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近ごろの魔法使い  作者: 風待月
 《魔法使い》の家族
201/640

045_0020 【短編】灯に暈ける祭の追懐・参 心明剣

 部活の連絡メールでは、まだ陽がある時間に現地集合となっていた。

 十路は夏季講座を全て受講してから備品に乗り、神戸新港突堤に設営されたイベント実行委員会の本部テントへと(おもむ)いた。

 他の部員はともかく、同じく夏季講座を受けていたナージャも別行動を取り、公共交通機関を利用していた。二人乗りすればいいだろうと思っていたが、誰も部員が来ていない駐車場で待ちぼうけを食らって、ようやくその理由に納得した。

 真っ直ぐ近づいてくるカラコロした足音に、オートバイに軽く体重を預けていた十路は振り返る。


「じゃーん! どうですか?」


 集合時間ギリギリにやって来たナージャが、満面の笑みでカラフルな牡丹(ぼたん)柄の袖を広げる。長い白金髪(プラチナブロンド)を編み込んで団子(シニヨン)にし、普段は見せない耳やうなじを見せて、(かんざし)でまとめている。


「歩きにく……」


 足を動かす度に(すそ)がめくれそうなコゼットの浴衣は、涼やかな知性が表現された水仙柄だった。いつもは無造作に背中に流しているウェービーロングの黄金髪(ゴールドブロンド)は、(ゆる)い三つ編みにして体の前面に流している。


「似合ってるぞ。だけど部活だから、五分前集合で頼むな」

「むぅ。つまんない反応ですね」

「堤さんの反応に、期待はしてませんでしたけどね……」


 普段と違う衣装に身を包んだ女性陣四人の姿にも、唇を尖らせるナージャにも、半眼を向けるコゼットにも、十路は全く顔色を動かさない。


「浴衣を着る時の決まりだそうですから、わたしたちノーパンなのに」

「ウソぶっこくな!? ちゃんとつけてますわよ!?」

「ほえ? いま話題の『貼るパンツ』は下着ですか?」

「あれが下着じゃねーならなんですのよ!?」

「どちらかというと絆創膏(ばんそうこう)のカテゴリー?」


 (かしま)しいというか女二人なので(いいあらそう)のはともかく、男の前で赤裸々(せきらら)に話すのはやめて欲しいと、呆れ顔で聞き流す。


「それにしても、初めて着ましたけど、浴衣って結構面倒ですねー」

「サラシ巻いて胸を潰して、腰にタオル巻いて寸胴にするなんて、普通の服とは真逆ですものね……」


 ここに来るまでに散々話していたのではないかと思えるが、ナージャとコゼットが自分の格好を確かめている。

 当然だが和服は、昔の日本人の体形に合わせて作られたものだ。

 ありていに言ってしまえば、胸があまり大きくなく、寸胴体形の方が似合う。

 だからグラマラスで体の起伏がハッキリした留学生二人の場合、和装には工夫が必要だったらしい。


「どーせ私は貧乳で寸胴で地味ですもん……」


 そして異なる補正が必要だったらしい樹里は、朝顔柄の浴衣の背中と、アレンジを加えてやはり朝顔風に結ばれた帯を向けて、頭に暗雲を乗せてヘコんでいた。

 実際に貧乳か寸胴かはさておいて、彼女の浴衣姿は似合っている。留学生二人が似合っていないわけではないが、華やかで周囲の目を集める存在感だ。彼女のように落ち着ついた存在感は出せない。なによりも、やはり日本人の目で見れば、日本の民族衣装は日本人が着るのが一番似合うと思ってしまう。

 しかし同様の格好をした者がそのうち大量に来る賑わいの中で、更には日頃から目立つ洋風美人二人と並び立てば、埋没してしまうのは致し方ない。

 樹里がコンプレックスを炸裂させたら、下手な(なぐさ)めなど聞く耳を持たないので、十路はひとまず気にかけながらも放置しておく。


「いっそのこと、じゅりちゃんにはミニ浴衣ってのも考えたけどなぁ……あれフーゾクっぽくてジャドー扱いされるから止めたけど、やっぱ攻めるべきだった?」

「なとせの仕事か? よく着付けなんてできたな?」


 聞こえてくる自分の仕事の寸評に、十路はそちらを見ないまま問う。

 ハーフという生まれも天真爛漫な印象も裏切り、意外と南十星は日本的な一面を持っているので、不思議ないと言えばない。だが普通に考えれば、帰国子女の中学生ができることではない。


