050_0120 野良猫、消えたⅢ~ぱんつはどこにあるのかな?~
「…………なぁ。木次」
眉尻を下げる樹里をどうしたものかと、横目で見ながら十路は少し考え、言葉を飾ることなく問うた。
「胸揉んでいいか?」
「いきなりなんですか!?」
本音で語るのは美徳かもしれない。しかし欲望丸出しの本音発言は、一般的にセクハラと呼ばれる。
推定というかほぼ確定バスト七九Cカップの胸を、鞄と追加収納ケースでガードしながら、彼女はすぐさま飛び退いた。
「やっぱりショック療法は、なにも言わずにやるべきか……でも反撃でビンタはまだしも、《魔法》で感電したくないしな……」
「なに考えたか知りませんけど気の遣い方が間違ってるのはわかります!?」
そんなズレた会話をしながら坂道を登ると、やがて見えてきた。
車庫として建てられたが倉庫として使われ、今は改造して居住性を導入したガレージハウスが、総合生活支援部の部室だった。
部活動は試験期間中、全面的に自粛を言い渡されていた上に、緊急性の高い依頼もなかったため、支援部も休業状態だった。しかし部室に集まって試験勉強していたために、来るのは久しぶりでもなんでもない。全開されているシャッターをくぐり、ガラクタ一歩手前の家具が置かれ、やたらと物が多い部室に入ると。
「やーやーやー、ご苦労様でーす」
白に近い金髪頭が動き、色素の薄い顔が振り返ったと同時。飴玉が口元に飛び込んできたので、横合いから掴み取る。
十路にとってはクラスメイトであり、一ヶ月ほど前に入部した新入部員の《魔法使い》であるナージャ・クニッペルは、紅茶を飲みながら漫画を読んで留守番していた。
「フォーさんの消息、なにかわかりました?」
ここ最近、毎日のように部室で交わされる質問は、指弾で渡された飴玉を口に放り込んでから十路は答える。
「野依崎の担任教師とは、俺たちがなにか知らないのかって話をしてきただけ。というかナージャこそ、なにか知らないのか? 前職絡みで調べてそうな気がするんだが」
「前にも言った気がしますけど、全然です。フォーさんは用心深くて、何者か突き止められませんでしたし」
漫画をテーブルに置いたロシア人が、アメリカナイズに手を広げて肩を竦めて見せる。
ナージャの正体は、スパイ活動として接近してきた、ロシア対外情報局の《魔法使い》非合法諜報員だ。紆余曲折と命の危機あって組織を離れ、彼女もワケあり《魔法使い》として支援部に入部することになった。
とはいえ料理研究部員として諜報活動していた時も、この部室に居座り、部活にも首を突っ込んでいた。正式な部員になっても、客観的にはあまり変化は見受けられないが。
「ところで十路くん、今更ですけど、テストどうでした?」
「まぁ、そこそこ? 赤点は回避できたと思う」
「木次さんは?」
「……っ」
不意に紫色の視線を向けられた樹里が、ビクリと体を震わせる。唐突さによる驚きではなく、怯えの反応だった。
それに対し、ナージャはわざとらしくおどけて注意する。
「ん~。いけませんね~。いけませんよ~? そーゆー反応されると、ちょーっと傷つくんですよねー」
「あぅ……ごめんなさい……」
十路が気にしている樹里の異能の件・その三がこれだった。
ナージャは元々ハイテンションな性格だが、樹里の秘密を知って以降、彼女に対してよりテンション高く接するようになった。
しかもナージャに限らず他の部員にも、程度の差はあれ、共通ある様子が見受けられる。秘密を知った直後は距離を隔てていたが、しばらくすれば以前以上に、彼女たちは樹里に話しかける。
一見良い方向性にも思えるが、悪い傾向だと十路は危惧する。
彼女たちは樹里の異能を受け入れたのではない。『気にしていない』とポーズを取り、なかったことにしている。秘密にしないとならない事柄とはいえ、知って以降、誰も話題にしないのがその証拠だ。
いまだ下火が燻っていて、なにかの拍子に再燃し、決定的な崩壊を起こすかもしれない。
とはいえ、不必要に樹里を恐れ、部内がギクシャクしているより遥かにいい。
