010_1000 《魔法使い》たちの学生生活Ⅲ~放課後~
そして放課後になった。
樹里と顔を合わせるのを気まずく思いながらも、十路が部室に行くと。
彼女はガレージの隅で丸まって『の』の字を書いて、古典的にわかりやすくヘコんでいた。
「木次……?」
十路が気まずさを忘れ、後輩の小さな背中に不審の声をかけると、ボソボソと事情説明がなされた。
「……『《魔法》で胸を大きくしてほしい』って依頼が来ました……」
「はぁ?」
「全部、堤先輩のクラスの人たちからでした……」
「あー……体育の時にそんな話が出たな。本気にしたのか」
「……やっぱりですか」
暗く冷たい圧迫感のある声に変わる。その深海みたいな迫力に、十路は怯んで思わず一歩下がった。
「やっぱりなんですね……」
ゆらり、と立ち上がりながら樹里が振り返る。
今の彼女に人懐こい雰囲気はない。例えるなら満身創痍、足を引きずりながらも喉笛に食らいつこうとする猟犬だ。
「やっぱり私が貧乳だと思ってるんですかぁぁぁぁっ!?」
「うぉい!? どうやったらそうなる!?」
「なんですか!? 当てつけですか!? 胸の大きさってトップとアンダーの差ですよ!? バスト七五のDも九〇のAもありえるんですよ!? 八〇未満即貧乳認定ですか!? Aカップ以下じゃないんですか!?」
「落ち着け! 意味わからんが被害妄想なのはわかる!」
「わだじだって少しはあるづもりなのにぃ……!」
「マジ泣き……!?」
「ごれでもCカップなんでずよぉ……!」
「をい。ドサクサで重大な秘密をカミングアウトしてるぞ」
最初からずっと様子を見ているはずのイクセスも、困惑している十路に声をかける。
【あの、トージ……? ジュリになにがあったんですか……?】
「俺が聞きたいぞ……?」
【あと、直接相談に来た生徒たちは、ジュリを見てため息をついて、コゼットに期待するようなことを言って帰っていきましたが……?】
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樹里が泣き止んだ頃に、ナージャとコゼットが部室にやって来た。
涙は消えても肩を落とす樹里に、ふたりも不審に思って当然だ。事情を訊ねてきたので、わかる範囲の情報を十路とイクセスで提供した。
樹里のコンプレックスはともかく、大よその事態は納得したらしい。
「《魔法》で胸を大きくしたいって……なんですの? その依頼」
ソファの肘掛けで頬杖を突いて、斜めになった体勢で、コゼットは呆れる。
「いえ、ウチのクラスでそんな話になっちゃって」
座る際に敷かないよう、前に回した長い髪の尻尾を弄びつつ、ナージャが補足する。
「…………」
同席している樹里、無言で足元に置いた空間制御コンテナから、《魔法使いの杖》を取り出す。
「実際のところ、できるんですか?」
そしてナージャに意識を向ける。
《マナ》を通じて取得した空間情報から計算すると、彼女のバストは九二、ブラのサイズはF七〇。おエフ様だった。言うことはなにもない。コメントする必要があるだろうか。
「女の子の悩みとしては、理解できなくもありませんけど、《魔法》でと言われましても……」
次いでコゼットにも意識を向ける。
視覚の三次元情報から服と姿勢を考慮して補正すると、バスト八七・D七〇という結果が。昨今ではやや大きめという程度だが、身長と腰周りとのバランスを考えると、一番女性らしく見えるゴールデン・プロポーションだった。
「…………………………………………くすん」
樹里、そっと長杖を格納した。
「木次さん?」
「なにやってますのよ?」
「おふたりには無縁の虚しさを感じてるところです……」
それだけではない。《魔法使いの杖》を持つだけで、《マナ》を通じて周囲の全てを解析してしまう頭脳が、今はこの上なく恨めしい。素質の無駄遣いをしているわけではなく、《魔法使い》とはこういう存在なのだ。
特異能力をかみ締めて、哀愁を漂わせる樹里に、ナージャとコゼットは慰めの言葉をかける。
「胸が大きくったって、いい事ないですよ?」
「得なんてねーですわよ」
「ただでさえ髪の色で浮いて見られるのに」
「ただでさえ髪の色で目立ちますのに」