「オビ違うけど、あたし寝る時は浴衣だし。それにオーストラリアに住んでた時、カンコンソーサイは着物着てたから、自分で着付けできるよ」

「変なこと言ってる自覚あるか?」

「いちおー理解してっけど事実だって。着物でパーティとか出るとウケいいし、話のネタに便利だし。ディスイズジャパニーズドレス、アイアムヒチゴサーンって」

「間違った日本文化を広めるな」


 やはり、なのか。だから、なのか。

 勉強はできないわけではない。機微にも(さと)い。曲がりなりにも超最先端科学技術の使い手《魔法使い(ソーサラー)》だ。

 だが、やっぱりアホの子だ。理解していたつもりだったが、改めて思う。

 十路は重いため息をついて、あえて一瞥(いちべつ)以上は見ずにいた人物に振り向く。


「あと、なとせ? 海外生活長くて、日本人としての感覚ズレてないか?」

「なして?」

「その格好」

「祭ったらコレっしょ?」


 南十星は両手を広げて袖を引っ張り、心底不思議そうに自分の格好を見下ろす。

 下半身はいつもの膝丈レギンス、靴は履かずに地下足袋(じかたび)。上半身はサラシを巻いて、背に『祭』の文字が染め抜かれた印半纏(はんてん)。ついでに後ろ腰には団扇も挿している。ねじり鉢巻はなく、代わりに後ろ頭に狐面を着けている。

 完全に神輿(みこし)を担ぐ地元小学生と化しているが、確かに祭といえばコレというスタイルだ。

 しかし違う。それは祭に参加する格好で、観客の格好ではない。しかも神輿(みこし)を担いで町内を練り歩く神社の神事は、既に日中に行われたはずだ。

 十路が疑問するより前に、着替えた時点でツッコミが行われたのか、他の部員たちはもう無視する構えのようだが。


「兄貴も浴衣に着替えない?」

「バイクだぞ。着られるわけないだろ」


 いつもの学生服の十路は、提案を突っぱねて周囲を見回す。

 コゼットはプリンセス・モードを発揮し、テント内で責任者らしき人物・警察関係者らしき人物と話をしていた。

 ナージャはヘコんだ樹里に話しかけている。(なぐさ)めて効果あるか(はなは)だ疑問だが、ひとまず彼女に任せておく。


「部長が許可したんだろうが……着替えのために現地集合にして、どういうつもりだ?」


 他に問う相手がいないため、南十星に問う。少し苦々しさを込めて。


「ふつーに客に混じって警戒すりゃいいんしょ? だから浴衣の方がツゴーいいかと思ったんだけど。てか、兄貴はいなかったから知らないだろーけど、りじちょーが言い出したことだけどさ」

「部活で動くには正直、問題あるんだが……」


 身軽な祭装束の南十星を除き、長い裾と下駄履きで、動きにくい足元だ。

 ただ《魔法》は基本、装備を持って考えれば使える。後衛担当のコゼットや、オールラウンダーの樹里は、少々動きが鈍くなったところで役割を果たせる上に、飛べる。

 問題なのはナージャだ。


「なとせ。足袋(たび)あるか? 靴下でもこの際いいけど」

「鼻緒ズレ対策でいちおー用意してる」

「部長と木次はどうするか当人に任せるけど、ナージャには履かせとけ」

「あたし的に浴衣・塗りゲタでタビはヤボだと思うんスよ」

「そこまで気にする現代日本人はいないだろ。それに今回、警察の手伝いだ。いざって時に動けないのは困る」

「おぅ。りょーかい」

「それと、その格好で《杖》持ったまま動く気か?」


 彼女たちは《魔法使いの杖(アビスツール)》を入れた空間制御コンテナ(アイテムボックス)を手にしている。和装にアタッシェケースやオートバイ用の追加収納(パニア)ケースは、違和感たっぷりだった。