更に現状以上の受け入れを望むのは無理がある。映画や小説で感動大作にできるほど、人外と人間の友情は、現実離れしたテーマなのだから。
結果、危惧しても対策はできず、放置するしかない。
「罰です。木次さん、ちょーっとジャンプしてみましょうか?」
「?」
立ち上がったナージャの奇妙な言葉に、樹里は疑問顔のまま応じる様子を見せた。
直後、スカートのポケットに手を突っ込んだナージャの全身が、白い《魔法回路》に覆われ、更にその上から黒い《魔法回路》が覆う。
彼女は世界でただ一人かもしれないほど特殊な《魔法》を使う。時空間制御――万物に影響を与える時間と空間を制御し、超音速行動や絶対防御など、無敵と呼んでも異論ない能力を発揮する。いくら《魔法使い》といえど、そんなことは不可能なはずなのに、彼女の脳内に圧縮されている術式と、ホルスターに収めた《魔法使いの杖》は、それを可能にしている。
樹里が軽く真上に跳んだ瞬間、ナージャは接近して一瞬で元の位置に戻った。物体が超高速移動すれば衝撃波で周囲が吹き飛ぶが、『時間の流れが違う空間を移動する』彼女の場合、ほんのわずか風がそよぐのみ。
着地した樹里の足音が、気持ち大きく響いた。
「……?」
なにが起こったか、彼女は理解していない。十路もなにが行われたのか、理解できなかった。
「はい、十路くん。プレゼントです」
だからナージャが手渡してきた物体を、広げて確かめ固まった。
それは魔法のアイテム。それは男のロマン。それを求めて暴走する夢追人もいる至宝。
滑らかな手触りが肌に優しい、何色にも染まる純白が目に眩しい、ワンポイントに刺繍の花があしらわれた、学生の身分では少々お高めと思われる一品だった。
ただし勘違いしてもらっては困るのだが、隠れているもの。隠そうとしているもの。それが見えるからこそ、男はロマンを感じるのだ。
パンツ単体であれば、基本ただの布でしかない。
「……ふぇ? え!? えぇぇぇぇっ!?」
ノーリアクションの十路の代わりに、樹里が悲鳴三段活用後、慌てて下半身を確かめる。スカートの上から前から横から後ろからパタパタ叩く。
そして十路の手中にあるパンツを見つめ、動きを止めた。更にアルコール式温度計のように首筋から赤くなり、瞳が潤み始める。
ジョークの効いた手品として、女性の下着を奪うネタがある。実際に着用しているものを脱がせるのではなく、そう見せかけるタネだが。
ナージャの場合は、本当に樹里から強奪したらしい。
「これを俺にどうしろと?」
大事なことなので繰り返す。隠れているもの。隠そうとしているもの。それが見えるからこそ、男はロマンを感じるのだ。
パンツ単体では、基本ただの布でしかない。
そこそこ可愛らしい正真正銘女子高生が、つい先ほどまで使っていた温もりが残るブツであれば、人に言えない別のロマンが付加されているかもしれない。しかし十路にそういう性癖はない。あっても使用していた当人の前で手渡されても困る。
迷惑だと顔をしかめる彼に、ナージャは満面の笑みとサムズアップを返した。
「被る! 嗅ぐ! 舐める! どれでもどうぞ!」
「だから俺を歪めて変態に仕立てるな」
男がガッツリ握るのはどうかと思うが、かと言って汚物のように指で摘むのもどうかと思う。十路はほどほどに持ち、今にも涙をこぼしそうな樹里の手を取り、パンツを握らせた。
「……うわああああぁぁぁぁん!」
すると堰を切ったように泣きながら、樹里は外に駆け出して。
「ぶへ!?」
地面の凹凸に躓き、乙女にあるまじき悲鳴と共にすっ転んだ。
隠す物体が手中にある状態だから、ミニスカートが浮き上がってなにか見えてしまったような気がしなくもない。いや走り去る即ち背をこちらに向けた状態で転倒即ち見えちゃってるよね。しかし『気のせいだ』と断言するのが、空気を読めるデキる男なのだろう。
「ノーパンでコケるなよ……見えたぞ」
しかし堤十路一八歳、空気読めずデキない男だった。再び走り去る樹里の姿は既に遠く、なにがどこまで鮮明に見えたか不明な言葉は届いていそうにないのが幸いか。
「うーん……相変わらず木次さん、例の件でわたしと距離作っちゃってますねー」
