050_1120 炭火に語りてⅩⅠ~オオカミさんと人間になりたいピノッキオ~
「じゃ、それを踏まえて、これからの確認だ。今回の戦闘、フォーは参加する気なのか?」
パソコンデスクに移動して椅子に座る際に、野依崎はチラリと十路に横目を向けてくる。
「……その予定だったのではないでありますか?」
「作戦も立ててないのに、頭数に入れてない」
きっと他の部員たちは、フォーも参戦するものと考えている。だが十路は、彼女の態度に疑問があるため、そうは思っていない。
日中そうだった。七海子との交戦を避けようとしていた。その上で一般人を守ろうとした。
「お前は、戦いたくないんだな?」
スクリーンセイバーからの復帰を待つように、ややあっての返答はあったが、心情の直接回答は避けた。それが嘘は吐かないが秘密主義の、彼女のボーダーラインとでも言うように。
「……作戦参加を命令しないでありますか?」
「戦る気ないヤツを、無理矢理前線に出すなんて、危ないマネするか」
特殊な装備と戦術で訓練を積んだ野依崎は、生半可な《魔法使い》の追従を許さないだろう。しかし独特な上に、《魔法》で戦うのを今日初めて見て、連携できる前提で考えるのは危険がある。
「それに俺たちは学生。これは部活動。戦うのは義務ではないから、命令では動かない。俺たちが戦うのは、単なる損得勘定だ」
技術論だけでなく、精神論としても危険だ。
有事には超法規的準軍事組織として、警察・消防・自衛隊に協力する。それが支援部に求められる役割であり、外部からはそう認識されているが、当事者としては違う。
否応なく巻き込まれる厄介ごとに、抗っている。襲い来る外敵から、自分の居場所を守っている。ただそれだけのこと。だがそこには明確な意思がないとならない。
「理事長はどうでありますかね? それを許可するでありますか? 先ほどのミス・キスキの宇宙行きも、ほぼ命令であったと思いますが」
「理事長もあくまで『お願い』で言うぞ。かなり微妙なラインだけど」
そもそもつばめは、十路たちがどう動くかまで織り込んでいるから、依頼以上は言う必要もない。
「俺たちは戦いたくて戦ってるんじゃない。そうしなければ今の生活は守れないから、戦うしかないんだ。だから、やっぱりお前が神戸を離れるつもりなら、止めるつもりはない」
彼女が戦いたくない理由は、十路にはわからない。そして彼女はそれを話さない。
だから心中に踏み込まないとならない。
「そこら辺も、色々と突っ込んだこと、確かめなきゃならないんだが……」
どう訊いたものかと、十路が首筋に触れると、小石を踏むわずかな音が立った。
振り返ると、《バーゲスト》が無人のまま、そっと部室を出て行こうとしていた。野依崎がイクセスを『一人』とカウントしてるか不明だが、この場は二人きりで話をさせた方がいいと判断したか。
空気を読めるオートバイに、十路は軽く手を挙げて感謝を伝えてから、野依崎の背中に問う。
「フォーがアメリカ軍を脱走した本当の理由、なんだ?」
「言った通りでありますよ。勝負なんてアホくさかったのであります」
「それも本当だろうが、もっと別の理由があるだろ」
「…………」
思った通り、無言の肯定が返ってきた。ならばと十路は質問を変える。
「成果発表って形で決闘して、負けた方はどうなった?」
「あくまで訓練の一環でありますから、なにか変わるとは……」
今度の返答は口ごもり、曖昧としている。
競争とは違うのだから、単純な勝ち負けの問題ではない。
そもそも戦闘機と歩兵部隊、どちらが強いかなど無意味な議論に過ぎない。運用方法が異なり、まず直接相対することのない戦力だから、単純に優劣を競えるものでない。演習決闘の結果で扱いが変わったり、不要論などが出すなら、いい歳した大人がやることではない痛々しさが漂う。
とはいえ、当人にも周囲にも、心情的には変化があるだろう。たとえ一面だとしても、わかりやすい物差しで評価が下され、劣っていると証明されれば。
彼女も理解しているから、そんな語り口になるのだろう。
「どっちが勝つか、前評判は?」
「…………」
野依崎がまた返答を拒んだ。
彼女の方が優勢だったに違いない。今日の一戦だけでも判断できる。《ゴーレム》や《トントンマクート》を介さず、《男爵》当人で直接交戦すれば、きっと勝つのは野依崎だ。単純な優劣ではなく、相性の問題で。
(だから恨まれてるわけか……)
激しすぎる嫉妬か。舐められたと捉えたか。《男爵 》の行動原理は、その辺りだと見当つける。
