055_0060 【短編】これが彼女の処世術Ⅶ 武井花子(会社経営・四二歳)
武井花子は不機嫌だった。
理由はまず、息子が通う学校に来なければならなかったこと。彼女は仕事を持っている。
社長業を投げ出し、母親として仕方なく、彼女にとって無為な時間を使うというのは、腹立たしいことであった。
そして当然、愛息子が被った被害だ。教室で裸で吊るされるなど、最初に聞いた時は耳を疑った。彼女自身でも覚えていないが、事実だと理解が浸透した途端、奇声を上げて錯乱するほど怒り狂ったらしい。
如何に鷹揚な親であっても、しかも子供同士の諍いとはいえ、ここまでの大事になれば声を上げて当然だろう。同じ被害に遭った子供の保護者たちも、学校に説明を求め、関係者たちによる説明会が行われることになった。
かろうじて陽が残っている時刻の会議室、保護者たちはいらつきながら、担任教師が居心地悪そうに待つ中、扉が開かれた。
「失礼します……」
申し訳なく思っているのか、レディーススーツの女性が大して大きくもない体を小さくして、まず入ってきた。
続くのは、エビ茶色のジャージを着て、ネコミミ帽子をかぶった小学生だった。なぜか手には機械を提げている。
花子は入室してきた人物に疑問を抱く。彼女だけでなく他の保護者たちも、怪訝さに表情を動かした。
年齢からしてもそうであるし、聞いていた赤い髪に日焼けしたような肌という特徴からして、少女が問題の子供であることは察することができる。持ち込んだプロジェクターをテキパキと準備している理由は理解できないが。
しかし先に入室してきた女性は、まだ学生と言われても納得してしまえる外見年齢であるため、親という認識に自信が持てない。
「野依崎雫の保護者で、長久手つばめと申します……この度はうちの子がご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした……」
少女がカーテンを閉め、スクリーンを用意し終わるのを待たず、席についた女性が頭を下げた。
当然批難が始まる。直接は関係ない苛立ちも手伝って、花子が率先して嫌味たらしく口火を切る。
「苗字が違うようですが、どういうことでしょう?」
「わけあって保護者となり、面倒を看ていますが、わたしとこの子は血の繋がった親子ではありませんから……」
「まぁ……」
本当の親子であろうとなかろうと、関係はない。ただ、ごく普通の家族関係とは異なる事情を取っ掛かりにしただけで、実の親子であったら別の話題を口にしただけ。
行いたいのは、子供への批難だけでなく、つばめと名乗る女性の否定だ。
「随分とお若いそうですけど、お仕事はなにをなさってるの?」
だが、早々にその質問に触れてしまった。
若さは年長者から見れば未熟と同義だ。ましてや母親という放棄できない立場で、子育てという一大事業を行っているというプライドもある。
実の母親でもない若造が、子供を育てようなど、考えが甘い。そんな言葉を吐いただろう。普通ならば。
常人の認識はその程度だ。チェーン展開しているファミレスやコンビニでなにか問題が起これば、出てくるのはせいぜいその店の店長までだ。
グループのトップなんて知りはしないし、出てくるはずがないと思っている。
肩書きを裏切るような若年の女性を、子供の入学式で一度遠目で見ただけでは、忘れていても不思議はない。
「この学校の最高責任者で……理事長をやっております」
だから、つばめの口から明かされた真実に、嫌な沈黙が室内に満ちた。
日本人は特に、悪い意味での権威主義が目立つ。社会的立場が上の者には、萎縮してしまう。文句をつけようとした相手は、自分たちが無関係ではいられない組織のトップでした。そんな事実を知って尚、文句を言える人物は、果たしてどれほどいるだろうか。
準備が終わって待機してる少女は、『あーあ、言ってしまったであります。言わなきゃ仕方ないでありますが』とでも言いたげな、なんとも表現しがたい表情になった。よほど付き合いが深くなければ、ただの無表情なので理解できないが。
「日下部先生! なんでそんな大事なことを前もって教えてくださらなかったんですか!?」
「はいっ!?」
そして保護者のひとりから、担任女性教師はとばっちりを受けた。他の保護者たちも、一斉に目を剥く。