 その上で身長を越えるガラクタのような長杖や、宗教的な儀礼杖、近未来的な印象のトンファーなどを持っていたら、違和感はそれどころではないだろう。

 ナージャだけは《魔法使いの杖(アビスツール)》が小型であるため、懐剣のように袋に入れて前帯に差しているので異なるが。


「目立って仕方ないと思うんだが……かと言って仕舞ったままだと、連絡に困らないか?」


 十路はよほどの事が無い限り、《魔法使いの杖(アビスツール)》を持たないので、無線機を別途使っている。《使い魔(ファミリア)》に乗っていれば、機体に組み込まれている無線機を使う。

 そして他の部員は即応部隊としての部活動時、《魔法使いの杖(アビスツール)》を装備しているのだから、そのついでで《魔法》の無線を繋ぎ、通信網を構築している。


「さすがにそこまで考えてなかった」

「まぁ、これは浴衣じゃなくても同じだし、携帯電話で連絡すればいいか……」


 リアルタイムで話せないのは不便だが、他に方法もない。それに今回の部活動に秘匿(ひとく)性は重大ではない。コゼットが責任者として本部詰めになるか、近くの担当を(になう)うだろうし、無線も《使い魔(ファミリア)》があれば聞くことができるのだから、中継はできる。


「あと、顔。俺たちも嬉しくない方面で有名になってるし、下手に写真取られて投稿されないためにも、できれば隠した方がいい」

「お面がそこらで売ってるから、各自の判断でいいかなーと。コーコーセー以上がお子様向けキャラ被るのツラいかもしれんけど」

「お前は自前でキツネ面用意してるし。しかもなんか民芸品っぽい上等そうなの」

「兄貴はメットだから、そんなの考えなくていいよね~」


 公私の区別はつけるが、せっかく着飾った女性に着替えを求めるほど、十路も野暮ではない。職務であれば許されないが、これは『部活動』だ。客にまぎれるという必要性を打ち出すこともできる。

 改善点と懸念に指示を出すと、十路は口を閉ざし、打ち合わせしているコゼットを待つ。

 その間、なんとなしに辺りを見やる。第二突堤に有料観覧席があるために人出はあるが、開始まではまだまだなので、対岸の埠頭まで様子が見える。

 屋台のうち、食べ物系の多くは既に営業している。醤油やソースが焦げる香ばしい匂い、生地の焼ける甘い香りが潮風に混じっている。

 まだ陽は高いのに、花火大会観賞の陣取り合戦は既に始まっている。レジャーシートを広げ、露天の商品を(さかな)に、缶ビールを傾けて談笑している一団もある。

 普段とは異なる、いかにも祭の前といった風景だ。実際のところは既に祭は始まっているのだが、やはりメインとなるのは暗くなってからの花火大会だろう。


「んしょっと」

「ヤメロ。倒れて下敷きになって、下手すりゃ部品が突き刺さるぞ」

「兄貴いるし、イっちーなら大丈夫っしょ」


 止めても南十星はリアシートをよじ登り、体重を預ける十路と並んでちょこなんと座る。

 サイドスタンドで駐車しているだけでは、オートバイは不安定だ。興味を持った子供が(またが)って転倒し、ケガをした事例は枚挙に(いとま)がない。

 しかし今回はオートバイ当人がなにも言わず、十路も体で支えているので、大丈夫だろうとそれ以上は言わない。


「ねぇ、兄貴。覚えてる?」

「いつのどの話をしてる」

「あたしが堤の家に住むようになって、二年目だったかな? 家族みんなでお祭に行ったことあるじゃん」

(はぐ)れたなとせが、ドブにはまって泣いてた時か」

「なしてそーゆー覚え方してるかな」

「これのことだろ?」

「それだけどさ」


 夏休み期間で、育成校の寮から帰省した時だった。

 親許から離れて生活していたその頃には、年齢に合ったレベルではあるが、十路は一人で身の周りのことは一応できていた。そのため仕事に忙しい両親は、家のことを任せ、夜遅くなることが多かった。

