055_0080 【短編】これが彼女の処世術Ⅸ リヒト・ゲイブルズ(会社役員/飲食店経営・二八歳)
面会室に入ると、透明アクリル板の仕切りの向こうに、赤いワンピースを着てネコミミ帽子を被る少女がいた。
なぜ彼女がここにいるのか。誰かしら面会相手が来ることは予想していたので、呼び出しそのものには疑問を抱かなかったが、想像していたのはアメリカの政府関係者だ。
日本の刑事ドラマに出てくる面会室のように、仕切りに通声孔は空いていない。テーブルを挟んだだけの特別面会室でもない。そして少女は既に通話用の受話器を耳につけている。
疑問は直接訊けばいいかと思い直し、リヒト・ゲイブルズも受話器を取り、ピアスが外された耳を当てて。
『ダディ~☆ 会いたかったぁ~~~~☆』
「キモッ!? 気色悪ッ!? サブイボ立ッた!?」
少女の普段を知る者ならば正気を疑う、甘ったるいアニメボイスでの日本語に怖気立った。
声では歓喜しながら顔は無表情という、器用な演技をした少女は、リヒトの反応にムッとしている。傍目にはやはり表情変化はないが、感情の動きがわかる程度の付き合いは、リヒトにはある。
消息は耳にしていたが、実際に顔を合わせるのは久しぶりだ。性格が真逆になった可能性も考えたが、そうではなさそうだとある意味安心し、リヒトは一瞬跳ね上がった心拍を鎮ませながら問う。
「で? なんでクソガキがこんな場所にいやがる? 神戸に住んでても、顔も見せなかったヤツと、なんでアメリカで顔を合わせてるンだ?」
『単に面会、とは考えないのでありますね』
「テメェがンなタマかよ」
『否定はしないでありますが、嫁の妹にはダダ甘な割に、実の娘には冷遇でありますね』
「血縁ねェし、親の義務やってた記憶もねェ。つか、ンなの期待してンのかァ?」
『否。聞いてみただけであります』
親子ではない。リヒトにとって少女は、創造物だ。そこは家族関係と明確に分別している。
しかし創造物への畏怖は持っていない。かといって、かつて同僚と呼ぶべき年嵩の、猛烈な敵意を向けていた主任研究員のように、完全な成果物として見ているわけでもない。
第三者が見ても、親子とは見ないだろう。
「大体、どォやッて面会にこぎつけた? テメェは一応、追われてる身だろォ?」
『まず大丈夫であります。明日になれば不明でありますが』
だが一応は身を案じている。正式な手順で面会しているなら、不審物を持ち込めるわけがない。いまの彼女は《魔法使いの杖》を装着していない。
正式なアメリカ軍兵士ではないため、脱走兵という呼び方は相応しくない。しかし少女が追われる身分なのは間違いない。アメリカ国内に不法入国して、一般市民の顔をして堂々と警察署内にいると、秘密裏に活動するセクターがいつ把握し、知ったらどんな顔で捕まえようと動くか。
『自分を心配してるのでありますか?』
「違ェ」
『まぁ、期待はしていないでありますがね』
二人はなんというか、微妙な年齢でおじさん呼ばわりを避ける伯父と、小生意気な年頃に成長してしまった姪のようだった。
ただの近所付き合いではない。会う頻度は盆正月程度のもの。それでもふとした時には気になってしまう、断ち切れない縁が結ばれている。
「急いでンだろォ? とッとと話しやがれ」
『まずはいくつか報告をしなければならないでありますが……《男爵》との戦闘後、留置所にブチ込まれたようでありますが、どこまで知ってるでありますか?』
「テメェらが勝って神戸が無事ッてトコまでだな。今日まで誰もここに来やがらねェし、事後処理は政府連中だけでなんとかなッてる、ッてェトコかァ?」
『おおよそはその理解で間違いないであります。まぁ、ひとつ加えると、《男爵》の追撃があったでありますが』
リヒトの目元が自然と険しくなる。元技術者の肩書きを裏切る、冷酷な兵士のような気配を発し、詳しい説明を求める。
『学院の裏山に、《男爵》の《魔法使いの杖》が設置されていたのであります』