しかし、逆にチャンスでもある。少なくとも花子はそう考えた。重大な責任問題が発生した時、組織の最高トップが吊るし上げをくらうなど、よくあることではないか。落ち着いて考えれば、ネチネチを鬱憤を晴らすのに最適な相手でもある。
叩きやすい杭を求めているだけだ。
「今日ここに集まったのは、自分がお前たちの息子を素っ裸にして吊るし上げた件について、でありましたよね?」
しかし出鼻をくじくように、少女が口を開く。お前呼ばわりという、せいぜい親か夫にしか呼ばれない、無礼極まりない言葉で。
目を剥く花子たちに構わず、少女はジャージの襟を引っ張り、首元からなにかを取り出す。
それをプロジェクターに接続されたパソコンに差し込む。変な位置から取り出したのは、USBメモリーだった。
そのデータを読み込んでいる間に、今度は理事長が席を立って照明を消すと、白いスクリーンに映像がハッキリと映し出された。
「なにが起こったか、自分の目で確かめるであります」
誰かの一人称視点で撮影された映像だった。昨今ではカメラの小型化で珍しくない映像だ。しかしポケットや眼鏡、肩にカメラ装着して撮影したのではなく、眼球で捉えて脳で認識した映像を外部デバイスに保存した、正真正銘の『一人称視点映像』だとは、花子も、他の保護者たちも、理解できなかっただろうが。
そもそも、どうでもいいことだろう。写っていたのは彼女たちの息子だったのだから、そちらに目を奪われた。
花子も。調度からして他には考えられない、授業参観の時に見たことがある教室で、だらしなく机に座った少年が、下卑た笑顔を浮かべていた。
我が子の、見たことのない顔だった。家では闊達としながらも行儀よい素直な息子が、大人顔負けの醜悪な笑みを作るなど、信じられなかった。
「合成……?」
現実であること拒み、咄嗟に思ったことが、花子の口から漏れ出た。
他の保護者は、なぜ、なにを見させられているのか、不審が残っているものの、映像に見入っている。普段見ることがない学校での我が子たちに、どういう感情を抱いたのか知れないが。
女性教師にしても同じだ。話は聞いて事態を知った気になっていたが、こんな直接的な証拠を見せられるとは、思っていなかっただろう。
『……返すであります』
彼女たちに構わず、映像は進む。一人称視点映像ではわかりにくかったが、視点の持ち主が机を探っている際、少女が被っている帽子が少年によって奪い取られた。聞こえてきたアルトボイスと、同じ帽子をいま被っていることから、ようやく映像の視点が少女のものだと遅れて理解できた者もいるだろう。
『また、お前の指示でありますか』
視点が動き、花子の愛息に焦点が合う。浮かべているのは、やはり彼女の知らない、下卑た期待が垣間見える笑みのままだ。
『もう一度だけ、警告するであります』
声と共にメキメキという、なにかを引き絞る音がする。それがなにかは理解できない。映像の少年たちも、疑問符を頭に浮かべている。
『帽子を、返せ』
続けてドゴンといった重い音と共に、画面が軽く揺れた。
少女は自覚して真横の壁を殴って穴を空けたのだから、そちらを見もしない。となると、映像でなにが起こったのか理解できない。少年たちが揃ってそちらを見て、驚愕に表情を固めたため、尋常ではないことが起こった推測までしかできない。
『……返却は、拒絶するでありますか』
ずっと見据えているのか、視点は動かない。再び少女が声を発すると、一斉に少年たちが振り向いた。
『化け物……!』
真っ先に動いたのは、花子の愛息だった。恐慌状態で脅威を排除しようとしたのか、焦点の合っていない強張った顔のまま、視点に飛びかかってきた。
しかし少女の腕だと思われる、輪郭があやふやな物体が動くと、その姿は視界から消えた。代わりに椅子と机をなぎ倒す音が届けられる。画面の少年たちは、その様に唖然とし、倒れた子供同じ向きで固定されている。
『……や、れっ……!』
痛みを堪えながらの声が切っ掛けとなり、残る少年たちも一斉に動く。
間接的に事態を見ているためか、花子には異様な光景に思える。
本当に怯えから恐慌に陥ったのなら、原因から遠ざかろうと逃げ出しそうな気がする。なのに少年たちは、視点の持ち主に襲いかかる。座っていた椅子を振り上げて、手にしていたリコーダーを振りかぶり。
家畜の暴走を思い起こす少年たちは、画面がひと揺れし、腕と思える残像が映るたびに、一人ひとり画面外に退場していく。
