FF0_0200 在りし日Ⅲ ~南ヌビア共和国 首都ジューバー~
予想したことは数週間後、現実のものになった。アフリカ諸国の中で、最も若く、最も混乱した国の首都に、戦闘服を着た十路と羽須美の姿あった。戦闘服といっても正式な戦闘服でもない、タクティカルベストがなければ街中でも浮かない格好だ。
青いベレー帽を被って警護する兵士に軽く敬礼し、用事を終えた国連派遣団司令部を出て歩く。
「今回の『校外実習』、国連平和維持活動って聞いたはずですけど?」
「そんな堤くんに先生からの問題です。国連平和維持活動の任務について説明しなさい」
「監視活動と平和維持。日本の場合、軍隊を自称できない自衛隊の特殊な性質から、輸送や救援活動といった後方任務が取り沙汰されるものの、紛争の原因である両勢力を引き離し、調停のために諜報・対ゲリラ作戦・戦争犯罪者の逮捕や引渡しなども含まれる」
「よくできました。なら私たちの任務、わかるわよね?」
「国内世論と国際協力とを考えて編み出した、日本政府の妥協案という名の尻拭い。俺たちが後方支援じゃなくて戦闘要員に組み込まれてることに、エーカッコシーな思惑が明け透け」
「おおよそその通りだけどねー……国威発揚とかって飾りなさいよ」
「民間軍事会社コルウス・インターナショナルのミス・ジャクリーン・スズキ。身分詐称してて国威もなにもないと思います」
名目上、自衛隊は軍隊ではない。第二次世界大戦以降の脈々とした歴史により、口さがなく言えば戦争アレルギーとでも呼ぶものが日本にはある。
だからか国連平和維持活動をはじめとする、武力を伴う国際貢献については、日本の貢献度はかなり低く、先進国では最下位となる。
彼らが立つことになったその国は、内戦によって分離独立した。そのような建国経緯だからか、政情は非常に不安定で、国内も歴史も常に血と硝煙に塗れている。だから安全保障理事会により、人道危機に対し、平和維持活動が決定された。日本も外務省主導で一度は部隊を派遣したものの、政府瓦解による内戦再開、現地の治安情勢悪化などにより撤退することになった。そんな言葉は公的には使っていないが。
それが悪いか否かは、個人の判断に拠るだろう。自衛隊員の安全を優先した決断と取る者もいれば、だったら最初から派遣などするなという評価もあるに違いない。
この時まだ選挙権はなかった十路個人は、日本政府に悪感情を抱いた。PKO派遣部隊を撤退させつつも、代わりに秘密裏に《魔法使い》という最大限の戦力を派遣することで、国内にも国外にもいい顔しようとする欲深さが嫌でも見える。国家や政治や外交とはそんなものと思うが、当事者になればやはり文句を言いたくなる。
「俺たちは日本の機密扱いにならないんですかね?」
文句を言いたい理由の最たるものが、これだ。
十路たちは民間軍事会社社員として『正式に偽造』された身分が与えられ、正体を隠して入国した。しかし非公式な政府間交渉があったのだから、知っている人間は知っているし、そうでなくてもわかる人間にはわかる。
国家に管理される《魔法使い》は、重要機密のはずだ。だから運用するにしても、秘密裏に行動させる。少なくともそれまでの任務はそうだった。
だからこのような『表舞台』に叩き込むのは、普通ではない。一般市民まで知る無秩序ではないが、機密保持を放棄し、意図的に漏洩している。
「今更じゃない?」
ただ、羽須美は異なる。いつからか、どういう経緯か、こういった『表舞台』での仕事が多かった。
「いろんな意味で、俺は《女帝》とは違うんですけど」
「世界デビューだと思えば?」
「嫌ですよ……拒否っても無駄だとはわかってますけど、なるたけ身元隠しますからね」
実戦での有用性。本当に隠したい情報の隠れ蓑。羽須美が言っていた国威発揚。身分擬装による情報かく乱。
どれが本当の目的か。いや、どれもが目的か。日本政府の思惑としては、そんなところで羽須美を運用していたのではなかろうか。
単純に情報を隠せなくなった、というのも充分ありえる理由だが。世界各地の様々なシチュエーションで《魔法使い》を撃破していて、注目されていないほうがおかしい。