「どうして男の人って、胸見るんですかね?」
「どうして女性って、胸触りたがるんでしょーね?」
「服のサイズを胸元に合わせると、太って見られません?」
「かと言ってパッツンは勇気が必要ですわよ?」
「足元が見えなくて、つまづいた時は危険です」
「夏はよく汗疹ができますわ」
「テーブルで身を乗り出すと、よく胸でコップを倒します」
「うつ伏せに寝るのも仰向けに寝るのも息苦しいですわ」
「ゴツく骨太に見られます」
「アジア人とヨーロッパ人の体格差もありますもの」
「日本の皆さんのほうが柔らかいはずですけどね」
「確かそれも人種の差でしょう?」
「一〇年後が恐怖です」
「垂れるの回避するには改造しかねーですわ」
「地元だとこの大きさ、珍しくないですけどね」
「わたくしも母国では平均ですわよ」
留学生たちは愚痴っているだけ。しかしそれを聞いている樹里は肩の震えが大きくなる。『胸が大きくてもいいことがない? 得することがない? とんでもない。その悩みこそが得なのだ』と。
「一番の悩みは、胸が大きい悩みを、なかなか人に理解してもらえないことです」
「はい理解できません! とってもゼイタクな悩みだと思います!」
ナージャが口にした悩みに、ついに樹里は吼えてしまった。
人は得てして自分のことは、デメリットしか見えないもの。小さいなら小さいなりに、大きいなら大きいなりに、メリットとデメリットが同居しているはずだが、理解を求めるのは酷だろうか。
「ということで、脱線しちゃった話を戻しますけど、《魔法》で胸を大きくできるんですか?」
「そういうのはわたくしよりも、木次さんの専門分野ですわね」
コゼットが視線で話をパスしてくる。
《魔法使い》としての性能は、コゼットのほうが上だ。ただし彼女の専門は、理科における物理と化学で、生物に関しては樹里には及ばない。
樹里が分類上、《治癒術師》と呼ばれる《魔法使い》だから。
「できますよ」
《治癒術師》と呼ばれる者たちは、その名の通り《魔法》による医療行為を可能とする。
ただし《魔法》は知識と経験から作られるものだから、治療行為には人体を細胞レベルで理解していないならない。つまり医師や生化学の研究者と同等の知識が必要となる。
普通ならば、女子高生が実用レベルで習得しているものではない。
「どうするんですか?」
「別の場所の脂肪細胞を、《マナ》で胸に移植するんです。細胞単位の移植はそう難しいことじゃないですし、普通の豊胸手術でもやってる方法ですから、一応は安全が確認されますけど……」
ナージャにそう説明する樹里の顔は、気難しげに眉根が寄っている。
「ですけど、木次さんはやりたくないようですね?」
「《魔法》の医療行為って、法律でキチンとなってないんです……だから医師免許を持っていない私が施術すると、問題になるかもしれないんです」
「つまり木次さんはブラックなジャックさん的なスゴ腕ヤミ医者ですか!」
「違法じゃないけど微妙な立場ってだけです……」
《魔法》の出現など三〇年前には考えられなったことで、しかも当てはまるパターンがあまりにもごく少数なので、当然といえば当然なのだが、総合生活支援部の部員たちは社会実験に参加することで、こうした法整備の不具合によく直面する。
「だから普通の治療でも基本、緊急時以外しません。美容整形手術は尚更する気ありません。それに――」
そこまで説明して、樹里は儚い笑みを浮かべた。
「そんなインチキしたら、負けじゃないですか……」
なにを定義に負けなのか、などという無粋な質問をしてはならない。バスト七九という壁を自力で超えることは、彼女にとって大きな戦いなのだ。
「……えぇ、まぁ……」
「……そうですか……」
そして人生を賭けて富を得ようとする戦士階級に、そんなことは無縁な境遇だった富裕階級が、肯定するのも否定するのも、嫌味にしか受け取られない。曖昧に受け流すのが一番だろう。
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「《魔法》なんて使えても、なんの役にも立ちませんね……」
樹里の言葉に、十路は思う。
(それは木次のプライドの問題では?)
