070_0020 a catastrophe cames Ⅱ ~胆大心小~
「学生の編入希望届があった」
ある日、顧問である長久手つばめが、総合生活支援部の部員たちに召集をかけた。元はガレージで、今は家具が置かれて居住性が作られた部室に、ひとりを除いて集まったの確かめてから、彼女は集めた理由の説明を始めた。
「この時期、別に不思議なことじゃねーでしょう? 手続きとか引越しのこと考えりゃ、遅ーくらいじゃねーです?」
『これぞ王女サマ』という美貌を気だるげにし、『これで王女サマ?』という蓮っ葉未満のぞんざいな言葉で、コゼット・ドゥ=シャロンジェが話を聞く前から口を開いた。
支援部が設立されたのは今年度春からだが、王族などという特殊すぎる環境が絡んでか、当人は昨年、節目となる春に入学している。一年前の学院を知っているからこそ、別段不思議なことではないと。
「緊急の部会を開くってことは、不審人物が入ってくるとかですか?」
長い白金髪を下敷きにしないよう座り、自分で淹れた紅茶をすすってから、ナージャが確信ある確認をした。
彼女は正にそれだった。今は部員となっているが、元々はロシア対外情報局に所属し、総合生活支援部を調査するために学生になった非合法諜報員だ。
「とびっきりのがね……なにせ高等部三年生、衣川羽須美って名前だよ?」
つばめの言葉に、部員たちは一斉に、オートバイに寄りかかって立つ十路を視線を向けた。
その名の人物は、元陸上自衛隊開発実験団所属、准陸尉。記録上では最強の《魔法使い》――故に《女帝》と字された。
修交館学院に転入する前の、十路の上官であり、彼に《魔法使い》としての様々を授けた教官でもあった。
そういった理由からのリアクションであるのはわかるのだが、部員たちから一斉に視線を向けられたものだから、彼はどう反応したものかと困惑して首筋をなでて、一拍置いてから口を開いた。
「同姓同名の別人ってことは?」
冷静な口を利くことができた。用心深い彼らしい疑問を吐くことができた。
しかしつばめは、否定する証拠を見せてきた。転入ではなく編入学、転校ではなく途中入学となると試験がある。面接も行われるため、願書には顔写真が貼り付けられる。
認識している彼女の年齢は二〇代半ばなので、十路が見るとセーラー服に違和感を覚えるが、記憶にあるままの『衣川羽須美』の顔が写っていた。奇異に思えるのは十路だからで、なにも知らない一般人の感覚では、大人びた容姿も高校三年生の年齢を考慮すれば、不審に思うほどでもないだろう。
「他の記載事項は?」
用心を重ねると、今度はつばめではなく、OAチェアに座る赤髪ネコミミ帽の少女が反応した。
野依崎雫。見た目寝ぼけた子供で、実際ヘンな日本語で常識外れをヌかす寝ぼけた小学生だが、経験と頭脳は違う。彼女も超科学技術の使い手 《魔法使い》であり、ハッキングによる情報収集能力を持つ。この時も、その能力の一端を披露した。
「本籍地の住所に家が存在し、両親も健在……名前と顔が違っていたら、怪しむことなくごく普通の編入生と認識してると思うであります」
「過去は?」
「編入前の地域や学校に、同名の人物の記録は存在。ただし在籍の証拠だけがあると思われる節があるであります。きっと隣近所や同級生に聞きこみをすれば、そのような人物は誰も記憶にないのでは?」
「役所や学校の名簿やデータは改ざん。両親は名義貸しか、そう名乗ってる仲間。こんな女子高生は存在していない、ってことか……」
架空の人間をでっち上げることは難しい。身分証明書を偽造すれば、ひと通りは誤魔化すことができるが、不審に思って踏み込まれると簡単にボロが出る。
人生そのものを捏造することは絶対に不可能だから。身分を偽って作戦行動を行っていた十路は、実体験込みで理解している。
「これに関連して、陸上自衛隊目黒駐屯地に侵入者が入ったらしい」
「目黒……? 研究本部ですか?」