伊達に最強などと字されていない。
「無駄無駄。せめて十路も《騎士》って呼ばれるくらいにはなってもらわないと」
「御免蒙ります」
羽須美もかつてはそう呼ばれていたのだろうが、いつしかそれを超えた。一士官どころか、苛烈な女王と。
「十路は強くならなくちゃいけない。そこは否定しないでしょ?」
「まぁ……」
自業自得と理解しているが、十路を取り巻く環境は危険だ。任務をこなすだけでも当然。南十星のことがあるから、日本政府という傘の下からいつ放り出されてもおかしくはなく、寝首をかかれることもありえる。
だから今の状況を維持するだけでも、力は必要となる。
「力を持てば嫌でも有名になってしまうわ。それでなんやかんやに煩わされたくないなんて贅沢、諦めなさい」
羽須美が冷淡な忠告をした時、ちょうど物資集積所に辿り着いた。見張りの兵にも軽く敬礼し、司令部で受け取った手続き書類を渡す。
やがてひとつの貨物コンテナに案内された。中身は人員とは別ルートでこの地に入った、十路たちの装備だ。
「十路の銃、技術技官たちと相談して改造しといたわよ」
「あの……唐突にやられるの、一番困るんですけど」
貨物コンテナの中身は、大半が運搬用コンテナだった。壁際に積み上げられ、荷崩れしないようネットで固定されている。
まずはその中から、硬質ガンケースを引き出して開ける。
簡易的に分解された、十路の《魔法使いの杖》――《八九式自動小銃・特殊作戦要員型》が、緩衝材の中に行儀よくしていた。
「銃剣突撃で神風吹かせるから、銃身もっと長いほうがいいって言ってたじゃないのよー」
「そんなこと一言も言ってませんよ。羽須美さんと白兵戦の訓練するなら、必然的に長物になるとは言いましたけど。あと慣らしするより前に実戦で使わなきゃならないんですよ?」
弾倉以外を手早く組み立て確かめてみた。銃身延長のほか、重量増加を度外視して強化プラスティック製部品が金属に置き換えられ、全体的に頑丈になっていた。変態銃と呼ぶことになる魔改造はなされていないが、もはや本来の自衛隊制式装備89式5.56mm小銃の面影は残っているとは言いがたかった。
軽機関銃を持ち歩くことを思えば楽で、撃つのに問題はなさそうだったが、白兵戦に使うには注意が必要と判断してから、予備武装のHK45自動拳銃を準備した。
「で。これあげる」
「銃剣、ですか?」
「十路の場合、89式じゃ役不足になると思うわ。だから64式を改造したの」
羽須美から手渡された装備を、困惑して受け取った。十路がそれまで使っていた89式多目的銃剣と比べて、刃渡りが倍近くある。ナイフと称するより、ちょっとした剣と呼んだほうが正しい。
「ただの銃剣と思ったら困るわ。私が玉鋼から選び抜いて、振り下ろす鎚と一緒に魂を込めた、十路のためだけに作った至極の一振りよ」
「その方法でどうやって超硬合金を溶着するのか、見てみたいですね」
鞘から抜いて刃を確かめて、『ま、ありがたく使わせてもらいますけど』と装備する。異質な重さに少し困ったものの、腰の後ろに落ち着かせた。刀匠の真似事は冗談としても、羽須美が十路のために作った業物なのは間違いなかったので、素直に応じた。
手榴弾や予備弾倉といった消耗品を、タクティカルベストや装備ベルトのポーチに入れ、最低限の食料や水、生活物資を背嚢に入れると、十路本人の準備は完了した。
続いて、この頃はまだ傷がほとんどなかった、黒い追加収納ケースの電源を入れた。
「それにしても、大盤振る舞いですね? なんか今回の作戦で使いそうにない物までありますけど?」
「あー、その辺りの理由は、ひと仕事した後で説明するわ。もうここに戻ってこないから、全部十路の空間制御コンテナに詰め込んどいて」
「ロクでもない予感しかしないんですけど……」
ほとんどは食料や水、医薬品だが、煙草や酒といった嗜好品まであった。羽須美個人が消費する量ではない。