 しかしその日だけは珍しく、両親ともに早く帰宅し、近所の神社で行われていた祭に、浴衣に着替えて四人で赴いた。


「てかさ、兄貴がはぐれたのが最初っしょ?」

「いや……あれは確か、親父に『一人で行く』って言い残したはずぞ」

「そもそもなんで一人だけで行こうとしたん?」

「……俺がまだガキだったってだけだ」


 本来南十星は従妹(いとこ)であり、十路の実妹ではない。両親の死去で引き取られた、義理の妹だ。


「あの頃のなとせって、俺のこと嫌ってたろ?」

「嫌いってか、単純に怖かった。いつも家にいないし、チョーキキューカで帰ってくりゃ、ムスーっとした顔でいるんだし」

「お前もあの頃は小動物チックな性格だったしな」

「ぶっちゃけさぁ、兄貴もあの頃、あたし嫌ってたっしょ?」


 幼い頃の南十星を思い出せば、今のような天真爛漫さではなく、いつも物陰から恐々と覗いている姿が浮かぶ。

 無理もない。少女が両親と死別し、親戚とはいえ大して交流のなかった他所の家庭で暮らすことになったのだから。しかも寮生活で普段は家にいない、義兄(あに)という名の他人に話しかけるなど、できはしないだろう。

 そして幼い十路にすれば、南十星は突然家庭に入り込んできた異物だった。


「嫌ってたというか……なとせに嫉妬してたんだと思う」

「へ? 兄貴があたしに?」

「いま思えばだけどな? だって俺もお前も《魔法使い》なのに、生活環境が全然違っただろ」

「まぁねぇ……兄貴は育成校に入ってたのに、あたしはフツーに家から地元の学校通ってたし」

「子供レベルとはいえ寮生活で軍事訓練受けさせられてた、まだ親離れしてないガキからすれば、不公平に思ってたんだろうな」


 子供なりに彼女の境遇は理解していたので、不満の()け口としていじめるような真似はしなかったが、構うことなく実家での時間を過ごしていた。


「あの時は、やっぱりそれが表面化したんだろうな」


 一年以上も一緒に生活していれば、幼い南十星も両親には心を開いていた。

 しかし十路に対しては相変わらずだった。


「神社に行く道中で、なにかの拍子に、親父とお袋がなとせを挟んで手を繋いでたんだ」

「宇宙人捕獲スタイルですな」

「それ見て、ショック受けた」

「なして?」


 まだ田畑が残っていた夜道を歩く、子供を挟んで手を繋ぐ父親と母親の、いかにも仲のよさそうな家族の図。


「だってさ、『イモウト』なんてエタイの知れないモノと、三人で『家族』やってるんだぞ?」


 それを挟んでいるのは、実子(じぶん)ではなく、義子(いもうと)で。


「だから三人で手繋いでるの見て『あ、俺いらないだ』って思って、一緒にいたくなかったんだ」

「ショードーのままに駆け出すんじゃなくて、ちゃんと『一人で行く』って言い残す辺りが兄貴だよね」

「育成校だと、小学生でも報告(ホウ)連絡(レン)相談(ソウ)が叩き込まれるからな」

「合流地点と時間も指定しておけばカンペキだった」

「まぁ、さすがにそこまでは無理だったが」


 中途半端に田舎な地域の祭であったため、人出はそこそこあった。

 神社までの道すがらに並んだ屋台と、楽しげに売り物と金を交換する客たち。

 学校が異なるために見覚えはない、同世代くらいの友人だろう子供たち。

 そして、やはり家族連れ。

 発電機の唸り。白熱灯の明かり。焼き物の匂い。昼の熱さをまだ含んだ楽しげな空気。

 幼い十路は半ば無意識に、それらを避けるように、人目のない暗い方向へ足を進めた。


「だからあの後、おとーさんもおかーさんも、兄貴のこと必死で探し回ったんだよ?」

「そしてお前もはぐれたわけか」

「そんではぐれた者同士で合流したのさ」

「なんでドブに? あそこ迷って落ちる場所じゃなかったと思うんだが?」

「けっつまずいて落ちて、ちっとばかし流されたのさ」

「流されたって……実は結構ヤバかったんだな?」

「いや、水は大したことなかったけど、あたしじゃ上がれなくてさ」


 畑の(うね)を歩いていたら、前方から声が聞こえた。なにかと思って近づくと、子供のふくらはぎほどの水に浸かったまま、ずぶ濡れで泣いていた南十星がいた。

 実際にはドブではなく田畑の脇を流れる用水路で、常に緩やかな水が流れており臭くなかった。しかし深さ一メートルほどのU字コンクリブロックを敷き詰めたもので、引っ掛かりもなかったため、子供が落ちると上がるのに難儀するものだった。


