050_1200 必要は無知なる人々をも走らせるⅠ~女優魂~
伝えた決闘日時が覆されるようなことはなく、一夜が明けた。
だが今夜には、確実に事が起こる。
残された時間は少ないが、諸般の事情で総合生活支援部は、朝になってから本格的な準備に動いた。
「うぃーす。ここでーす」
ファミレスで朝食を摂っていた堤南十星は、首を巡らしながら入店した客に、手を振ってみせる。
気づき、近づいてきたのは、最低限の身だしなみを整えた体の、寝不足気味な女性だった。
「お疲れ?」
「協議会用の台本、手直ししてて、ほとんど寝てない……」
「あり? 演劇の大学協議会はもう終わってんじゃ?」
「高校の部よ……こっちは今からだし。初めての子が台本書いたけど、あのままじゃ使えないから……」
「あー、あの依頼、そういうことだったんだ」
欠伸をかみ殺す年上の女性に対し、南十星は大してかしこまった風もなく会話する。中学生と大学生、部活動も異なるので、親しいとまでは呼べないが、彼女たちは顔見知りだった。
「あたしたちが依頼断ったせいで、ぶちょーが大変なん?」
「というか支援部に依頼したの、わたし知らなかったし……書いた子ができるかどうか、勝手にメールしたみたい」
「あたしも台本読んだけど、どんな超人バトルする気だったのさ」
「だから今、全面的に直してる……高校生が演じるしかも一五分の劇に、映画顔負けのハデさ入れようとするな……」
「ぶちょーって、脚本家じゃないっしょ?」
「年季の分、少しは書けるわよ……」
修交館学院演劇部部長である彼女は、お冷を持ってきたウェイトレスにモーニングを注文して、テーブルに突っ伏して脱力した。
けれどもすぐに顔だけ上げて、顎を天板に乗せたまま南十星を見上げる。
「それで、なとせちゃんから呼び出しなんて、どうしたの? 転部考えてくれた?」
「演劇部に入る気ないんで、諦めてつかーさい」
「ハリウッド女優がもったいない……!」
「その呼び方、すげーゴカイ生むんだけど。役名ありセリフありなんて、一本しか出演てないってば」
「その一本が主役級じゃない……」
「そりゃグーゼン」
アイスココアをすすり、口の中を洗い流してから、南十星は本題を切り出した。
「んで、呼び出した用事なんだけどさ。いろいろジョーケンあるけど、前に出した依頼受けっからさ、演劇部に協力してほしいのさ」
「どうしたの? しかも条件ってなによ?」
「今日、支援部員で劇を演るんだけど、それ手伝って欲しいのさ。無事に終わったら一度だけ、あたしたちが《魔法》フル活用で協力するってのがコーカンジョーケン」
「……メチャクチャ言ってない?」
「いんや。メチャクチャ言うのは今から」
何気ない口調で語られる大きな話に、演劇部部長が身を起こし、真面目に聞く体勢を作った。
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「《男爵》対策の大筋は、晩飯時にも言ったとおり。陣地防衛で民間人を集めて守る」
夜半の部室で、堤十路は作戦を説明した。
「それだけだと意味ない消耗戦だけど、フォーがいるなら話が変わる。他にいい案あるなら聞くけど――」
そこで言葉を区切って、ソファや椅子に座る一同を見渡した。髪をなびかせ頭を振り、アメリカナイズに肩をすくめ、顔の前で手を振り、あとは無反応。誰もが対案なしという無言の回答に、十路は説明を続けた。
「まず問題なのは、民間人を集める方法だ。襲撃が始まる前に、できるだけ多くの人を一ヶ所に集めておきたいんだが……」
ここから先は十路自身も、あまり気乗りしない方法なので、思わず口ごもってしまった。
しかし言わなくてはならないから、コゼット・ドゥ=シャロンジェに確認を取った。
「部長。前に演劇部から送られてきた依頼メール、覚えてます?」
「あ゛ー。《魔法》で劇の特殊演出しろっつー、即行断ったアレ?」
「それです。時間もないから、迎撃準備に部外者の手も借りる必要あるでしょうし、その依頼を呑むのもひとつの手かと」
「一般人からすりゃ、やっぱ《魔法》って珍しいでしょうし、ウリにはなるでしょうけど……まだ弱いような気ぃしますわね」
十路もそこが気になった。
だから食事時、作戦を考えている時に、問うた。
――俺たちの知名度って、どれくらいあると思います?
――ハ? どういう意味ですのよ?
