け、磁力を使って突進してきたが、樹里は長杖で刃を横から叩いていなした。
(速いことは速いけど……遅い?)
時空間制御で理論上は亜光速を出せるナージャは当然、熱力学推進で遷音速機動を行う南十星とも、比べるまでもない。常人はなにが起きたか理解できないまま串刺しになったかもしれないが、樹里は余裕で防御した。
少女は体がまだ宙に泳いでいるタイミングで、空中に《魔法回路》を形成した。ごくありふれた《魔法使い》の攻撃手段、固体化させた空気成分を撃ち出す《氷撃》と推測できる。
樹里が横に半歩、生体コンピュータが算出する射線から外れると、頬スレスレを固体空気の弾丸が通過する。
難なく回避されたたことに微かに眉を動かして、一拍遅れて少女は着地して体勢を整えた。
それで戦闘が一時停止した。
(……え? 一発だけ? 牽制じゃないの? 爆発もなし?)
銃弾も躱せる《魔法使い》にはほぼ無意味な攻撃だった。不安定な体勢から着地するまで、樹里の出鼻を挫くとも取れるが、あの程度では二、三発反撃を撃ち込めた。
だからコゼットや野依崎が《氷撃》を使うなら、複数射はもちろん、爆発物としても扱う。弾丸として直撃を狙うだけでなく、固体空気に様々な方法で熱量を与えて至近距離で爆破する二段構えだから、避けても全然安心できない。
(様子見? それとも――)
事実がどちらか知れないまま、少女はギアを一段階上げた。彼女の周辺を複数の同じ《魔法回路》が取り囲む。
二五発の《氷撃》は、樹里の逃げ場を失わせる射線で発射された。昇華爆発を起こす要素は見当たらない。
ならば簡単。樹里は柄頭の平たいコネクタ部だけでなく、細い柄でも正確に当てて、その場を動かず命中弾八発のみを長杖で弾く。
(私、ナメられてる?)
『その程度』なので、発射と同時に少女が間合いを詰めて接近戦を仕掛けてきても、余裕を持って対応できる。
西洋長巻と長杖の長柄がぶつかった途端に左右同時に《氷撃》の《魔法回路》が発生したが、白兵戦途中の射撃もまた《魔法使い》の常套手段なので、樹里は全く慌てない。
鍔迫り合い状態に挟まれて、無残に潰れたヌイグルミストラップを気にしながら、体を入れ替える。片方の射線には少女の体を盾にして塞ぎ、背後となったもう片方の《魔法回路》に長杖の石突側を突っ込んでエネルギー伝導を妨害する。
「……っ!」
柄を押し付けながら少女が顔色を変えた。自衛隊では常套手段ではない対処法なのだろうか。十路ならこれくらい平然とやるのに。自分で作った《魔法回路》に放り投げるとかなかなか非道なことまで。
《魔法》を封じられた少女は、新たに術式を実行するのではなく、力任せに刃を接触させようとしてくる。
樹里には悪手にしか思えない。
「あぐっ!?」
肩、腕、脚の肉体同士が接触した部位に、非致死傷攻性防御術式《雷陣》を実行した。
普通の格闘技ならば、接触状態で警戒するのは投げ技か関節技だろう。だが南十星は寸勁ができるし、ナージャは軍隊格闘術のよくわからない打撃を打ってくる。しかも《魔法》を実行されたら、超音速のパンチで文字通り昇天する。《魔法使い》ががっぷり四つに組み合ったとして、呼吸を整えたりタイミングを読んだりなんて悠長な真似はしていられない。
一〇〇万ボルトに顔を歪ませた少女は、たたら踏むように距離を開いた。
またも決定的な隙だ。退くなら思いきり距離を開けるべきだ。よろめいて長杖ジャストミートな間合いに下がるなど自殺行為だ。
(えーと……これ、どーやったら終わるんだろ……?)
