015_0010 【短編】ワンコのしつけ方(after)
翌朝。
「ふぁ……」
コゼットはマンションの扉をくぐり、初夏の朝の光を浴びて、小さくあくびを漏らした。
緊急時には問答無用で召集されるため、総合生活支援部の活動は基本的に年中無休だ。とはいえ土日休日の活動については不明確なことが多く、用事があれば部室に行かないこともままある。
そして部長であるコゼットは、休日の今日も学校に行くつもりで出てきた。ギャザースカートにTシャツを着て薄手のアウターを羽織るという、大学生ならば変哲ない服装で、しかし男ならばまず二度見してしまう容貌を作っていた。
「さて……」
歩き出す前に、コゼットはマンションを振り返る。
十路の部屋に寄ったのだが、呼び鈴になんの反応もなかった。樹里の部屋にも寄ったが、同居人であるつばめが寝ぼけ眼で出てきて、彼女は帰ってきてないことを伝えた。
――あー、まぁ、話は聞いてるよ。
――あの子も完全な子供じゃないんだし、トージくんが一緒ならいいんじゃない?
外泊は連絡していたらしいが、無責任そうなつばめの言葉を思い出し、コゼットはこめかみの辺りを指先でかく。
「……それどうなんですのよ?」
社会的には子供の範疇に入るとはいえ、高校生ともなれば半分は大人だ。他人の色恋沙汰に口を出す気はコゼットにはなく、部内恋愛を禁止する気もない。
しかし一応は責任者であるつばめがそんな態度であること、そして十路が言う『特訓』内容の推測には、首をひねらざるをえない。
ともかくオートバイで帰ってくるのだから、部室にいれば話を聞けるだろうと、スッキリしない気分でコゼットは足を動かそうとして。
「あれ? 部長さん?」
「ういっす、お姫様」
制服を着たナージャと和真の部外者コンビが、マンションの前を通りかかった。
「あら? お二人も休みなのに登校ですの?」
「剣道部の主将に電話で呼び出されたんすよ……サボってばっかだとヤバそうなんで、練習っすよ」
コゼットに聞かれ、面倒そうに和真はウルフヘアをかきあげる。
「わたしは特に用事ないですけど……昨日のことが気になって」
ナージャはそう言って、マンションを見上げる。
「やっぱり十路くんと木次さん……『昨日はお楽しみでしたか?』状態に?」
「マンションには帰ってないようですわ……」
「ご休憩ではなく、ご宿泊でしたか……」
「なのですかしら……」
やはり同じことを考えつつ、留学生二人は表現しづらい感情を浮かべた顔を見合わせていると、駆動音が近づいた。
そしてマンションの駐車場に、彼女たちが見慣れた赤と黒に塗られたオートバイが入ってきた。
【いつものメンバーがこんな場所でなにやってるんですか?】
停車し、排気音を消してオートバイが問う。しかしいつものメンバーの興味は当然、それに乗る二人に集中するので、結果質問は無視する。
「木次、大丈夫か?」
ヘルメットをはずす、カーゴパンツにライダースジャケットを着た十路と。
「…………」
返事をするのも億劫そうな、パーカーにジーンズというスタイルの樹里。
二人とも全身から疲労感を放ち、オートバイを降りる。樹里に至っては十路の手を借りてなんとか降り、そのまま地面にへたりこむ体たらくだった。
「相当激しかったみたいですわね……?」
「一晩中激しかったです……死ぬかと思いました……」
恐る恐るのコゼットの言葉に、土気色の顔で樹里が答える。
「やっぱりこう、十路くんはケダモノのように木次さんに襲いかかった……?」
「ケダモノというか……化け物だと思いました……」
恐る恐るのナージャの言葉に、うつろな目をして樹里が答える。
「化け物って……」
【トージ……やりすぎです】
「俺としては、十分加減したつもりだけどな……?」
【百戦錬磨のトージと違って、ジュリは初体験ですよ?】