――いや、なんでもないです。後でまた持ち出すかもしれませんが、今は忘れてください。
そして、もう一度持ち出すことになった。
「じゃあ加えて、俺たちが出演するってなったら、どれだけ集客力あると思います?」
部員たちがキョトンとした。長久手つばめだけは予期していたとでも言うように、薄ら笑いを浮かべているのが、なんだか十路には気に入らなかったが。
「俺たちの個人情報、かなり出回ってますけど、公式な発表はしてません。だからこれを機会に世に出るってなったら、どうでしょう?」
一般人には珍しい《魔法》の披露。これまで公にしていない総合生活支援部所属《魔法使い》の公表。これを演劇という体にすれば。
「……話題にはなるでしょうけど、どの程度のものになるか、予想できねーですわ」
反対はせずとも慎重に、コゼットは拳を唇に当てる。
彼女だけでなく、ナージャ・クニッペルも、長い白金髪の尻尾を振り回して口を開く。
「必要性はわからないでもないですけど、公表して大丈夫ですか?」
支援部員たちは国家に管理されていない『ワケあり』《魔法使い》で、入部経緯はアンダーグラウンドな事情だ。ただでさえ命と身柄を狙われる立場にあるのに、公表すればプロアマ問わない情報合戦が激化し、暗躍もこれまで以上になるのは予想できた。
「俺・ナージャ・フォーの国家組織所属組は、前歴を突っ込まれるの確実だ。過去を暴かれたら、生活がヤバくなる」
十路は元陸上自衛隊特殊隊員として、国内外で表沙汰にできない任務を行った。国家に対する損害組織の殲滅も行ったので、情報がもれれば報復を考える輩はきっといる。
ナージャの入部経緯は脱走と変わらない。母国から命を狙われるのは変わらずとも、別の国から身柄や情報を狙われるようになるか。
野依崎雫はアメリカ軍と折り合いついているという話だが、貴重な人工《魔法使い》の成功例だ。その遺伝子を調べようと、誰が手出ししても不思議はない。
そもそも軍事組織や公的裏社会の人間など、日本国内で普通に生活している人々にとっては、異物だ。
「残りの軍事未経験組も、メリットなんてなにもない」
メディアに取り上げられて、チヤホヤされたいなどという願望は、支援部員たちは誰も持っていない。
明確なデメリットがあるのは、コゼットか。彼女は母国ではほとんど公表されていない姫で、平和な生活を求める騒動の末、先々には王族ではなくなる予定だ。その計画に支障を来たすかもしれない。
「でも、俺たち自身をエサにするのが、思いつく中では一番いい」
誘拐でもしない限り、顔と名の売れた有名人を引っ張ってくるなど、今日の明日では無理がある。人を集めるためのイベントを企画するにも、時間がなさ過ぎる。
ならば、この方法しかない。漏れ出た個人情報で変化しつつある普通の学生生活を、完全に自ら変えることになるが、受け入れるしかない。今を切り抜けなければ、先を考えることもできないのだから。
「広報活動はなんとか誤魔化してたけど、こうなりゃキミたちに、表立ってもらうしかないだろうね」
これまでは広報を一手に引き受け、責任者である長久手つばめも、異を唱えなかった。
「で。注目集められるならなんでもいいけど、演劇部から送られてきた台本を手直して使うのが、一番手っ取り早いと思うんだが。元俳優、どうだ?」
キャリアは薄いとはいえ、元アクション子役なのだから一番詳しいだろうと問うと、ソファの背もたれに体重を預け、南十星は後ろ頭に手を組む。
「あたし見てないんだけど、どんな話よ?」
「一言で済ますならファンタジー戦記?」
「ガクセーの、しかも舞台劇でやるこっちゃないと思うんだけさ。舞台せまかったり人数少ないとショボくなるっしょ」
「それは脚本書いたヤツに言ってくれ」
「んじゃ、その辺りの確認とコーショー、明日あたしがやるよ。演劇部のぶちょー、連絡先知ってっしさ」
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そして翌朝――つまり今。
「詳しいことは話せないけどさ、オーゴトになるの確実なんだよね。だから呑めなくても仕方ないし、そん時は台本だけ貸りて諦めるよ」
《男爵》については詳しくは伏せたが、それ以外の情報は開示した。話を聞き、危険に言葉を詰まらせる演劇部部長に、南十星は笑顔を向ける。
「だけどさ、歴史に残る劇になるのも確実だかんね? 舞台の大きさに関係なく、映画並みのスケールデカいことやるし。ニュースでも動画サイトでも、バンバン映像流れるよ」
幼いながらも凶暴な、子虎の挑戦的な笑みを。
「カオ売ってなんぼの女優なら、どうする?」