FF0_0300 在りし日Ⅴ ~南ヌビア共和国 難民キャンプ①~
兵士の仕事は戦うこと。そう思う者が多いに違いない。
しかし実際には、最前線に配置されようとも、移動と待機が大半だ。実際に銃火を交わす時間など、そう長いはずもない。
羽須美と十路は短いスパンで、特に状況のひどい戦地を転戦した。なにせたった二人と一台なのだから、即時の長距離移動が必要でもヘリ一機あれば事足りる。物資も出発前に空間制御コンテナに大量に積載し、途中補給が必要でも二人分なのだからすぐに対応してもらえる。それで正規軍以上の成果を短時間で挙げるのだから、生体万能戦略兵器《魔法使い》は、戦場でそれだけ需要がある。応えるかは政治的な問題だが、日本政府はここぞとばかり、国際社会で恩を売りたいということだろうか。
要するに、コキ使われた。
「ここまで連戦だなんて、予想してねー……」
「なーに甘っちょろいこと言ってるのよ」
オートバイに寄りかかり、水筒の水を飲んで十路がぼやくと、戻ってきていた羽須美が応じた。
「交渉、終わったんですか?」
「まぁね」
彼らが夜を明かすことになったのは、難民キャンプだった。とはいっても、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が定め、支援団体の手が入ったものではない。戦闘を回避するため、持てるだけの財産を持って土地を離れた数十世帯の避難民が廃墟に集まった、避難所と呼んだほうがいいものだ。
十路は離れた場所で待機していた間、羽須美はキャンプの、粗末なテントに入っていた。
彼らは難民だが、武装勢力でもあった。非戦闘員を抱えた、自警団とでもいうべき、積極性を持たない比較的温厚な武装組織でもあった。話が通じる程度には。
「食料や医薬品がやたら多かったの、こういうことだったんですね」
「住民と戦うわけにも行かないしね。安全と信用を買おうと思えば、これが一番手っ取り早いのよ。正規軍がやれば問題だろうけど、私たちの立場は傭兵だし」
真っ只中ではないにせよ、そこもまた戦場だった。
しかも難民は、非常にデリケートな立場にある。逃げてきた場所からは非国民や反勢力主義者と論われ、逃げる先には邪魔者扱いされかねない。過激思想に染まった者は、たとえ明確な敵対せずとも、自らの思い通りに動かないというだけで敵認定してしまう。それどころか物資を略奪、女性に暴行を働く、武装勢力にとって格好の『獲物』になることも珍しくはない。
虐げられる立場にある人々が、たったふたり、しかも若い女と少年とはいえ、武装した人間を警戒しないわけがない。キャンプに近づいただけでも、武装した男たちはなけなしの武器を向け、誰何してきた。国連や参加国からの委託を受けた査察と説明しても、彼らには裏付けが取れないのだから、容易に信用するはずはない。
だから手っ取り早い証明として、食料品や医薬品を渡すことを申し出た。それでも、ある程度はともかく、全幅の信頼など寄せられるわけはない。
しかも空間制御コンテナから出したのだから。知らずに見れば物理法則を無視した奇怪な輸送法に、知っていれば《魔法使い》という人種を警戒する。
少量ながら煙草に酒といった嗜好品までオマケしたが、どこまで受け入れてもらえたかはわからない。歓声を上げる者もいれば、なにかの罠ではないかと疑心暗鬼を露にした者もいた。タダより高いものはない。どんなツケが巡ってくるかと、その警戒も無理はない。
十路は交渉そのものが無駄に思えた。さすがに難民と事を構えるつもりはなく、手を差し伸べられるならするべきとは思うが、警戒する相手と親交しようとするのは夜間移動以上に危険としか思わなかった。
救援するなら、むしろ大部隊を組んでキャンプに近づくべき。助けだと知って見れば、人員と装備の充実に頼もしさを抱かせる。警戒や反抗をしようにも、それだけの勢力相手に抵抗は無駄だと悟らせる。
だがふたりでは、懸念を消し去り、全てを奪い取ってしまえばいいと、虐げられていた側が虐げる側になるかもしれない。もしそうなれば、殺すしかなくなる。
そもそもこの土地での安直な援助活動は、住民たちが不幸になる。人道主義や博愛主義が、更なる悪徳を生んでしまう。
貧しい人々を助けるため、非営利団体の手が入り、安全な水が出る井戸が掘られ、簡単に育てられる作物が植えられ、子供たちに教育を受けさせる学校が建設される。街角の募金箱に小銭を投入した人々が願った美談だろう。
だが、その後に起こる現実は筆舌しがたい。周辺の貧しい人々と、水や食料の奪い合いになる。建築資材は引き剥がされて売り払われ、その日の生活費に変わる。救援する前と状況が変わらないどころか、悪化させかねないのだ。避けるためには、根気のいる慎重な活動が必要になる。