武装もまた多い。個人携行できるロケット砲や無反動砲といった対戦車兵器だけでなく、偵察用の小型無人航空機や対戦車地雷、少数ながら小型ミサイルまでもある。やはり十路たちだけで消費する量とは思えない。
貴金属や紙幣はないが、買収活動に使うのではなかろうかと予想してしまった。大国が武器を提供して内戦が泥沼化など珍しくもないので、現地武装勢力との協力に十路は忌避感がある。しかし上官がそう言う以上、任務に口を挟めないと、大人しく荷物をケースに入れたまま収納した。
個人で持ち運びできる大きさで、貨物コンテナに入る程度の量なら、空間を歪曲させて収納する空間制御コンテナに積み込んで運ぶことはできる。
しかし入らない装備があったため、荷物とは別に十路たちはこの地に足を踏み入れることになった。現地で空間制御コンテナに改めて収納しているのも、省エネしたからだ。
その装備にかけられたシートを羽須美が剥がすと、ラッシングベルトで固定された、オリーブドラブ色の大型オフロードバイクが姿を現した。
一一式特殊作戦用軽装輪装甲戦闘車両――通称《真神》。羽須美が主となる《使い魔》だった。
「ハロー、サージ。気分はどう?」
【――システムに異常ありません】
羽須美の手によりシステム電源が入れられると、チェックの間を挟んで、いかにも機械合成という男性の声で、対話型車両機能統括システム人工知能二型――個体識別呼称《軍曹》が返事した。
羽須美も荷物を詰め込んだ空間制御コンテナを、そのアタッチメントに載せて、そのボディをなでながら愚痴をこぼした。
「この子、もーちょっと愛想よくできないのかしらねー? そういうお固い事務的なのは人間相手で充分だから、『バッチグーです』とか『アゲアゲで行こう』とか、ヒネリ欲しいわ」
「今はふたりだけだから、こんな口利いてますけど、普通上官相手に軽口叩いたら、殴られますよ。だから《使い魔》だって事務的な受け答えになるでしょう」
「ひとりで任務してると、話し相手くらいほしくなるのよ、これが。サージみたいにいかにもロボットって感じだと、ちょっとねー? せめて愚痴ったり愚痴られたりできる程度にバージョンアップできないかしら?」
「サージくらいで充分です。《使い魔》知らない連中に、バイクと楽しく会話してるの見られたら、アブないヤツ扱いされますよ?」
この頃の十路は、悪態をつき人の性癖を歪ませたがり整備のたびにセクハラだと暴れる人間的な《使い魔》と頻繁にしゃべる未来など、想像すらしていなかった。当たり前だが。
「十路、固いよー? 固いのは臨戦態勢のムスコさんだけでいいよー? 避妊具ちゃんと持ってきてる?」
だからただ、卑猥なハンドサインを作る笑顔の羽須美に、白けた目を向けた。
「堤三曹? それともジェームズ・スズキくん? どちらにせよ手を出すつもりなら、処分される覚悟をしているのかね?」
『ブン殴って黙らせてぇ』と辟易したのを正確に読み取られたところで、準備は終わった。最後に普段使っている88式鉄帽ではなく、アメリカ陸軍正式採用の進化型戦闘ヘルメットをかぶっていて、思わずの声が出た。
「《杖》使わないんですか?」
羽須美が紐で背負っていたのは、特殊部隊がよく採用しているM4カービンだ。上部には照準器、銃身下部にはM203グレネードランチャー。やはり映画などでおなじみだろう、アクセサリーを装着していた。
ちなみに予備武装はSIG SAUER P320コンパクト。アメリカ陸軍で刷新されている次世代拳銃をホルスターに収めている。
偽造された身分はアメリカに本社を置く民間軍事会社のものなので、アメリカ型の装備で揃えられている。
「二人乗りに邪魔でしょ。道中なにかあれば、頼んだわよ」
理由を聞けば、納得できなくもない。
ならばもう、この場での用事はない。ヘルメットを被り、コンテナから引き出した《真神》に跨った羽須美の後ろに、十路は乗った。
「それじゃ、威力偵察しに行って、突撃破砕射撃して、消息不明になるわよ」
「おかしいこと言ってるって、ちゃんと自覚してますよね?」
こうして、羽須美との最後の任務が開始された。