謎の伝手によるつばめの情報は、十路には直接の関わりがなかったため、少し記憶をさらう必要があった。
正式には目黒地区と呼ぶ。陸海空の共同で利用する施設のため、陸自では駐屯地、空自では基地と、呼び方が変わる。各自衛隊と統合幕僚本部の幹部学校があり、防衛装備庁と陸上自衛隊の研究機関もあるため、一般人が想像する駐屯地や基地とは性質が違うためだ。
「そこに保管されていた、ある《魔法使いの杖》が盗まれた」
「この話の流れでそれって……まさか《無銘》が?」
「うん。富士駐屯地から移管された直後にね。比較的スキのある状況下だったとしても、痕跡はなにも残ってなくて、どうやって盗まれたのか不明。多分、《魔法使い》の仕業だと思う」
目黒駐屯地にある研究本部は、羽須美と十路が所属していた開発実験団の、上位機関に当たる。
《無銘》――羽須美の《魔法使いの杖》が、保管されても不思議はない。
本物であるはずがない。姿形が同じ別人が、彼女に成りすまそうとしているだけ。
本物の衣川羽須美は、約一年前にアフリカで死んだ。その際に装備も回収され、使用者不在のまま保管された。
当初は任務を放棄し、離反した彼女を、十路が抹殺したものと思っていた。表沙汰にならない公式記録でも、そのように記されているはず。
しかしもう違う。思い出した。それを改めて己に言い聞かせるように、十路は編入希望届を指で弾いた。
「コイツも『管理者No.003』の誰か、ってことですよね」
「まさか真正面、正攻法で近づいて来るとはね。もっと搦め手使うと思ってた」
「相手の狙いは?」
「フツーに考えれば、支援部全体やわたしでなければ、ジュリちゃん目的なんだけど」
三〇年前、『奇跡』が起こった。
部員たちも知らされている部分を繋ぎ合わせて簡潔にすれば、現代にやって来た未来人たちが、この時代でふたつの勢力に分かれて、いわば世界の覇権を賭けて暗闘している。
時間跳躍とはいえ、不思議なトンネルを抜けて彼らはやって来たわけではない。ファックスのように人間を読み取ったデータだけが送られて、この時代で半不死の肉体に入れられて出現した。
この時代では《魔法》と呼ばれるオーバーテクノロジーのオペレーターとしての役割を持った者。それがオリジナルの《ヘミテオス》らしい。
その中の『管理者No.003』――『麻美』と呼ばれる者は、奇異な運命を持っている。分割圧縮されて時空を超えて転送されたデータが、正常に結合解凍されず、不完全なまま複数の分身として、この世界に生まれた。
時空を超えて出現した彼ら、彼女らは、元々四名だけだった。科学者夫婦、その娘と娘婿と。
彼らの間でも、このタイムパラドックスへの挑戦は、是非が別れていた。いくら目的が正統なものであろうとも、未来人の手で歴史を変えることになってしまう。いや既に歴史が違う平行世界なのだから、なにをしようと元の時空間に影響を及ぼさないのではないか。
未来を変えるために世界の覇権を握ることと、その阻止と、オリジナル《ヘミテオス》たちの目標は、二派に分かれた。
加えて『麻美の欠片』たちもまた、分かれて争うようになった。元はひとりの人間で当初の目的を果たすために、分身のデータを回収して『麻美』に戻ろうとする者たちと、もはや別人だと、結合を拒否する者たちとで。
羽須美もまた『欠片』の一体だった。そして彼女が死んだ経緯もまた、『麻美』を巡った一戦だった。なんの因果か、十路はその場に立ち会った。
その経験を求められて、十路は修交館学院の学生に、相好生活支援部部員になっている。
ここにも『麻美の欠片』がいるから。高等部一年生、木次樹里。
大人たちは十路が彼女を守ることを期待して仕組み、彼もまた樹里の心臓を移植されたことで《ヘミテオス》となり、普通の学生兼準軍事組織隊員という今の状況がある。
なので『敵』が目的とするのは、『敵』の敵である科学者の妻――つばめか、その実効戦力としての総合生活支援部全体、でなければ樹里個人と考えるのが自然なのだが。