内心自問したが、答えは知れている。どちらかが戦闘不能になるまで。
樹里はほとんど動いていないから、空間制御コンテナはいまだ足元にある。その持ち手に石突を突っ込み柄に通して、そのまま振り回す。
金属製の柄で殴ると骨折確定なので、表面が樹脂の追加収納ケースで打撃面を広げて、少女を張り飛ばした。
体勢を崩した少女は宙で体をひねり、受身を取ろうとしている。
遅い。磁力や熱力学推進で三次元機動を行う十路や南十星でも、もっと早く次の体勢に移行するし、ナージャなど空中に足場を作ってほぼノータイムで反撃してくる。
「ブレード装填。システムを移行」
少女が着地するまで〇.七秒、体制を整えるまで更に推定〇.五秒の余裕がある。その間に長杖を立てて空間制御コンテナを地面に滑り落とし、開いたその中に突き入れる。
そして再度出てきた時には、巨大な刃が接続された西洋長巻モードとなっている。ある種の機能美を持つ少女の得物とは似ても似つかぬ、ただ無骨なだけの刃をつけた姿は、全長だけでも一.五倍もあり、素材の違いを無視しても見目重量は遙かに重い。
それを振りかぶりながら、初めて樹里から間合いを詰め、地に足がついたばかりの少女に振り下ろす。
地面が小爆発した。地響きと共に小石と土が舞った。
パラパラと音を立てて視界が落ち着くと、まずは顔を引きつらせ尻餅を着く少女が現れる。
荒い肌の巨大刃は、少々はしたなく広げられた脚の間にめり込んでいた。
樹里がその気だったら、叩き切られて命はないと判断されるはず。
だが遠くから見ているはずの審判役からは、演習終了の無線は飛んでこない。
(え゛? まだ?)
樹里のこめかみに汗が流れる。
「まだ、やる?」
「……!」
一縷の望みをかけて問うたが、逆効果だった。きっと侮辱と受け取られた。唖然としていた少女は一転、頬を紅潮させて眦を裂く。
(だよねー……知らないけど、そーゆー娘っぽいよねー……)
樹里は脳内で拡張部品の接続解除を指示する。引き抜く手間を惜しんで《Saber tooth》を地面に残して下がる。
直後に少女が立ち上がりながら振り上げた、西洋長巻の刃が鼻先を通過する。
『ガッツがある』といえば聞こえはいいが、この場面では『諦めが悪い』と評したくなる。少女を殺すことなく戦闘不能状態に叩き込まなければ、この模擬戦は終わらなくなったのだから。
(じゃあこれは?)
再度少女が形成した複数の《魔法回路》と同数回、樹里も《雷撃》を連続実行する。
空気も氷も絶縁体だが、無理矢理な高電圧で絶縁破壊を起こす。周辺の空気を渦巻かせて作成されたばかりの《氷撃》は、レーザー光線に導かれた電撃で全弾破壊した。
野依崎ならこれくらいのこと平気でやって、攻め手を潰しにかかる。
(えーと……これ、なんとかできないとマズくない?)