しかしツッコめない。その寂寥感が溢れた笑みを前に、先ほどの涙を見てしまった上では、さすがに空気の読めない彼でも言えない。
彼が口を挟む必要もなく、軽快な音楽でガールズトークは途切れる。
「わ、わっ、マナーモードにしてなかった……!」
どうやらメールの着信らしい。携帯電話の液晶画面を見ている樹里の顔が、読み進めるうちに沈んでいく。
「部長……今日はこれで帰らせてもらいます」
赤い二つ折りの携帯電話を音を立てて閉じると、なぜか疲れた顔で樹里は立ち上がる。
「ちょっと用事で、実家に帰らないとならなくなって……」
「あぁ、そういうことですの。お疲れ様ですわ」
「お疲れさまです……」
鞄と空間制御コンテナを手に、軽く頭を下げて、樹里は部室を出て行った。十路と目が合い怯んだが、彼が軽く手を上げて挨拶すると、少し気まずげに顔を伏せた。
「木次さんの実家って、すぐに帰れるところなんですか?」
「市内ですわ。わたくしや貴女とは違いますわよ」
海を渡った留学生や、実家がない十路と違うのだから、疑問に思うのも当然だろう。しかし《魔法使い》ならいくらでも事情がありうる。ナージャもそれ以上は訊かず、彼女も立ち上がった。
「それではわたしも、今日はこれで失礼しますね」
「あら。クニッペルさんもなんて、どうしましたの?」
「たまには料理研究部に顔を出さないと、マズイですから」
「そういえば高遠さん、珍しく今日は来ませんわね」
「和真くんでしたら、剣道部の主将さんに連行されました」
「いつもここでサボってるからですわ……」
ナージャも部室を出てくと、一気に静かになった。
コゼットが備品のパソコンの電源を入れながら、十路に話しかけてくる。
「堤さん、ずいぶん静かでしたわね?」
「ガールズトークに男が入れるわけないでしょう?」
だから十路は三人が座る応接セットに近づかず、オートバイに体重を預けて立ったまま、ずっと黙っていた。
「それにしても木次……そこまで胸のこと気にしてたのか……」
彼女も普通の女の子だから、そんな悩みを持ってても不思議はないとは思う。
しかし十路のクラスメイトにコゼットと胸を見比べられて、泣くほどだとは想像だにしてなかった。
【ジュリが落ち込んでいた理由は納得しましたが、私には理解不能な感情です】
「貴女も設定上は女性でしょうが?」
【高重心で不安定になり、空気抵抗が増える重りを、なぜ重要視する必要が?】
「そこはバイク的な考え方なんですわね……」
【私から見れば、コゼットの形状はムダが多く、機能的ではありません。例えるなら装飾過多で三段シートを乗せた、今時ありえない族車でしょうか】
「ア゛……? だったら機能的なボディラインの貴女を人間に例えたら、胸も尻もない幼児体型っつーことですの……?」
【面白い例えですね……?】
「あ~ら? なんとなくでも理解可能な貴女の表現には及びませんわ?」
人間と機械の意識差を器用に乗り越えて、コゼットとイクセスは剣呑とした軽口を応酬しあう。慇懃無礼なAIとガラの悪い王女の、こんな光景は割とよくあるので、十路は無視して考える。
(『やっぱり』とか『当てつけ』って、俺が裸見たこと、気に病んでるのかぁ……?)
先日のことと、樹里が泣いた時のセリフを思い出し、十路は内心頭を抱えた。嫌味でクラスメイトたちを胸の相談でけしかけたように連想するならば、相当に重症だろう。
(確かにスレンダーだけど、細いなりにスタイルよかったと思うんだけどな……?)
男と女の考え方、そして当事者と部外者の意識は違うのだから、無意味ではあるとわかっているが、十路は考えた。
ひんぬーの境目はどこなのか?
作者も不明のまま書いてマス。