「でも、偽名が『いかにも』じゃない? しかも学年が高三だよ?」
「この時点で、敵ってのは間違いないでしょうけど……オマケならともかく、ピンポイントで俺狙いってことあります? 理事長の『敵』がXEANEのトップなら、俺と接点あるわけないですよ?」
『敵』はアジア圏どころか、世界でも有数へと成長した巨大企業、そして《魔法》に関わる物品を取り扱う数少ない片割れ――XEANEトータルシステムズ。その最高経営責任者、蘇金烏だと知らされた。
向こうは超巨大企業のトップで、比べて十路は一介の高校生だ。直接ならば、あるパーティーの場で、一度だけ軽く言葉を交わした程度でしかない。
「それが充分ありえるんだよね。普段のリーダー役は当然コゼットちゃんだけど、非常時の支援部はトージくんが中心だし。言ってしまえば、金が立てた予定とか作戦を直接つぶしたのは、キミなんだよね」
「それは、まぁ、否定できないですか……」
非常時においては、陸上自衛隊特殊作戦要員だった十路が現場指揮官役になってしまう。軍事経験者というだけ、あるいはスペシャリストという意味なら、もっと詳しくもっと強い部員もいるが、総合的な知識と実戦経験においては追従を許さない。
準軍事組織としての支援部においては、キーパーソンになってしまう。
もっとも、十路としては素直に頷けない。作戦立案は確かに行ってきたが、いざ事が動き出せば彼自身も動くため、指揮官らしいことをした自覚がない。
というよりも、指揮不可能と投げている部分がある。支援部は、スペシャリスト集団といえば聞こえがいいが、戦力の平均化がなされていない寄せ集めだ。しかも部員たちは皆、どこか我が強い。
なので事前に目標だけはキチンと立てて、あとは『適当に対応』しかない。『適当』と言ってももちろんエーカゲンという意味ではなく、『各自の判断で臨機応変に全力で』という意味で。
こんなのメチャクチャを指揮と呼んだら、世界中の軍人から鉄拳制裁を受ける気がしてならない。
「それってさー、兄貴の立場が問題ってことじゃん? 狙われるリユー、そんだけなん?」
ずっと黙っていた堤南十星が声を上げた。口調こそ普段の気楽なものだが、少女とも女性とも言い切れない微妙な年頃の表情は、真剣そのものだった。
きっと十路の立場を外せば、あるいは逃がせば、それでいいのではないかと考えたに違いない。他は過ぎるくらいに大らかなアホの子なのに、兄の安全に関してだけは過保護を通り越してヤンでる彼女らしい。
「ん~……なんとも。トージくん個人に対する金の私怨も、可能性としてはないわけじゃないんだよね。アイツにとってトージくんは、『娘』を殺してるわけだから」
「直接手にかけたのはひとりだけですけど、『管理者No.003』四人の消滅と関わっていますからね……」
過去のアフリカで、羽須美と、彼女を狙ってきた二人の『欠片』、全員が消滅したのを目の当たりしている。
そして先日の淡路島で、アサミと名乗る幼児の姿をした『欠片』とも関わっている。
納得ではあるが、同時に十路は疑問にも思った。
蘇金烏が『麻美』に執着あるのは、なんら不思議はない。ただ死んだわけではなく、チャンスがあるのであれば、取り戻そうとするのは親心だとは思し、部分的に殺した十路が恨まれても仕方ないと思う。
とはいえ静か過ぎる気がしてならない。十路が知るだけでも三人の『麻美』が、データの統合がされないまま消滅している。
それでは複数の人格データがひとつに統合されても、元の『麻美』とはかけ離れた歯抜けになるだろう。そんなことがわからないはずないのに、相手は傍観しているような印象がある。
十路も親になった経験などないので、想像でしかないが、娘を愛しているなら、もっと形振り構わず取り戻そうとするのではないかと首を傾げる。
懸念はまだある。『父親』の考えがどうであれ、『娘』当人はどうであろうか。
「XEANEサイドについてる『管理者No.003』が、俺をどう思ってますかね?」