不本意そうな十路と、たしなめるイクセスの会話に、留学生二人は『やっぱり……』と顔を見合わせた。
ついでに『十路が百戦錬磨?』と考える。いつも平坦でやる気なさげで若者らしさに乏しく、しかも『別に彼女は欲しくない』というようなことを言っていた彼が、実はその手のことに強いなど考えたこともなかった。
コゼットとナージャは脳内で様々な憶測と想像を乱れさせ、そして視線で『どうします?』『どうしますのよ? つか、いつものノリでツッコミなさいな』『いや無理ですよ! 部長さんがツッコんでくださいよ!』『押し付けんな!』などと会話する。
そんな妙な空気の中で和真は、十路と樹里の格好と、そもそものことに言及した。
「服が汚れてるけど、なにやって来たんだ?」
二人は土と泥まみれになっていた。とてもそういう特殊宿泊施設に泊まった格好には見えない。
「そりゃ山の中で一晩中やりあってたら、これくらい当然だろ?」
首筋をかきながらの十路の言葉に、留学生たちは『え!? ホテルどころか外で!?』などと妄想を発展させたが、それはさておき。
昨晩なにがあったのか、主に十路、時折樹里が口を挟んで説明された。
△▼△▼△▼△▼
それが彼女の初体験だった。
「はぁ……はぁ……ぁ……ん」
唇を半開きにし喘いで漏らす吐息、唾を飲み込む小さな声が、どこか艶かしい。
体がじっとりとした火照りと湿り気を帯び、鋭敏な嗅覚で自分の体臭が濃くなったのを自覚しつつ、常人ならばなにも見えないだろう黒闇を、汗に濡れて貼りつく前髪を触れながら樹里は見る。
彼女が凝視しているとは、彼は思いもしていないだろう。茂みの中から起立したたくましい存在は、動揺と決意を表すように軽く揺れていた。
痛い思いをするだろうと、十路は彼女に言っていた。しかしあどけなさを残す少女には酷な行為であっても、今できる中で一番得るものが多いだろうという説明に、彼女は不精不精ながらも承諾し、このような状況になっている。
初めてのことで勝手がよくわからず、しかも十路一人でも恐怖と緊張を覚えるのに、経験豊富な二〇人あまりの男たちも相手にしている状況なのだ。最初は紳士的だった彼らは、今や一様に樹里を屈服させようと襲いかかってきた。それを樹里は未熟な知識と経験を活用し、つたない技を駆使し、反対に男たちを撃退した。
しかし彼女は限界に近かった。体中が汚れ、華奢な肉体は悲鳴を上げて、精神的にも磨耗している。
だから一気に決めようと決意する。
樹里は小さく舌を出し、緊張で乾く唇を軽く湿らせて、『それ』の存在を確かめる。黒々とした固い感触は、今日彼女が初めて手にしたもの。ビクビクと脈打つような感覚も覚えるが、それは彼女の鼓動の早さが起こした錯覚だ。
彼女は左手を形状を確かめるように添えて、右手をそっと『それ』に指をかけて、まるで頬ずりするように顔に近づける。
「……っ」
そして決意するように息を止め、樹里が右手の指を動かす。
彼女が握る『それ』の銃口から、白い弾丸が発射された。
「がはぁっ!?」
茂み越しに立っていた迷彩服の男に、五、六発のBB弾が命中した。
樹里は突撃銃の電動トイガンを空に向け、反撃を警戒してすぐさま移動する。
「しっかりしろ軍曹! 傷は浅いぞ! 気をしっかり持て! 衛生兵!!」
「殺ったのが《治癒術士》だけどな……」
そんな修交館学院ミリタリー同好会会長の絶叫と、いつも通りの十路の平坦なぼやきが、樹里の耳にも届いた。
「予想はしてたけど、二〇人がかりでも木次は仕留められないか……」
「傭兵! ヤツは人間か!?」
「いろいろ人間離れしてるけど、一応は……というか俺、傭兵ポジション?」
「強すぎるだろ!?」
「これが《魔法使い》の実力ってことで……」
ミリタリー同好会は、総合生活支援部に依頼のメールを出していた。
『現代兵器の最たる例である銃と、オカルトの最たる例である魔法、どちらが強いか比べたい』と。いわば挑戦状だ。