自分たちの仕事は即時的な殺戮と破壊。長期に渡る救援など門外漢でプロに任せるべきだと、十路でなくても考える。
しかし羽須美は違った。
戦場で血塗られた《女帝》として振る舞い、恨みを買うことをどう思っていたのかは、終ぞ知らない。ただ、人との関わりそのものまでは避けようとはせず、むしろ積極的と言える人間性を発揮していた。
彼の悪魔は、友情を回復させ、諍いを調停させる力を持ち、生き物すべての声を理解するともされる。
彼女も同様に基本的には温和な、らしからぬ『悪魔』だった。
「で? やるんですか? 炊き出し。連中が俺たちの飯を食うか、怪しいですけど」
「食べないなら、私たちの知ったことではないわ。だけど大丈夫だと思うわよ」
渡す食料も一応は気を遣い、すぐ消費する形にしてしまう。その場しのぎだとしても、物資を渡して簒奪者から狙われる理由を増やすことはしない。
羽須美は己の空間制御コンテナを開け、まずは薪と、安全対策として水消火器を。
そして大量のジャガイモ・ニンジン・タマネギと、どこかで仕入れてきた謎肉と。
最後に、日本から持ってきた袋を取り出した。一般人が知るものは箱に入った固形なのだが、素っ気ないアルミ袋入り業務用一キロ給食用フレークを。
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「カレーの力は偉大ね。さすが日本食」
「イギリス発祥です」
カレーの源流はもちろんインド周辺だが、日本で一般的に食べられている形は、インドを植民地にしていたイギリスの海軍メニューが基とされている。独自進化しているので、オムライスやナポリタンやドリア同様、洋食の形をした日本食とも言えるが、それはともかく。
「あと、イスラム教徒だったら、どうする気だったんです?」
「シチューもあるわ」
「いや、それ、意味ないんじゃ……?」
イスラム教にはハラールという戒律がある。よく言われるのは豚肉だが、定められた手段以外で加工された肉全般を口に出来ない。日本で一般販売されているカレーは、これに引っかかる。ブイヨンの段階からの問題なので、シチュールーでも変わらない。幸い難民たちは、日本人には馴染みない伝統宗教を信仰していたので、その心配はなかったが、それもともかく。
どこかから借りてきた大鍋でカレーを作ったため、すっかり暗くなる頃には、匂いをキャンプ地一帯に遠慮なくバラ撒いた。リンゴとハチミツとろーり溶けてる甘口とはいえ、香辛料の香りは容赦なく、大人も子供も関係なく、食欲を刺激させた。
更には、毒など入っていないことをアピールするように、十路たちもレトルトパックの白飯で、大鍋のカレーを食べて見せた。
こうなれば、怪しさ爆発の東洋人が作った料理であろうと、彼らに『食べない』という選択肢はなかった。
「ちなみに十路は、カレーはシャバシャバ派? ドロドロ派?」
「どっちかというとシャバシャバ派です。流し込めるので」
「味がポイントじゃないところが、らしいわね」
「あなたも早食・早風呂・早●が必須技術の同じ組織に所属してますからね?」
紛争で土地を離れたとなれば、満足な食事などできはしないが、ここに来て予想外の、普段とは比較にならない量であろう食事に、少し緊張がほぐれたといった風情だった。黍と混ぜて粗末な器から手づかみで食べる子供たちの顔に笑顔が浮かび、釣られて大人たちも、強張った顔をほぐしていた。
「十路。ここで子供たちの心をガッチリ掴む、言葉不要の小粋な一発芸よ」
だから羽須美が調子に乗り始めた。もちろん十路は乗りはしない。
「ないです」
「なんでもいいから。上官命令」
「それパワハラですよ」
言外に『なんで芸なんてやらなきゃならねーんだか』と断ったのだが、羽須美は耳を貸さずに意に介さなかった。
「よし。これでいくか」
投げ込んだばかりの、火のついた薪を三本拾い上げ、次々とお手玉し。
「どわっつ!?」
十路に放り投げてきた。炙られないために、慌てて立ち上がり、火が回っていない端を受け取ってお手玉し、芸を披露するしかない。ここで放り捨てて拒否したら、今度はなにが飛んでくるかわからない。
「ジャグリングだけは上達したわね」
「羽須美さんが巻き込むからですよ!」
羽須美が新たに火のついた薪を三本追加し、二人で投げ合う。それもただパスし合うだけでなく、羽須美が六本をジャグリングをしてから全てを渡してきたり、足の下から投げてきたりと、タイミングをずらす行為を行ってくる。しかも受け取りやすい位置や高さに投げてくれるわけではない。全く遠慮がないので、十路も必死にならざるをえない。
それがコミカルな動きに見えたのか、子供たちの間から笑い声が洩れた。
「Don't mimic me.(真似しちゃダメよー)」
「ちょ、マジヤバイですって!?」