「そーだそーだ……あの時のなとせ、重かったな……」

「あたしが重かったんじゃなくて、兄貴もショーガクセーだったからっしょ」


 さすがに見捨てることなどできなかった。

 上から引き上げようにも、手が滑って上手くいかない。仕方なく十路も用水路に降りて、濡れながら南十星を持ち上げた。


「とりあえず場所移動しようと思っても、お前動こうとしないし……腕引っ張って行こうとしたら、余計に泣くし暴れるし」

「兄貴に付いてったら、なにかされるって思った」

「そこまで怖がってたのか……俺、泣き止ませようと色々した気がするんだがな」

「屋台でさくら棒買ってきたね」


 さくら棒とは、静岡近隣ではメジャーな、ピンク色の麩菓子(ふがし)のことだ。他県民が考える麩菓子は黒か茶色であるため、名前を出しても『なにそれ?』になる。


「すんげーブッキラボーに突き出してくるしさぁ。またその顔がこえーのなんの」

「昔から無愛想で悪かったな……」

「んであたしの口に無理矢理押し込もうとするし。あんなん一人で食べられるわけないじゃん」


 さくら棒は一メートル近い長さがあるため、そのまま(かじ)らず折って食べる。しかし大抵の静岡県民は、子供の頃に一本食いを夢見る。


「しかも兄貴、綿菓子買ってきて、クレープ買ってきて、あんず飴買ってきて、チュロス買ってきて。なに? なんか食わせておけば泣き止むって思ったん?」

「というか、単純に困ってたんだ……泣くなとせ見たの、あれが最初だったんだ」

「あたしが堤の家のコになって、ずいぶん経ってたよね?」

「俺が見てる前じゃ、お前はほんっと泣かなかった」


 堤家に引き取られた頃には、既に物心ついていたのもある。だがそれ以上に彼女は、我慢や抑制を知っていた、子供らしくない子供だった。

 なのに初めて目にしたのが、人目を(はばか)らないギャン泣き。

 なにをしても泣き止まない。なにをしても拒否される。

 しかも自分以上に幼い少女の扱いなど、全くわからなかった。


「だからあの時は、俺も本気で泣きそうだったぞ……」


 不思議と自分の思い通りにならない少女に腹は立たず、ただただ途方に暮れた。


「それから……親父たちと合流するのに、結構時間かかったよな?」

「ケーサツだか祭のジッコーイインだかの人が来て、おとーさんおかーさんも来て、よーやく合流」

「で、そのまま帰ったと」

()の輪くぐりだけはしたけどね。あと帰り際、屋台の食べ物買いあさりながら」

「……俺が小遣いはたいて買った大量の菓子はどうした?」

「みんなでかじりながら帰ったよ」


 そんなこともあった。

 後悔に似た決まりの悪さが(よみがえ)ったが、気分は悪くない。自然と十路の口元は(ほころ)ぶ。


「あたしたちさぁ、ほんと家族の思い出って、ないよね……」


 けれども南十星は下を向き、寂しそうな笑みをこぼす。

 十路自身で(かえり)みてもそうであるし、南十星についても同じだろう。

 やはり両親が早世してしまったのが、一番の理由だ。


「俺はあんまり覚えてないけど、なとせはそうでもないだろう? 五年前まで家で生活してたわけだし」

「兄貴いなかったじゃん……」


 推測は少し異なっていた。十路は分けて考えていたが、南十星は家族を四人として考えていた。

 彼女がオーストラリアで暮らしていた時、南十星の伯父――父方の伯父であるため、十路とは血縁がない――から聞いた話を思い出す。

 『あの子の家族は君しかいない』と。実の娘のように可愛がられ、彼女も敬愛していたが、やはり違うのだと。


「おとーさん・おかーさんがいないのは、仕方ないけどさ……せっかく日本に帰ってきたんだからさ、あたし的には、もーちょい家族の思い出ほしいワケですよ」

「悪いな……」


 思い返せば彼女に対して、兄貴らしいことなどしていない。彼女に訊けば否定されるかもしれないが、十路自身はそう思っている。

 仕方なかった。精一杯のことはやった。そんな言葉で取り(つくろ)っても、後悔ばかりが先に立つ。もっと早くに兄妹として距離を詰めておけばよかったのではないか。そう思うことも度々ある。