十路にすれば次世代軍事力《魔法》が強いとわかっているし、『そんなことに《魔法》を使わせるな』と言いたくなる内容なので、一度は断りのメールを返信していたが、樹里の特訓のことで彼はこの依頼を思い出し、ある条件と引き換えに受諾した。
その条件とは、《魔法使い》対ミリタリー同好会という対戦――それも樹里一人で、十路は同好会陣営に移してだ。
同好会員たちも、女子高生を寄ってたかって嬲るような行為に難色を示していたのだが、いざ始まってみればとんでもない。彼女は一人、また一人と撃破していくのを同好会長は泡を食っていた。
樹里は異能を持っている。《魔法使いの杖》なしで《魔法》が使える。身体能力の補助や、生身で暗視能力を発揮するため、装備が初めて手にしたトイガンでも、ミリタリーマニアのなんちゃって兵士では太刀打ちできない。
残存兵力は残りひとりまで、彼女はチームを追い詰めた。
しかし残る傭兵は、正規軍一九人とは比較にならない。
正規軍以上の本物だ。
「やっぱり俺がやるしかないか……」
「……!」
斜面の上から届いた十路の言葉と共に、戦場の空気が一変したのを感じ、樹里は木の陰に滑り込むように身を隠した。
そして樹里は能力をフル解放し、《マナ》の情報伝達能力によるレーダーで周辺を確かめた。
上から人間が接近してくる。暗闇も足元の悪さも関係ないような速度だった。
彼女は迎撃体制を整え、トイガンを構えようとした瞬間、横から発砲された。
「どうして……!?」
人体の反応がない全く予想外の方向からの攻撃に、樹里は身を低くしつつ逃げるように移動する。ワイヤーを使って陽動したなど思いつく暇もない。
「!?」
すると彼女の足が木の間に渡されたワイヤーに引っかかり、手榴弾のつもりで仕掛けられたトラップが爆発した。板に挟まれたかんしゃく玉が破裂しただけだが、本物がこんな至近距離で破裂されたら体が半分吹き飛んでいる。
「木次! まだ続行だ!」
しかしそんな十路の声が上から降ってくる。
トイガンを使ったサバイバルゲームでは、基本的に命中は自己申告する。これを無視して続行するのは『ゾンビ』などと呼ばれる禁止行為であり、そして今の樹里の状況では戦死扱いされて当然だが、あえて十路は続行を指示した。彼女が《付与術士》と呼ばれる《魔法使い》であり、致命傷でも即座に治療可能なことを考慮したからだ。
指示を飲み込み、脳内レーダーで接近してくる人物を待ち構え、樹里は銃口を向けて木の陰から飛び出して。
「え!?」
樹里はまたも驚愕することになる。
レーダーの反応と視覚情報が一致せず、そこにいるべき十路の姿がない。しかも足音も先ほどまでは盛大に立っていたのに、急に消えてしまった。
わずか数ミリ秒の遅れで上だと察知した時には遅かった。高々と跳んだ十路が撃ってきた。
「きゃっ――!?」
木の幹を蹴って彼女の頭上を飛び越えながら、十路は片手撃ちで樹里の体を叩く。反動のないトイガンだからできる芸当だが、見通しと足場の悪い夜の森で、忍者のような移動をする彼の度胸は生半可ではない。
「本気出してみろ!」
更に十路は叫びながら、空中で腰に巻きつけていたものを放る。アケビの蔓の両端に石をつけたもの。ボーラという狩猟用の道具だ。
それはうなり声を上げて樹里に襲いかかり、彼女が持つトイガンと木の幹に巻きつき封じさせる。
「……っ!」
即座に樹里はそれを手放し、背負い紐を使って背負っていたアタッシュケースを下ろし、《魔法使いの杖》を取り出した。二メートルもある長杖は木が茂る森では邪魔になるので、トイガンを得物にしていたのだが、こうなったら使うしかない。
彼女が長杖を構えた時には、十路は木陰や地形を利用して姿を隠していた。
しかし樹里の脳内レーダーは、彼の反応を捉えている。そちらの方に慎重に足を進めると。
「ひゃん!?」