「『欠片』を物理的に消滅させられたから、元の完全な『麻美』に戻るのは不可能って、恨まれてる?」
「それもですけど、俺はこの間の一件で、『切り札』を持ちました」
「うーん……確かに。どれもありえるなぁ。全部ひっくるめて動機って思っていいのかな」
考えれば考えるほど、十路個人が狙われる理由は事欠かなかった。
特に《魔法》は。効果は『管理者No.003』に限定されている様子だが、半不死の肉体を腐らせる『英雄殺し』を手に入れた。『欠片』たちに危険視され、対策のために動かれても不思議はない。
その第一歩が編入というのは、やはり解せないが。ただの宣戦布告か、それとも狙いがあるのか。
「この『衣川羽須美』が、『管理者No.003』の誰かって情報はありますか?」
「残念ながら特定できていない。身元だけでなく、Lilith形式プログラムの該当者もね。そもそも『欠片』が何人残ってるかってのも、把握しきれていないの」
「《塔》がバックアップしてるなら、わかりそうなものですけど?」
「バックアップを受けてるならね。求めてない場合もある。生死不明扱いになっているのは、実は生きてる可能性もある」
結局のところ、『衣川羽須美』の情報は多くない。それでもつばめは対応策を求めてきた。
「どうする? この件に関しては、十路くんと、あとナージャちゃんの言うとおりにする」
「ほえ? わたしもですか?」
「十路くんメインだけどさ、ナージャちゃんも巻き込まれちゃうと思うよ? 同じクラスなんだし」
ナージャはチラリと十路を見てから、長い髪の尻尾を振り回しながら、つばめに確認した。唐突な言葉にキョトン顔を作ったものの、すぐに思考を切り替える辺り、やはり裏社会に生きていた人間だった。厄介者扱いされていた元ヘッポコ諜報員だとしても。
「編入生を受け入れない、って選択はアリですか?」
「できなくはない。けど、学院理事長の立場からすると、やりたくない。なにも知らない一般人の目で見れば、なんら問題ない学生を、学校側が拒否するってことになる。理由はいくらでもでっち上げられるけど、向こうも正当性を主張してなにかしてくるのは間違いない。世論を動かして、教育委員会とか文部科学省とかから手が伸びてくると、こっちの動きが制限される」
「やりたくはないですけど、一応確認を。闇討ちは下策ですよね?」
「そりゃね。《ヘミテオス》相手に証拠を残さず殺すなんて、まず不可能。《魔法使い》にしか使えない手段で殺害すれば、真っ先に疑われるのはこの部の人間。今でも結構危ないのに、わたしたちは社会的に追い詰められる」
「世論ってめんどくさいですね~」
情報戦や心理戦は、十路の管轄外だ。恐怖を煽るのだけは得意だが、今回は間違いなく出番がない。
「なら、対策はひとつしかないじゃないですか」
十路の得意分野が発揮できる状況下に引きずりこむしかない。幸いにも相手は堂々と近づいてくる。
「この編入生、俺たちのクラスに放り込んでください。それくらいは理事長権限で充分できるでしょう?」
「できるけど、問題はその後だけど」
「別にどうもしません。相手がなにもせずにいるなら、それはそれ。なにかしてくるなら容赦なく戦う。いつも通りですよ」
もちろん危険は理解していた。《魔法使い》たちの暗闘に、なんら関係ないクラスメイトたちを巻き込むことになりかねない。
しかし『敵』が目の届く範囲にいるならば、なんとかなる。相手の目的がなんであれ、なんとかしなければならない。そこまでならば、支援部員の義務と責任だと十路は考えた。
「逃げないんだね」
つばめが悪魔の微笑で問うてきた。
「まだ逃げないだけです」
十路は素っ気なく釘を刺しておいた。
元々支援部員たちには、戦う宿命がある。
当然だ。本来国家に管理されるべき生体万能戦略兵器が、無管理状態で普通の学生生活を送っているのだ。絶大な力を手に入れようと身柄を狙われ、その力が振るわれる前に対処しようと命を狙われる。それぞれのワケあり《魔法使い》として扱われる理由も絡んでくる。