そして野依崎が、まともに相手したくない気持ちもわかる。一方的な憎悪を押し付ける相手には、退くか徹底抗戦か。広い心を持てば分かり合えるなど、兵器同士では望めない。
戦いたくないならば、自分が退くしかない。
だがそれだけでは、彼女が施設から脱走した理由には弱い。演習での交戦を拒絶するか、手抜きする手段もあったはず。
「ピノキオ」
「は?」
またしても振り向かないまま、野依崎がポツリと単語だけを零した。突然の上に脈絡なく感じたため、十路は彼女の背中に間抜け面を晒した。
「ピノキオは、なぜ作られたのでありますか?」
よく知られているのは、家族のいない時計職人が、子供代わりを欲しがったから。
原作では、人形職人が金儲けを企んだから。
「ピノキオは、なぜ冒険することになったのでありますか?」
無知と思いつきで行動し、コオロギの忠告を聞かなかったから。
本能的な欲望を制御できない、子供という名の操り人形だったから。
「ピノキオは、なぜ人間になろうとしたでありますか?」
騙され、吊るされていたところを助けれてくれた、瑠璃色髪の少女との約束だったから。
整合性を求めてはならない、子供向け創作話のご都合主義だったから。
「そして自分は何者なのでありますか? なぜ作られ、どこへ向かい、なにになるのでありますか?」
兵器として作られ、国を守るため、《魔法使い》であり続ける。
きっと既に誰かが言ったであろう、そんな御為倒しを、彼女は望んでいない。だから自ら存在意義を手に入れるために、彼女は束縛を振り切り、『ワケあり』《魔法使い》となった。
同時に不健全な固定概念を持った。『人に近づいてはならない』と。『集団に属してはならない』と。
自分は違うモノだから。人ではないモノだからと。
だから彼女は、戦うことを好まない。
目的がわからぬまま我武者羅に動く、操り人形として振舞うことを良しとしない。糸を操るのが誰かであろうと、自分であろうと。
だから彼女は、人との交わりを拒む。
一生涯で一番長く深く付き合う、自分という者が理解できないのだから、他人のことなど構っていられない。他者への関心や関わりへの欲求も乏しく、腹を割って語れる相手も必要としない。
だから彼女は、嘘は吐かないが真実も話さない。
嘘を吐けば鼻が伸びるわけでもない。だが真実を語って信頼を得て、他人に頼るということを彼女は知らない。しないのではなく、知らない。
ようやく十路にも察することができ、思わず首筋に手をやる。
彼女は今、どのような表情でいるだろうか。いつもと同じく眠そうな無表情のままか。
それとももしかして、悔しさに歯噛みし、泣いているのだろうか。
それを直に確かめるほど、十路も無粋ではない。
「えらく哲学的な悩みだな」
「笑いごとではないのであります……」
「笑う気はない」
普通の人間でも悩むこと。過去を憂い、未来に不安し、現在を確固たるものとして思えない。それでも多くの者は、迷いながら生きている。
そして《魔法使い》ならば誰もがきっと悩む。人と変わらない身を持ちながら、常人の恐怖を誘う超常を操る能力を持つ故に、誰かの都合で道具として扱われる。そんな宿命を生まれながらに持つ新人類なのだから。
「だけど俺には、事の大きさが理解できない」
十路個人としても、やはり悩んだことがある。でももう割り切っている。同時に振り切ることができず、足掻き続けている。
軍事兵器としての道を歩んできた自分は、到底『人間』ではない。誰もが知ればそう言うだろうし、彼自身がそう思っている。
けれども『人』でありたいとも思う。だから今、普通の学生生活に固執する。
そして彼女には――兵器として作られた故に、孤独で、自己同一性欠如となる条件を持つ彼女にとっては。
ピノキオたちを丸呑みにし、腹で生き長らえさせられるほどの巨大魚。気づいてしまえば抜け出ることができない、思考の落とし穴。
「フォー。それを知ることは、お前にとっては、命を賭けるに値することなのか?」
「是……なのでありますでしょうね」
「お前の望みは、結局なんだ?」
「自分でも、よくは理解していないでありますが……」
野依崎はOAチェアにもたれる。オンボロな椅子でも彼女の体重では、わずかしか軋まない。
「……結局のところ、『人間』になりたいのかもしれないであります」
《魔法使い》などと呼ばれていても、その正体は、脳内に生体コンピュータを生まれながらに内蔵した、超最先端の科学技術を用いる特殊能力者でしかない。