続けて《雷火》――指向性を持たせていないアーク放電を連続実行する。比べれば低電流値とはいえ、その様はほとんど自然落雷だ。人間の目では強烈な閃光が瞬いただけだが、微速度撮影では幾筋もの落雷が少女に襲いかかるのが見えただろう。
本気のコゼットの攻めは、こんなものではない。一〇〇発くらい平然と撃ち込んでくるので、凌げなければ普通に死ねる。
雷は勝手に流れやすい箇所に命中する、制御不能であると同時に自動追尾機能を持つ攻撃手段だ。しかも飛来速度は光速で、避ける手段はない。
「が――!?」
西洋長巻に落雷し、成すすべなく感電させる。少女に巨人に握られたような激痛を与え、神経電流を混乱させたはずだ。
「まだやる?」
「……!」
それでも少女は倒れないし、戦意も挫けていない。
(堤先輩の真似、やるかぁ……)
樹里は内心ため息を吐いて、脳内に展開する術式を、戦闘用のものから医療用のものに切り替えた。
なんとか対応しようとしたが、体に残る痺れが阻む。そんな少女の横面を、近づいた樹里は長杖で無造作に張り飛ばした。
手に頬骨を砕いた感触が返ってくる。しかし脳には別の手ごたえがある。
「……あれ?」
戦闘状態なら己のパラメータを把握してても不思議ない。地面に投げ出され、血の混じった唾を吐き出した少女も、すぐその異常に気付いたか。
だが樹里は、彼女の理解を待たない。獨立舉棍、弓歩劈棍、弓歩橫撃。中国武術の初級棍法だが、《魔法》の身体能力強化を乗せたら、いずれも必殺になりうる。それを演舞のような流麗さで連続で打ち込んだ。
少女は再度地面に転がるが、やはり体に打撃痕はないことに混乱している。樹里の名前を知っているなら、《治癒術士》であることも知っているだろうが、医療用 《魔法》の出鱈目さまでは適応外か。
『殴って回復』などという、ゲームの中でさえ滅多に存在しない不思議現象、体験しても理解できなくて不思議はない。
十路が部活で稀にやる、グレーというか実質ブラックな拷問の応用だ。いくら対尋問訓練を受けた者でも、エンドレスでえげつない激痛を与え続けられれば心が折れる。あと拷問は立派に犯罪だが、負傷という最大の物的証拠を残さなければ、立証はまず不可能ということで使われている。
(うっわー……これ完全に私、悪役だよね……)
重傷を負わせる非致傷攻撃で、散々土と辛酸を舐めさせ、少女の戦意を挫けさせるつもりだった。
自衛隊所属の《魔法使い》ということでかなり身構えていたが、同年代か年下と思える少女の戦闘能力は、十路とは比べるまでもない。
彼や悠亜と稽古する時のような、樹里が全力を出しても受けてくれる安心感が、少女にはまるでない。樹里には上手い具合に手加減できるとは思えない。
足元でマルチーズかトイプードルにでも吼えられている超大型犬みたいな気分だった。ちょっと小突いただけで潰してしまう気がしてならない。
『木次。そこから《杖》なしでやってみろ』
「え゛」
自衛隊の無線電波ではなく、支援部で使っている周波数帯で、更なる悪役となる指示が飛んできた。
(格闘、自信ないんだけどなぁ……)
槍・棒・棍など中距離の白兵戦闘は姉にしこたま殴られて仕込まれたので、まだものに出来ている自信はある。徒手格闘も姉にしこたま殴られて仕込まれているのに、その違いはさておいて。
問題はそこではない。ある程度は生身で《魔法》が使える《ヘミテオス》である樹里ならば、《魔法使いの杖》なしでも極端な戦力低下にはらなない。
だが異能を人前で披露できないため、一目でわかる身体能力は常人レべルに抑えなければならない。
つまり十路は実質、更なる手加減を指示してきた。
『ダメな時は割って入る』
一応なれど保険がかけられたため、迷いながらも長杖を放り捨てる。
すると、少女の眦がこれ以上ないほど釣り上がる。彼女から見れば、樹里の行動は降参か舐めプレイだから当然か。
(基準おかしいってば……)
いくら《ヘミテオス》とはいえ、《魔法使いの杖》なしで《魔法使い》と渡り合える《騎士》と同列扱いされても困る。
とはいえ、いざとなれば『火事場の馬鹿力』とかなんとか誤魔化して、《魔法》込みの能力を発揮できるので、そこまで危機感なく応じられる。