そこまでは承知の上で部活動に参加しているが、未来人たちの諍いに巻き込まれるなど、誰も承知していない。部員たちがつばめに協力しているのは、義務感や恩義といったものではない。あくまで損得勘定に基づくものだ。世界征服や歴史改変を阻止するために戦うなど、生活保障や奨学金でイーブンになる分を軽々超えている。
ならばボーナスを出せば納得するのか、などと問われても困る。だから今後についてはひとまず現状維持、それ以上は保留。加えて退部、この件に関わらないという逃げ道も十路は確保した。
部員個人個人で考えに差があったとしても、少なくとも誰にとっても損にはならない。
そんな考えが面に出ていたのか。そしてそれをどう取られたのか。嘆息を漏らしたつばめは、タヌキ顔をナージャに向けた。
「フォロー、お願い」
「高くつきますよ、十路くん?」
「なんで俺に請求するんだよ? 理事長に回してくれ」
ナージャが一緒なのは心強い。直接近づいて親交を深めて情報を入手するのは不可能としても、友人が多い彼女ならば間接的な情報を得ることができるはず。もしも『羽須美』に不信な動向があれば察知しやすい。
それに彼女は時空間制御に特化した、白兵戦闘において最強の《魔法使い》だ。不測の事態が起きたとしても、そうそう遅れは取らないだろう。
「学内・学外を問わず、監視網を構築するであります。なにか起こった際、各自、常時連絡ができるよう準備しておいてほしいであります」
野依崎もバックアップしてくれる。既存スーパーコンピュータを上回る生体コンピュータの演算能力を、そのまま情報戦に叩きつけることができる少女だ。『面倒であります』が口癖の彼女に負担をかけることになるが、申し出てくれるなら好意は素直に受け取った。
「使う使わないはさておいて、堤さんの《魔法使い》も、とっとと修復しておきますわ」
「俺はありがたいですけど、部長はいいんですか? 俺の《杖》は完全非合法ですけど」
「予備の部品を組み立てるだけですし、もう今更でしょう?」
十路の装備である《八九式小銃・特殊作戦要員型》を所有しているのは、日本国内では言い訳の余地なく違法だ。だからこれまでは、《付与術士》であるコゼットではなく、本職ではなくとも真似ごとができて、軍事関係者である野依崎に管理と整備を頼んでいた。
本職に頼めるなら、そちらがいいだろうし、野依崎も情報担当の仕事があるなら、そうなるだろう。コゼットの行為も素直に受け取った。
そこでふと、あまり意味はないのだが、なんとなく黙っていた南十星に視線が止まった。
「あたし、なんかやることある?」
「いや」
「んじゃ、なんかあったら言って」
今回の件で南十星が出てくるような場面は、最終局面――抗争くらいしか想定できない。出番がないならないで構わない。少なくとも彼女に、無関係を主張して引っ込む様子は微塵もなかった。
結局はいつも通り。支援部員たちが集められた本当の理由が明かされ、一介の学生にはどうしようもできない巨大規模の話になっても、
部活動はこれまで同様に行われる気配を見せていた。
「ジュリちゃんにも連絡してね」
違いもあった。顧問として不在の部員に連絡を頼むのは、当然だろう。樹里も相手の狙いであることも充分警戒しなければならないのだから、注意喚起するも当然に違いない。
「なんで俺に言うんですか?」
だが、なぜつばめは、十路に頼んだのか。
舌打ちだけは我慢したが、盛大に顔をしかめてしまい、声に険が乗るのはどうしようもなかった。
樹里とは今、人間関係に皹が入り、非常にデリケートな関係にある。どうにも苛立ってしまうから、あまり顔を合わせたくない。顔を合わせざるをえない時は、言葉はできるだけ交わさないようにしている。