その能力には限界があり、誰かの願いを何でも叶えてやれる、不思議な存在などではない。
「俺はおとぎ話の『魔法使い』じゃない。お前の望みを叶えてやることはできない」
「当然であります」
子供を模した操り人形を、人間にしてやることなどできはしない。
心理カウンセラーでもないから、悩みを一緒に考えてやることはできない。
彼女が自分を『人間』ではないと考えている限り。そして『人間』の定義など、十路には答えられない。
故に言う。否、言わずにはぐらかす。
「だから、お前が『魔法使い』になってくれ」
「ハ……?」
本人が変わる一歩を踏み出さない限り、彼女が自分を『人形』と思い続けている限り、他人にはどうしようもできない。
彼女は『人間』になる条件を満たしている。
「理事長から聞いた。ネット上に俺たちの個人情報が書き込まれたら、フォーが消してたんだってな」
「情報が流出したら、面倒でありますから」
「学校の警備もしてたんだってな」
「爆弾や毒ガスでも仕掛けられたら、面倒でありますから」
「なんで一月も留守にしてたのに、神戸に帰ってきたんだった?」
「面倒なことが起こりそうだから、用心のために、と言った気がするでありますが」
彼女の性格を考えれば、納得できなくはない回答だろう。
「急に話が変わったでありますが、それがどうかしたでありますか?」
「いや……ちょっと確かめたかっただけだ」
しかし濁しと共に、十路の口からため息が出る。
もう既に『人形』ではないことに気づけばいい。たったそれだけのことなのに。
(コイツ、嫌な部分は俺そっくりだな……)
なぜか和真やナージャから、雰囲気が似ていると言われた。樹里も共通点があると言っていた。昼間、後輩の月居明に兄妹扱いされた時は、不本意だと思った。
いわゆる同族嫌悪のようなもの。
煩わしさを避けるために、個人情報管理していたなら、彼女自身の分だけでよかったはず。
防御を固めたいなら、彼女が拠点にしている二号館だけでよかったはず。
それに、一月前ならその言い訳でも通用しても、長らく消息不明になった後に戻ってきて、それはない。
本当に面倒だったら、神戸に戻ってくる必要はどこにもない。
知らず知らずのうちに、部員たちはずっと野依崎に助けられている。もう彼女は、女神が『魔法』を使う条件と出した、『いい子』であって。
なのに彼女は、ぶっきらぼうで、理屈屋で、素直でなくて。
それに気づこうとしていない。
「ありがとうな」
落としたのを拾い上げて、ずっとポケットに入れたままだった、彼女に買い与えたネコミミ帽子。埃を払い、座る野依崎の背後から被せ、そのまま頭に手を乗せる。
「それと、お前一人に押し付けて、悪かったな」
「先ほどから意味不明であります……」
「わからないなら、それでいい」
生地越しに赤髪の柔らかさと体温を感じつつ、十路は手を動かす。それを嫌がらず、彼女は大人しく受け入れている。
「だけど頼む。『人間』になりたいなら、行くな。せめてあと一回だけでもいい]
今回の部活動、今この瞬間にも始まるかもしれない緊急事態は、彼が言った通りに詰んでいる。どうやっても勝ち目がない。
野依崎が戦いを拒むならば、仕方ない。強制する権利は十路にはない。勝ち目がないとわかっていて尚、戦いに挑むしかない。
でも、もしも。
彼女が意思を示してくれるならば――
「俺たちを、助けてくれ」
話は変わる。未来まで変えることができるかは不確定だが、少なくとも勝算は生まれる。
そして彼女は自分で意思を示さないとならない。『人間』になりたいならば、一歩を。
「……それを言うのは、きっと自分なのでありますでしょう」
いくらも時はかからなかった。十路が頭に乗せた手を離すと、彼女は目深に帽子を被りなおし、決意をしてくれた。
彼女もまた、一人で《男爵》と戦うことが、この事態を切り抜けることが、如何に困難か。部員を、神戸を見捨てず、自分のこととして考えてくれていた。
「自分はなにを行えばいいでありますか?」
「まず、《男爵》に連絡ができるか?」
「通信は期待できないでありますが、一方的に伝えるだけならば可能かと。なにを伝えればいいでありますか?」
「前にも言ったが、交戦する場所と時間の指定だ。まずそれができないと、俺たちに勝ち目はない」
「いつ、どこで?」
「決闘は明日。詳しい場所は追って連絡。相手の辛抱とこっちの都合を合わせて考えれば、夜の八時開始くらいが限界だろうな」
「《男爵》が話に乗るとは限らないでありますが、それでもいいのならば」
