075_0080 【短編】ファム・ファタールをもう一度Ⅸ ~大死~
闇へと変えられた。
彼女たちがなにかを行う度に、仮想的に描かれた空間が歪み、割れ、切り裂かれた。
修復するなんらかの力が働いていたが、破壊する側が圧倒的。現実ならば都市を壊滅しているであろう飽和攻撃が繰り広げられた。
やがてなにかが壊れる破滅が響き、闇へ還った。
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瞼を開くと、真っ先に天井と、取り囲んで見下ろす四つの顔が目に入った。
いつもの格好に装備を携えた彼女たちは、不安げに見守っているが、自身でも状態がよくわかっていない。ストレッチャーの上で上体を起こし、十路は肌に貼り付けられた電極を剥がしながら確かめる。
感覚が現実から切り離された状態だったためか、頭と体がフワフワしている。しかもずっと見ていたのは、現実と見まがう夢だった。
いま認識している空間が、果たして現実なのか。
「なとせ」
確かめるために十路は問う。真面目に。至極真面目に。
「下の毛、生えたか?」
家族相手とはいえナチュラルなセクハラに、ムッとした南十星はスカート下のレギンスに手をかける。
「いくらヨージタイケイっつっても、ちっとは生えとるわい。見る?」
「いや見せん――な゛!?」
金属が十路の頭に落ちてきた。コゼットが装飾杖を振り下ろした。
「貴方ね……脳ハッキングされて無事なのか緊張してたら、第一声がそれって。別の意味でアタマ駄目になってますわね」
「いやだって! 俺からすれば、現実なのかさっきの続きなのか、わからないんですから!」
「だから判断するのに毛って意味わからんわ!?」
予想とは違う南十星の成長に加え、この痛み。ついでに打撃で頭もシャンとした。
もう現実への帰還を疑いはしない。あの、裏切られるために用意された優しい世界とは違う。
「ほえ?」
「ちょ、ちょっと?」
ストレッチャーから降りるのに合わせ、ナージャとコゼットを腕の中に収めた。ふらついたとでも思われたか、彼女たちは身を固くしたが、逃げはしなかった。
「今回は、本気でヤバかったです……」
バニラと紅茶の香りを吸い込んで囁くと、『もう大丈夫』とでも言うように軽く背中を叩かれた。
いや他に、腰の後ろをツンツンされた。それも二箇所。
ふたりを離して振り返ると、南十星と野依崎が顔を見上げていた。なんか期待している目で。いつも眠そうに半開きで焦点合っていない眼差しの野依崎すらも。
「……まぁ。助かった?」
なにを望んでいるのか知らないが、とりあえず栗色ワンサイドアップとフェルト製ネコミミ帽に手を乗せて、グシグシしてみた。
「ちっがーーーーう! なんかこう、もっとあるっしょ!? ハグして熱いベーゼを交わすとか!」
「身長差からなんとなく」
たとえ身長差が埋まっても、妹とキスを交わすつもりはない兄だが、それはさておき。
「あと、お前のことだから、責任感じてると思って」
「う……」
頭に乗せた手を動かしながら言い添えると、南十星が視線を外した。
記憶が曖昧だが、十路が拉致されたのは、夜間の単独行動時だ。十路自身は油断が一番の原因と思っているが、南十星の立場だとコンビニに行くことになった原因が自分にあること、ついて行かなかったことを後悔していると察せられる。
義理で共に過ごした時間などわずかとはいえ、一応は兄妹なのだから、それくらいはわかる。
今回の部活で一番活躍したであろう、野依崎の頭も一緒に撫で回しながら、思う。十路が考える以上に、この騒がしい仲間たちを気に入り、大事な存在になっているらしい。
彼女たちの死が現実ではなくて、本当によかった。
そしてなによりも。
「今日ほどイクセスがいてくれてよかったと思ったことないぞ」
【たまには私のありがたみも理解してください】
あちこち分解されて即席改造がなされている、屋内に運び込まれた赤黒の大型オートバイ。
技術的なことはよくわからないが、未知の《魔法》相手に《魔法使い》だけでは打破できない状況だったのだろう。でなければもっと早く、直接的な介入があったはず。
意思を持つ《魔法使いの杖》――《使い魔》だからこそ、夢の世界に介入できた。彼女がいなければ、きっと今はない。
「それで、ここは?」
柱がまるでない広大な室内だった。ただし体育館ほど天井は高くない。容積のほとんどを、規則正しく並んだ超並列型スーパーコンピューターが占めている。
場所の見当はついているので、何処よりも何故の意味で遅ればせながら確認すると、コゼットと野依崎が説明してくれた。
「ポートアイランドの理化学研究所計算科学研究センターですわ」
「バイパスを作るため、一時的・部分的でも《魔法使い》の脳を代替する設備が必要だったでありますから、別の場所で拉致されていた十路をここに移送したであります」
「それで『富岳』か……」
国家基幹技術指定・京プロジェクト。計算資源開発の国家的計画で設立された容器だ。当初はその名のとおり演算を秒間一京回こなす次世代スーパーコンピューターが設置され、あらゆる分野で活用されていたが、現在は性能向上した新たなスーパーコンピューター『富岳』に入れ替えられている。
「俺たち商売敵じゃ?」
このスーパーコンピューターの計算能力、アカウントを取得すれば誰でも借りられる。一基単位・短時間なら子供の小遣いでも。まぁシミュレーションなどで膨大な計算するならウン百万円ウン千万円になるが。
そして計算資源の貸出は、支援部もたまに部活動として行っていたりする。なにせ《魔法使い》の生体コンピューターは、性能向上してもまだまだ既存スパコンに負けていない。そして当人は《魔法使いの杖》と接続したままボケ~としていればいいだけ。