地雷の代わりだろう、石に挟まれていたかんしゃく玉が潰れて、また破裂音が響く。
また本物だったら致命傷を負った事態だが、十路はまだ続ける気らしい。その音を機に段差になった地面から飛び出して、樹里に襲いかかる。
「――《雷撃》っ!」
とっさに放った《魔法》の電撃が夜の森を突っ切るが、十路は段差の陰に隠していた物を突き出して突進する。それは折れて乾いた竹で作り、捨てられていたビニール袋で包んだ盾だった。ゴミで《魔法》を防御など、言葉だけ聞けば正気を疑う行為だが、実際には乾燥木材もポリエチレンも絶縁体だ。《雷撃》程度の電流ならば真正面から受け止めても効果を受けない。
「あぅ!?」
反撃を防がれあっけなく接近を許し、襟元を捕まれ足を払われ、樹里は投げ飛ばされた。叩きつけられたのは腐葉土が厚く積もった場所だったので、痛みなどない。
だから樹里は慌てて起き上がろうとしたが、その額にゴム製のナイフが突きつけられた。いくら致命傷すら即座に治療できる《付与術士》といえど、脳を破壊されれば不可能だ。ナイフで頭蓋骨を貫通できるか怪しいが、そもそも投げ飛ばして岩場に頭から落とされれば無事に済むはずないのだから、突きつけた行動は形式的なものだった。
「参りました……」
驚異的な動きをしても息ひとつ乱していない十路に、樹里は降参した。
そんな彼女に手を差し出して、起き上がらせながら彼は平坦に所感を述べる。
「目とセンサー能力に頼りすぎ。陽動でパニクるな。木次が冷静になれば、俺に勝ち目なんてないんだって理解しろ」
「無理ですよぉ……」
「俺の得意技は奇襲と闇討ちと罠にはめることだぞ? 真正面から衝突して、生身の人間が《魔法使い》に勝てるはずないだろ」
「や、先輩に勝てる気しないんですけど……」
暗視装置もなく闇を見通し、レーダー装置も持たず周囲の全てを感知し、常人以上の身体能力を発揮し、そして銃の引き金を引くより早く《魔法》という攻撃を行う、軍事史上最強の生体万能戦略兵器――《魔法使い》
しかし《魔法使い》といえど、身の回りの物を武器として心理の裏をかく、彼のトリッキーな戦術には勝てる気がしない。
樹里は小さく諦めのため息をつく。それに対して十路も小さく息をついて。
「ひゃっ!?」
樹里の頬を両手で挟んで、顔を近づけて覗き込んだ。
「ちょ、ちょ、ちょ――!?」
「…………」
いつもやる気なさそうな力ない瞳が、今はやや強い力を帯びて、精悍に思える視線を送っている。その距離ではお互いの吐息がかかり、少し動けば唇が簡単に触れてしまうために、樹里は慌てる。
しかし十路は動かない。その距離を保ち、彼女の瞳を覗き込んだまま。
十路がなにをするつもりか理解不能で、樹里の中で『まさか』という不安と混乱が膨れ上がっていく。夜の森の闇でわかりはしないとわかっていても、頬が熱を持って紅潮するのも自覚し、それに気づかれるのではないかという思いが更に発熱を加速させる。
「~~~~!」
そんな状況に耐えられなくなり、彼女は目をつむってしまう。自覚ないだろうが、傍から見るとそれは完全に『待ち』の体勢だった。
そうして早くなった鼓動が千回以上カウントしたような気がする後に。
「……はぁ」
気の抜けた声と共に、十路の気配が遠ざかる。
恐る恐る樹里がまぶたを開くと、彼はいつも通りの怠惰な風情で、困ったように首筋をかいていた。
「いま顔近づけたの、なんだったんですか……?」
「は? どうやったら木次に度胸つけられるか考えてただけだけど?」
「変な距離で考え込まないでくださいぃ!?」
感情のスイッチが入りかけた鼻声で樹里は非難するが、十路は聞き流し。
「度胸って結局、非常事態への慣れだからな……」
彼は首筋に手をやったまま、地面にブツブツと呟いて考えをまとめていた。