「それもあるが、問題は切り札だ。今すぐ使えるわけじゃないだろ?」
「単純計算で、到着はやはり夜八時くらいでありますね」
「じゃぁ、方法は変わらない。その時間で頼む」
野依崎はOAチェアから立ち上がり、部室の外へ歩み出る。
そして右手を夜天に突き出し、《魔法回路》を形成する。通信衛星と秘匿回線を利用した連絡だろうと、十路は当たりをつけて見守る。
すると幾ばくもなく、パソコンのディスプレイがメール着信を知らせた。
十路が操作すると、タイトルが英語で書かれたメールが、部のアドレスに届いている。
「Bring it on (かかってこい)――だとよ」
「…………」
《男爵》からしか考えられないメールを教えても、野依崎は黙って《魔法》による通信を続けている。
ついでに『切り札』にも通信しているのだろう。
「まーたなんかコソコソやってやがりますわね……」
振り返ると、席を外していたコゼットが、青い瞳を呆れで半眼にして歩み寄ってきていた。その後ろにはオートバイを押すナージャと南十星、つばめもいる。野依崎も通信を終えて、彼女たちに振り返って迎える。
「で? 作戦思いつきましたの?」
十路の脇をすり抜けて、ソファにトートバックを投げ出して、コゼットが問う。
「一応は。細かいことは今から話し合いしますけど、俺の独断で明日決行にしました。いつ襲撃があるか、ビクついて夜を明かすのもツラいですし、それ以上は《男爵》も待たないでしょうから」
「納得ですけど、相手が乗るかは別問題じゃねーです?」
「無視された時には、諦めるしかないですね。それ以前に例によって、ギャンブル要素と希望的観測満載の超危険な作戦ですけど……」
コゼットと顔を見合わせて、十路はため息をつく。
「いつものことじゃん」
「ですね。わたしが正式に部員になってからは初めてですけど、支援部はいつもそんな感じじゃ?」
朗らかな南十星とナージャの言葉どおり、いつものこと。支援部の戦いは、常に絶望的な状況を強いられる。
そんなやりとりを無視し、つばめが野依崎に語りかける。
この結論を予期していたとでも言うように、無邪気で邪悪な策略家の顔で。
「フォーちゃん、『ヘーゼルナッツ』を動かすんだね?」
「是」
△▼△▼△▼△▼
大阪に程近い、阪神高速道路上り線では。
「決行は明日……もう二四時間切ってるんだ」
風防に軽減された向かい風を受け、空間圧縮コンテナを抱えた樹里は、携帯電話に届いたつばめからのメールに、改めて訪れた緊張感に唇を噛む。
『それだけ宇宙にいなきゃいけない時間が短くなったから、よかったんじゃない?』
無線機を通じて、真横から話しかけられた。ハーレーダビッドソンFLSTFファットボーイのハンドルを握る姉――ゲイブルズ木次悠亜から。
樹里は運転免許を持っていないので、もっぱらリアシート専門のタンデムライダーだが、今夜は少し違う。長距離ということで、彼女はサイドカーに収まっていた。
ちなみに悠亜に連絡した際、電話に出なかったのは、これの取り付けで気づかなかったらしい。
「それにしても、お姉ちゃんまで愛知に一緒に行くなんて……」
『別件のついで、って言ったほうが正しいけどね』
「ついでって……」
『おおよそつばめから聞いてるわよ。私にも騒動に参戦しろって言う気でしょ? 住む場所メチャクチャにされるのも困るし、頼まれなくても戦うわよ』
悠亜がチラリと意味ある視線を向けてくる。
確かに樹里は頼もうとした。慌しく出発したため、車上で話す暇はなかったが、姉は事態を飲み込んでいた。
『だけど、街中で堂々と、《ペイルライダー》振り回すわけにもいかないし』
悠亜の装備は、巨大な対戦車ライフルだ。日本国内で人前に出せる代物ではない。
『《コシュ》だけってのも不安だし』
オーナーは悠亜だが、樹里も主役である《使い魔》《コシュタバワー》に乗れば、おおよそ《魔法使いの杖》を持たずとも問題ない事態だろう。しかし今回予想されるのが、破壊不可能な《ゴーレム》軍団との戦闘だ。自律させて別行動を行い、手数を多くさせる必要性はきっとある。
『別の装備が必要なのよね』
「だから義兄さんのところに?」
『そっちは期待できないわ。リヒトくん、樹里ちゃんを宇宙に送り込むので忙しいだろうし、私の装備まで手が回らないでしょ』
つばめによれば、そのために愛知にいるという話だ。
きっと妻の妹に対して過保護すぎる特殊シスコンは、樹里を宇宙に送り込むこと自体を渋った違いない。仕方ないと納得したら、できる限りのことをしようとしているはず。