「セクハラと下ネタで切り崩そうとするな」
それがナージャなりの気遣いなのかもしれない。しかし誰も同意しない。つい先ほど自分もセクハラ未遂した事実は棚に上げ、十路は確認をする。
「《魔法》使ったら、レポート書かなきゃならんこと、忘れてないか?」
「あ」
やはり忘れていたらしい。《魔法》は武器としてだけでなく、道具としても扱える万能の力であるため、規制は緩いが使用に報告が必要なことを。
ナージャの前職ならば、ある程度は自由に使えたかもしれないが、やはり報告は出す必要があると思うが、その辺りはどうだったのか。
そして『パンツ盗るために《魔法》使いました』などと報告すれば、どう考えても色々と問題になる。そうなる前に部長が激怒する。
「それと、いい機会だから、ハッキリ言っておく」
「ほえ?」
言おうか言うまいかどうしようか、十路は迷っていた。いくら他人の心情に頓着しない彼でも、迷うくらいの神経を持っている。
だが、十路だけ我慢すればいい問題でもなさそうなので、あと結構イライラが募っていたので、単刀直入に苦言を呈した。
「最近のナージャ、かなりウザい」
入部以後のナージャは、以前にも増してテンションが高くなった。樹里に対してだけではなく、十路にも。
彼女が肉体的接触してくるのはいつものことだ。背中から抱きついて立派な胸部を押し付けたり、腕を組んでやっぱり立派な膨らみを当てるのもいつものことだ。それに十路に逆セクハラに動揺するようなウブさはない。迷惑ではあるが、これまで行われてきたスキンシップの延長を軽くいなしていた。
けれど最近は頻度が増えた。
更には昼食に、十路の弁当を作ってくるようになった。自分のものと同じ内容で。しかも教室では隣人の席を占領して一緒に広げる。
そして『同じ場所での生活』を強調するような話題を振る。同じマンションで寝起きしているとはいえ、当然部屋は違うのだが。
腹ではなく別の飢えを抱える野郎どもの目の前でやられては、ハイエナの群れに飛び込んだような場違い感を覚える。危機感ではない辺りに十路の異常性が表れているがそれはさておき、女子たちに『付き合いはじめた?』『同棲?』などとからかわれても、ナージャは否定せず笑顔ではぐらかすので、これまた居心地の悪さに拍車をかける。
クラスメイトの約一名が狂乱して弁当を奪おうとし、その都度ナージャが地獄突きで迎撃する事態が発生するが、これは今更なのでさておいて。
辟易して弁当だけ持って教室から出ようにも、ナージャも一緒について来ようとするので、余計にあらぬ話を立てられるのは想像できるため、逃げられない。
あまりにしつこいと、逆に十路の側から接近して、そんなことしてくる割にウブな彼女を慌てさせて迎撃しているのだが。
ナージャが嫌いなわけではない。料理できる。フレンドリー。本当に嫌なことには踏み込んでこない。あとついでに胸デカい。
そんな彼女がバニラの香りを漂わせて、惜しげなく肉感を伝えてくれば、普通の男なら鼻の下を伸ばすだろう。
しかし十路にすれば、恋愛感情を抱くには、違和感がある相手だった。少なくともなし崩しで許容するのは、違うと思ってしまう。
それに、クラスメイトたちは知るはずもない、真相を知っていることもある。
戦いを望まない彼女は、国家の管理を逃れ、平穏なれど苦難の道を歩み始めた経緯に、様々な思いがあって当然だろう。一時は死の恐怖に怯えた状況から開放されたのだから、十路も理解を示すことはできる。
でも、ウザいものはウザい。
「……はい。ごめんなさい。大人してます」
ナージャのテンションが急降下した。支援部員が落ち込む時の定位置、部室隅に潰したダンボールを敷いて、彼女は三角座りで背中を向ける。
あまりに普通ではない心理状況にあったため、躁鬱の気があるのかもしれない。それに彼女には暗所恐怖症があり、夜の街程度は大丈夫でも暗闇には近づけず、停電でも起きればパニックを起こす。
スクールカウンセラーへの相談も考えつつ、十路は共用冷蔵庫の扉を空けて、ペットボトルの麦茶をラッパ飲みする。