仲が一方的な険悪になる前は、学年が違えど部活では一緒のことが多かったので、なんとなくセット扱いされるのは理解できる。しかし現状を知るつばめから、悪びれもせずに言われると、イラッとする。
「いやだって、あの娘が今ここにいない理由、キミでしょ?」
「理事長だと思いますけど? 木次の母親なんでしょう?」
「違うよ。長久手つばめ二九歳は、結婚暦も離婚暦も出産暦もナシ。歳から考えて、高校生の娘がいるわけないじゃない」
十路とつばめの言い分の違いが、彼女が家出している理由の最たるものに違いあるまい。
《ヘミテオス》はスワンプマン、哲学的な問題を含んだコピーだと、当のオリジナル《ヘミテオス》が言っていた。
未来の人間と、時空を超えてこの時代に再現された人間、肉体や精神を構成する要素は同じだとしても、果たしてそれは同じ人物なのか否か。その判断は個人個人で分かれてしまう。
つばめは、未来の誰かとは、違う存在だと割り切っている。だから樹里との親子関係を否定する。
『麻美の欠片』であり、ずっとなにも知らなかった樹里は、真実を知ってしまったことで混乱の極地にある。だから彼女はマンションを飛び出して、部会にも顔を出していない。市内にある実家にも帰っていない。
もっとも心配無用のため、警察には連絡していない。居場所は把握している。
なにより、そのようにお膳立てしたのは十路だ。
仕方ないので、壁際のコンセントに充電ケーブルを伸ばす大型オートバイ――《バーゲスト》と名づけられた《使い魔》に振り向いた。
「イクセス。ちょっくら無線で頼む」
【どうして私を伝言係に使いますかねぇ……? 直接言えばいいじゃないですか……】
「ダメだ。お前が最適」
真面目な時はデキる印象の怜悧な女性の声なのだが、その時は休日前日の夜に飲んでいるOL並にだらけた声を出すAI、イクセスに仕事を押し付けていると、つばめが笑いを噛み殺した。
「キミ、やっぱりジュリちゃんに過保護だね」
「は?」
十路には、本気でつばめの言葉が理解できなかった。過保護と過干渉は扱いが難しい言葉ではあるが、そういう意味ではなく。
「いやだってさぁ? キミとジュリちゃん、今ビミョーじゃない?」
「そうですね」
「なのにそこまで考える? トージくんが嫌なら、別のコたちに任せてもいいじゃない?」
「だから任せたじゃないですか。誰に任せるのがベストか考えて、イクセスが一番だと思ったからですけど」
関係に問題があるのは十路だろうが、他の部員との間にないとは言えない。
樹里が普通の人間でも《魔法使い》とも違う化け物――オリジナル《ヘミテオス》であることが発端なのだから。
連絡程度とはいえ、非常なデリケートな状態である今、不用意な人材をぶつけると、現状よりも悪化する可能性がある。そうならないための無難な選択肢がイクセスだ。
イクセスは、樹里の問題に対して、当事者でありながら傍観者の立場にある。
そして樹里の人間関係の中では、他の者とは一線を画す位置にある。接近させても大丈夫と思えるくらいに。
「その『誰がベストか考える』が異常なの。普通だったら、もっと投げやりにならない? 『知るかァ!』って」
「一度は俺も嫌がって、更に押し付けてきたのは理事長でしょう。なら、命が関わるかもって時に、そんな公私混同しませんよ」
十路としては、ごく当たり前のことを言ったつもりだ。
しかしつばめは『これ無自覚なのかなー? 演技なのかなー?』などと呟いて、他の部員たちを見回して目で回答を求めていた。
コゼットは軽く肩をすくめた。ナージャはアメリカナイズなオーバーアクションで『知~らない』と言っていた。野依崎は机に向き直り、パソコンをいじり始めて無視した。
南十星だけは腕組みして不機嫌そうに鼻息を漏らしていた。
「なんなんだよ、一体……」
無言裡の会話が理解できるほど、十路も女性心理に詳しくない。なにせオトコノコなものだから。
いくら関係が悪化しようと、樹里を見捨てきれないのは、自覚がある。それを他の部員たちがどう思ってるかは知らない。