仕切り越しでも気迫は届いているはず。というか、勾留されている今はアクセサリーと服の分マシになっているが、顔の一部にまで達しているトライバル刺青の厳つい男がガンつければ、並の子供は泣き出す。しかし少女は微風ほども感じていないように、態度を変えない。
『あらかじめ入力された《魔法》を遅延発動する、少し特殊なものでありました』
「時限爆弾かよ……防衛戦の時にバラまかれた不発弾じャねェな」
『是。敗北したとしても、自分たちが気を抜いたところで害しようとした、アイツらしい手口であります』
そこまで訊いて、リヒトは鼻から息を漏らしながら、力を抜く。
話を聞けばかなり危うい事態だった。下手をすれば神戸市北部がクレーターと化した。
だが、それを過去形で話せるということは。
「無事処理したッてェことだよな」
『是。ドクター・エイリングの遺産を手に入れることができたので、対処は簡単でありました』
「あのジジイの……? なんか残ってたか?」
『サーバーに残ってたデータでありますよ』
更に少女はわずかに口元を歪め、アメリカに来た最大の目的も教えた。
『《男爵》も結果が気になると思うでありましたから、作戦失敗を教えておいたであります』
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ADXフローレンス刑務所で、レンジ13に収容された最高レベルの囚人は、一日二三時間も独房で過ごす。更正プログラムなど適応されないため、わずかな運動とシャワーで外に出されるだけだ。しかもその際、手錠・拘束用チェーン・足枷をつけられ、顔を合わせるのは看守だけという徹底ぶりで。
その日、外出から戻ってきた少年の独房は、変化していた。
明らかに誰かが入っていた。
スプレーペンキで寒々しい壁の一面いっぱいに、大きくメッセージが残されていた。
――You Lose.(お前の負けであります)
どうやって侵入して、脱出したかはわからない。
だが誰が書いたかは、直感的にわかってしまった。
「……Ahhhhhhh!!」
悔しさから噴出した少年の絶叫が、小さな独房に響き渡った。
△▼△▼△▼△▼
『まぁ、《男爵》のことは、どうでもいいであります』
二〇〇〇キロ以上離れた場所で起きている、下手すれば憤死するんじゃないかという爆発は、早々に捨て置かれたが。時間がないのか、面倒だからかはさておいて。
少女は服のポケットから畳んだ書類のコピーを出して、広げて仕切りに押しつける。
『次。お前は自分の未成年後見人となったであります。厳密にはそのひとりでありますがね』
「…………ハ?」
リヒトの日本語能力は高いが、それでも日本人と同等ではない。だから『ミセイネンコーケンニン』という言葉が理解できなかった。
書類をよく読んで、ようやく理解した。
「……クソガキ。テメェは日本人になッたのか」
『是』
偽造戸籍ではなく、という意味は、当人たちにしか理解できないだろう。そもそも会話は係員に聞かれているのだが、日本語で会話しているので対応に泡くってた様子なので、理解できる人間が他にいないだろうが。
「で。オレがテメェの保護責任者だァ? なンも訊いてねェンだけどよ」
『超法規的措置であります。つまりどうしようと逃れることは不可能。それでも文句があるなら、こういう形にしたと予想する、理事長に言うであります』
「ツバメの仕業かヨ……」
常連客の童顔が、リヒトの脳裏に浮かぶ。
「娘にされてねェだけマシか……」
アレの仕業なら、もう文句言っても仕方ない。そんな達観と共に。
彼女が責任者をやっている部活動の部員たちと共通する想いを、彼も持っていた。
『そんなに自分の関係者になるのが嫌でありますか』
「それもあるけどョ」
『あるでありますか』
少女の無表情が、またムスッとした。
拗ねているとも取れる反応は、リヒトの知らないものだった。
表情が豊かになったとは、とても言えない。だが確かな変化が存在している。それはきっと喜ばしいもの。
(答え、でたかァ?)