「ロープで足縛ってバイクで引きずる……? 拷問系は痛いだけで度胸と関係ないか……麻薬組織に単独潜入して潰すとか、バイオハザード起こしかけた薬剤耐性ウィルスの処分とか、都市部に落下する人工衛星の狙撃破壊とか、無茶な任務は相当スリルあったけど無理だし……できそうなのは毒蛇の入った容器に腕突っ込む、顔にサソリと毒クモ乗っけてチキンゲーム、ナイフ一本でサメか熊と戦う……日本じゃ無理か……あとは高いところから突き落とす、スタントマンばりに車ではねる、ナイフ投げの的にする、蜂の巣を落とす、目が覚めたら生き埋めになってる……」
「………………………………………………………………」
思いつきを並べているのではなく、十路の経験が列挙されてるようにしか取れない。ニュースで聞いたこともない事件も含んでいるので、樹里は冗談だと思いたい。しかし思えない。しかも今ここで口に出していることに、彼女は子犬のごとく怯えてガタガタと震える。
だから樹里は、空気を動かさないよう一八〇度回転し、音を立てないようそっと足を動かし逃走を図る。
しかしすぐさま小さな肩に手が置かれた。ポンと軽くただ置かれただけなのに、超重量の鎖と首輪の拘束力を彼女は感じた。
顔を引きつらせた樹里が振り返ると、笑顔があった。普段気の抜けた無表情ばかりの十路が、珍しく穏やかで優しげなイイ笑顔を作っていた。
今の樹里には、肉食獣の笑みにしか見えなかったが。
「大丈夫だ。優しくするから、俺に任せろ」
「いやああああぁぁぁぁッッ!!」
命の危機を感じるリードはされたくないと、樹里の悲鳴が六甲山中に響き渡った。
△▼△▼△▼△▼
「それから明け方までなにがあったか、お話しましょうか……?」
敗戦兵のように憔悴しきって三角座りする樹里に、部外者および部長は無言で首を振る。聞いたらドン引きする答えしか想像できないからだろう。
そんな彼女に、オートバイに体重を預けていた十路は口を開く。相変わらず空気を読まず、気遣いも感じられない調子だった。
「ま、それなりに度胸ついただろ?」
「先輩が本気だったら、百回くらい死んでますからね……」
「《治癒術士》が簡単に死ぬわけないだろ。せいぜい五回だ」
「充分すぎるくらい容赦ないです……」
素直で大人しい樹里にしては珍しく、恨みがましい目で十路を見上げ唇をとがらせる。
「足腰ガタガタです……休みだったからよかったようなもの……今日なにもできません……家の掃除したかったのに……買い物しなきゃ冷蔵庫カラッポなのに……ご飯作るのもひと苦労ですよ……」
子供のように拗ねていた。文句はずいぶんと所帯じみていたが。
「……俺にどういうリアクション求めてる?」
「まずは私を部屋まで運んでください……」
もっと大きな要求を言っていいはずだが、ずいぶんと可愛らしいワガママだった。
「了解」
十路は小さく笑い、座る樹里の膝の裏と背中に手を入れて横抱きにする――いわゆる『お姫様だっこ』で抱え上げる。
「ちょ!? 先輩!? なんでこの運び方!?」
「これが嫌なら肩に担ぐのと小脇に抱えるのと、どっちがいい?」
「そんな荷物みたいな運び方だけ!? というか肩貸してくれるだけでいいです!」
「肩貸すよりこっちの方が早い」
「ややややや! だったらせめておんぶとか――」
「で? 『まずは』ってことは、まだあるのか? 風呂に入れろとか勘弁な」
「そんなことされたら私の方が困りますよぉ!」
顔を赤くする樹里を軽々と抱えて、文句を聞き流す十路はマンションのエントランスへと消えていった。
それを見送る駐車場の三人と一台は、二人の姿が見えなくなると、誰とはなしに視線を合わせる。
「……ナージャ」
和真は隣に立つ人物に声をかける。どこか羨ましそうに。
「お姫様だっことか、させませんからね」
「まだなにも言ってないのに! 言いたかったのはそれだけど!」
「腕プルプルされたり落とされたら、さすがのわたしも立ち直れませんよ……」
