000_1130 魔犬、起動Ⅳ ~バイクショップ「EXCESS POWER KOYO」~
「堤さん!」
樹里に促されるまでもない。十路の脳裏にも、その情報が届いていた。
巨大な虫の群れが、隣の車輌にまで来ていた。走る列車の暴風の中、距離がある状態ならば、当たりはしない。しかしある程度近づいてから飛びかかられると、そうもいかない。
そして虫たちは、一斉に飛びかかる気配を見せていた。
「《バーゲスト》。機能接続可能か?」
電磁力学に傾向した樹里の《魔法》では、コンテナや台車に電流が流れると、爆弾が誤作動する危険性があった。
十路の装備では大量の虫を殲滅するには足りず、《魔法》や爆発物ならば一掃できてもやはり誤爆の可能性があった。
だからこの場面では、《使い魔》が持つ術式を使うのが最適だった。
しかし機械の魔犬は呼びかけに、素直には応じない。
【What's my name?(システム固有名称を登録してください)】
「は? お前、《バーゲスト》だろ――」
【What's? My name?(私の、名前は?)】
子供に話しかけるように区切り、人の手により作られた知性が、女性の声で催促してくる。《バーゲスト》はシステムが搭載されている機体の名前であり、『彼女』のものではないと訴えていた。どうやら先に要求を飲まなければ、次の段階には進まないらしかった。
樹里に視線を投げかけたが、首を振って命名権を拒否された。こんな事態に突然言われても、困って当然だろう。
思い出したのは、ヘリでの出来事。偶然にも機内に飛び込んだ銃弾一発に対して、勝手にロケット砲を全弾撃ち込んだ、過剰防衛。
この時はまだ『彼女』を垣間見たのは、あの場面しかなかった。『ポチとかタローでないだけマシだろ』と言わんばかりに、十路は安直さを叩きつけた。
「過激!」
【OK. My name is "Excess".(了解。システム固有名称登録『イクセス』)】
――All mechanism and all functions boot...Ready.(全機能起動準備完了)
ディスプレイが切り替わり、機能が十全であると伝えてきた。
「堤十路の――」
即座に彼は命令した。
「木次樹里の――」
同時に彼女も命令した。
顔を見合わせ、ふたりの口が止まった。どちらが機能を使うべきか、刹那だけ譲り合う形になった。
「「――権限において許可する! 《使い魔》《バーゲスト》の機能制限を解除せよ!!」」
しかし結局は声を重ねて、脳機能接続を行った。
△▼△▼△▼△▼
『……ねぇ? つばめ? 《バーゲスト》、私とリヒトくんが納車してから、なんか設定が変わってない? 樹里ちゃんの《使い魔》にするってことで、作ったはずなんだけど? なんで《騎士》くんまでダブルで主になってるの?』
「ちょっとシステムいじった。いやー、準備が終わったのが今朝、トージくんが神戸に来る三〇分前だったから、焦った焦った」
つばめが言うようなことは、本来あってはならない。常人は知らなくても無理ないが、悠亜に限らず《魔法》に携わる者ならば、同じように口を揃える。
《使い魔》のシステムは、使用者のデータを根幹に据えられて作られる。後付けできるものではない。
なのにつばめは、あっけらかんと、実行したと言った。
事実、助手席の中年男が持ち、後部座席の初老男も覗き込むタブレット端末には、その証明が映し出されていた。
「お見事……って言っていいかな? まぁ、まだ爆弾つきの列車が残ってるから、第二関門突破とは言えないけど」
つばめは悪魔の笑みで、十路の決断に賞賛を送った。
△▼△▼△▼△▼
『蟲毒』の業は、フェロモンを、延いては虫を操るもの。だから風の中ではどうしても制限がかかる。
バイオテクノロジーで巨大化された虫たちに融合している電子部品を操作し、フェロモンを巻いて行動を導いているが、本能が強いのか、すぐさま敵を襲わせることはできなかった。特殊な環境から放り出され、生きられないことがわかっているかのように、列車から落とされないよう、ジリジリとしか進まなかった。