リヒトの唇が苦笑で歪む。
かつて少女は問うてきた。
《魔法使い》は人間なのか。兵器なのか。
そして自身は人間になれるのか。兵器にしかなれないのか。
同じ《魔法使い》で、なのに人の手で作られていないリヒトには、明確な答えを返せるわけがない。
もとより他人が決めて良いことではない。彼女が自分で選ぶこと。
だから様々な選択肢を与えただけだ。兵器に自我を持たせて管理するのは危険であろうが、彼は放任していたとはいえ、少女を人間として扱っていた。
それが実を結び始めたのかもしれない。
『なに気色悪い顔を作ってるでありますか。それよりどういう意図で、自分が娘でないことに安堵してるか、答えるであります』
眠そうなのではなく、瞳を半眼にしている少女に、自覚があるかはわからないが。
「あのな? オレ一応、家族持ちだゼ? いきなり娘が出てきたらどォよ?」
『妻と義妹にも面識あるでありますし、特段なにか起こるとはないと思うでありますが?』
「前にユーアとは会ったんだよなァ? ジュリはオレとテメェの関係、教えてねェぞ」
『自分が話したでありますよ。姉の夫に娘がいる、などと明かしてどう反応するか不明だったため、避けようとしたでありますが、先の部活で説明せざるをえなかったのであります』
新たな顔が脳裏に浮かんだ。
まずは妻。笑顔で放たれる圧力に屈する場合が多い気がするが、愛すべき可愛らしい伴侶だ。アジア人の外見年齢はいまだに把握できないが、出会った頃からほとんど変化していない若々しさを保っているのはわかる。結婚前後には知人たちから散々ロリコン呼ばわりされたことも、今となってはいい思い出だ。店がそれなりに上手くいってるのは、彼女の客あしらいによるところが大半だ。料理の味に自信があっても、それだけで足を運ぶほど客は視界が狭くない。他のことにおいても、頼りになるパートナーだ。
続いて義妹。同じ市内とはいえ、離れて暮らすようになってから冷たくなったような気がするが、それでも愛すべき少女であることに変わりはない。彼女はリヒトにとって、心配の種だった。人とは違うものを特徴を持ち、だからこそ強くならねばならないため、妻にあらゆることを教えて鍛えられ、よく痛みや悔しさに泣いていた。肉体的にも精神的にも社会的にも、まだまだ半人前とはいえ、ひねくれもせず真っ直ぐに育った少女は、彼にとっていまだに守るべき対象だ。
最初の出会いは顔を見ただけで泣かれるという、最悪なものだった。しかしいつしか懐き、笑顔と共に駆け寄り、いつの間にかベッドに潜り込んできて、一緒に風呂に入り、共に遊び、笑顔と会話が絶えなかった。
妻と結婚する前から、家族だったのだ。
会いたい。彼女たちの顔を見たい。せめて声だけでも聞きたい。寂しさが募るので、勾留されてからできるだけ考えないようにしていたのだが、一度思い起こしてしまえばもう止まらない。
「オレが勾留されて、ジュリも心配してるだろォなァ……」
そんな経緯で口から飛び出た寂寥感とほのかな温もりは、少女が発する平坦な音波の鎌がバッサリ刈り取る。
『否。心配している様子、皆無だったであります』
「…………エ?」
『日本を出発する際、ミス・キスキにお前への伝言があるかと訊ねたでありますが、特にないという返事でありました』
「…………マジ?」
『是。マジであります』
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リヒト・ゲイブルズ二八歳、間接的に聞かされた愛する義妹からの思わぬ冷遇に、心の中で滂沱する。いやいつの間にか海外で勾留されているという意味不明な事態でも、義兄は戻ることを確信しているから心配していないとも言えるのだが。とりあえず世間のお父さん方が寂しい思いをする年頃の娘相手に、子供の頃と同じリアクションを求めるのは間違いだろう。実娘ではなく義妹だろうと。
『話はまだ終わっていないのであります』
多少マシになったとはいえ、相変わらずマイペースで他人の感情を考慮しない少女は、無情にもリヒトの正気復帰を求めるのだが。
『これがお前に会いに来た、最大の目的なのでありますが……『ヘミテオス』のことを、詳しく知りたいのでります』
「……ンだとォ?」
強制的に正気に戻らされる。その単語は看過できない。
先ほどとは比べ物にならない、もはや殺意と呼んでも構うまい気迫を、リヒトは浮かべた。