「だから、兄貴」


 南十星が身を寄せてきた。半纏の分厚い生地越しに、筋肉質でも男とは違う体の感触は伝わってくる。

 小さな頭を寄せてきた。束ねられた髪の先端が首筋に触れ、潮風に混じりシャンプーの匂いが鼻に届く。

 甘えてくる妹の頭に、十路は手を乗せようとして。


「ひと夏のアヤマち犯して、新しい家族作ろっか?」

「…………………………………………」


 だが妹に言われても嬉しくないというか(さげす)むというか、しつけ及びネジ締めの必要性がある言葉に対応を変えることにした。

 十路と南十星は並んで密着状態にある。チョップもゲンコツも効果的に落とすには、間合いが近すぎる。


「ごへっ!?」


 だから素早く拳を天を突き上げ、南十星の頭に肘を落として、リアシートからも叩き落した。


「しんみり空気を返せ。アホ言いたいがために遠回りな話を振ってくるな」

「のぉぉぉぉ……! 今のヤバイ……! ノーテンにヒジは危険……! 格闘技じゃルール違反……!」

「犯罪教唆(きょうさ)する愚妹相手でも一応手加減したぞ」


 頭を抱えて(うずくま)っているのと(あやま)ちを(おか)すと犯罪になる。妹でなくても従妹でなくても義妹でなくても、年齢的に。


 不意に視線を感じて十路が振り向くと、なんとも言えない表情を浮かべたナージャの顔が、逆サイドにあった。

 樹里と話していたはずと思って振り返ると、彼女は背中を向けて丸めてしゃがみ、アリさんの行列と会話していた。

 十路は視線をナージャに戻し、先に釘を刺しておく。


「ナージャまでふざけた戯言(たわごと)言うなら、鼻に割り箸突っ込むぞ。それも焼きソバ食べる時に使ったソースべったり青ノリ紅ショウガ付きのを」

「言いませんよ!? というか、なんで割り箸にそんな細かい設定まで!?」

「設定に意味はないけど。なんか俺に用か?」

「いえ、木次さんの相手を交代してもらおうかと……わたしじゃ(なぐさ)めるの無理みたいなので……」

「まぁ、予想はしてた」


 感情的な相手を(なだ)める時の基本方針は、話を聞いて悩みを共有すること。

 しかし今回の場合、持つ者と持たざる者の決定的な意識差が存在する。心ではなく胸部に。

 なので頷きながら悩みを聞いても、テキトーにあしらわれているんじゃないかという不信感を持たれるだろう。


「ですけど、なんだかご兄妹(きょうだい)の語らいしてるようでしたので……」


 だから口を挟むのを遠慮していたというわけかと、ナージャの弁を聞いて納得したが。


「だけど、あぁなった木次なんとかしろって言われても、俺は放置するからな?」

「十路くん、冷たいですねー……」

「胸の大きさなんてこだわるな。それぞれに良さがある。大事なのは感度とか、そんなセクハラまがいの(なぐさ)めでもしろってのか?」

「……女同士なら許されるでしょうけど、男の人が言うのもアレですね」

「そもそも俺には理解できない悩みだし、最終的には自分で折り合いつけるしかないだろ? それにプライベートに踏み込むのを『親切』なんて勘違いしてないからな?」


 小さな親切大きなお世話とも言う。同情されるほど(みじ)めなものはないと言う人もいる。排除も無視もできない分、善意を押し付ける人ほどの悪人はいないとも言える。


「ま、せいぜい気を()らすくらいだな……」


 とはいえ、これから部活動で動いてもらわないと困るので、仕方なく十路はオートバイから身を起こし、地面の南十星を荷物のように片腕で抱える。


「木次ー。なとせの頭が悪くなったかもしれんから()てくれー」

「言い方ひどっ……!? てか悪くしたの兄貴じゃん……!?」


 文句を言う南十星を運ぼうとしたところで、人工知能イクセスが声をかけてきた。準備で大勢の人々が行き交っているので、逆にオートバイが声を出しても大丈夫だろうと判断したか。


【ところで、部員が一人足りないのは、もう誰もツッコまないのですね……】

野依崎(アレ)が来ないのはわかりきってるだろ」


 普段から半ばヒキコモリ生活をしている小学生が、部活の現場――しかもこのような人の多いイベントに来ることは、誰も期待していなかった。


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