幸いにも《魔法使い》ふたりは、消極的な行動しか行わなかったため、じれったいほどの時間をかけて、追い詰めることに成功した。
なぜ消極的なのかは、疑問の残るところだが。
「……ねぇ。ゲーリー。あいつらが言ってたこと、どう思う?」
「爆弾、カ?」
「あぁ……」
《魔法使い》の行動が消極的なのは、その暴発を警戒してのことなのか。なぜか最後尾車輌で盛大にバイクのエンジン音を響かせていたが、それはさておき、ようやく彼女も怪訝に思い始めた。
「……後で、調べる」
「ま、そうだね」
『ニンジャ』の言葉に、あの《魔法使い》たちをなんとかしてからでいいと、『蟲毒』も軽く頷いた。
ならば殺さないように加減をしなければならない。本能に忠実な虫に任せれば、見るも無残な死体にしてしまう。そもそも少女のほうは、依頼されて誘拐したのだ。こうなれば多少の怪我は致し方ないが、殺してしまっては意味がない。
一緒に列車に乗ったはずの、その依頼を発した当人の姿が見えないことも、怪訝に思ったが、それもひとまず置く。
『蟲毒』が腕に装着した電子機器に手を置き、離れた車輌の虫たちを見据え、フェロモン操作のタイミングを見計らう。大雑把な行動指示しかできないが、彼女はこの方法で裏社会を生きてきたのだから、間違うことはない。
異なる虫たちが示し合わせたように、バイクを挟んで立つふたりに、襲いかかる。バッタやノミでなければ跳躍力は持たないが、踏ん張りを弱め、列車移動の風圧を体に受けて、飛びかかった。強力な毒や酸を持つ虫たちだから、数秒待って分散フェロモンを噴霧して襲撃を止めさせれば、事は足りるはず。
【EC-program 《Molecular-dynamics Slat-armor》decompress.(術式《分子動力学格子装甲》実行)】
だが先じて、ひと際高いエンジン音と共に、襲いかかった虫たちは四散した。青白い光で構成された格子に囲まれた、赤黒の大型オートバイによって。
格子装甲とは、成形炸薬弾による対戦車攻撃を、装甲に直撃する前に格子に挟み込んで起爆を回避するため、戦闘車輌に増設する装甲のこと。
しかし《魔法》のそれは、鋼鉄の装甲で密閉された戦車と違い、むき出しで自動二輪車型《使い魔》に乗る《魔法使い》を守る意味は、ほとんどない。
だから武器として使う。仮想の格子を形成する《魔法回路》は、原子間結合開裂機能を発揮している。
すなわち、硬度など関係なく、触れるものを切り裂く仮想の刃を身にまとう。
そんな物騒極まりない状態で突進すれば、洒落にならない。速度と発生位置を調整してやれば、少々の距離ならトンネルを作りながら地面を進むことも可能なのだから。
虫の壁など、障害になるはずがない。接続を示す《魔法回路》を浮かべる片手でハンドルの一方を握り、片側のステップに体重を預け、身を低くして肩を寄せてオートバイに乗るふたりの《魔法使い》は突破した。
《魔法回路》を消滅させ、そのままオートバイは走る。車輌間の隙間は、AIがタイヤの空気圧をわずかに変えて、跳ねるだけでコンテナを飛び超える。ほとんど平地の走行と変わらない挙動で、わずかな時間で『ニンジャ』と『蟲毒』へと迫る。
しかし目前で急ブレーキ。その慣性で放り出されるように、ふたりは恐れることなく架線柱を超えて宙に飛び出した。
「《雷陣》実行!」
学生服姿の少女は、突き出した長杖に雷を宿らせ、『蟲毒』へと襲いかかる。
「ようやく終わりだ」
学生服姿の青年は、着剣した小銃を突き出し、『ニンジャ』へと襲いかかる。
「――ッ!?」
長杖頭のコネクタに軽く触れられただけで、一〇〇万ボルトが駆け抜けた。『蟲毒』の体は痙攣し、虫を操作するための電子機器がショートした。
「――っ!?」
常人ならばそんな速度で振るえないであろう、銃剣が銀閃を描いた。刃が分裂したような錯覚の後、『ニンジャ』の両肩、右手、両腿から血が噴出した。
ふたりの傍らをすり抜けて、ふたりは反転しながらコンテナに着地する。無人のオートバイは九〇度横になって滑りながら停車する。
立つこともままならないふたりは、その場で膝を折り、崩れ落ちた。