樹里が頼んだ拡張装備だけでなく、まだなにか別の用意がある話だった。加えて《魔法使いの杖》を用意するとなると、初源の《付与術士》たる彼でも、無理があって当然だろう。
「じゃぁ、どうするの?」
『愛知で樹里ちゃん下ろしたら、静岡の富士駐屯地まで行ってくるわ』
「そこって……」
十路が修交館学院に転入するまでいた場所だと思い至る。彼が言う『前の学校』は、陸上自衛隊駐屯地内の育成校で、同じ場所で寮生活を行っていたはず。
そして《魔法使い》といえど、悠亜は自衛隊とは無関係だったはず。
「どうして自衛隊の駐屯地に?」
『私が使える装備が、今でも保管してあるって話だから、ちょっと拝借するわ。あ、つばめにそのこと、連絡しておいてくれない? でないと大事になっちゃうし』
「……?」
納得できないながらも、樹里は言われるままにメールを作成する。
つばめに連絡する意図は察することができる。超法規的準軍事組織など作る彼女のことだから、防衛省幹部と強いパイプを持っている。予想される緊急事態に、その筋から《魔法使いの杖》の持ち出し許可を出させる気なのだろう。
他は理解できない話だ。
《魔法使いの杖》は、使用者個人にカスタマイズされた専用品だ。六重の生体認証システムをクリアしないと、脳と機能接続して使うことはできない。同じDNAを持つ双子でも、指紋や掌紋は後天的に変化するため、使いまわしは不可能なはず。
『持ち主のいない《魔法使いの杖》なんて、他にないからね……』
しかし悠亜には、見込みがあってのことらしい。
ひとまずメールを作成しようと、樹里は携帯電話を操作し始めたが、その途中でまた着信を知らせる。今度は十路からのメールだった。
「……ふぇ?」
メール盗聴を警戒してか、内容が略されているため、肝心な内容は意味不明だったが。
『どうしたの?』
「や、その、よくわかんないけど……文章そのまま読むと、『欠席扱いで顔だけ出すか? やめとくか?』だって」
『なんの話?』
「明日の作戦に関係して、支援部全員でテレビに出るけど、私いないから……扱いどうするかって訊かれてる」
『……テレビ?』
△▼△▼△▼△▼
そして神戸の海沿い近くの路上では。
「……チッ。電話に出やがらねぇ」
舌打ちをして、青年はスマートフォンを、ライダースジャケットのポケットに収める。
『『コン』の野郎、どこにいるんだ?』
ヘルメットには、音声解析の難しいボイスチェンジャーが仕込まれている。染められて逆立つ髪を押さえてかぶると、苛立つ愚痴は全く違う男の声となる。
【彼の詳細なスケジュールは私も把握しておりませんが、アメリカを発った飛行機の中ではないかと思われます。主が電話をかけて繋がらないとなると、確定ではないでしょうか】
すると艶のないメタリックシルバーの大型オートバイが、若く慇懃な男声で応じた。
『最近は飛行機に乗っても、電子機器使えるんじゃなかったか?』
【一部の機体で無線LANシステムは使えるように緩和されましたので、メール連絡やネット接続は可能ですが、通話は不可能のままです。あと付け加えますと、車の運転を行うときは、律儀に電源を切る相手ですから、当分連絡できないかと】
『めんどくせぇ……なんのための直通電話だ』
【単に主との連絡専用に、携帯電話をお持ちになられてるだけですから】
オートバイ相手に飛行機の電波事情を知り、青年はヘルメットの顎ヒモを固定し、小さく息をつく。
【定期連絡の義務があるわけでもなく、主はなにを連絡なされようとしたのですか?】
込められた感情を察した末なのか、オートバイが感情の見えない声ででしゃばる。
『あのガキの件に決まってるだろ……アイツの子守なんて冗談じゃない。勝手にとんでもない騒動起こしやがって』
【先ほど修交館学院で、《魔法回路》の形成を確認しました。どうやら衛星通信で、どこかと連絡を行ったようですし、事態が動くということでしょう】
『支援部もガチでやりあうってことか……』
【主はどうされるおつもりですか? また支援部に協力するのですか? ちなみに防衛省からは、被害軽減の指令が出されております】
『《男爵》を殴ってでも止めなきゃならないんだろうが、簡単に手の届く状況じゃなくなったからな……』
【相手が海では、私では行える行為は限られています】
『支援部に協力したほうがいいだろうが、連中、俺の正体勘づいてるっぽいから、あんま近づきたくないんだがな……』