《魔法使いの杖》を手放しても生体コンピュータ常時稼動の樹里は、マイクロ秒単位で移行する《魔法使い》同士の戦闘についていける知覚速度のままだ。視覚と脳内センサーに表示される、突撃してくる少女の行動予測に沿って、運動速度を低下させた分を加味しながら行動する。水中のようなもどかしさを感じながら、《魔法》の射線から外れ、得物の攻撃範囲から逃げる。
(ちゃんと認識してる私と違って、堤先輩はこれを条件反射でやってるってことだよね……? どれだけ……)
改めて十路の化け物加減に呆れる余裕も充分あった。あくまで経験に基づく先読み前提で、その裏には幾多の失敗があり、しかも素手の樹里と違ってかなり道具を使うため、彼から『どっちが化け物だ』と言われそうな余裕だ。
《魔法》が宿って危険なため、西洋長巻の刃部分には腹にも触れない。長柄武器とは違って大変だが、不可能な長さではない
「ふっ――!」
殺すつもりにしか思えない渾身の突きを、タイミングを合わせて仰け反って鼻先を通過させながら、柄を握る少女の手を蹴り上げる。
そして両足を接地させると同時、低い姿勢のままバク転で開いた距離を詰める。
切っ先を上に泳がせた西洋長巻の石突を、立ち上がりながら裏拳で叩く。小突いただけだが、利き手を蹴って握る力を弱めたタイミングだ。
バネ仕掛けのオモチャみたいに、少女の手からすっぽ抜けて宙を舞った。
「ごめん」
《魔法使いの杖》との脳機能接続を強制的に切断され、固まった少女の腕と胸倉を掴んで背を向ける。
一本背負いは完璧に決まった。柔道の試合ならば確実に終了しているし、受身を取っても硬い地面に叩きつけたのでしばらく動けまい。
だが樹里は構わない。少女も構って欲しくないだろう。
なによりもこれ以上の戦闘は遠慮したい。離れた場所に突き立った西洋長巻を確保しに行く。
(素手で《魔法使い》に勝てちゃったよ……)
状況をどう消化していいのかわからない。
考えたこともない、生死を関わる枷を自ら課した状態で、しかも難なく少女を制してしまうなど、予想外すぎた。
(というか……ハッキリ言って、この子強くない……)
内心ですら『弱い』とハッキリ言っていないが、それはともかくとして。
《騎士》と謳われた十路と比べるのは過ぎるとしても、少女が非公式の自衛隊員ならば、これで大丈夫かと他人事ながら心配してしまう。
(モノは悪くないけど、使いこなせていない)
少女の《魔法使いの杖》を拾い上げて検分する。
《魔法使いの杖》は武器の形を取っていても、本質は通信機器だ。なまじ武器形状に作られているだけあって、少女はその辺りの認識が弱いと思えた。
(それに、覚悟がない)
樹里を傷つけることに躊躇はなかったが、そういう覚悟とは違う。
『人外』になりきれていない。彼女が使う《魔法》は、あくまで断片でしかない。年齢からすれば『未熟』『染まりきっていない』と評するべきだろうが、戦意を鑑みれば半端と評したい。
《魔法使い》は考えるだけで人を殺せる強化人間だ。異能を発揮すれば兵器と称される存在。
人らしい精神性を失ってはならないが、人間としての限界など不要だ。
そうでなければ死んでしまう。
(あー……半年も支援部にいたら、随分と染まったなぁ……)
自然とそう考えてしまう自身にため息をつき、樹里は振り向いて、手にした他人の得物を振り下ろす。
「――!?」
息を飲む音だけでなく、空気が切り分けられた音も、金属同士の衝突音にかき消された。
ナイフを手にし、背後から忍び寄ろうとした少女の出鼻をくじいただけではない。叩き落した64式7.62㎜小銃が地面に突き立った。着剣されているのは64式銃剣とは違う。破損し、今回の静岡行きに際し新造された、十路の銃剣だ。
『先輩。ちょっと危ないです』
『スマン。もう少し早く止めるべきだった』
十路は槍投げの如く着剣した小銃を《魔法》込みの身体能力で投げ、少女の行動を止めようとしたのだろうが、あのままでは直撃したかもしれない。思ったよりも彼女の行動が早かったからだろうが、止める方法としては遣り過ぎだろう。
『それよりも、早くちゃんと演習を終わらせてください。でないといつまでも続けることになります』
《ヘミテオス》の異能で遠慮なく十路と無線通信しているが、樹里も少女も自身の装備を手放している。無線では意味ないと、本部テントから拡声器で終了を伝えられると、ようやく少女は悔しげに戦闘体勢を解除した。




