050_0130 野良猫、消えたⅣ~イノシシ狩猟の民族考古学~
すると、部室の外から声をかけられた。
「あーにきー!」
声は聞き慣れたものなので、相手は見ずともわかる。彼を兄貴と呼ぶ相手なので、畏まるような間柄でもない。友人と用事があるから遅れると連絡あったので、特に不審に思うこともない。
十路はペットボトルに直接口をつけたまま、部室の外へと振り返り。
「捕ったぜー!」
「ぶふっ!?」
咽せた。ちょっと鼻から麦茶が出た。
やって来たのは、説明が面倒なので妹で通しているが、義妹であり従妹であり学校と部活の後輩でもある、堤南十星だった。
噴いたのは、近づく姿が異様だったため。《魔法使いの杖》である一対のトンファーを腰に提げて、彼女が唯一使える超人化《魔法》――《躯砲》の発動を示す《魔法回路》で全身が覆われた状態だった。
それだけならまだいい。問題は、成獣のイノシシを肩に担いでいたから。どう考えても小学生と間違われる彼女より重いはずだが、《魔法》で無視していた。更にミニサイズのイノシシ二頭が、哀れな鳴き声を上げて、南十星の足元にまとわりついている。きっと担がれた親を心配する子供たちだろう。
「げほっ……! なんだそのイノシシは……!」
「そこで突進してきたから蹴り倒した!」
さしたる苦労も見せず、イノシシを部室前の広場に投げ出すと、彼女は《魔法》をキャンセルした。発光が止むと、ブラウスの首元をコードタイで飾り、深いスリットの入った改造ジャンパースカートを着た、女子中学生が出現する。
「そんなわけで兄貴! サバいて! 夏の定番・焼肉はもちろん、暑い中食べるボタン鍋もオツだぜぃ!」
「いや、あのな……」
まだ殺しておらず、《魔法》の電撃で麻痺させただけらしい。横面の毛皮が一部焦げて脱力したイノシシを、ピタピタ叩く南十星に、十路はツッコミどころの多さに困った。
山に隣接する神戸市は、よく街中にもイノシシが出現する。夜中にゴミをあさり、信号を遵守して横断歩道を渡り、阪急六甲駅付近で仕事帰りのサラリーマンを出迎える。怪我人が出ればともかく、川端で涼んでいる程度ならば、ニュースにならないほど頻繁に。修交館学院は山中にあるのだから、出現してもなんら不思議ない。
ただし神戸在住の女子中学生は、イノシシと遭遇すれば、刺激しないよう逃げる。返り討ちにして食べようとする野生児は、きっと一人を除いて存在しない。
「コイツらもウマそうじゃん? 丸焼きにちょーどよくね?」
「頼む……もう嘘でいいから女子中学生らしく、『美味そう』じゃなくて『可愛い』と言ってくれ……」
毛皮に模様が残る子イノシシを捕まえ、満面の笑みで突き出す南十星に、十路は頭痛を感じながら懇願した。
身内贔屓を除いても、南十星にはネコ科動物のような愛嬌があり、顔立ちも中々に愛らしい。そんな彼女が無邪気に動物を抱える図は絵になる。
だから余計に発想と発言が残念だった。思考回路が明後日に繋がるアホの子なのは諦めて、映画出演経験もある演技力に期待したい。
「捌けって……それ以前にだ」
前の学校――陸上自衛隊育成機関でのサバイバル訓練や、特殊隊員としての僻地任務では、十路も野生動物を狩って食べた。殺さなければ己が飢え死ぬのだから、命を殺めて糧とすることを忌避しない。
しかし今は、現代日本の政令指定都市で生活している。財布があれば食料調達できるのだから、わざわざ自分で狩って食べようと思わない。それでウリ坊に怯えた瞳で見られると、さすがに罪悪感が湧く。
「殺すのは法律上問題になりそうだから、放せ……」
加えて別問題の懸念から、十路は妹を止める。
野生動物は狩猟法で保護されている。農作物を荒らす害獣でも、個人で勝手に駆除すれば罰せられる。
「いやぁ? これ事故じゃ?」
けれども南十星は兄に反論する。
山道を車で走ると、野生動物と接触事故を起こすこともある。この場合、悪質でない限り法的罰則はない。
「事故じゃなくて捕獲だろ?」
そして今回の南十星の場合はというと、違法になると十路は判断した。イノシシのような大型動物だけではなく、小動物や鳥の卵・雛も狩猟法で保護され、銃や罠を使わずとも、素手での採取捕獲も許可が必要と定めている。
世間は広いもので、遭遇したイノシシを素手で倒した剛の者も存在する。その場合は正当防衛を主張できるだろうが、人間兵器《魔法使い》ではかなり怪しい。
「兄貴、でもさ? このまま逃がしたら、またガッコー降りてきて、誰かケガすっかもしれないじゃん?」
「ごもっともだけどなぁ……」
「だからきゃっち・あーんど・いーと!」
「夏場にこんな場所で解体したら、血の匂いで酷いことになるし、内臓がすぐに痛んで虫が寄ってくるから、俺はやらないぞ? どうしても食いたいなら――」
「冬場にまた来いなー」
叛意は早かった。自分で捌く気はないらしい。南十星はイノシシ親子をそのままにし、日陰に入ってくる。
部室前に放置されると、感電から立ち直って逆襲される危険があるのだが。その時は運んできた張本人に責任を取らせようと、十路は心に決めた。
「今日もフォーちん来てないん?」
背負っていたスクールバッグとアタッシェケースをソファに投げ出し、南十星は今更のようにガレージハウスを見渡す。
「あぁ。相変わらず消息不明」
「ふーん」
十路が持っていたペットボトルを奪い取り、間接キスを気にせず麦茶を一口飲んでから、南十星は再び口を開く。
「――まぁ、フォーちんなら、なんもなかった顔して、ひょっこり来そうな気ぃするけどさ」
十路と同じことを彼女も言う。義理とはいえ、やっぱり兄妹だった。
「そんで、ナージャ姉はスミっこでヒザ抱えてどしたん?」
「ハイテンション過ぎてウザいって文句言ったらヘコんだ」
「イっちーなんか静かじゃね?」
「嫌がるのも構わず整備したから、フテ腐れてる」
「ぶちょーは?」
「他人のレポート提出手伝う破目になって、来れないかもってメールが来た」
「じゅりちゃんは?」
「パンツ握り締めて走り去った」
「……イミわからんけど、触れない方がよさそうだね」
最後は理解不能でも、空気を読んで触れることなく、南十星は部屋の隅に近づいて。
「ナージャ姉~? なーに落ち込んでんのかなぁ~?」
「うひゃぁ!?」
背後から抱きついて、ナージャの女性らしく膨らんだ胸を鷲掴み、カーディガンの上から揉みしだく。男には真似できないというか真似したら犯罪になる、あと十路には理解のできない、女性同士の過剰なスキンシップを開始した。
約一月前、本気で殺し合ったとは思えない図だった。
「うりうり。ここがえんのんか?」
「や……! ひゃぁああっ……! や、ちょっ、そこ弱いのに……!」
ピンク色なやり取りに構わず、十路はスクリーンセイバーを起動していたパソコンを動かし、初等部に行くまで樹里がしていた依頼メールを処理していく。
国家に管理されていない《魔法使い》たちの学生生活は、騒がしくともひとまず平穏らしい。