全員をいなすと、視点の持ち主が一八〇度振り返る。少年たちは机の列を盛大に乱れさせ、リノリウムの床で制服を汚している。
壁に穴を空けた程度では、非現実感のほうが強いかもしれない。だが多少なりとも痛みを伴った今度こそ、理解できないはずはない。実際腕力はそうであろうが、この年頃の男子ならば『男のほうが強い。女はただ生意気で口うるさい生き物』という認識が強いだろう。それが、小学生であることを考慮しても小柄な、同年代平均身長を下回る少女に吹き飛ばされたのだから。
《魔法使い》――理解のおよびのつかない能力を持つ、人間が敵うはずはない、既存の全てを上回る、史上最強の生体万能戦略兵器。
わずかとはいえ思い知った少年たちは、完全に怯えを浮かべている。
視点はそんな表情をひと通り見回して、彼らの前に落ちていた帽子に止める。
その視線をたどったのか、少女が拾い上げる前に、画面の中で息子が先に奪い取ってしまった。窮地を乗り切るために、人質ならぬ物質にしようとでも思ったのか。だがそれは悪手だと、過去の出来事ながら花子は制止したくなる。
『リオン・タケイ。それを離すであります』
少女の言葉を素直に受けはしない。愛息は憎々しげに顔をゆがめて、寝そべったままポケットを探る。
上体を起こしながら、帽子を持つ手でたたまれた刃を引き伸ばす。折りたたみナイフだった。
子供でも購入できる安物だ。だが我が子がそんなものを持って登校しているとは思っていなかった花子は、驚愕の出来事だ。
『お前……そんなに自分が嫌いでありますか?』
ここでナイフを取り出して、なにをしようとしているか、予想できなかったはずはない。しかし映像の動きは特段なく、スピーカーから聞こえてきたのは、呆れよりも哀れみの色を含んだアルトボイスだった。
そして花子の予想したとおり、敵わないまでも被害を与えてやろうと、手にした帽子に突きたてようとした。
しかし映像が一歩踏み込み、上履きを履いた足がその手を蹴り飛ばす。
そこで少女は映像を停止させた。続きはあるが、もう充分だろうと。
「こういう経緯で逮捕したであります。刃物を持っていた以上、武装を隠し持っていたことを考慮し、拘束したでありますが……それがやり過ぎだというのなら、謝罪するであります」
言葉に誠意は感じない。それは花子だけではなく、誰が聞いても同じだろう。もとより彼女の世話を焼く者がそういったから、形だけ謝罪の言葉を吐いただけで、彼女自身は悪いとは思っていない。
「ちなみに、自分がこういった行動に出たのは、『それ以前』があるからでありますよ」
説明しながら少女がパソコンのマウスを動かすと、映像からパワーポイント画像に切り替わる。
「一〇月一一日。午前一一時〇五分。四時間目の体育はドッジボールをプレイ。ただしこの時、監督教官の目を盗んで、武井百獣王は硬球を使うことを提案。上新庄正則・守口剛両名は、執拗に内野に立つ自分を攻撃。二一投中一七投が顔面を直撃するコースでありました。この時の平均時速は七二キロ」
次々と画像を切り替えられると、またも一人称視点の画像で、投球する二人の少年が投げた回数分表示される。合わせてその時の位置関係とボールの軌跡から推測できる、スポーツの枠を超えている我が子の行為の目にし、同じ苗字を持つ二人の保護者は唖然としている。
「一〇月一二日。午前八時ジャスト。登校した際、自分の机に甲虫の死骸が複数投入されていたのを発見。状況から見て自然によるものではないのは明白。また鞘翅には指紋が残留し、枚方智治のものと合致」
虫の証拠写真から画面が切り替わると、刑事ドラマで出てくる謎の鑑定ソフトのように、いつ採取されたか不明の指紋ふたつの特徴点が多数合致している。名前を呼ばれた少年の親が、肩を震わせる。
「一〇月一八日。やはり午前八時ジャスト。登校した際、マーカーで自分の机にラクガキがされていたのを発見。筆跡鑑定の結果、信太山蓮のものと推測」
ノートの文字、テストの文字、黒板の文字など、いつ撮影されたのわからない他の文章と、ラクガキとの類似点が示される。特に見覚えのある名前に、そう名づけた母親が、顔を引きつらせる。
「他にも色々とあるのでありますが、まだ見たいでありますか?」
一覧表示に切り替えられると、拡大表示されたのは全体の半分程度だったことが知れる。画像がまだまだ存在している。