女性共通であろう悩みを、身長もあり肉付きのいいナージャならば当然持っていた。女の夢とも言われるその抱き方は、同数程度に嫌がる女性もいることを男は忘れてはならない。そして実際やるにはコツがあるので、男性も幻滅される危険を覚悟して行わなければならない。
「結局、本当に特訓でしたのね……」
【なに想像してたんですか?】
イクセスの当然の疑問に、コゼットは目を泳がせ、気まずそうに金髪を一房指に巻く。
「……それは、その……夜の六甲山とか、準備とか……しかも激しかったとか訊いても否定されませんでしたし……」
挙動不審なコゼットに、イクセスはこれまでの会話内容を思い出し、そしてなにを勘違いしていたかを察して。
顔があればジト目を向けていそうな、感情豊かな合成音声を出した。
【エロ王女】
「うっさい黙れ!」
一言吐き捨ててコゼットは学校へと足を動かす。オートバイを置きに来るかもしれないが、今日の十路と樹里は部活を休むだろうと予想して。
そして彼女は歩きながら、総合生活支援部部長として思う。
(ひとまず様子見ですかしら……)
ワケあり《魔法使い》が集まる奇妙な部活動のまとめ役も、なかなか大変なのだ。
突っ込んだ話はできない。しかし問題が起こった時に対応しないとならない。しかし問題解決のヒントになる話は聞きづらい。しかし現実問題なんとかしないとならない。
だからコゼットは、木次樹里という少女を持て余している部分がある。
樹里は特殊すぎるのだ。
コゼットは彼女の秘密を知らない。しかしそれでも、樹里と、彼女の周辺はおかしいと感じている。
そもそも《魔法使い》は普通に生きられる存在ではない。しかし樹里はそんな世界とはかけ離れた、普通の女子高生としか思えない精神構造をしている。
他にも、コゼットだから理解できる根拠もある。
(木次さんの《魔法使いの杖》……あれはなんですのよ?)
樹里の装備は、《付与術士》であるコゼットが作ったものではない。図面データを渡されて、コゼットが責任者として管理しているだけだ。
そして今回、整備のために分解してみて彼女は驚いた。
(言ってみれば第二世代……? いえ、完全別コンセプトの未完成形ってことで、二・五世代って言った方が正確ですかしら?)
《塔》が現れたのが三〇年前。そして世界最初の《魔法使いの杖》が作られ、《魔法使い》と呼ばれる人々が世に出たのが一五年前。
当時の《魔法使いの杖》を第一世代とすると、現在コゼットが扱っているものはその発展形で、あえて呼ぶなら一・五世代型とでも位置づけるものだ。
しかし樹里の装備は異質なものだった。
《魔法使いの杖》の機能を根底から覆すほどの規模ではない。しかし専門家であるコゼットでも見たことがない、試作と思われる部品が使われて、携帯電話からスマートフォンに進化したような印象を彼女は覚えた。
そんな代物を作る人材が、樹里の周囲には存在するのだ。
(誰があんな《魔法使いの杖》を作りましたのよ……)
技術者としてのコゼットは、それを知りたい。
しかしワケあり《魔法使い》としての、総合生活支援部部長としては訊けない。
訊けば樹里の経歴にも、この部活動の暗黙の了解に触れる行為だからだ。
そして知ってしまえば、素直で純朴な後輩女子高生を見る目が、変わってしまう予感も覚える。
根拠のない女の勘が、そう訴える。
(でも、ま――)
だからコゼットは思う。
知る必要のない事実は、世界にはいくらでもある。
幻想と混同されがちな現実に生きる《魔法使い》は、そのことをよく知っている。
そして、いつも通り空気を読まず相手の心情を考えない十路に、騒ぎながらも抱えられていた樹里の姿を脳裏に浮かべる。
(木次さんのことは、堤さんに任せときゃよさそうですわね……)
今コゼットが思うのは。
『樹里の無差別破壊行為の尻拭いが減るように』という願いだった。