組織的にはそんな関係なのに、よく借りることができたと思ってしまう。それをナージャと南十星が説明してくれた。
「高級レストランとチェーン店ぐらい、客層が違うと思いますよ? わたしたちは常時オンラインじゃないから秘匿性高いですし、短時間で済む分、単価高めのはずですし」
「なんかあっても今回『部活』だもん。徴収したに決まってんじゃん。ま、あとでりじちょーがカネ払うんじゃね?」
色々あったっぽいが、あえて十路は考えないようにして、隣のストレッチャーに視線を移した。
「コイツが《夢魔》か」
イクセスが見せた映像そのままの、東南アジア系と思われる女性が寝ている。スカーフを頭に巻いているということは、イスラム教圏だろうが、国籍などは服装や人相だけではわからない。
ただし映像と違い、口から泡を噴いて白目を剥いている。十路と脳機能接続するのに彼女も昏睡状態になっていたとしても、これは違うだろう。仮想空間内で暴れまくったアレが原因としか思えない。
「正気に戻るのか、これ?」
「さぁ? 逆ハッキングで生体コンピュータを異常終了させたでありますからね。通常考えられない状態なので、復旧可能か不明であります」
一番詳しいであろう野依崎の、無表情・無感情・無体な言葉も、それ以上は考えないようにする。コワい。
「他は? 《夢魔》が俺と機能接続してる間、無防備になってたなら、護衛役がいただろ?」
「いましたよー。ナトセさんが半殺しどころか七回殺しましたから、色々垂れ流した状態で警察に引き渡しましたけど」
ナージャの言葉から察するに、《魔法》による破壊と《治癒術士》の治療を繰り返したのだろう。十路も部活時、証拠を残さず尋問する際に使う、グレーゾーンというかブラックな手段だ。
だが彼でも精神が死ぬまではやらない。
「生きてりゃ問題なくね?」
耳ホジする南十星に、反省や罪悪感は欠片も見えない。
きっと七回殺しで済んだのは、《魔法使いの杖》のバッテリー切れとか周囲が止めたとか、そんな理由に違いない。殺さないよう加減したのではなく、《治癒術士》が必死に治療したから結果的に死ななかっただけだ。
妹の狂気をまざまざと想像できてしまう。なんという重い家族愛なのか。
十路は首筋をなでながら、イクセス相手に愚痴る。部員たちが助けてくれたことに感謝はしているが、それはそれ。『もうちょっと考えてくれよ』と言いたくなる。
「こりゃ背後関係わかりそうにないな……なんで《夢魔》なんて特殊な《魔法使い》が出張ってきたのか、気になるんだが」
【トージを闇討ちするだけなら、実行できたはずですしね。トージを殺さずに人格を破壊することで達成する目的とは?】
「わからん。洗脳して手下に仕立てたかったとか?」
【他には支援部の瓦解とか?】
「だとしたら、わかってねーなー……俺がいなくなった程度で瓦解するなら、既に叩き潰されてるだろ」
【内から見るのと外から見るのとでは、評価は変わるでしょう】
いくら考えてもわからない。支援部は警察から業務委託を受けている協力組織だが、警察と同じ捜査権限は、建前上は持っていない。略取・誘拐事件の捜査で関わる範囲は、十路の目覚めで終わったことになる。
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部員たちが撤収準備をしているが、一応は病み上がり扱いで十路は免除された。
夢とはいえ、彼女たちと結婚した光景など見たので、やはり少々気まずい。時間を置けるのは正直助かる。
計算科学研究センターの駐車場でボンヤリしていたら、即席改造を除かれて元に戻った《バーゲスト》が話しかけてくる。行き交う誰もが忙しそうで、しゃべるオートバイなど気にも留めない。
【ジュリのことは一切訊かないのですね】
「一緒にいたけど、俺が目を覚ます前に消えたんだろ?」
直接会話はいつ以来か思い出すのに困るほど、人間関係が微妙になっているが、今回の部活に彼女が参加していないはずはない。
《魔法》を用いた頭脳へのハッキングに対抗するには、《付与術士》のコゼット、ハッカーの野依崎に加え、人体のスペシャリスト 《治癒術士》が不可欠だったはず。
それに、仮想空間内で見た豆柴、あれが樹里のアイコンだ。共に《バーゲスト》の主である彼女が同時接続し、更にリンクで他部員のデータを送り込んできた。
【早いところ仲違いをなんとかしてくださいよ? 私はトージとジュリに挟まれるわけで、居心地悪いです】
「つってもなぁ……別にケンカしてるわけでもなし」
なんとかしなければならない思いは十路にもある。同じ部活の一員であれば、たとえ気に食わない相手だろうと、折り合いをつけた人付き合いは必要になる。
とはいえ、樹里との不和は、十路の問題ではなくなりつつある。彼女がどうしたいかに掛かっている。現在ボールは彼女の側にあり、それを知ってからが十路の問題だ。
(イクセスに気付くまでに飲み込まれなかったの、木次のお陰といえば、そうだけどなぁ……?)
耐尋問訓練でそれなりには耐性があるとはいえ、あんな精神攻撃を受け続けていれば、どうなっていたかわからない。
自分を取り戻したのは、仮想の樹里が現実と違っていたから。彼女の人となりに助けられたとも言える。
(それはそれ、だよな)
いつかその感謝を、彼女に伝える未来があるかもしれない。
だがそれも、今が変わらなければありえないだろう。
十路が怠惰な野良犬のため息を吐いて目を閉じると、スピーカーから『しょうがないですね』とでも言いたげなため息が聞こえた。