会議室に沈黙が宿る。もういいだろうと判断したか、理事長が再び照明をつけると、保護者同士で色の悪くなった顔を見合わせる。
「……デタラメよ」
静寂を破ったのは、花子の苛立ちだった。彼女自身も口にしてから気づき、わずかに驚いたくらいの、心底から湧き出た感情だ。
「この映像、なんなの……? どうやって撮影したっていうのよ……? 指紋? 筆跡鑑定? どうやって調べたのよ?」
臨界点の突破を自覚してしまえば、言葉は止まらない。
実際、どうやって撮影され、どうやって検証されたものなのか、理解できない。フィクションのドラマが事実だとでも思う愚直さでもなければ、常人ならば疑わしく感じても不思議はない。
「自分は《魔法使い》であります。目で見たものをデータとして残すことも可能でありますし、環境も脳で『視れば』わかるであります」
しかし既存のスーパーコンピュータを上回る生体コンピュータと、《マナ》を通じてナノレベルの精密測定が行える《魔法使い》には、全て可能な現実だ。
一般人が考える『魔法使い』と、現実に生きる《魔法使い》との齟齬は、こんな些細なところから存在する。
「なので、これは全て事実であります。息子から都合のいい部分だけを聞いて、自分の行為に憤っているのかもしれないでありますが――」
「フォーちゃん」
抑揚のない、しかし実態としては容赦のない少女の指摘に、理事長の静かな声が割って入った。すると素直に口をつぐむ。『保護者』という立場について、短いながらも疑問視されていたが、少女を御していることに誰か気づいたか。
少女が彼女を最高責任者と呼ぶのは、一応なれど、ちゃんと理由があってのことなのだ。
「やり過ぎに関しては、この子の保護者として、謝罪するしかありません。しかし学院の責任者としては、この事態をそれで終わらせてはならないと感じています」
だから、先ほどの気弱そうな態度とは打って変わった理事長が、言葉を引き継ぐ。他の保護者もいるのに、花子だけに語りかけるように視線を合わせる。
「あれが、本当に起こった出来事だと……?」
それが挑戦だとでも受け取った花子は、憎々しげに返す。
いまはもう希望というより妄信と呼ぶべきであろうが、映像は事実ではなく、捏造だと信じたい。
成績は優秀、家でも素直な我が子が、あんな顔をしないと、誰かの口から言ってほしい。そして否定する意見に『ほらやっぱり違うのよ』と高らかに宣言したい。
彼女自身、半分以上、あの映像は事実だと認めてしまっているから。
「はい。彼女はいわゆる《魔法使い》です。ご存知だとは思いますが、この学校では《魔法使い》を少数受け入れて、社会実験を行っております。提出される報告を偽ることは、彼女たち自身の立場を危うくすることなので、ありえません」
「そんなもの、信用できるわけないでしょう……!」
「はい。だから放置できないのです。野依崎雫からはこうしてわかりやすい証拠を提出されました。日下部教諭からも、被害に遭った児童からの聞き取り調査結果を受け取っています。わたしが行うとどうしても彼女寄りになってしまいますから、第三者的に検証する必要がありますね」
「そんなの……そもそもその子、ウチの子を《魔法》で……!」
「あれは《魔法》を使っていませんよ。調べればすぐにわかることです」
「どうでもいいのよ! なんであんな化け物を――」
不意に花子の耳に届いた声が、激昂を途切れさせた。
「話をすげかえて、《魔法使い》不要論まで持ち出しますでありますか……」
少女は灰色の瞳に、呆れよりも強い哀れみを浮かべている。彼女の目で捉えたものなので、鏡でもない限り然映像に映るはずないが、息子へも向けていた目だと予想できた。
呆れはまだわかる。だが、なぜ哀れみを向けられなければならないのか。
「別に恩を売りたいわけではないでありますが……」
九月末、神戸市は《魔法使い》による無差別攻撃を受けた。復興もまだ完全には終わっていない。
その事態に人々を守ったのは、他ならぬ修交館学院所属の《魔法使い》たちであることは、世界の常識と言っていい。もちろん彼らの活動や存在には、賛否両論あるのだが。
「見事に予想どおりの反応でありますね」
「どうするの? このために同席することにしたんでしょ?」
少女は理事長と短い言葉を交わして、時計を見上げる。
「そろそろであります」
そして、地面が揺れた。